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毛筆で書かれた文書のよさ

28 2月

軽い印刷文字
  私の周りには、役目柄、毛筆で書かれた古文書が沢山ある。区内の総会議事録から事件の顛末を書いた古文書など沢山ある。黒々とした墨の文字が今も鮮やかである。そして、押された判子の朱肉の色も鮮やかである。

  我が地区でも最近はパソコンで議事録を書いているが、有り難みは全く感じられない。しかし、両者にはそれぞれメリット・デメリットがあるように思う。

区の会議録。私にはやっと判読できる限界だ。

  毛筆の特長としては、簡単には改ざんできないような雰囲気がある。一字一句心を込めて書いているように思われる。しかし、書いている人間のくせが出て読み辛いのが欠点であろう。

  人にはそれぞれ字の崩し方に個性があるので、達筆になればなるほど素人には読みづらい。前後の文章や文意から判断しなければ判読できない。書き直し(校正)ができないので、時々、主述の関係が曖昧な場合も少なくない。

  パソコンの文字は、ほとんどくせがなく、文字は読みやすい。しかし、文章を何度も簡単に書き直すことができるので、読みやすい文章にすることは容易だが、どれが本物なのか分からないという欠点がある。

  達筆で書かれた記録などは、それ自体芸術的であり、ほれぼれすることもある。内容もさることながら文字の美しさには目を見張るものがあるからである。そして、そのような文字を読み下す人は学があるように思われる。

  パソコンの文字はそれに反して全く機械的である。パソコンで書かれた文字がどんな文字かは明白だが、知識が不足していると判読できない場合がある。しかし、会議録程度の場合にはそのようなことはあまり起こらないだろう。

 私も、筆で書いてみたいという願望は常に持っている。しかし、練習する時間がないので、筆を使うチャンスは最近激減している。自分の能力と偶然性から思わぬ効果のある文字が書けることを期待して毛筆を使ってみたい。

(日記 午前中は、区の広報誌『かたせ瓦版』の編集作業の詰め。午後は、区長代理に我が家へ来てもらって、区の決算総会に向けて帳簿整理を行った。その後、『かたせ瓦版』をコピーし、他の配布物と共に、班長宅へ配った。一月に二回瓦版を発行しているが、今日が一番ほっとする日だ。)

 
 

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