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Archive for 7月, 2014

想定外を想定外

11 7月

「想定外」を責任逃れに使っていないか
最近、自然災害が多い。それも、新たな地域での災害が多いのだ。災害発生直後のインタビューでは、高齢者の人達が「生まれて初めての災害です」ということをよく聞くようになった。

洗濯場の塗装作業。

洗濯場の塗装作業。

ということは、いろんなところで災害が発生するようになったいうことだろう。地域の首長の「想定外でした」という発言もよく聞くようになったのは情けない。想定外のことが起きるということを想定していなかったといううことだ。

最近の気候や自然災害は、もはや想定外というよりも、異常なことが起こることが当たり前になっている。したがって異常ではなくて日常的になったということだ。これまで起こらないような災害が当たり前のように起こる時代になったのだ。

「想定外のことが起こる」」ということを想定していなければならない時代になったようだ。したがって、「想定外」を想定していないのでは困るのだ。今やだれもが、想定外を想定していなければならないのだ。

沖縄、九州、長野…、本当に気の毒だと思う。明日は我が身かもしれないと気を引き締めておかなければならない。災害は、ゲリラ豪雨や地震などの自然災害ばかりではない。人災もあるのだから。

今日採れた夏野菜。春からの作業が報われた感じだ。

今日採れた夏野菜。春からの作業が報われた感じだ。

(日記 午前中は、洗濯場の壁面のペンキ塗り。腰の痛い作業ではあった。マスキングをして午前中1回目、午後2回目の塗料を塗った。まあまあきれいになった。あとは、心を鬼にして本棚の整理。まだまだ整理できるはずだが、なかなか実行できないのは、自分がお金を出して購入した本が多いからだ。)

 
 

久々に高校数学

10 7月

高校生からの質問
隣の高校生のSさんから「数学を教えてほしい」とメール。ほぼ毎日、高校生のための参考書作りをしているが、直接、数学を指導するのは久しぶり。数学を教えることはとても楽しい。

ます自分のやってきたことが人の役に役立つことがうれしい。それに、考えることは私にとっては脳の体操にもなるだろう。どうしたら、うまく指導できるかが問題だ。

指導は説明ではない。質問された問題をわかりやすく説明することではない。質問されたその問題を通して、いかに他の問題にも活用できる力をつけることができるかだ。

別の言い方をすれば、その問題を指導するのではなく、その問題を通して指導すると言い換えることができる。その問題を通して、数学の力を養わなければならない。

そんなことを考えると、数学に取り組むことは楽しい。なんといっても、私が長年かかわってきたことであり、私の財産でもある。これを生かさずして私の退職生活はあり得ないといっても過言ではない。今の私にとっては、“数学”は“数が苦”ではなく、“数楽”になっている。

(日記 午前中は、歯医者へ。医者通いの時間はもったいないがどうしようもない。悪くした責任の大半は自分にあるのだから。午後は、洗濯場のペンキを塗るための下塗り剤を塗った。午後4時から2時間あまり、隣の高校生Sさんの数学指導。あっという間に一日が過ぎてしまった。)

 
 

地域に関心を

09 7月

活性化委員会は活発だけど
今日は猪野瀬地区の7月定例活性化委員会。市会議員を交えて師の要望事項について検討。それにしても、地域の活性化を目指すことは簡単ではない。

最近の若者たちのライフスタイルは、“自らから何かをするというよりも、業界の人間の考えることを受身的に享受している”ように考えられなくもない。車、テレビ、ゲーム、携帯、パソコンなどだ。

携帯やゲーム機の様々なアプリ。そして、ラインやネットなどの様々な疑似空間。地域で、人や自然を相手に何かを作り出すという営みは消えつつある。食事さえもが、インスタントやコンビニ、宅配サービスなどで自ら考えなくても、事欠かない。

そして、若者たちは、高校までを地元で過ごして都会へ出てしまう。こんな状況の中で、地域の活性化を図ることは容易ではない。やはり、子供や若者たちの参画を得て何かを企画しない限り地域の活性化を図れないのではなかろうか。

そのためには、一つは、地域にいる者たちが、地域の資源を生かし、地域でできることを模索しなければならないだろう。それと同時に、地域から、外部に情報発信をしたり、外侮と勝負できるものを考えなければならないのではなかろうか。

(日記 午前中、太鼓メンバーのFさんに地元の民謡で篠笛を吹いてもらうために、事務所で打ち合わせをした。そして、彼女が2か月間海外旅行をした写真を見せてもらいながら、話を聞いた。海外旅行も長期になると、ホテルではなく、アパートなどを借りて、生活しながら、現地の生活を満喫するという方法があるということを知った。午後は、家の整理。 午後7時から、地域の活性化委員会。市会議員を交えて地域の儒方向感とともに、市への要望などを考えた。)

 

梅雨時期に伸びる雑草や樹木、そして野菜も

08 7月

次々伸びる生垣の枝
梅雨の時期は、野菜の成長も早いが、雑草や生垣の枝もどんどん伸びる。野菜などは伸びてくれるとありがたいが、畑や庭の雑草などはありがたくない。

少し前に家の生け垣の枝を切ったが、早くもところどころ、道路側に伸びている。午前中は、これらの枝切りをした。これらの、枝や雑草と、家にあるガスコンロなどを車に乗せて処分場へ持っていった。

家庭菜園のカボチャなども日に日に伸びている。自宅の大型植木鉢に植えた小玉スイカも同様だ。ぐんぐん伸びている。植えもしないのに生えてきたトマトの苗も、可愛そうなので畑から中型の植木鉢に植えた。これも伸びている。

植物同様に、人間も伸びる時期があるのだと思う。脳の大部分が成長するのは、3歳までだという。身長がどんどん伸びるのは、高校時代まで。植物は、畑の環境と肥料と太陽など自然の力で決まる。

人間は、家庭環境で性格などが、運動や栄養で体格が決まる。いずれにしても、成長に適した時期があるのだと思う。そうした時期に、成長に無関係なことをしているのはもったいないと思う。狭義の学力の強要などは人間の成長にはあまりプラスにはならないと思うが、世の中はそんなこと、お構いなしに強要しているように思えてならない。

(日記 午前中は、生垣の剪定など。午後は、事務所で数学。といっても、参考書に使う生徒にラストを書いていた。早く仕上げたいと思うが、高校の1、2年分だけで、3年位はかかるのではなかろうか。でも、考えていることに生き甲斐を感じる。)

 
 

台所整理のために車庫の戸棚を作る

07 7月

まるで数学のような手順
家内と二人で、今日は何をするか決めた。台所の食器類を整理すると決めた。そのためには、家の物置の戸棚を整理してスペースを作らなければならない。物置もいっぱいだからだ。

物置のものをどこかへ移さなければスペースができない。そのために、車庫の戸棚を整理しなければならない。車庫に使っていない収納棚があり、空間を占有している。そこでこれを活用したい。そこで車庫の戸棚にこれを設置し、空間に無駄を作らないように収納棚の下に台を作ることに決めて作業を始めた。

事務所から、材料となる木材や大工道具を運び、作業開始。例によってラジオを聴きながらの作業だ。午後3時ころようやく完成した。遊んでいた収納棚が浮かいやすくなるばかりでなく、戸棚の下にも台を作ったためにここにもかなりのものが収納できることになった。

それにしても、我が家にはまだまだ使わないが捨てられないものがある。父親が買った様々な道具や食器類だ。それに結婚式や記念式などでいただいた引き出物もかなり残っている。公民館際に提供したがそれでもまだかなり残っている。

捨てる前に一時保管しているモノもかなりある。毎年少しずつ捨ててはいるが、まだ残っている。この頃、セリをする機会が多いが、やるたびに、心を鬼にして捨てている。今、世の中の景気を支えているのはモノを買うことなのだろうか。モノのなかった時代に生まれ、モノのあり余る時代を生きて、今、モノを捨てるために苦労している。まだまだ使えるというのに。

(日記 朝から午後3時まで、日曜大工で収納棚を置くための台を作った。この台の下も収納できるように考えて作ったものだ。台所からものが少なくなることはとても気持ちがよい。必要だったら、近くの物置から持ってくればよいのだから。午後3時過ぎから、事務所へ出かけ、参考書に登場する高校生の顔のイラストを描いた。約3時間集中して取り組んだ。午後7時半から例によって横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
 

毎日パワーを信じて

06 7月

毎日取り組めば前へ進む
ほぼ毎日、高校の数学の参考書作りをしている。200問あまりの重要例題を授業形式で解説する参考書だ。イラストを多用し、生徒の声も取り入れ、セオリーと称して、私自身の考えを掲載している。

一日、一問、完成知れば上出来だ。たいていは、半分しかできない。それでも、毎日少しずつやれば積み重なっていく。先をあまり見ないで、毎日、コツコツと取り組むことだ。

本職のない退職者の私にとっては、これが本職だと思って取り組んでいる。私は、時間がかかることに価値があると思っている。思いつきでぱっとできることはできてもそんなに感激はしないだろうと思う。

このように、毎日コツコツと何かに取り組み、目標に向かって頑張る力を私は、『毎日パワー』と呼んでいる。一日一日は、少なくても、時間が過ぎた分だけ成長するのだ。

それは、作物の成長でも同じことだ。人間の成長もまた同じだ。一日では目に見えた変化は見られないが、一月、3ケ月、半年たてば、明らかに目に見える変化がみられる。そして、成長を喜ぶことができる。何もしないでいる要理も、自分が仕掛けた何かを期待してこれからも進みたい。

順調に成長している八の中のスイカの苗。

順調に成長している八の中のスイカの苗。

(日記 午前中は、部屋の整理。あまり能率が上がらなかった。午後は、数学。一区切りまでは後1問となった。進んでいくことが楽しい。休憩時間には、バンドの楽譜を書いたりした。できた分だけでも、高校生に渡したいと思う。)

 
 

ものの少ない生活

05 7月

行動範囲を取捨選択
 最近、我が家の行事の関係もあって、少しずつ家を片付けている。ものが少なくなった部屋は落ち着く。ものは、いつか何かに間に合うのではと思っているとなかなか片付かない。

 本とは、書籍なら、図書館があり、ネットがある。知識的なものならそんなに要らないはずである。しかし、自分が作ったり、記録してきたものは、捨てたらそれで永久にこの世から消えてしまう。

 だからといって、そんなに価値のあることをしているのだろうか。40数年間、教育に関わり、悪戦苦闘したり、書いたり、考えたりしたことだけは、簡単には捨てたくない。誰の役にも立たないだろうけれども。

 そんなことを考えているうちに、家の中には捨てられないものがたまっていくのだ。写真にしても、残したところで誰も見たりはしないあろう。ごく、少し残せばよいだけだ。しかし、たくさんのアルバムがあり、たくさんの思い出が詰まっている。

 こんなことを考えると、残さないでもよいものを、残しているようにも思える。しかし、こうしたことを繰り返しているうちに、少しずつ、ものが減っているのは間違いがない。ああ、いつになったら、家の中がスッキリするのだろうか。全ては、自分の気持ちにかかっているだけだ。

(日記 朝は、部屋の整理。午後、家内は外出。私は数学。果たして、こんなことをしていて価値があるのだろうかと時々思うが、また、勇気を出してやり続けているという感じだ。周囲の、高校生や昔の教え子達に励まされて。)

 
 

少子高齢化は防げるだろうか

04 7月

学者や政治家の考えていることが通用するだろうか
少子高齢化が止まらない。政治家や学者はああでもないこうでもないといろんなことを述べる。しかし、そんなことで簡単に少子化が防げるだろうか。いつも、そう思う。

高校を出れば多くの子供たちは都会を目指す。昨日も、能登の先端にあり原発を導入しなかった珠洲市のまちづくりについてテレビで放映されていた。

多くの若者は、関東、東京、そして金沢を目指すらしい。漁業に取り組んでいるのは高齢者が多い。若者が地元に残らないのは、働き場所がないからだという。

本当に働き場所がないのかというと必ずしもそうではなかろう。漁業や農業もないわけではないが、収入面に問題があったり、仕事がきつい場合があろう。

そのため、一極集中していくのだと思う。その点、昔の為政者は都をあちこちへ移したのは先見の明があったのかもしれない。また、各地で大名が地域の活性化のために、産業を興したのも素晴らしいことではなかろうか。本気で少子高齢化に対する実効ある背策を講じないと日本はどんどんいびつになっていくように思えてならない。

(日記 午後福井へ行くので、午前中、事務所で数学。途中で、パソコンのグッズを買うために大野へ。午前11時半ごろ、家内と福井へ向かった。買い物をした後、長女の家へ行き、二人の子供(孫)の子守。なかなかやんちゃな男の子二人、でもそれなりに可愛い。午後6時半過ぎまで子守をした後、帰宅。)

 
 

雑誌の切り抜き

03 7月

現職時代の癖
私は、今でも雑誌の切り抜きを行っている。最初は、毎月とっている雑誌などを本箱に入れておくが、数が増えてくると場所をとることになる。そこで、一定の数がたまったら処分しなければならない。

しかし、せっかく金を出した雑誌を資源回収に出すだけではさみしい。そこで、捨てる前に、興味のある記事だけをカッターナイフで切り取ってファイルに保存している。

イチゴの苗作り。

イチゴの苗作り。

しかし、そのスクラップも何十年と時間が経過すると、どんどん増えてしまう。そこで、今後使う機会や時間がないのではと思うものは、心を鬼にして古紙として資源回収に出すことにしている。

今日も、雑誌1年分の切り抜きを行った。おかげで本箱には少しばかり、空間ができた。切り抜いたものは、まちづくり、童話、モノづくりなどであった。

童話は、やはりプロの童話作家や素人の入選作をよく読むことは私にとっては、童話づくりの教科書だと思っている。こうして自分で作った童話を年に2、3作だけ紙芝居にしているのである。まちづくりや創作に関する記事だけは今でも集める癖がついている。

(日記 雑誌の切り抜きと部屋の整理。午後は、事務所で数学。家内は雨の中、イチゴの苗作り。ちょっと悪いなあと思った。夕方、音楽仲間のOさんが事務所へやってきた。しばし音楽談義。のんびりした時間が流れた一日だった。)

イチゴの孫蔓をポットに入れて洗濯ばさみでとめて作った苗。まだ、みんな親株につながっている。

イチゴの孫蔓をポットに入れて洗濯ばさみでとめて作った苗。まだ、みんな親株につながっている。

 
 

『越前大野はげっしょ鯖物語』(2)

02 7月

大野で紙芝居
昨年、大野のショッピングセンターで依頼を受けて制作した創作紙芝居『越前大野はげっしょ鯖物語』を今年も披露してほしいとの依頼を受けた。

紙芝居に先立って手遊び歌。園児たちも楽しそう歌ってくれた。

紙芝居に先立って手遊び歌。園児たちも楽しそう歌ってくれた。

昨日までに、昨年より絵を2枚増やし、脚本を少し変更した。午前10時に自宅を出発した。午前10時半からの第1回目は、開成保育園の年長組の幼児の前で演じた。紙芝居に先立って、手遊び歌を3曲程みんなで歌ってから、紙芝居を始めた。

その後、園児達ははげっしょ鯖を焼いているところを見学し、鯖と鯖の入ったたこ焼きを試食していた。最後に、園児たちと一緒に、七夕飾りの前で「七夕の歌」を歌って別れた。

子供たちとは楽しそうに歌い、紙芝居を見てくれた。手を振りながら、保育園へ帰って行った。2回目は、大人を相手に、紙芝居を演じた。ショッピングセンターの人たちともいろんな話をすることができた。

担当者からは、「開成保育園の年中行事にするので来年も紙芝居をお願いします」と聞かされた。園児たちと交流できることはありがたいことだと思った。子供たちとの交流を通して、勇気をもらったような気がした。

紙芝居『越前大野はげっしょ鯖物語』を子供たちは集中して見てくれた。

紙芝居『越前大野はげっしょ鯖物語』を子供たちは集中して見てくれた。

(日記 午前中は、大野のショッピングセンターで、創作紙芝居『越前大野はげっしょ鯖物語』を演じた。その後、外食して帰宅。午後は、事務所で数学。夜は録画したビデオを見た。充実した一日だった。)