RSS
 

権力争い

17 8月

いつの時代も続く
  親鸞聖人の生涯について調べていてつくづく思うことがある。それは、いつの時代も権力争いが起こっているということだ。摂関家と天皇家の争い、源氏と平氏の争い、天皇と上皇が対立した保元の乱、……。

  親鸞亡き後の浄土真宗の世界でも権力争いは絶えず、100年後、蓮如上人の時代に入り、本願寺は大教団となった。その後、信長と本願寺の争い(10年に及ぶ石山合戦)が始まる。

親鸞聖人の御影像を安置した六角堂もまた権力争いの中に巻き込まれていく。

親鸞聖人の御影像を安置した六角堂もまた権力争いの中に巻き込まれていく。

  その後、秀吉、家康の時代を経て、本願寺は東西に分裂させられ今日に至っている。政治の世界であれ、宗教の世界で荒れ、権力争いは絶えないのだ。

 今の政治の世界では、武力は使わないだろうが、私たちの見えないところで権力争いは行われているのだろう。人間はどうしようもない煩悩をもつ悪人であるという。しかし、その悪人も、救われるというのだ。

  無一物で生まれた人間が、無一物でこの世を去るのだから、生きている間に無理をしてまで権力を手に入れる必要があるのかと思ってしまう。分かっていてもそれができないのがまた人間なのだろう。

  唯一、権力を手に入れることを肯定できるとしたら、そのおかげで多くの人を幸せにできるかどうかだろう。利己的な権力の獲得はいつか大衆から見放されるだろうから。

(日記 もっぱら紙芝居『親鸞聖人物語』の脚本作り。難しい。なかなか自分自身が親鸞聖人を理解できない。何度も書き直しながら、少しずつ固めていくしかないだろう。)

 
 

Leave a Reply