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人と人とのつながり

22 2月

電車内で思うこと
  今日は次女のアパートを出てまず電車で渋谷へ移動する。都内では、電車網が発達している。それらをうまくつないで目的地へ移動するのだ。田舎のように待ち時間を気にする必要はない。

渋谷をぶらぶら。

 電車の中で、思うことは、まず多くの者がイヤフォーンをして音楽を聴いていることだ。そして、器用にアイフォーンを使っている。互いに、挨拶を交わすこともない。ひたすら、画面に夢中になっている。

  多くの人が行き交っているが、互いに挨拶などを交わすことはない。みな目的地に向かってひたすら移動しているだけようだ。自分の世界に浸っているように見える。音楽を聴き、アイフォーンでゲームをしている高校生もいる。

  電車の中では、それぞれが積荷のごとく関わることはない。これが、都会の暮らしやすさなのだろう。表へ出ても、知らぬもの同士で、それらの目を気にすることはない。

  年がら年中、“”旅の恥はかき捨て”の心境だろうか。そんな気持ちで、ここ二日間過ごしてきた。しかし、電車の中では、いくつかの親切な人に出会った。
  二人がそろって乗車し、家内だけが座ると、さっと私に席を渦ってくれる若者がいた。男性もいたし、女性もいた。渋谷から新宿への電車の中でも、家内は席を譲られた。こうした人が入る限り、都会もまだ捨てたものじゃないと思う。

  横浜への移動中、事故が発生して電車が途中の駅で運転停止になった。私は、後3駅を残して電車から下ろされた。いつ、電車が動くのだろうかと心配になった。

  次から次へと電車が到着し、すべての人が電車から、降ろされ、多くの人たちが構内にあふれ、自動改札はストップし、ホームと外との出入りが自由になってしまった。このような中でも、親切な人がいて、いろいろ親身になって心配してくれたりした。代行バスなどの切符も配布されたが、私たちは、事故処理が終わるまで、駅で待つことにした。再開の時間を聞きつけて、知らせてくれる人もいた。

長男宅で孫達と。クリスマスプレゼントのドレスを着てくれた孫(次女)。

  冷たそうに感ずる都会の人の動きの中でも、親切な人はいて、いざというときには、言葉をかけてくれたり、親身になって心配してくれたりするものだと感心した。 これが都会での生き方かもしれないとも思った。普段は無関係で過ごしているが、時には、親切な者がいて、他者を助ける。しかし、都会では老後はどうなるのだろうかと少し気にもなった。
息子の家でテレビを見ていると、NHK特集で、少子高齢化社会の問題点を取り上げていた。特に、問題となっている地区は、田舎から都会へ出、都心から離れた郊外で一戸建てを買った人たちの集っている地区だ。

 その人たちの子供たちが、都心へ移り、空き家がどんどん増えている問題が取り上げられていた。田舎が過疎化するのとほとんど同じ問題だった。他界の中心部以外はすべて過疎化するのだろうか。いまこそ、知恵の働かせどころだ。

(次女のアパートで目を覚まし、電車で渋谷へ移動。あちこち見て回り、横浜へ。今日は長男のアパートへ泊まるのだ。しばらく休んで、5時から始まる長女の新体操を見学に行く。前から思っていることだが、身体の柔軟性や、ほかの競技の基礎力を養うにはとてもよい運動だと思っている。)

 
 

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