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改めて『事を成すのは人である』

25 10月

人こそ資源
  最近改めて思う。人こそ最大の資源であると。地域にたとえ歴史ある神社仏閣があろうとも、それが観光資源になるとは思えない。それらを生(活)かす人材(財)がいなければ、資源はただの「モノ」に過ぎない。

  我が村近くに日本一の大仏ができた。誰もがたくさんの観光客が来ると思ったのだろう。いろんな人たちが門前町やその付近で様々な店を構えた。土産品も作られた。しかし、一年と経たないうちに閑古鳥が鳴くようになった。

  そして、櫛の歯が抜けるように土産店は門前町から消えていった。最終的には全ての土産店が撤退した。日本一の大きさを誇る越前大仏、日本一の高さを誇る五重塔、日本一の高さを誇る天守閣を持つ勝山城博物館、いずれも未だ観光資源になり得ていない。

  事を成すのは人である。初めに人がいなくてはならない。そう考えると、その人を育てることを考えなければならない。しかし、現実には、悲しいかな先人の知識をなぞるだけの教育が横行しているように思えてならない。

  現代は、答えのない連立方程式を解いているような状況にあると思う。正解がないとも言える。ならば、ベストがなくても、ベターな答えを見いださなければならない。そんな訓練を受けているだろうか。

 子ども時代から、考えることの大切さを身に付けさせなければならない。よりよい高校、よりよい大学、よりよい会社や官庁を目指す者は多いが、その後が問題だ。いつの間にか自己中心の人間に変身してしまう。

  さて、政界に目をやると、日本の現状を改善すると言うよりも、党の利益、個人の選挙を優先する国民無視の政治家が多すぎるように思う。民主党の与党ごっこもまもなく終焉を迎えるであろう。

  そのとき、自民党がどれだけ議席を獲得できるか、それとも、今日都知事を辞任し新党結成を表明した石原氏の動き、日本維新の会の橋下氏の動き……、どのグループが国民の支持を得るだろうか。

  与党病に憑かれた人たちは、徒党を組もうとするだろう。過半数を目指して政界再編が起きそうだ。絶対にありそうにもないと思われた自民党と社会党が組むことだってあったのだから。

  果たして、この日本をよりよく導くリーダーは生まれるだろうか。国民の税で自分達だけ得をしようとする輩がまだまだ横行しそうな日本でる。改めて言いたい。「出でよリーダー!」と。

(日記 午前10時より鹿谷公民館でおばさん達に銭太鼓の指導。かなり上手になってきた。午後は、もっぱら『かたせ瓦版』の仕上げ作業。 夕方、5時半に完成した。早速班長に配った。慌ただしい一日だった。)

 
3 Comments

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  1. 寺田幸彦

    2012年10月25日 at 11:44 PM

     心象絵図を活用した交流会の中で、冒険遊び場にも通じる気になる言葉がありましたので投稿します。
    【たくらまない教育】
     農文協が「たくらまない教育」の再生を『現代農業』の主張欄で世に問うたのは、1986年のことであった。
    教育の目的や方法、技術を問題にし、既定のコースどおりに目的が達成されたかどうかを問う教育(たくらむ教育)に対して、もともと「いえ」や「むら」の生活が内苞していた、その地に生きるための「たくらまない教育」。
    人間の成長には両者が必要であるが、とりわけ現代の社会は前者が肥大し「たくらみ」でがんじがらめである。

     それから20余年。
    残念ながら、「たくらまない教育」の存在根拠である、家庭や地域の共同性は、ますます弱まったといわざるをえない。
    そんな中、本来「たくらむ教育」を志向するはずの学校教育が起点となって、「たくらまない教育」を再生させるような取組みが広まりつつある。
    「総合的な学習の時間」はその流れに位置づけられようが、これは日本だけでなく、世界的な動きとしてとらえることができる。

     「少数民族」や「先住民」と呼ばれる人びとの社会に、経済のグローバル化や、西欧型の教育が一気に導入され、さまざまな矛盾が引き起こされた。
    自分たちでワナを仕掛けてつかまえたビーバーの解体方法を学ぶユピック族の子どもたち。
    子どもたちの教育は学校で、と私たちは思いがちだ。
    けれど「教育」は家庭でも地域でも、意識しているかどうかに関わらず日常生活のあらゆる場面で行われている。
    そもそも国民全体のための学校という制度ができてから、日本ではまだ140年にもならない。
    学校という機関は現在多くの国で、仕組みも内容もレベルも、欧米をスタンダードとしてつくられている。
    アイデンティティの形成や、個々人の成長、地域の発展という視点から、ある場所固有の文化や知識を伝達する「地域に根ざした教育」に注目が集まっている。

    ユピック族の彼らは一様にいう。
    「教育を受ければ受けるほど、故郷に戻れない人間になる」と。
     そこで、もう一度その土地固有の知恵を見直し、狩猟採集といった先住民たちの生業を、あらゆる教科のカリキュラムに組み込もうという試みがなされている。
    place-based education(場に基礎をおく教育、地域に根ざした教育)と呼ばれ、世界各地に広まりつつあるようだ。

     一方、日本においても、「たくらまない教育」と通底するような、全く新しい学校のあり方が示されようとしている。
    すなわち、近代の教育で最重要とされてきた教育課程の設計をやめる。
    カリキュラムではなく、子どもたちの育つ「場」に教育の立脚点をおく学校である。
    そこでは、即興的によりよい教育を行なう教師の力が求められ、そのために、教師の創造性を最大限に発揮させるための学校経営がなされている。
    教師が子どもや地域の現実とむきあい、「地域に生きる子ども」「たとえ他出しても、地域を切り捨てない子ども」を育てるのである。

     
  2. 寺田幸彦

    2012年10月26日 at 3:51 PM

     『たくらまない教育』・・・続き
    【グローバル経済が先住民の暮らしも変えていく】
     アメリカのアラスカ州ユーコン川沿いのロシアンミッション村は、人口300名ほど。
    ほとんどがユピック民族というアラスカ先住民だ。周囲は川以外に、池、湖、丘やツンドラで、ヘラジカやクマ、ハリネズミ、オオカミ、クズリ、さまざまな水鳥や魚が暮らす。
    グローバル化で社会が大きく変わった今でも、村ではこうした野生生物が食料として重要だ。これらを食することが彼らの文化であることと、村では現金収入を得る仕事が極めて限られており、遠方から店に運ばれてくる高額な食材を購入し続けることはできないからだ。
     しかし現実は複雑だ。現代では狩りに行くにも金が必要だ。ボートやスノーマシンはもちろん、燃料や銃、弾薬も購入しなくてはならない。多くの人たちがこれまでのようには外に出なくなった。
    伴って子どもたちも大地との関わりが薄くなった。

    【西欧的教育が招く、先住民のアイデンティティ喪失】
     アラスカでは、アラスカ大学の研究者を中心とするthe Alaska Rural Systemic Initiativeという団体が、place-based education(地域に根ざした教育・PBE)という考え方を推し進めてきた。
    西欧の学問や考え方を基礎とする学校教育の中に、その土地の先住民たちの知恵の居場所を作りだそうという教育改革だ。背景には、特にここ60年ほどアラスカ先住民たちは、「学校」を持ち込んだ白人のアメリカ人たちによって教化され、英語を強制され、文化も生きかたも変えてきたことがある。
    学校教育は、そこで紡がれてきた知恵や技術を否定しつつ、いかに「西欧の知識」を先住民の子どもたちに教え込むかが焦点だった。
      こうした「同化政策」が、アイデンティティや希望の喪失につながり、現在の自殺やアルコール中毒などの社会的な課題につながっているとされる。
    先住民の生徒たちは、概して中退率が高く試験結果も悪いため、「問題」であり「頭が悪い」と見なされてきた。ロシアンミッションの子どもたちも例外ではなかった。

    【伝統的な狩猟採集を素材として教科をつなぐ】
     私が最初に村に入った 2002 年には、ロシアンミッション学校には1 年生から12年生まで106人の生徒がいた。一人を除いて全員がユピック族だった。学校は2001 年から、カリキュラムを大きく変更した。「大地との絆を築く」ねらいのもとに、昔から村のライフスタイルであった狩猟採集を中核に据え、それを素材とし て、6年から12年生の理科や算数、英語など、あらゆる教科に組み込まれた。
     生徒たちは野外での活動前にはインターネットや本などで調査をし、学習成果をまとめる。
    活動中はデジタルカメラで記録し、校舎に戻ると、文書作成やコンピューター技術、編集などのセッションが実施された。活動はそれぞれの教科に応じた学習目標を達成するように計画され、狩猟採集を中心としたプログラムは、学習のためのフレームワークを提供した。

    【なぜ狩猟採集を中心とするカリキュラムにしたのか】
     当時のハル校長は二つの大きな理由を挙げた。
    「ここで生きていくために必要な技術と知識を教えるため」、「自分が何者かを知りそれが認められることで自信をつける、これが人としての基礎になるから」。すでに村の子どもたちの多くは、本格的な狩猟採集の経験を持っていなかった。
     生徒たちの多くは学校を出た後も村で暮らすことを選ぶ。
    よって狩猟採集に関するさまざまな技術の習得が直接的に役に立つ。
    また、ユピック族の世界観では、人間を自然や超自然界を含んだあらゆるものの中での関係性の中にゆだねる。だから大地とのつながりを取り戻すことが、彼らの自信やアイデンティティの確立につながるとする。

    【このカリキュラムを導入してから、変化が起きた】
    ロシアンミッション学校の授業の一コマ。
    ウサギのワナのしかけ方を学ぶ 生徒らにとってはこれまではさぼりたくてしょうがなかった学校が、楽しくて行きたい場所になった。野外での活動を通して教員との関係も前向きに変わった。加えて野外での経験が「具材」と動機となり、子どもたちはさまざまな学校のタスクに積極的になった。
    州共通の試験を見ると、読み・書き・算数において、生徒たちの成績がぐんぐん上がっていった。
    他の学校全体の平均が下がった時でも、ロシアンミッション学校だけは上昇した。
    結果、ロシアンミッション学校が属する学校区で、州が定める「適度な学力向上度」をクリアしている唯一の学校となった。
     生徒らにインタビューをすると、「学校はとても楽しい」「自然を自分の家のように感じるようになった」など、成果を裏付ける答えが返ってきた。
    2002年と同じ人たちを 5年後にインタビューしたが、成長したことも伴い、言葉豊かに自分と周囲の自然環境の関係について語ってくれた。
     「場」に適した教育、子どもたちに適した教育の意義を見いだすことができる。
    PBEはここ10年ほど全米で注目を集め、静かなムーブメントになっている。
    アラスカ先住民と同様の課題を抱えるニュージーランドやハワイの先住民たちの中でも、「教育を自分たちの手に取り戻そう」と、それぞれの地域に固有な文化や知識を伝える機運が高まりを見せている。
     「場」を公教育の中核として位置づけるPBE は、主流の文化や価値観を補強するだけのこれまでの教育を変える可能性を持つという声がある。
    教育は何の、誰のためにあるのか。先住民族らの試みは、地方の衰退が懸念されている日本の将来を考える上で、参考になる点が多いと思う。

     学校はもちろん、家庭、地域での教育がこれからの日本を左右すると言っても過言ではないと思います。
    そうした教育環境から真のリーダーが現れるのかも・・・。

     
  3. Norio Yama

    2012年10月30日 at 8:40 AM

    「人間の成長には『たくらむ教育』と『たくらまない教育』の両方が必要である」との意見には全く同感ですね。「それと同時に、現代の社会は前者が肥大し「たくらみ」でがんじがらめである。」ということにも同感です。

     学校が教育の全てを背負うというのは幻想ですね。日常生活の中でも子どもたちは学校以外から多くのことを学んでいるのです。
     大人の姿勢が子どもたちの成長に大きく影響を及ぼしていることを忘れてはなりませんね。私の市教委時代の考え方の一つはキャッチフレーズ的に言えば、『見ています あなたの姿 子や孫が』でした。
     地域に根ざして子どもたちを育てないと、日本はまだまだ劣化していくように思います。「教育を受ければ受けるほど、故郷に戻れない人間になる」というのもまた事実ですね。
     鮭ではないですが、生まれ故郷の川での生育が後年再びその川へ戻る原動力になっていると聞きます。
     地域を無視した画一的な教育では、ふるさとを想う子どもは育たないだろうと想っています。子どもをどう見るか画持続可能な社会を作れるかどうかの分かれ道になると思っています。
     大人の私たちの生き方が問われているのです。ここに書かれた意見から多くのことを学び取ることができると思っています。