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Archive for 2月, 2013

生かしたい高齢者の知恵

08 2月

高齢者は知恵の宝庫
  午後1時半より、市の区長連合会理事会が行われた。今日は、かなりハードな日程だ。その後、午後4時より市長と語る会、そして、5時半より場所を移して懇親会が行われた。

  今日の理事会では、役所からの連絡事項がいくつかあった。
  環境政策課より
   ・全市一斉清掃日の設定について
     ・県市町交通災害兄弟について
   ・えちてつサポーターズクラブについて
  建設課より
   ・市民と一体となって雪を克服し雪に親しみ雪を活用するまちづくり計画について
  総務課より
   ・『各地区の地域力向上事業』について
   ・勝山市公衆街路灯設置補助金の運用について
  観光政策課より

市長と語る会で、新年度に向けての想いを語る市長。

   ・勝山市フイルムコミッション設立について

  勝山市では高齢者の一人暮らしや二人暮らしが増えている。そんな人達の一番の心配事は、“屋根の雪下ろし”だ。雪下ろし中、屋根から落ちて命を落としたり、怪我をした人も少なくない。

  雪下ろしを業者に頼めば、かなりの金がいる。融雪装置も灯油代もかなりかかり、高齢者には負担になる。無理矢理屋根に登れば、落下の危険もある。

  そこで、「勝山を離れて雪のないところへ移りたい」という者も少なくない。我が集落のアンケートでもそんな人がいた。高齢者には深刻な問題だろう。

  我が片瀬では、一人暮らしの家庭に対しては、区の除雪機で道路除雪を行っているが、個人の屋根の雪下ろしに関しては、危険を伴うので区が簡単には斡旋できない。

  この件に関しては、地区の存続に関わる問題でもあるので、機能的な仕組みを考えなければならないと提言した。

  懇親会では、「高齢者は知恵の宝庫である。それらを生かさないの地域の損失である。しかし、実際にはそれらはあまり生かされず、高齢者が存在感をアピールできない。」と発言。

  そうした状況に我慢できない人の中には、過激な発言をする人も出てくる。他の人のやる気をそぐので、地域の損失にもなる。それぞれが、その存在を認められる地域にしたいものだ。

 市長にも、頭の中に入れておいてほしいとお願いした。市長も、理解を示して下さった。大げさに言えば、高齢者の知恵を生かすことが地域の存続にかかっていると言えるかもしれない。

(日記 午前中は、紙芝居の絵描き。午後1時半より、午後8時過ぎまで、市区長連合会の会合や懇親会。いろんな人と話すことができてとても楽しかった。)

 
 

適期

07 2月

いつどこで何をやるか
  物事には適期というものがあると思う。高校生を相手にしていた現役時代のことだが、いろんな生徒がいて、部活動に打ち込む者、文化活動に打ち込む者、一生懸命勉強する者、……、など様々だった。

 しかし、一方では、何をしてよいか分からず、テレビや漫画、ゲームなどに多くの時間を費やす者もいた。「何をやってもよいが、今しかできないことをやったら……」と話したことを覚えている。

 ゲームやテレビなら、老後にとっておけばよい。高校時代だからできること、大学時代だからできること、若いうちだからできること、子育て時期だからできること(しておいた方がよいこと)、子育ての時期が終わったらできること、退職してからできること、老後にできること、……、ものには適期があると思う。

 子供が大きくなってから、子育てをもう少しまじめにやっておけばよかったと思っても、後の祭りだ。若いうちに、もっと何かをやっておけばよかったと言っても、遅いだろう。

  ものによっては、いつでも始められることもある。若いうちにやっておかなければ一生できないこともあるかもしれない。あの人は「何々ができるからいいなあ」と思うこともある。

  「大学の4年間アルバイトに明け暮れた」という者もいるだろう。家庭の事情で一定の学資を稼がなければならないことは理解できるが、それだけでは悲しい。いつかは働かなければならないのだし、貴重な4年間をバイトだけで過ごすのはもったいない。

  かくいう私も、アルバイトはかなりやったが、メインは家庭教師だった。小・中・高校生に教えていたが、これは、採用試験の一般教養には役に立ったと思う。

  しかし、バイトの他は、バンドに明け暮れていた。おかげで、仲間もできたし、50年後の一昨年と去年、再びバンドをやり出し、下手ながら演奏会までやることになった。音楽は、私の生涯の友となっている。

 仕事でも何でも、それぞれの時期にしておいた方がよいことはいっぱいあると思う。今、私は、子供や孫達の活動を見つめながら、自由な時間の多い中で、忙しくあれこれやっている。そして、いつの時代も、忘れてはならないことは“健康に気をつけること”だと思っている。

今日描いた一枚。完成までもう少し。

(日記 午前10時より鹿谷公民館で、おばさん達に銭太鼓の指導。近々出番があるということで、熱が入っている。午後は紙芝居の絵を描き始めた。午後4時より、子どもたちの和太鼓の練習をみる。今は、もっぱら、左義長太鼓の練習だ。小学1年生の子もかなり頑張っている。帰宅してから、再び、絵を描き始めた。午後、10時過ぎにようやく今日のノルマの2枚目を描き終えた。創作童話の紙芝居は完成まで残り3枚となった。)

 
 

子育て

06 2月

一時ではあるが大変
  家内が、長女の家へ子守りに出かけた。保育園の迎えの応援をするためだ。核家族で共稼ぎのため何か用事があったり、普段見てもらう人に用事ができたりすると、たちまち、子供達にしわ寄せが行くことになる。

  そこで、たまに、我が家の出番となる。人に頼られるうちが花だと言えなくもない。幸いにも、我が家は、今、比較的時間に余裕があるので、助っ人に出かけることができる。それに孫と接することができるというメリットもある。

  思い出してみると、我が家もある時期大変だった。私の両親が早くなくなったので、核家族同様に夫婦二人暮らしだった。ただ、3人の子供が3歳になるまでは、家内が自宅で子供をみると決めていたので、私は安心して職場へ行くことができた。

  3歳を過ぎた頃から、保育園や幼稚園に子供を預けて家内も勤めに出るようになった。二人とも、用事があるときには、子どもたちは保育園で長時間過ごすことも少なくなかった。

  仲間がみんな迎えに来て早く帰る中で、いつまでも迎えの来ない私の子どもたちはきっとさみしかったのだろうと思う。申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

  生まれた直後から、保育園に子供を預ける若い人も少なくないが、一定の年齢に達するまで、子育ては、苦労の多いものだ。特に、病気になったら、大人の生活にも影響が出る。早く大きくなれと願ったものだ。

 しかし、子どもたちが大きくなると、なぜか、子育てをしていたあの頃が懐かしい。こう考えるのは私だけではないようだ。もっと、子育てを楽しめばよかった思うこともある。

  世の子育て中の若い夫婦にエールを送りたい。 子育ては大変だが、終わってしまうと、さみしくなるものだ。マイナス面ばかりに目を向けないで、どこかに楽しみを見つけてがんばってほしい。

  子育て期間中は、親子にとって非常に大切な時期だから、前向きに、子供に関わってほしい。手抜きは、いつか何らかの形で自分に返ってくると思う。日々の生活の中で、小さな楽しみや喜びをを見つけられ人間は、幸せな日々を送ることができると確信している。

長時間かかってようやく完成した一枚。冬ならではの作業だ。(日記 午前中、子どもたち送るための「のし餅」を作った。「エビ入りの餅」、「豆入りの餅」、「海苔入りの餅」の三種類を機械で作った。明日になったら、四角く切って保存しておくのだ。今日も、紙芝居の絵描き。夕方までかかって、ようやく今日のノルマの2枚を描き上げた。家内は、福井へ孫の子守りにでかけた。今日は一人暮らし。さみしいものだ。)
 
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生産的時間と消費的時間

05 2月

テレビで勝間和代さんが語っていた話
  やりたいことは山ほどある。やれそうなことも少なくない。しかし、それらを自分の納得のいくようにやろうとするとすると、物理的に時間がない。そうなると、切羽詰まったものからやらざるを得ない。

  それが、自分の自分のやりたい優先順位とは必ずしも一致しない。勝間さんは、時間の使い方を『生産的時間』と消費的時間に分けているとテレビで知った。

  勝間さんの言う『生産的時間』とは、次に繋がる時間、自分を高める時間と言えばいいだろうか。『消費的時間』は、たとえ経済的に潤っても、自分を高めないような時間の使い方である。義理的な飲み会もこれに入るらしい。

  例えば、講演会も、勝間さんにとっては『消費的時間』だそうだ。自分の知っていることを話すだけでは向上しないからだろうか。しかし、本を書くことは、そのために学ぶこともあるので『生産的時間』ということになる。

 勝間さんは飲み会は消費的時間だと言っているが、私にも、そうした飲み会はかなりあった。義理的飲み会はすぐ酔ってしまい、酒も美味しくない。生産的飲み会は時間の経つのも忘れ、悪酔いもしない。

 また、勝間さんは移動にかなり自転車を使うが、それは、自分にとっては、生産的時間であり、スポーツもまた生産的時間だそうだ。健康維持のために時間を使うことは、生産的だからだろう。

 自分に当てはめると、何かをカットするか、活動をセーブしなければやりたいことができなくなる。バンド活動も少しセーブしなければならない時間の使い方だ。ゼロにするのはさみしいが、必要以上に時間を使うのは避けたい。

  子どもたちに、和太鼓を教えているが、これは自分にとっては生産的時間だ。自分が立ち上げた『越前勝山春駒太鼓』の後継者育成も兼ねているし、運動にもなるし、子どもたちと接することも楽しい。

  ウオーキングや温泉へ行くことも、私にとっては生産的時間だ。体あっての活動だから、勝間さんではないが、自分の健康維持に関わる活動は、全て生産的時間だ。

仲良しになった雀たちを見守るジイジと三太。

 他に、生産的時間と言えば、明らかに創作活動だ。他に、ここ2,3年休止していた、数学の活動も今年は復活させたい。今年は、時間の使い方を工夫して自分のやりたいことができる1年にしたい。

(日記 午前中は、区の事務処理で外へ出る。その後、紙芝居の絵描き。ノルマの2枚は描くことができた。午後少し作業をした後、家内と二人でウオーキング。血圧、血糖値、血管の若返りなどに運動はよいとのことだった。今日は、平泉寺方面へ出かけた。途中で、歴史探遊館『まほろば』へ寄って映像を見た。そして、帰宅。途中、少し休憩したが、2時間ほど時間がかかった。歩数は、1万歩を超えた。家内との会話も楽しい。週に3回は歩きたい。帰宅してから、紙芝居の絵描き作業を継続。3人の子供からいろんな情報が入る。それぞれがんばっているようだ。私も、無理せず、マイペースでがんばりたい。)

 
 

中国と公害

04 2月

かつての日本の二の舞か
    中国の大気汚染が最近問題になっている。車の運転もできないような視界の悪さであり、健康にもよくない。急激な経済発展に公害対策が追いつかないようである。陸は海で隔てられているが、空はつながっている。

  日本への影響も心配される。このような公害だが、日本も人ごとではなかった。というのは日本も成長する過程で、何度も公害に悩まされ続けたのだ。そして少しずつ、環境問題がクローズアップされるようになったのだ。

 日本の、公害の歴史を紐解くと、次のような者が思い出される。
・足尾銅山(公害問題の原点と言われる)
・イタイイタイ病
・四日市コンビナートのぜんそく
・首都圏で光化学スモッグ発生(学校のグラウンドで運動中の小中学生が倒れるなどの被害が出た。)
・カネミ油症事件(北九州市)
 ・薬害エイズ事件
・その他・・・・・

 同様の公害問題で、中国は、今苦しんでいる。中国で問題になった直径2・5マイクロメートル以下の微小粒子状物質も、日本の広い範囲で確認されている。今後も黄砂と共に日本に舞い込むことは確実である。

 こうした問題では公害の先進国である日本のノウハウを生かし、公害の発生する原因を突き止め、封じ込めることに日中が協力して取り組んでほしい。それは、日本のためであると同時に、中国のためにもなるのである。

 隣国とにらみ合ったいるばかりでなく、環境問題でも積極的に協力して取り組んでもらいたいと思う。中国で起こっていることはつい最近日本で起こったことでもあるのだから。

  かつては、首都圏でも「光化学スモッグ」が発生し、屋外での活動が困難であった時期がある。また、首都圏の河川もヘドロでいっぱいだった時期もあるのだ。中国は今そのピークなのだろうか。今なら対策が間に合うのではなかろうか。

  それにしても、東日本大震災の大量のガレキが、カナダやアメリカにこれからもどんどん流れ込み、海岸を汚染するのだ。常夏のくに、ハワイ諸島へもどんどん流れていくのだ。自然災害とは言え、その後始末は日本の力で何とかしてほしいものである。

  かけがえのない地球を今以上痛めつけないでほしい。次の世代や地球上に生きている全ての動植物のために、これ以上破壊したり汚したりしてはいけないと思う。その災禍は、いつかは人間に帰ってくるのだから。

創作紙芝居の餌付けの場面。

(日記 今日は久々に絵を描くと決めた。こだわっていると時間はどんどん経ってしまう。猿の顔を少し横へ向けるだけで2時間ほどかかってしまた。1日のノルマは2枚と決めた。休みなく絵を描いて、夕方ようやくノルマを果たした。作業中は、テレビやラジオを聴きながらの作業だった。)

 
 

婦人会の皆さんの考えをお聞きしたい

03 2月

『語る会』スタート
  今日は婦人会の総会。午後、会場にお邪魔して、私の考えをお伝えし、その後『生活アンケート(無記名)』を実施させていただいた。本当は、時間を話し合いをしたかったのだが、婦人会の皆さんは午前中から、講話を聞いたり、総会をしたり、懇親会をしたりと忙しかったので、今回は話し合いを止めた。

  しかし、アンケートの趣旨を説明し、いろいろ書いていただいた。来週は、老人会と『役員との語る会』を実施するのだ。その後、青年会、壮年会などが続くのだ。『生活アンケート』については、なるべく同じ項目にしたいと思う。

まず最初に、当区の状況を説明し、区はみんなでよくしていくものとお伝えした。

 今日、婦人会の皆さんにお聞きしたのは、次のような項目だった。
・区に対するイメージ、区に対して魅力を感じているところ、これからも住み続けたいか、否か(その理由も)など
・将来、区が力を入れるべきこと、区への要望(記述)など
・団体活動について(地区の団体、地区外の公の団体、趣味の団体など)
・地区の行事への参加、奉仕活動など
・ご近所との関わりについて(ご近所への要望も含めて)
・健康維持について

 以上のような項目について、意見を伺った。例えば、近所との関係だが、楽しく生きるためにも、災害時に助け合うためにも、仲良くしなければならない。しかし、意外と近所ならではのトラブルを抱えていたり、人間関係がよくない場合もある。

話の後、アンケートを記入する婦人会の皆さん。

  国家でも、トラブルがあるのは、ほとんど、隣国の中国、台湾、韓国、北朝鮮などだ。仲良くするための先ず第一歩は、ご近所と仲良くすることから始めなければならない。アンケートではこれらも率直に書いていただいた。

  これらは、総会で話したり、『かたせ瓦版』で伝えたりしたい。無意識に隣近所に迷惑をかけていることもあるのだから。とにかく、言いたいことも言えず、我慢しながら生きていくのは悲しいことだ。

 行事についても、昨年やったから今年もやるというのではなく、内容を見直し、多くのものが満足するような方法で実施したい。今後の語る会が楽しみだ。

(日記 午前中、今日使う『生活アンケート』の校正、印刷。午後12時半より、婦人会の会合に参加した。そして、最初に日頃考えていることを述べ、その後『生活アンケート』を実施。欠席した方については、後日お願いしたいと思う。婦人会の人たちは、朝から講話を聞いたり、総会をやったり、懇親会をやって疲れていそうなので、語る会は、またの機会にすることに決めた。)

 
 

区民の考えを区の運営に生かせるか

02 2月

住民アンケート作成
  「お任せ民主主義」が横行しているように思う。日本がどこへ向かうかよりも、自分の給料が上がるかどうかの方に関心がある国民が多い。しかし、経済の陰に隠れた問題を見逃してはいけないと思う。

  そして、いつか「こんなはずではなかったのに」ということになりかねない。「お任せ」というとかっこよいけれども「無関心」といった方がよいのかもしれない。世の中が思わぬ方向に進んで、泣きを見るのは無関心だった国民と言うことになりかねない。

  小さな区にしてもそうだ。自分の住む地区のことを本気で考えて、行動を起こすことは本当は楽しいことなんだと思う。しかし、がんばって何かが得られたという経験がないと、本当の楽しみも得られないし、次には繋がらない。

 物事を中途半端に行うと、たいした成果が得られない。たいした成果が得られなければ、次への意欲も湧かない。同じようなことを繰り返しているうちにだんだんじり貧になる。この回路を変えなければ何も変えられない。

  どこかで一度、本気になると、それなりの成果が得られる。それなりの成果が得られると、次への意欲が湧く。意欲が湧くとそれなりの成果が期待される。好循環である。

 こんな経験を若い者に是非とも味わってもらいたい。「やったー」という充実感を味わってもらいたい。きっとやり終えたときの、充実感はなにものにも替えられないと思う。きっと反省会も盛り上がるだあろう。

  こんなことを密かに願っている。しかし、一度にこのような回路には入れない。こうなるにはそれなりの手順がいる。先ずは、各種団体毎に、『語る会』を開催し、『住民アンケート』を実施し、区民の意向をつかまなければならないと思う。明日がその出発点だ。

創作紙芝居の1シーン。背景は仮置き。

(日記 午前中は、明日から始まる『役員と語る会』の後に行う『住民アンケート』づくり。明日は、先ず、婦人会の皆さんと話し合いをし、その後にアンケートを実施したいと思う。果たして正直な意見を徴収できるかが問題だ。午後も作業を継続。午後7時から2月の定例役員会。学校で言えば、今は3学期であると同時に、新年度に向けての助走期間となる0学期でもあるのだ。平成24年度のまとめの時期であり、平成25年度の準備期間でもあるのだ。そんな気持ちで役員会を行った。)

 
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横綱“千代ノ山”

01 2月

勝山ゆかりの横綱
  今日も、昨日ほどではなかったが、晴れていたので、家内と二人で勝山駅まで車で行き、そこから二人でウオーキングをすると決めた。そして、先ずは九頭竜川の対岸を遅羽公民館に向かって歩き始めた。

遅羽公民館に展示されている横綱「千代の山」の“横綱”。懐かしかった。

  遅羽公民館の職員は全員よく知っているので、家内と二人で立ち寄った。そして玄関へ入るとなんと、「横綱」が展示だれているではないか。勝山ゆかりの横綱「千代ノ山」のものだ。彼の奥さんが勝山市の I 家のお孫さんだったのだ。

  二人の出会いを作ったのは、これまた有名な「力道山」だったというのだ。私の子供時代から、「千代ノ山」は勝山市では人気があり、巡業で勝山を訪れた際には、「東方、勝山市出身、横綱・千代ノ山」」と場内アナウンスがあったように記憶している。

  そんなわけで、千代の山が勝山を訪問した写真がたくさん展示されていた。「千代ノ山」と言えば、同じく横綱の「栃錦」や「鏡里」などと並んで、とても有名な人気力士だった。

・・・・・・・・・・  ネットより「千代ノ山」の略歴・・・・・・・・・・

1926年・・・・・北海道松前郡福島町生まれ。
1942年・・・・・出羽海部屋へ入門。

土俵入りに向かう横綱千代の山。神明神社の会場は大歓声であふれかえり、一段と盛り上がった。(写真提供:勝山朝日印刷)

1945年・・・・・11月場所、新入幕で10戦全勝(横綱の羽黒山も10戦全勝だった。決定戦をせず、上位優勝制度でならず。)
1949年・・・・・10月場所、大関へ昇進。
1951年・・・・・5月場所、横綱昇進(14勝1敗で優勝)
1953年・・・・・1月場所、3月場所、連続途中休場(成績不振により自ら横綱を申し出たが協会はこれを認めず。)
1955年・・・・・1月場所、3月場所、連続優勝。
1957年・・・・・1月場所、全勝優勝。
1959年・・・・1月場所限りで引退。「九重」を襲名。

  得意技は「突っ張り」。その威力は「45日」と言われて相手に恐れられていた。相手を「一突き半」で土俵の外へ突き出したという。「一突き半」つまり「一月半」=「45日」というわけだ。

 引退後、「出羽海部屋」の師匠の「常ノ花(元横綱)」は、「九重(千代ノ山)」に名門「出羽海部屋」を継がせたかったが、「武蔵川(出羽ノ花:最高位前頭筆頭。しかし、その後相撲協会理事長になる。)」が後を継いだ。そして、次こそ「九重(千代ノ山)」と誰もが思ったが、実際には、同親方の娘婿になった「佐田の山」が跡を継ぐことになった。

横綱「千代ノ山」の土俵入り。観客の数がすごい。(於:勝山市神明神社)

  完全に、「出羽海部屋」を継承することができなくなった「九重(千代ノ山)」は、常陸山以来、分家も独立も許さない「出羽海部屋」の厳しい方針に悩みながら、独立を申し出ると、弟子もろともに「出羽海部屋」から破門された。

  その結果、弟子13名中10名までを連れて、髙砂一門へ身を寄せた。結果的には、独立したことになる。当時としては、異例の処置であった。相撲協会からは破門されなかったので、その後、有名力士が育つ基礎ができたと言えなくもない。

  独立後最初の場所だった1967年3月場所には、弟子の大関「北の富士」が初優勝を挙げたほか、十両でも弟子の「松前山」が優勝した。その後は「北の富士」を横綱に、独立時の弟子から「北瀬海」を関脇に育てあげた。

  特筆すべきは。出身地も卒業した小学校も同じである、後の大横綱「千代の富士」をスカウトしたことだろう。また、1976年には協会の役員待遇に昇格した。

  独立・破門時に委員への降格を余儀なくされたが、昇格は理事長として2期目を迎えたかつての稽古相手「春日野(横綱栃錦)」の温情によるものだと言われている。

  残念だったのは、「千代の富士」を幕内力士までは育て上げたが、この頃から急激に体調を崩し、入院後、「千代の富士」の新三役昇進を見ることなく1977年51歳でなくなった。

  「九重(千代ノ山)」の死後、「九重部屋」は独立し、「北の富士」が継承した。1981年1月場所後、「千代の富士」が大関昇進、同年7月場所後に横綱昇進を果たす。

横綱「千代ノ山」の土俵入りを見つめる大観衆。(於:勝山市神明神社)

  なお大関・横綱昇進伝達式の際、通常は力士本人と師匠夫妻が揃って出席するが、「千代の富士」の場合は「九重親方(元北の富士)」の配慮により、「千代の山」の未亡人が「北の富士」と共に同席していた。(これはいい話)。

 現在、「千代ノ山」と「千代の富士」の偉業は、二人の故郷である北海道福島町の「横綱千代ノ山・千代の富士記念館」で見ることができる。
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  私の子供の頃から、「千代ノ山」は勝山では有名人だった。当時は、出羽一問として、横綱「千代ノ山」と「栃錦」は巡業で何度か勝山へやって来た。私もよくそれを見に行ったものだ。

  そして、「千代ノ山」は、勝山市で私の1年先輩のMさんをスカウトした。Mさんは、「千代旭」の四股名で土俵へ上がり、幕下優勝を果たしたが、その後、廃業。いろいろ思いでのある横綱だった。綱を見ていろんなことが蘇ってきた。

(日記 午前中、区の会計事務処理。午後2時より家内と二人で九頭竜川の対岸(左岸)をウオーキング。途中で、遅羽公民館へ

散歩の途中で「はい、チーズ!」。九頭竜川の橋の上から我が村の背後にある大師山が望める。

立ち寄ると、そこには「横綱・千代ノ山」の「綱」が何枚かの写真と共に、展示されていた。勝山ゆかりの横綱だ。その後、橋を渡って右岸を通り、出発点の勝山駅へ戻った。だいたい8,000歩のコースだった。帰宅して、久々に紙芝居の絵を描く。楽しかった。)