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Archive for 8月, 2013

夏風邪

21 8月

当たり前の「よさ」を忘れる
  若い頃は、多少の無理をしても、次の日は影響は少なかった。40歳代までは毎晩午前様でも、翌日はちゃんと仕事に行くことができた。健康であるのが当たり前だった。

  特別に何かをしているという意識はなく、欲望にまかせていても、それなりに健康だった。しかし、60歳後半から70歳にかけてはそうはいかなくなったように思う。

  一度風邪を引くと、若い頃と違ってなかなか直らないのだ。考えてみれば70歳で健康という貯金を使い果たしたのかも知れない。これから、貯金(貯筋、あるいは健康維持のための体操やバランスある食事、そして休養)をしながら使っていかなくてはならない。

  祖婦言えば、若い頃マラソンをしたり山登りなど過激な運動をすると、次の日に筋肉痛になって、その次の日あたりから少しずつ回復に向かったのだ。

  しかし、今は、違う。次の日には痛くならないので、「あれ、強くなったのかなあ」と錯覚してしまう。ところが、次の日ではなく、その次の日に痛くなるのだ。痛くなるのも遅ければ、回復するのも遅くなるのだ。

  今の私の優先順位の一番は、「健康維持」だ。健康が維持されなければ意欲も湧かず、ただ悶々と過ごすばかりだ。今は夏風邪の真っ最中。ここ数日、私は健康の有り難みを感じている。

私の音楽仲間。あるときは、太鼓、あるときは、フラダンサー。彼女たちにずいぶん助けられている。

私の音楽仲間。あるときは、太鼓、あるときは、フラダンサー。彼女たちにずいぶん助けられている。

(日記 朝から、紙芝居の仕上げ作業。といっても、見て下さる方が高齢者で多いので、画面の大きくなるプロジェクターを使うことにした。ようやく完成したのだ。夜、太鼓ギャルの反省会。来月は、彼女たちにフラダンスを応援してもらいたいと申し出た。快諾。次週はフラダンスの練習。)

) 

 
 

創作紙芝居『親鸞聖人物語』完成

20 8月

正月以来七ヶ月をかけて
  創作紙芝居『親鸞聖人物語』を作ろうと決心したのは、今年に入ってからだ。先ずは大ざっぱなストーリーを考え、一枚一枚絵を描きためてきた。

  描きやすい絵を中心に、月数枚のペースで進めてきた。八割方、絵ができあがった頃から、脚本作り開始。話は、全くの創作というわけにはいかない。史実があるからだ。

  私たち田舎の者は敬虔な浄土真宗の信者だ。子どもの頃から道場での様々な仏事に参加してきた。道場は、今風に言えば文化センターでもあったのだ。

  子ども同士、大人と子どもが道場を中心に交わる事ができたのだ。しかし、今は見る影もない。子どもが道場へお参りするのは、皆無に等しい。我が家では、正月には神社と共に、道場へもお参りすることにしている。

比叡山で修行をすればするほど悩みが深まる親鸞聖人。

比叡山で修行をすればするほど悩みが深まる親鸞聖人。

  道場で、今日までかなりの回数『御伝鈔』を聞かせていただいているが、親鸞聖人の生涯は全く理解できないでいた。せめて上面だけでも理解できればと思って捜索を開始したというわけだ。

  ここ二ヶ月ほどは、親鸞関係の書籍を読みあさった。しかし、理解するのはかなり困難であった。せめて親鸞聖人の生涯のうち、1割程度でも理解できればと思っている。

  木曜日の高齢者サロンでの初演を楽しみにしている。家内の夫婦も来て下さるようなので、後で感想を聞くことができると思っている。

(日記 終日、親鸞聖人物語の脚本の仕上げと絵の補充作業。午後、ようやく、形だけは完成した。後は、読み合わせながら、完成度を高めていきたい。)

 
 

19 8月

八十八の手間
  米という字は、八十八と書く。米作りには、たくさんの手間がかかるということだ。私の子供の頃と今の米作りを比べたら、今は20種類の手間しかかからないのではなかろうかと思ってしまう。

田んぼでヒエを取る家内。この暑さでは私一人ではとてももたない。感謝。

田んぼでヒエを取る家内。この暑さでは私一人ではとてももたない。感謝。

  全て機械化されたからだ。昔の作業で思い出すのは、草取りではなかろうか。「結」をしながら隣近所が助け合い、大きな田んぼに入って話をしながら作業に励んだものだ。

  早朝からの作業のために、途中で休憩になるが、ここでは朴葉で包んだ黄な粉のおにぎりがその日の田んぼの持ち主から出された。黄な粉には甘さの中に、わずかな塩分があり、疲れた身体にはぴったりの食べ物だった。

  おかずとしては、自家製のたくあんや蕗やワラビの煮物があったと思う。子供心に美味しかったことを覚えている。今は、法人では一斉にヒエ取りをすることがあるが、途中で出されるのはジュースやパンや菓子だ。

  昔、手間暇をかけて作ったものは、全て廃止され、コンビニなどの食品で代用されるようになった。人も、機械の一部のごとく、時給いくらで、働くのだ。

炎天下での作業は疲れる。でも、稲刈りが近いので畦周りをきれいにしておかなければならない。

炎天下での作業は疲れる。でも、稲刈りが近いので畦周りをきれいにしておかなければならない。

  我が家の田んぼにも、「クサネム」やヒエが生えている。炎天下でこれを取るのは重労働だ。熱中症になりかねない。今日は、家内と早朝1時間「ヒエ取り」作業をした。

  そして、夕方も、涼しくなってから、家内はヒエ取り、私は、畦草刈を行った。自分のペースでこまめに休息を取りながら、作業をした。この除草のために「除草剤を使うが、水管理が悪いからか、「ヒエ」や「クサネム」が生えて困る。

  文明が進み、機械化されても、この除草作業だけはなくならない。何とかしなければと思う。作業の回数などは、昔と比べると激減しているがそれでも、炎天下での作業は激務だ。

(日記 朝バナナ1本を食べて、家内と二人でヒエ取り作業。1時間ちょっと作業をして帰宅。シャワーをして、紙芝居の脚本作りや絵の手直し。午後も紙芝居作業を継続。夕方、涼しくなってから、再び田んぼで私は草刈り機で除草。家内は、田んぼへ入ってヒエ取り。体調不十分だが、“やるべきことはやらねばならぬ”。早く涼しくなってほしい。)

 
 

家紋入りすだれ作り

18 8月

家紋を刷る
   ここ数週間準備していた『家紋入りすだれ作り』を実施する日だ。午前8時半より、会場準備。県の住宅建築家のTさんや建築士会の I さん達もやって来た。

夢中になって家紋の版を作る参加者の皆さん。

夢中になって家紋の版を作る参加者の皆さん。

  先ずは会場準備。机を並べ、資料を準備。午前9時半に区民や勝山の建築士会の皆さん都その家族が集まってきた。開会に当たり、地元区長として挨拶。そして、建築士会の I さんが家紋の歴史とすだれについて説明。

  その後、区民のTさんがすだれを編む実演。「アシ」のかわりに割り竹を使って紐のついたおもりを前後に振り分けながらしばし実演。昔はこうして俵や農家が使う様々なモノを編んできたのだ。

  デモンストレーションの後、 家紋の版の作り方の説明。簡単な家紋もあれば、複雑な家紋もあり、作業時間にばらつきがあった。そのために、刷る場所が混雑せずに済んだ。

すだれを編むデモンストレーション(左)と刷りの準備(右)。

すだれを編むデモンストレーション(左)と刷りの準備(右)。

  切り抜いた版をすだれにスプレー糊で接着して黒のスプレーを吹きかけるのだが、版の下からスプレーが入り込んできれいに刷れない参加者もいたが、それぞれがまずまずのできだったように思う。

  区民や建築士会の会員やそれぞれの家族が一つのことに取り組む姿は尊いと思う。また、参加費無料で西日を遮る実用的な家紋入りすだれを作れたのだから、一石二鳥だ。まずまずの行事だった。

  私も早速、玄関に吊してみた。西日の強い9月頃まではこのままにしておきたいと思う。玄関の雰囲気が少し変わったように思う。

 

完成した家紋入りスダレをもって記念写真。

完成した家紋入りスダレをもって記念写真。

(日記 午前8時過ぎから正午まで、県の土木部住宅建築課と建築士会勝山支部の共催、区の協力による『家紋入りすだれ』作り。午後は、創作紙芝居『親鸞聖人物語』の絵の補充と仕上げ。途中で図書館へ行き、親鸞関係の資料を借りてきた。午後5時半から、家庭菜園作業。その後、畦の草刈り。夕方からは涼しくなるので作業はしやすくなる。)

 

 

完成した家紋入りスダレを玄関に吊してみました。

完成した家紋入りスダレを玄関に吊してみました。

 
 

権力争い

17 8月

いつの時代も続く
  親鸞聖人の生涯について調べていてつくづく思うことがある。それは、いつの時代も権力争いが起こっているということだ。摂関家と天皇家の争い、源氏と平氏の争い、天皇と上皇が対立した保元の乱、……。

  親鸞亡き後の浄土真宗の世界でも権力争いは絶えず、100年後、蓮如上人の時代に入り、本願寺は大教団となった。その後、信長と本願寺の争い(10年に及ぶ石山合戦)が始まる。

親鸞聖人の御影像を安置した六角堂もまた権力争いの中に巻き込まれていく。

親鸞聖人の御影像を安置した六角堂もまた権力争いの中に巻き込まれていく。

  その後、秀吉、家康の時代を経て、本願寺は東西に分裂させられ今日に至っている。政治の世界であれ、宗教の世界で荒れ、権力争いは絶えないのだ。

 今の政治の世界では、武力は使わないだろうが、私たちの見えないところで権力争いは行われているのだろう。人間はどうしようもない煩悩をもつ悪人であるという。しかし、その悪人も、救われるというのだ。

  無一物で生まれた人間が、無一物でこの世を去るのだから、生きている間に無理をしてまで権力を手に入れる必要があるのかと思ってしまう。分かっていてもそれができないのがまた人間なのだろう。

  唯一、権力を手に入れることを肯定できるとしたら、そのおかげで多くの人を幸せにできるかどうかだろう。利己的な権力の獲得はいつか大衆から見放されるだろうから。

(日記 もっぱら紙芝居『親鸞聖人物語』の脚本作り。難しい。なかなか自分自身が親鸞聖人を理解できない。何度も書き直しながら、少しずつ固めていくしかないだろう。)

 
 

時間の使い方

16 8月

見直したい「忙」と「閑」のバランス
  熱中症に夏風邪。熱があって咳が出る。今日は、お盆だから何もしない。寝ていると決めた。と言っても、日中寝てばかりいたら夜は寝られないだろうと思って、読書をすることに決めた。

  それにしても、ここ数年時間の使い方がまずいと思っている。その場しのぎで頼まれたことや好きなことをやっている。しかし、それらが24時間に収まらないから大変だ。

  今度こそ、選択と集中でやることに的を絞りたい。そして、時間的ゆとりをもちたい。そんな時間を利用してウオーキングなど健康作りのために使いたいと思う。

  ひとたび健康を害するとその有り難みが若いとき以上によく分かる。今は、寝る時間以外にすることを埋め込み過ぎて余裕を失っている。

  今度こそ、時間の使い方をよく考えて生活したい。そのためには、色々費用をかけなければならないこともあるだろう。そんなことを惜しんではいられない。

  健康あっての退職ライフだと思う。昔は、健康のことをあまり気にしなくてもやってこれた。いつまでも若くないということを自分自身に言わなければならない歳になった。

(日記 午前8時に病院へ行き、薬をもらった。帰宅してからは、寝床で読書。午後も、継続。夕方、二家族が集まって夕食。賑やかなお盆休みだった。早く、健康を取り戻したい。)

 
 

終日読書

15 8月

親鸞聖人を理解知るために
  一週間後には、創作紙芝居『親鸞聖人物語』を演じることになっている。絵は完成しているが、脚本が少ししかできていない。それは、親鸞聖人に対する私の理解が定まっていないからだ。図書館から、何冊もの親鸞聖人関係の本を借りて読んでいる。 

創作紙芝居『親鸞聖人物語』の一場面。

創作紙芝居『親鸞聖人物語』の一場面。

読んでも読んでも、私の親鸞聖人に対する理解は深まらず、迷いが生ずるばかりである。親鸞聖人も、迷いに迷っておられたようだが、その迷いを理解するのは簡単ではない。

  今日は体調不良で「寝正月」ならぬ「寝盆」となってしまった。しかし、寝てばかりはいられないので、親鸞関係の本を読み続けた。何とか自分流に、決着をつけて脚本を完成させた。

  作った本人が自信がないようでは、見ている人には何も伝わらないだろう。でも、苦しみが多ければ多いほど、完成したときの喜びも大きいだろうということを期待してもうしばらく頑張ってみたい。(日記 体調不良のために、終日、寝床の中で親鸞関係の本を読む。読めば読むほど難しい。再議には、自分流の解釈で完成させるしかない。演じながら、何度も修正してそれなりの作品にできればと思っている。孫達は、相変わらず元気で水遊びに熱中していた。)

玄関先で孫達が元気に水遊び。元気が一番だ。

玄関先で孫達が元気に水遊び。元気が一番だ。

 

 
 

健康維持

14 8月

年齢に合わせて
  孫達は日に日に大きくなっていく。それと同時に、こちらは、どんどん年老いていく。しかし、気分は、10年前ともそんなに違わない。欲望に負けて暴飲暴食に走ったり、時間かまわずに好きなことをやって睡眠不足になったりしている。

  最近こうした無理がたたって身体が悲鳴を上げるようになった。やることを少し減らさなければならない。心身ともに余裕を持って生活したいものだ。そうは思うが、あれもしたい、これもしたいという気持ちを捨てきれない。

  栄養(食)、運動、休養(睡眠)のバランスを取らなければと思う。健康でなければ、気力も沸かない。今回の熱中症でそのことがよく分かった。気力を維持するためにも、健康には十分気をつけて生活していきたいと思う。

(日記 家内と一緒に、朝一にお墓の掃除。続いて、ショウガの消毒。消毒は今回が初めてだ。その後、家内と二人で田んぼに生えているクサネムとヒエを取った。午後5時から家族そろってお墓参り。その後、区の延命地蔵尊年次法要に出席。夜、太鼓メンバーの出演する「よさこい」を見に行く。今日は、我が家に長男、長女の子ども(孫)5人が揃っった。)

 
 

熱中症

13 8月

炎天下での作業
  最近疲れていたのに、短時間ではあるが、炎天下での作業を続けた。午後2ヶ月に一度の定期検診のため福井の済生会病院へ向かった。血液検査や尿検査を終えて。医師の診断を待った。

たいまつを受け取り一路山頂へ。

たいまつを受け取り一路山頂へ。

  医師は、「熱中症ですね。点滴をして帰ると楽になりますよ。」とのことだった。早速、ベッドに横たわり、1時間半点滴を受けた。ここ2週間ほど、かなりハードな日々が続いた。夜は、毎晩何かがあり、出席しなければならなかった。

 おまけに、畦の草刈り、里芋の子ずいき切りなどの作業が続き、身体は悲鳴を上げていた。一定の限度を超えると、水を飲んでも吸収しないレベルに達していたようだ。

  猪野瀬地区の『大師山たいまつ登山』は、登るつもりでいたが、地元の区長として、開会式の挨拶だけに留めることにした。自分の身体をいたわらなければならない歳になったと痛感した。いつまでも若くはないのだ。

(日記 午前6時過ぎに家庭菜園へ行き、川の水を畑へ引き込む。ジョウロや水道の水では追いつかない。その後、里芋の子ズイキ切り。家内はショウガの草取り。そして、水やり。午前10時より、私の事務所で県職員のTさんと市の建築士組合のIさんと私の3人で『家紋入りすだれ』作りの打ち合わせ。昼食後、定期検診のために福井へ向かう。熱中症と診断され1時間半点滴を受けて帰宅。その後、『大師山たいまつ登山』の開会式会場へ。地元区長として歓迎の挨拶。不完全燃焼の一日だった。)

開会式を終え、大仏殿を出発するたいまつ登山の参加者。

開会式を終え、大仏殿を出発するたいまつ登山の参加者。

 
 

雑草との戦い

12 8月

二種類の草刈り機を使って
  昨日まで忙しかったので、畦草を刈らずにおいた。一度は草を刈り、一度は初めて除草剤を使った。しかし、今は、ふたたび草が伸び、稲に悪影響を及ぼすまでになってしまった。

  そこで、今日は先ず畦の草を刈らねばと思った。しかし、炎天下での草刈りは熱中症になる危険もあるので、午後5時から作業を始めた。早朝の方がよいが、田んぼの近くに民家があるので夕方に作業をすることにした。

  畦の近くには、「クサネム」もかなり生えていた。「クサネムは米の中にも入り込むので、ヒエ以上に厄介者だ」と聞いている。田んぼの中にも、「クサネム」が生えていた。改めて田んぼの中へ入り刈り取らなければならない。

  住宅地に田んぼがあるので、コンクリートの塀などがあり、場合によっては回転刃ではなく、紐を回転させる草刈り機で刈り取らなければならない。畑の方は、雑草が生えないように黒マルチで覆っている。

  しかし、ショウガなどはマルチを使わないので度々雑草を取らなければならない。ニンニクやタマネギ、里芋などもマルチの穴から雑草が生えるのでマルチも万全ではない。

  近所にはマルチをあまり使わない人もいるが、毎日草取りをしている。若いうちはよいだろうが、年を取ると草取りはかなりハードな作業だ。私は、なるべくマルチをして草取りの手間を省きたいと考えている。しかし、田んぼの畦の除草は簡単ではない。

  今後、田んぼの畦の草をどう管理するかが私の課題だ。丈夫な雑草防止のシートを張りつけるか、畦をコンクリートにするかのどちらかだ。今後は考えなければならないだろう。何にしても、野菜や米作りには除草は大きな問題だ。

(日記 午前中は、次の日曜日に行う『家紋入りすだれ作り』の希望者の家紋の整理。家紋帳にないものは、フォトショップで合成した。午後は、事務所の整理。夕方5時から、除草機による畦草刈り。暑いので、2時間ほどで作業を止めた。後、1,2回は作業をしなければならないし、田んぼの中へ入って「ヒエ」や「クサネム」取りもしなければならない。それにしても、暑い日が続く。熱中症に気をつけなければならない。)