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遊びと仕事

12 2月

年齢にとって重要度が変わる
  「遊び」と「仕事」は一見対極にあるように思うが、実は表裏一体のものだと思う。「遊んでばかりいて……」という叱り方があると思う。しかし、両方とも大切だと思う。年齢によって両者のウェイトは変わると思うが。

  子供時代、「遊び」は生きる力そのものだと思う。遊べない者は、成長しても、どこかで力が発揮できないように思う。ちょうど、ビタミン不足のように、「遊び欠乏症」がどこかで現れると思う。それほど子供にとっては、「遊び」は必要不可欠なものだ。

  子供時代、遊べない猿は一人前になれないと聞いたことがある。子供時代、十分に「遊べなかった人」はどこか人間味に欠けているように思われる。

  今日、遊びをテーマにしたのは、用事である店へ出かけた。ここの主人は、かつてはいろいろ関わりのあった人だったが、その奥さんが「近頃、認知症が出て……」と話された。しばし、健康について、立ち話をした。

  青年、壮年期においても、遊びは大切だが、やはり仕事の方がウェイトが大きいだろう。しかし、楽しみながら、仕事に楽しみを見つけて働くことは大切だろう。

  そして、高齢者になったら、遊びと仕事の区別が少なくなってもよいのではないか。楽しみながら仕事をすることが大切ではなかろうか。無理は禁物だ。遊びが脳を活性化するのだから、認知症予防にもよいはずだ。

  高齢者になったら、遊びもまた仕事なんだと思う。そして、高齢者の心身の健康であることは、その家族にとっても非常に喜ばしいことだと思う。高齢者には、遊びもまた仕事だと言っても過言ではない。仕事が、遊びに感ずる人は幸せだと思う。

  私見だが、体操とは、心身の両面に必要であり、体を動かす体操と共に、脳を働かせる体操もあるのではないかと思う。いわゆる「脳トレ」である。しかし、「脳トレ」とは、必ずしも、クイズ的なもの、学習的なものばかりでないと思う。

  脳は、左右、前後、全てをバランスよく使うことが大切だと思う。好きなことをやったり、きれいなものを鑑賞したり、外へ出かけて人と交わることも必要だと思う。脳にとってよいことは、いつまでも人間らしく過ごすことではなかろうか。

  「遊び」は、自動車のハンドルの「あそび」のごとく、豊かに生きるための、必要不可欠なものであることを、いつまでも忘れてはいけない、そんなことを、雑談の中で話した。認知症は人ごとではないとも思った。

(日記 午前中は、紙芝居の印刷作業。といっても、「A3ノビ」の厚紙に印刷するので、かなり時間がかかる。絵を調整しながらやっているので思ったよりも、時間がかかった。午後、プリンターのインキと、紙芝居用の厚紙を買うために外出した。作業中、衆議院予算委員会の質疑を聞きながらの作業だった。北朝鮮の核実験のニュースが一日中、マスコミを賑わしていた。北朝鮮の行動は、だだっ子のようなアクションに思う。)

 
 

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