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Archive for 1月, 2015

プールで初泳ぎ

11 1月

運動は生産的時間
朝、起床前から家内と「今日はプールへ行こう」と決めた。起床前に決めてしまわないと、途中で寒くなってプールへ行くのをためらうからだ。午後行くと決めた。

午後2時にプールへ行くとなると、帰宅は午後4時半過ぎになって午後の時間はほとんどなくなってしまうだろう。しかし、からだ作りは自分にとってはとても大切なことだ。従って、健康のための活動は消費的時間ではない。

毎回プールへ行くと、久々に会う人がいる。今日は、猪野瀬の活性化委員のTさんが来ていた。風呂へ入ったり、プールの中を歩きながら、まちづくりなどについて話すことができた。

また、全く知らない人とも、サウナや風呂で話しかけることができる。正に裸の付き合いだ。私は、「プールの中のウオーキング」:「風呂やジャグジー風呂」:「サウナ」が5:2:3の割合だっただろうか。

いつもなら、除雪に対してかなり体力を使うが、今年はほとんど身体を使っていない。こんなとき、プールで身体を鍛えることは私にとってはとても大切な時間だ。正に「生産的時間」だ。

(日記 午前中は、もっぱら数学。今日は“鏡開き”だ。昼食時に「ぜんざい」を食べた。午後は市営プールで初泳ぎ。新年に入って早くも10日あまりが過ぎてしまった。時間はかなりのスピードで進んでいる。計画的に時間を大切に使わないと何もしないうちに一月、一年が過ぎてしまう。気を付けなければと思う。)

 
 

ネットビジネス……勝負は必要なモノを売れるかどうか

10 1月

地方にもチャンス
最近、時々ネットでモノを買うことがある。地元にはないモノ、福井まで出ても買えないモノ、そんなときにはネットで探すことがある。ある程度高価な物なら本物かどうかが問題になる。驚くことに、早い時には翌日品物が届く。

こんなことが続くと、地元は疲弊すると考えられないこともない。しかし、ネットでビジネスができるとなると、逆にチャンスになるにもなると思う。例えば、地方で何かを作っても、それを流通に乗せて販売しようとすると、これまでは一定の規模が必要であった。

しかし、今はネットによる販売を考えれば、生産者から問屋などを通さないで
、直接、消費者にモノを販売することもできるのだ。規模の大小が問われないこともあるのだ。小規模産地でもネットで販売している現場を見に行ったこともある。

ネットによって、都会にチャンスを奪われることもあるが、ネットによって直接消費者に繋がることのできる時代なのだ。かつて、四国に橋が架かったとき、都会から四国へ人が来るとの期待があったが、それと同時に、橋によって本土へ出てしまうことも同様に起こったのだ。

三月には、金沢まで新幹線が来るが、それによって都会の人が北陸へ来るという期待と、北陸の人が関東へ出てしまうこともあるのだ。その傾向は、すでに、東北新幹線で出ているそうだ。淡い期待をしているだけでは、世の中、思い通りに事は進まない。知恵を働かせて本物を目指した地域や人が、人を呼び寄せるのだということを考えなければならないと思うこの頃である。

(日記 今日も終日、数学。時々ネットで情報収集。隣で、家内が編み物をしている。外ではチラホラ雪が降っている。のんびりした一日だった。夕食後は、少しテレビを視る。)

 
 

09 1月

雪の降る地域が北上したのだろうか
ありがたいことに、今年は正月に少し降ったけど、その後はあまり雪が降らないのでありがたい。新潟以北はかなり降っているようなので気の毒だ。雨季の大変さはよくわかるからだ。

木製の「ばんば(またはコスキ)」。これで屋根納期を下したのだ。

木製の「ばんば(またはコスキ)」。これで屋根納期を下したのだ。

「サンパチ(昭和38年)豪雪」、「ゴーロク(昭和56年)豪雪」などの悲惨さを経験している者としては、雪の大変さはよく理解できる。

ところで、「サンパチ豪雪」の頃は屋根の雪下ろしに使う道具は「ばんば(またはコスキ)」と言われる木製の道具だけだった。これで、屋根の中央部分からでも雪をすくいとって下へ投げるのだ。

慣れない者には簡単に使える道具ではない。アルバイトで雪を見たことのない沖縄出身の大学生までが屋根に上ったが、彼らはあまり戦力にはならなかった。

奥越育ちの私は、大学の寮では「ばんば」による雪下ろしが一番上手だったと思う。屋根の先端の雪はだれでも落とせるが屋根の中央部分の雪を豆腐状に切り取って「ばんば」で下へ投げ飛ばすのは簡単ではなかったのだ。

その後、「スノッパー」で出てきて雪下ろしの効率は何倍もよくなった。しかし、最初の「スノッパー」は鉄でできていた重かったのを覚えている。今はアルミやプラスチックでできていて軽いので扱いやすい。雪おろしにも歴史があったのだ。今は昔に比べて雪が少なくなったように思う。温暖化の影響だろうか。

スカイプによる『辞意やん勉強』。勉強の後は孫たちと会話。

スカイプによる勉強の後は孫たちと会話。

(日記 午前中は数学。午後は大野高校時代に担任をしたI君が児童館へ来てくれた。いろいろ話をした。彼は住宅会社で課長をしているのだ。卒業生の活躍は頼もしく感じる。夜は、今年初めてのスカイプによる『爺ちゃん勉強』。)

 
 

遅々として進まず

08 1月

でも「毎日パワー」を信じて
私の日々の生活は「晴耕雨読」ならぬ「晴耕雨パソ」だが、今は「晴耕」の方は“シーズンオフ”。したがって、もっぱら家でパソコンの前に座っているばかり。「雨パソ」の方は「雪パソ」と言った方がよいかも知れない。雪が降ると外での仕事はないのでのんび

参考書に登場する数学女子。

参考書に登場する数学女子。

りと過ごすことができる。私は、日中はこたつに当たってテレビを視ることはしない。時間が無駄になるからだ。

今は、もっぱら高校生のための参考書作りをしている。高校生の参考になるかどうかは分からないが、自分では少しは役立つのではないかと思っている。2週間後は確か「センター試験」のはずだ。

私の参考書が役立つかどうかが試される。昨年は大いに役立った。というよりも毎年大いに役立っているといると思っている。今年はどうだろうか。きっと役立つだろう。

出題されるかどうか分からない予想問題を試験直前にたくさん解くよりも、基礎的な知識(セオリー)を確実に身に付けておくことが大切だを思っている。これらは絶対に出題されるのだから。

結構時間のかかる黒板(に書いたつもり)の図形。

結構時間のかかる黒板(に書いたつもり)の図形。

そして、応用問題は、それらをもとにして考えればよいのだと思う。考えなければ数学ではない。しかし、何もかも考えていたら、時間切れになってしまう。それにしても、参考書作りには多くの図形を挿入しなければならないが、これが大変な作業だ。遅々として進まないが,毎日やっていればバックはしないはずだからと思って今日もラジオを聞きながらパソコンを眺めている。

(日記 終日、数学。昼食後、家の前にあった雪を除雪機で飛ばした。孫達がソリ遊びをした場所だ。夕食後は、ぼんやりとテレビや読書。)

 
 

「地方発の新しいビジネス」

07 1月

宝を生み出す“つながり力”
今日は「地方から日本を変える・・・地方発の新しいビジネス」(NHKクローズアップ現代)の二日目。地域で成功している中小企業が紹介された。雪深い新潟・三条市で5年で売り上げを倍増させたアウトドアーメーカーー「snow peak」の話である。社長は26歳でUターンしたY氏。同氏がUターンした頃は、地元には金属加工の技術はあるが、安い外国製品に押され不況にあえいでいた。同氏によれば「みんなで安いマーケットに安いものを作って安く売っていた。」と思っていたらしい。

今や同社は、年間売上高54億円。躍進の秘密は高度な技術で加工した付加価値の高い製品を売り出すことにあった。思いついたのは自分が好きだったアウトドアー関連の製品。地元の金属加工の技術を使って高級テントを作り、従来品の10倍の値段(27年前に168,000円)で売り出したところ、大ヒット。

地元の鍛造技術使った驚異的な強度のあるペグ(テントのひもを止める器具)や、地元の職人にしか作れないキャンプ用の調理鍋を作るなど、地元企業に声をかけ、技術力を売りにした製品の開発に乗り出している。Y社長は「僕は高く買ってくれる人に、高くてもいいものを作って売っていくようにしている。そのためにはブランドも作らなければいけないと思っていた」と語っている。

それが高級ブランドの出発点となった。高付加価値戦略の成功により地元企業の意識も変わった。販売は直営店を主体に行っている。社員が製品の機能やブランドの哲学を徹底的に説明する。今や社員の約7割は県外から入社を希望して集まっている。「これだけの技術はうちだけしか持っていないでしょう」と自信を持つ職人たち。消費者も「値段は高いがものがいいのでずっと使える。」と言い、リピーターになっている。

こうして、地場産業とのつながりを武器に世界を目指している。高付加価値のブランドが地方の新たな可能性を開こうとしているのだ。社長「地域からグローバルなマーケットに高くても価値のあるものを作って高く買ってくれる人に対してものを供給するようなことが成長戦略としてある。」と結んでいる。地元にどんな技術があるのか、どんなものを人が求めているのか、安売り競争に巻き込まれず、本物を作る力が地方に望まれているのではなかろうか。まさに“知恵無限”である。

(日記 終日、数学。途中で事務所の除雪。冬は時間がたくさんあるのでありがたい。)

 
 

人口増に沸く離島……クローズアップ現代

06 1月

地域の活性化
昨日のNHKのクローズアップ現代で『地方から日本を変える~人口増に沸く離島』を放映していた。視る前にビデオをセットした。そして番組を見た。(今日も続きがあった。)

最初に、日本海の島根半島沖合約60kmに浮かぶ隠岐諸島のひとつである島根県海士町のまちづくりについての報告があった。本土から船で2、3時間かかる離島に、都会から若い人達が移住し、統廃合寸前だった高校にも、全国から生徒が入学し、学級増になったという。

「徹底した行財政改革を断行するには、自ら身を削らなければならない」」との考えのもと、町長は当選後にまず、自分の給与を50%カットしたのである。ところが、課長以下役場の職員も自ら給与カット(40%から16%)を申し出、2億円の人件費削減に成功したというのだ。そのため、海士町は「日本一給料の安い自治体」となったとのことだ。一方、移住して手に職を持とうとする者には、3年間毎月15万円を役場から補助し、定住化の支援をしているという。また、高校の進路指導にも力を入れている。進学指導も、就職や将来に対する意識改革も進めている。若い人の育成に力を入れているのだ。

このような島民の本気度が、いろんなアイディアを生んでいる。そして、若い人たちが子育てに集まる島、高校生が島外からやってくる島になったのだ。また、新しいシステムを導入して細胞組織を壊すことなく魚介類を出荷できる最新技術を導入して、直接都会の消費者に届けるなどして地域の魚介類や肉牛をブランド化し、立ち上げた会社は黒字を続けているというのだ。

島の人たちの「志」が離島というハンディーを克服して今の時代に人口を増やしているのだ。まさに、“事を為すのは人である”という事を再認識した次第である。

(日記 今日は終日数学。外は雨。静かな一日だった。明日からまた雪が降るという。ブログを書きながら、クローズアップ現代を見ていた。地方の中小企業の創造的な取り組みを見ていた。まだまだ可能性がある。勇気がわいてきた。)

 

 

 
 

「希望」それは生きるエンジン

05 1月

ドラマに登場する昭和初期
最近の「朝ドラ」にはよく、昭和初期や戦争前後の時代が取り上げられている。今、放映中の『マッサン』も一つ前の『花子とアン』も、さらに一つ前の『ごち

雪の中での凧揚げに興ずる昭和の子ども達(朝日印刷提供)

雪の中での凧揚げに興ずる昭和の子ども達(朝日印刷提供)

そうさん』も、その前の前の『梅チャン先生』も……、みなドラマの中で戦争が起こっている。いろんな意味で、過酷な時代であったと思う。しかし、どのドラマにも、“希望”を持って生きている主人公の姿があり、視る者の心を打っているのだろうと思う。

果たして、今の時代はどうであろうか。私のように終戦直前に生まれた者の子供時代と、今の時代の子どもとでは置かれた時代がまったく違っている。物質的な面では比較にならない。

一家に大人の数だけ自動車がある今と、一家に中古の自転車が一台あればましな方だった時代とでは比べようがない。もちろん、テレビもゲームも漫画もなかった。しかし、子ども達の生き生きした姿はそこにはあったように思う。遊びは、常に創意工夫の連続だった。

雪遊びを楽しむ昭和の子ども達(朝日印刷提供)

雪遊びを楽しむ昭和の子ども達(朝日印刷提供)

ゲーム、漫画、携帯などの画面に集中している今の子どもや大人と、雪が降れば暗くなるまで手製のソリで雪の中を遊び回り、正月になればこたつを囲んで夜通しトランプに興じたあの頃の子ども達とでは行動力は全く違っていたように思う。

しかし、これは何も今の子どもや大人のせいではない。せめて、今の世の中を肯定的にとらえて、希望を持って生きていってもらいたいと願うばかりである。人が機械の1部になったり、経済面ばかりに目を向けて人間らしさを失っている大人にだけはなってほしくないと思うのだが……。余計なお世話か。私の場合も、希望がなければ前向きには生きていけないと思っている。

(日記 静かな日々が戻って来た。午前中は、少し数学。体調不良。午後は、こたつの中で読書。健康維持に努めねばと思う。)

 
 

孫たちが横浜へ

04 1月

別れの時

福井駅でしばしの別れ。

福井駅でしばしの別れ。

12月27日に帰省した息子の家族が今日、横浜へ帰ることになった。9日間の我が家での生活があっという間に終わってしまった。この間、二人の孫(長女と次女)は、毎日私たち夫婦と一緒に川の字になって一緒に寝た。 一緒に餅を作ったり、神社や寺へお参りしたり、雪と遊んだり、二家族と私たち11人が一緒になって歌ったり(次女の結婚式のため)、孫同士が遊んだりしているうちに9日間が過ぎてしまった。 特に、横浜の孫たちとは週2回パソコン画面で会って、顔を見ながら話しているので、夏以来のブランクをほとんど感じることはなかった。明日以降は、また画面の中で会うことになる。

いつもこの階段から現れ、この階段から去って行く。

いつもこの階段から現れ、この階段から去って行く。

私はよくパソコンを使うが、ハードについても、ソフトについてもほとんど知識がない。いくつかのソフトをある程度使えるというレベルだ。しかし、これらのソフトも機能不全に陥ることが少なくない。 そこで一番よく使うパソコンだけ、息子が遠隔操作できるように設定してもらった。パソコンに不具合が起こったら、息子に電話すれば、横浜や東京で私のパソコンを操作できるのだ。とにかくいろんなことがあった、9日間があっという間に終わってしまってまた二人だけの静かな生活が戻ってきた。 (日記 午前中、息子達は横浜へ帰る準備。午前11時に息子家族5人と私達2人が、車で福井まで行くことにした。昼食後、孫達は午後1時半過ぎの列車で帰っていった。私達はせっかく福井へ出たのだからと、映画『バンクーバーの朝日』を見ることにした。戦前戦後の日本人移民の置かれた立場と共に希望となった野球チーム『朝日軍』の活躍が映されていた。冒頭のナレーション「3年間働けば一生遊んで暮らせるだけの財をなすことができる」との触れ込みで多くの日本人がカナダへ移ったという。しかし、そこに待っていたものは、……。 そこに戦争が加わり、日本人は敵勢外国人と見なされて過酷な運命に……。これはハワイでもブラジルでもアメリカ本土でも起こったことであった。いろんな面で考えさせられる映画でもあった。人生には希望が大切だということも。)

 
 

今日も大野高校同窓会

03 1月

大野高校での初めての卒業生

参加者全員と記念写真。福井パレスホテルで。

参加者全員と記念写真。福井パレスホテルで。

大野高校へ転勤して受け持った2クラス合同の同窓会が福井市で行われた。この2クラスの卒業生の中には、3年間担任した生徒、文・理展開が行われた3学年(理系)だけ担任した生徒、3年間隣のクラスだった生徒が混在している。

彼らは45・46歳だ。まさに社会の中では中心になって活躍している世代だ。一人一人にそれぞれ高校時代の思い出がある。特にこのクラスは、大野高校へ転勤して最初に担任をした生徒たちなので、思い出深いクラスでもある。

幹事の皆さんがいろいろ趣向を凝らして進行してくれたのでとても楽しく過ごすことができた。入場からして照明を落とした中を元のクラスの女性と腕を組んで会場は入った。

テーブルごとの記念写真。

テーブルごとの記念写真。

途中で花束やプレゼントをもらったりした。それと同時に、途中で27年前の授業を再現する場面があった。私のクラスの元生徒は27年前に使った数学のノートを大事に保存していてそれを持参していた。私は、それを使って数分間、昔の授業を再現した。もう一人の担任のSさんは英語の授業を行った。

いろんな場で活躍している卒業生の姿を見ていると、とても励まされる。こちらも、元気をもらうことができた。また、彼らの子供が高校生になっているのだ。時代は繰り返しているのだと思った。次回は、大野市で5年後に行うという。こちらも元気でいなければと思いながら会場を後にした。

(日記 午前中は、屋根の雪おろし。帰省中の息子が手伝ってくれたので助かった。午後3時過ぎに自宅を出て福井へ。午後5時から大野高校の2クラス合同の同窓会に参加した。とても楽しかった。途中で大野高校OBである滝波参議院議員も出席。IT関係やスタンフォード大学について短く意見交換。)

求めに応じて記念写真。声をかけてくれるのはありがたい。

求めに応じて記念写真。声をかけてくれるのはありがたい。

 

 

 
 

新年早々同窓会

02 1月

思えば年をとったもんだ
大野高校には8年勤務をしていた。この間、2つのクラスを卒業させた。今日はその中の一つの学年の合同同窓会だ。有り難いことに会場は近くの「勝山ニューホテル」だ。懐かしい顔が並ぶ。

大野高校同窓会。懐かしい顔がいっぱいあった。

大野高校同窓会。懐かしい顔がいっぱいあった。

思えば、大野高校には8年間在職したが、この間いろんなことがあった。野球部が甲子園へ2回出場したのもよい思い出だ。優勝したとき、選手も教職員も何から手を付けてよいか分からず甲子園常連の福井商業高校の指導を受けたことを思い出す。

私は年長者ということで、担任を持ちながらの学年主任だったが、生徒も教師集団も特に元気がよく、苦労の耐えなかった学年である。しかし、それも今ではみんなよい思い出になっている。チームワークもよかったと思う。

卒業生は41歳、42歳でみんな油ののっている年頃だと思う。医者あり、声優あり、建築家あり、教員や、市役所・県庁職員、農業、自営の者、市会議員など多士済々で話を聞いていてもとても楽しかった。

除雪機で作った雪山で5人の孫達がソリ遊び。

除雪機で作った雪山で5人の孫達がソリ遊び。

中でも、『ゆいファーム 農家のとうふ屋さん』のK君には、農業について話を聞くことができて有意義だった。やはり主力は米だが、販路を含めいろいろ考えているようだった。学者の考える農業、政治家の考える農業、K君のように本気で農業に取り組む者が考える農業、それぞれみんな異なるように思う。一般人も含めてよく話し合い、農政を進めてほしいと願う。いつかもっとゆっくり話を聞きたいと思った。有意義な同窓会だった。

(日記 朝から雪が降っている。途中で除雪機を動かす。子ども達のソリ遊びのために、家の前に雪を集めた。5人の孫達は楽しく雪遊び。午前中はのんびりと過ごす。午後は、パソコンで数学。午後4時より勝山ニューホテルで大野高校の同窓会。楽しい一日だった。)