意外と多い減点主義
人を育てるのには「加点主義」と「減点主義」とどちらがよいだろうか。当然、加点過ぎだと思う。特に今の時代は。しかし、世の中、どちらかと言えば、「減点主義」がはびこっているように思う。
日本の社会には、ひとたび何かでミスをするとその後は立ち直れない場合が多い。チャレンジして失敗すると、非難される場合が少なくない。したがって、冒険もせず、ミスも出ないようにしていれば、それなりに出世する仕組みができている。
しかし、今のように厳しい時代には、「減点主義」では発展や進歩は望めない。子どもたちが、何かに向かってチャレンジし、失敗したら、周囲から責められるとしたら、あえて自ら前へ出ようとはしないだろう。
世の中で新しい「モノ」を生み出すのは、「失敗」の中からである。失敗から人は多くのことを学ぶのである。その失敗を責めるのはなぜだろうか。組織の長は、長い目でモノを見られないからではなかろうか。
ほとんどの組織は、10年先、20年先を視野に入れることはできないだろう。なぜなら、それぞれのリーダー(社長や監督、首相、大臣など)が、長期にリーダーでいる保証はないからである。
したがって、目先の利益や成果を追いかけることになるのである。そうなると、失敗を許す余裕がないのである。結果的に、「減点主義」がはびこるのではなかろうか。
少なくとも、親や家族は子どもの成長を長い目で見て、今がよくないからと非ばかりを責めるよりも、少しでもよいところを見つめてほめる「加点主義」の方がはるかに子どもを伸ばすのではなかろうか。
ただし、常に自らを振り返り、失敗の中から学び姿勢は忘れてはならないと思う。一つの成功を得るために、百、千、万の失敗を経なければならないであろう。人の非ばかりが見える人間にはなりたくないものである。
(日記 午前中、某地区のSさんが左義長囃子に私の民謡が挿入できるかどうかを検討しているというので、その民謡の三味線譜を書いた。午後、そのSさんが三味線とギターを持って我が家へ遊びに来た。その後、オカリナの楽譜書き。午後7時半よりオカリナ教室。練習のあと12月に行われる『クリスマスコンサート』について話し合った。コンサートをするためには、かなりいろんなことをしなければならない。少しその分担も話し合った。)