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Archive for 8月, 2013

太鼓に燃えた日々

11 8月

一区切り
 
福井市のフェニックスプラザで和太鼓選手権が行われた。残念ながら、入賞できなかった。しかし、ここ二ヶ月ほどは、時間をやりくりしながら太鼓に燃えた。

和太鼓選手権に出場する選手の控え室でパチリ。ここ二ヵ月間、この仲間と楽しい充実した時間を持つことができた。

和太鼓選手権に出場する選手の控え室でパチリ。ここ二ヵ月間、この仲間と楽しい充実した時間を持つことができた。

   仲間と一つのことに立ち向かうのは、充実感があり、とても生き甲斐のあることだ。若い人たちと、一つのことに夢中になれたことは今の私には大きな喜びだ。

  これからも、いろんなことに向かって少しずつ前進していきたい。ここ二ヵ月間の充実感は、何ものにも代えがたい貴重な期間となった。若者達に感謝したい。

(日記 午前9時から午後8時頃まで和太鼓一色の一日となった。とても疲れたが、何物にも代えがたい充実感があった。明日からは、新たな目標に向かって頑張っていきたい。)

 
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太鼓一色の一日

10 8月

疲れた一日
  今日は正に太鼓一色の一日だった。朝起きるなり、和太鼓伴奏のための三味線練習。朝飯前の練習だ。上手くいったり行かなかったり。そして朝食。

    午前9時より事務所のスタジオで篠笛担当のTさんと伴奏練習。練習用のCDで全曲を通して何度か練習。その後、メンバーのHさんの父親から借りた2t車に楽器を積み込んだ。

  メンバーは、事務所で最後の練習。その後、2t車と軽トラに楽器を積んで福井のフェニックスプラザへ向かう。舞台の横から楽器をステージ横に運び込んでリハーサル開始。

  篠笛のTさん(ウインドアンサンブルではフルート担当)がコンサートで欠席のため、伴奏は私一人。リハーサルでは全曲通して3回、部分練習一回を行った。

  どのように聞こえていただろうか。気になるところではあった。昼食抜きで、暑くなったり、クーラーで涼しくなったりと温度変化の激しい一日だった。帰りに、おにぎり一個を食べたのみで空腹と暑さでとても疲れた。

 考えてみれば、この年になって、若者達(全員女性、一人は長女)と『和太鼓選手権』に出場できるなんて幸せなことだ。先ずはこうした機会に恵まれたことを感謝したい。

 今日は正に太鼓一色の一日だった。楽しく充実した一日だった。明日の本戦まであと一日となってしまった。私の夏休みはこれが終わるまで何もできない。

(日記 今日は、和太鼓選手権のリハーサルの日。午前中、事務所で練習。午後は、フェニックスプラザの舞台でリハーサル。帰宅したのは、午後5時頃だった。午後7時から道場の屋根瓦を直す件で寄り合い。いろんな意見が出た。ここ数日、毎晩何か行事などがあって本当に疲れた。特に、今日は、クーラーの故障した2t車で福井を往復したので、暑さにも参ってしまった。熱中症寸前だったような気がする。)

 
 

猪野瀬の活性化委員会始動

09 8月

猪野瀬のまちづくり
   各町に均等割と人口割りでまちづくりの基金が交付されることになった。当基金は、平成32年までに使いきることになっている。ロングランでの計画が必要だ。

  そのために、各種団体の長によって組織を作っても、その間に委員が改選になれば組織は機能しがたい。そこで、猪野瀬地区では、この基金を活用してまちづくりをするのは自ら名乗り上げたメンバーによって構成することになった。

  今日午後7時より、正式には第1回の委員会が開催された。各自が、自分の思い描くまちづくりの考えを述べた。共通する部分もかなりあったが、新たな考えもわかり有意義な時間だった。

  私の提示したイメージは以下のようなものであった。

私の猪野瀬活性化のイメージ(私案)。

私の猪野瀬活性化のイメージ(私案)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(日記 午前中は、明日の準備。午前10時半から市役所で『勝山市林道愛護組合連絡協議会』の総会に主席。帰宅してから、夜行われるまちづくりの資料作成。午後3時頃、和太鼓選手権に出場する福井の長女が練習に

事務所のスタジオで大太鼓の特訓をする長女(福井在住)。

事務所のスタジオで大太鼓の特訓をする長女(福井在住)。

やって来た。事務所のスタジオで特訓。ついでに私も三味線練習。午後7時より猪野瀬公民館で『(仮称)猪野瀬活性化委員会』に出席。猪野瀬のまちづくりや活性化について話し合った。充実した時間だった。)

 
 

「三無主義」という言葉が流行った頃

08 8月

今から四十数年前の流行語
  私が現役の教員だった今から四十数年前には、当時の高校生の特徴を表すものとして“三無主義”という言葉が流行っていた。

 三無主義とは、当時の若者気質を表した「 無気力」、「無関心」、「無責任」の三つだ。これに「無感動」を加えて“四無主義”とも言うらしい。その後これらは解消されただろうか。

  現代の若者は昔と比べてどうだろうか。私は特に「無関心」という言葉が気になっている。無関心にも色々あると思う。ゲームや携帯や漫画などにしか興味・関心持てないという若者もいるがどうかと思う。

  受け身的なものにしか興味を持てないのは悲しい。年齢に応じて身の周りのことや社会の出来事に興味を持ってほしいものである。さらに年齢が上がるにつれて政治にも関心を持ってもらいたい。

  一定の年齢に達したら、新聞を読んでもらいたいと思う。しかし、新聞はテレビ欄にしか興味のない若者も少なくないようだ。また、自分の地域の出来事や歴史にも関心を持ってもらいたいと思う。

  「愛するの反対は無関心である」とは、マザー・テレサの言葉だが、正にその通りだと思う。これは、地域を愛すること、人を愛すること……等全てに当てはまると思う。

  しかし、若者達に対して“三無主義”とか“四無主義”と決めつけるのは酷である。“三無主義”とか“四無主義”で表される若者を育てたのは、紛れもなくその親世代である。

 若者に対して“三無主義”とか“四無主義”と決めつける前に、大人の私たちはどうかを自らに問わなければならないだろう。そして、それらを改める鍵は、子どもたちが握っているだろう。

  今の世の中を汚しているのは紛れもなく、私たち大人なのだと思う。子どもたちの自主性を奪いかねない種々のゲームやおもちゃ、雑誌、形態など。全てが悪いとは言わないが、子どもに多大な影響を与えていることだけは間違いなさそうだ。

  今の私の課題は、地域の人たちに、いかに自分の住む町に関心を持ってもらうかだ。テレビやゲームやビデオ(映画も含む)や漫画や雑誌に惹きつけられている人たちに、他にも魅力的なことがあることを是非とも知ってもらいたい。

(日記 午前5時半より、瓦版の編集開始。午前10時より、鹿谷の「すいせん会」のおばさん達に銭太鼓の指導。私の年齢の前後の人たちだ。午後も、瓦版の編集継続。午後3時頃ようやくできあがった。その後、市の配布物と一緒に班長宅へ配ってようやく一段落。夕食後、事務所で和太鼓の伴奏のために三味線練習。午後8時より三室太鼓の指導。前半は子ども達の指導。その後は大人の指導。10月の三室祭りまでには新曲をマスターしてもらいたいと思う。)

 
 

孫と海水浴

07 8月

能登島マリンパーク海水浴場
  和倉温泉の宿を10時半頃出発して海水浴に出かけた。大人5人と孫5人での海水浴だ。小さな子ども向けということで、長女の夫が「能登島マリンパーク海水浴場」へ連れて行ってくれた。七尾湾の内側に位置する能登島の海水浴場だ。

  岸から50m離れても、大人の胸よりも浅い遠浅の海水浴場だ。水は湾内にあるためか暖かく、砂浜にいる方が風が吹いて寒いくらいだった。孫達は、海を十分満喫したように思う。

  自分としては満足だった。孫達が、夏休みの一日を楽しみ、思い出を作ってもらえればそれでよいと割り切って出かけた。孫の喜ぶ顔がうれしかった。 

(日記 午前中、和倉温泉を出て能登島マリンパークで海水浴。その後、のとじま水族館へ行き、イルカショウなどを見る。午後4時知覚に帰路に着く。午後7時から和太鼓の練習。選手権まで最後の全体練習だ。チームにまとまりが出てきたように思う。)

 
 

孫達と海水浴

06 8月

能登の海

 
 

不覚にも緊急入院

05 8月

親切な看護師のみなさん

 
 

大師山の山道作り

04 8月

猪野瀬まちづくり協議会の協力を得て

 
 

早朝の帰省

03 8月

田舎の夏
  午前4時、息子の家族が横浜から車で帰省した。一番上の孫(長女)は、早速私たちの寝床へ。他の二人の孫は息子夫婦と共に二階の自分たちの部屋へ。

カメから梅干しをザルに出す孫達。天日に干すためだ。

カメから梅干しをザルに出す孫達。天日に干すためだ。

  孫(長女)とはいつものセリフ「実物さん!」を発しながら抱き合って再会を喜んだ。いつもは、スカイプなどで姿を見て会話をしているが、やはり実物は違う。少し話したが、起床には早いので寝ることにした。

  これから3週間の我が家での夏休みが始まった。都会から田舎へ来ると、何でもが新鮮に見えるらしい。家内が梅干しを干せば、それを二人の孫が手伝う。何でもやってみたいようだ。

  夕方は、私が用事で外出していたので、家内が集会所の花に水をやってくれたらしいが、孫達も手伝ったという。何もかもが新鮮に見えるのだろうか。

  虫を見ても、花を見ても、目を輝かせる。田舎での出来事が何でも新鮮に見えるところがよい。地元の子どもは地元のよさが見えにくい。

せっかく育てた自慢の西瓜。切ってみたら早過ぎてピンク色。落ち込んでしまった。

せっかく育てた自慢の西瓜。切ってみたら早過ぎてピンク色。落ち込んでしまった。

  大人も、自分のまちのよさが見えないようだ。自分のまちのよさをよその人に見てもらわなければならない。まちづくりでよく言われることだが、「馬鹿者」、「若者」、「ヨソ者」が不可欠だという。

 これは、地元の者には地元のよさが見えないからだろう。それは、空気の中にいると、空気の有り難みが分からないのと似ている。孫達はこの勝山で何を見つけてくれるだろうか。

 私は、勝山でこれまでできなかった何かを経験させてやりたいと思う。また、それまでできなかったことをできるようにしてやりたいと思うが簡単ではないだろう。その他、一緒に音楽をやりたいと思う。孫に歌ってもらいたいと思う。孫達との楽しみな夏休みが始まった。

(日記 午前4時に孫達が帰省。その後一緒に寝る。午前中は、夜開催する『8月各種団体合同委員会』の資料作り。午後は、「家紋入りすだれ作り」のために図書館で「家紋」の本を借りる。ずいぶんたくさんの家紋があるものだ。午後5時半より、さつき苑の納涼祭に地

居間でくつろぐ3姉妹。末っ子はスカイプのおかげで早く慣れそうだ。

居間でくつろぐ3姉妹。末っ子はスカイプのおかげで早く慣れそうだ。

元の区長として参加。午後7時半より区の「各種団体合同会議」。議題の中心は、秋祭りについてだ。少しでも祭りを盛り上げるために、何ができるかを模索してみたい。)

 
 

夏本番か

02 8月

梅雨はいつ明ける
  今年は、かなり雨が降った。特に最近は、集中的に雨が降った。県内でも、我が勝山市がここ二日ほど最もたくさんの雨が降った。と言うことは、いつゲリラ豪雨に襲われるかわからない。

  子ども達にとっては、夏休みの序盤が終わろうとしている。夏休みの思い出というと、子供時代と、親となった時代、退職した時代ではそれぞれ異なる。

  子供時代は、なんと言っても水泳だろうか。九頭竜川まで、歩いたり、自転車で出かけて泳いだ思い出がある。雨上がりで増水しているときには急流に飛び込み、立ち泳ぎしながら泳いだものだ。

  夏休みの終盤は、宿題の仕上げをしなければならない。お盆が済むと、気分は夏休みが終わったように思う。今の子どもたちも同様ではなかろうか。我が子が小学生であった頃は、絵を描いたり、自由研究などを急かしたことを思い出す。

  退職した今は、現役時代とは、気分は逆になったように思う。普段は、休日が忙しく、平日の方がのんびりしている。また、子どもたちの夏休みが始まると何となく忙しくなたものだ。そして、夏休みが終わると落ちついた季節になた。

  今はその子どもたちも大きくなって、孫が夏休みの時代になった。子どもの夏休み時代よりはのんびりしている。孫達に、何か勝山で思い出を作ってやれればと思う。海水浴の他に、何か一つでも思い出に残ることができればと思う。

  この期間中に、できなかったことができるようになればなおよい。私にとっては、孫と一緒に何かできればと思う。私個人は、今年の夏休みの前半は和太鼓大会のことが少し気にかかる。楽しんでできればと思う。

昨年の夏休み。今年も6日、7日は子どもたち二家族(孫5人)と海水浴の予定。晴れればいいが。

昨年の夏休み。今年も6日、7日は子どもたち二家族(孫5人)と海水浴の予定。晴れればいいが。

  夏休みの後半は、『親鸞聖人物語』を完成させて、平泉寺で初演を迎えられるようにしたいと思っている。心に残る紙芝居にしようと思うとかなり本気にならなければならない。今日も、図書館で親鸞聖人に関係する本を借りてきた。

  しかし、読めば読むほど、どう脚本化すればよいかを迷ってしまう。結局の所、私が知りたいように脚本化するしかないだろう。期待と不安のあるところだ。

 それが済むと、稲刈りが始まる。忙しさで言えば、年がら年中、何かを追いかけているので変わらない。明日からは、横浜の孫達が帰省するので我が家は賑やかになる。梅雨も明けそうだし、夏番となるだろう。

(日記 午前中は、部屋の整理整頓。しかし、目に見えてはきれいにならない。昼過ぎに、『コミュニティー助成事業(宝くじ補助金)』で購入した放送機器の受け取り。マイクやミキサーやアンプなどが手に入った。今年の祭りの盛り上げに役立てばと思う。午後も、部屋の整理整頓。)