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コミュニケーション力

10 7月

「成り立つ会話」「成り立たない会話」
  今、子育てに関する紙芝居を作ろうとしている。「ことばのちから」をテーマにしている。その中で、コミュニケーションについて考えることになった。私のコミュニケーションの定義は「双方向に想いを伝える」ことだ。

  これは、簡単なことではない。大概の場合、一方通行になるからだ。子どもと保護者の場合、保護者から子どもへの一方通行だろうし、会社や公務員の場合には、上司から部下への一歩通行が多いだろうし、学校の場合には、教員から児童・生徒への一方通行になりやすい。

  選挙で選ばれた首長の場合には、職員への一方通行が多いだろう。話していれば、それでコミュニケーションが成立しているというものではない。上下関係があまり問題にならない者同士の場合でも、双方向に想いを伝え合うには、それぞれのテーマに双方が関心がある場合に限られるように思う。

 そうなると、単なる話し合いは浪費的時間になる場合が多い。そう思って、自分の周囲を見渡すと、コミュニケーションが成り立つ人間はそんなに多くはない。コミュニケーションが成り立たないのは、言葉を使う能力だけではなく、関心あることが共通えない場合もある。

 まちづくりに関心のある者とそうでない者がまちづくりについて話し合う場合には、一方通行になりやすい。まちづくりに関心のある者とプロレス大好きの人間がいた場合には、それぞれの話題で一方通行になりそうだ。

 親子の場合、子ども時代から、少しでもコミュニケーションが図られるようになるには、双方が前向きであることが不可欠であるように思われる。そんなことを考えながら、紙芝居を作っていた。

紙芝居の表紙

(日記 終日、紙芝居の表紙と最終場面を描き、印刷した。本番は明日。果たして、保護者や幼児に何かが伝わるだろうか。今回の相手は、私が最もやりずらいように思う。それだけにやり甲斐もある。夕方になって、初めて脚本を作り始めた。やや心配ではある。まだまだ生煮えの状態だ。)

 
 

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