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一段落、そして……

28 1月

このブログの目指すものは
私の子ども達は福井(長女)と東京(長男・次女)に務めている。そのため、お互いの動向は非常に把握しにくかった。そうした理由もこのブログをか書き続けている理由の一つだ。しかし、3人とも家庭人となって私達も一安心だ。そこで、今年度中には、このブログをどうするかを考え直してみたい。在職中の2008年4月から2010年3月までは毎日日記をつけてきた。そして、2010年4月から今日まで約5年間、一日も欠かさずブログを書いてきた。

本当はもっともっと自由に書きたいと思うことがあるが、過去の自分が邪魔をして本音の手前で留まっている。とくに最近は政治家の言動が気にかかる。農業にほとんど関わったことのない者が農業を語り、原発の問題点を熟知しているのかどうか怪しい人が積極的に再稼働を語っているのはどんなものか。

自国の経済優先の政策が必ずしも自国民の豊かさに繋がるとは限らない。一部の豊かさが他の者の不利益の上に成り立っている場合も少なくないのではなかろうか。そんなとき利益の再配分機能を構築するのが政治の力ではなかろうか。みんなが豊かになることなどはあり得ないのだから。

また、経済的な豊かさが人の心の豊かさに直結するとは限らない。戦後の貧しい時期とは異なり、成長戦略と言っても、限りなく成長していくとは限らない。無から何かを生み出さない限り、地球という限られた範囲の中で無限に成長することなど考えられないのではないか。世界の多くの人が平和を願いながらどんどん逆の方向へ向かっているように思えてならない。

『文藝春秋』(2月号)に倉本聰氏の書いた「北の国から見た欲望まみれの日本人」には同感できる部分が多かった。“自然に「右肩上がり」はない”の持つ意味を味わいたいものだ。

(日記 午前中、ブログの残りを書く。久々に数学再会。午後も、のんびり数学。平凡な日常が戻ってきた。)

 
 

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