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能動的な力の喪失

06 5月

受け身に慣らされた生活
  この頃、時々思うことがある。それは、自分から行動を起こす力の欠如だ。何か行事をしようとすると、なるべき簡単に、なるべく前例通り、出来れば参加したくない、出来れば小規模にという意見が若い者の口から出る。

 高齢者が発するならまだ分からないでもないが、若い者の口から出るとは悲しい。なぜなら、次の世代を担う者がそのような言動では悲しい。

  事をなすとき、「どうしたらもっと良くなるか」、「自分に出来ることはないのか」、「少しでも新しいことを加えられないのか」と考える人間が出ることを期待したいのだが。

トマトの雨よけビニール屋根の設置。真っ赤のトマトを食べることが出来るだろうか。

 それには、子どもの頃からの、物事に対する関わり方、大人との接し方が大きく影響しているように思う。全て、大人の背中から長年にわたって学んできた結果であろう。

 子どもの挨拶を例にとれば、「きっちり挨拶のできる子」、「こちらが声を掛けると挨拶できる子」、「こちらが挨拶してもあいさつを返せない子」に分類される。これは何も子どものせいばかりではない。

  家庭で挨拶の習慣がなかっただけであろう。大人が積極的に挨拶すれば、子どもは自然に挨拶が口から出るものだ。このように考えると、問われているのは子どもではなく、大人達なのだ。

  子ども時代に、ゲームや習い事などで過ごし、地域での様々な体験や関わりのないものが若者になれば、地域での様々な行事などは面倒くさいだけのものに感じるだろう。なるべく簡素化したい気持ちは理解できる。

  しかし、これでは地域は活性化は望めない。小さくても成功体験を積み重ねるしかない。今、私達大人の取り組みが問われている。「見ています あなたの姿 子や孫が」を頭に置いて、地域で楽しく豊かに暮らしたい。

現役時代、行商のおばさんに買った牡丹。今年も綺麗な花を咲かせてくれた。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。横浜の孫の『爺ちゃん勉強』の計画表作り。午後は、家内と二人で夏野菜の苗を買いに行った。ナス4種類、トマト3種類、キュウリは3種類、キンカン瓜、スイカ、シシトウ、ピーマン等の苗と種を買い求めた。帰宅して、苗を植える準備をした。特に、トマトの支柱とビニール張りには苦労した。春の農作業のかなりの部分が終わった。午後7時半から横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。楽しい時間だ。勉強の後、歌を聴かせて貰っているがこれも楽しい。)

 
 

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