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Archive for 5月, 2012

人間信頼の感情を育てる

11 5月

恩師の言葉
  今の政府も東電など電力会社も、国民の信頼を失っているように思う。信頼を失っては、何を言っても説得力がない。国民からそっぽを向かれては何もできないのではないか。

 「人間信頼の感情を育てる」とは、今から40年ほど前に恩師のN校長からお聞きした言葉だ。高額の税を課せられた国家はいくらでもある。しかし、そうした国では政治家は国民に信頼されているのではなかろうか。

  国と国であれ、個人と個人であれ、その根底にお互いが信頼できる関係が築かれていなければならないように思う。どうも、個人も国家も自己中心的でありすぎルように思う。

 なぜ政治家や大手電力会社の幹部は国民から信頼されないのだろうか。ぞれは子ども時代からの育ちが影響しているように思えてならない。最近読んだ本からは次のような構図が見られる。

 テストの点数エリートは、いわゆる難関校へ進学することになる。そこまでは、常に地域の点数エリートとしてちやほやされている場合が少なくない。

  いつもトップを走ってきたのだ。しかし、社会へ出ると、点数エリート同士が闘わなければならないことになる。官僚になれば、トップは1人でよいことになるからだ。大会社でも同様だろう。

  人生で敗者になったことのない者が次に狙うのは何だろうか。経済的な優位性ではなかろうか。天下りで少しでもよりよいポストに就くことだという。そのためには、国民のためよりも、自分たちのポスト確保が優先される。

  こんな論調が溢れている。当たらずとも遠からずだろう。官僚と政治家、対立しているようでくっついている。以前にも書いたが、民主党の仕分けで建設を見送られた朝霞の公務員宿舎が野田財務大臣の時に工事を突然再開した。

 ところが、世論の反発を招き総理になったときに工事を中止(無期延期か)している。なぜこういうことになるのだろうか。悲しき点数エリートの末路は金の亡者になっているように思えなくもない。

 今望まれるのは、信頼できる人間を育てることだろう。人から信頼されてこそ、真のエリートだ。そんな人間を育てる方向に舵を切らなければならない。

 出でよ!平成の龍馬!!橋下氏は龍馬を気取っているように見えるが、はたして結果はどうなるのだろうか。期待と不安半分。その動向に目が離せない。

集会所での銭太鼓の練習。(今日の写真ではありません。)

(日記 区の仕事のために、午前9時少し前に自宅を出発、司法書士、大野税務署(国税)、福井県税事務所(県税)、市役所税務課(市税)、JA、ホームセンター、金物店等を回ったら、午後4時になった。昼食は途中で買ったパン一個。大野税務署では約1時間、書類の書き方を教えていただいた。午後は、疲れて何もできなかった。午後7時半から、銭太鼓の練習。16日に福井市の木田神社の春季大祭に招待されたからだ。みんなで頑張りたいと思う。)

 
 

毎日パワー

10 5月

歯医者にて
  昨日、前歯が折れてしまった。歯も弱っていたのだろう。今日はとても忙しいが、仕方なく歯医者へ行くことにした。診察は午前9時から診察が始まると分かっていたが、予約してなかったので午前8時半に歯医者へ行った。

  待合室の本の中に、『遺言』という本があった。他には読む本がなかったので、ぺらぺらとページをめくっていた。医者が、患者や後輩や一般人に『遺言』という形で一人が三つずつメッセージを書いているのだ。

  その中に、例の日野原重明先生の言葉が書いてあった。その言葉が気に入った。自分と同じ考えだったり、日頃自分が思っていることを第三者が語ってくれると心強く思う。

 日野原先生の言葉は次のようなものであった。“全ての方へ”として、
 「創(はじ)めることを忘れなければ、いくつになってもこころの若さは続く。節目の年齢から、新しいことに挑戦しよう。」
と書かれていた。

 サムエル・ウルマンの『青春の歌』を連想した。

 さて、日野原さんの言葉はその通りだと思う。私は、これにさらに付け加えてこう言いたい。「一日の変化は微々たるものでも、何かをやり続ければいつかは大きな力になる。それが毎日パワーだ。」と。

 「今できないことでも、やりたいことだったら、とにかく始めてみよう。」 毎日続ければ、できなかったと思っていたことが実はできるようになるのだ。毎日何かをやり続ければれば大きな変化をもたらす。

 これが「毎日パワーの威力だ」。「継続は力なり」と言い換えてもいいが、子どもや若い人達には、「毎日パワー」の方がインパクトがあると思ってこう言い続けている。

  やりたいことがあるのなら、今できるかどうかを思案するよりも、毎日少しずつやり始めればいいのだ。私も何度かこの言葉を実感している。とにかく、少しずつでも毎日頑張れば、何かができるようになるのだ。

  先のことを考えず、とにかく毎日今日の分だけやればいいのだ。お陰で、今月も数日前に新しい紙芝居を完成させることができた。「一日1~3枚の絵を描き続ける」と先月決めた。その後、時間があれば一日1~2枚の絵を描いてきたのだ。

 来週から、また新しい創作紙芝居にチャレンジしたい。目標を立てたら、そこからが逆算して一日分のノルマを考える。後は、それをやり続ければいいのだ。

 始めようと思って買い求めたがまだできていないものもいくつかある。あれこれ手を出し過ぎるからだ。でも、前向きに動いていれば、きっと友達はできるのだ。

 「毎日パワー」を活用して、いろんなことにチャレンジしたい。一度、小説なるものを書いてみたいと思う。童話は何度も書いたが、今も小学高学年向けの童話を書いている。次は小説もどきだ。

自作の広報誌『かたせ瓦版』。

(日記 午前8時半から午前11時まで歯医者。その後、鹿谷公民館へ行き、銭太鼓を指導する。午後歯、全戸配布の村の広報誌『かたせ瓦版』を書いた。市の広報誌などと共に各班長宅へ配った。)

 
 

草刈り

09 5月

草との闘い
  家庭菜園であれ、本格的な農業であれ、収穫をより多くするには雑草との戦いは避けられない。手で雑草を取るか、除草剤の助けを借りるか、草が生えないようにマルチを掛けるかだ。

我が家の田んぼの草刈り。最低3年回は刈らなければならない。

  米作りの場合には、除草剤に頼るしかないだろう。昨日と一昨日、組合の田植えの補助員を務めたが、その役割の1つに田植機に除草剤の補充があった。

  昔は、除草機で雑草を取ったり、手で取ったりしたものだ。「米作り」は収穫までに本当に沢山の仕事があったのだ。今は、省エネで薬剤を使うようになった。健康にはよくないであろう。

  私は今日、田んぼの畦の草を草刈り機で刈り取った。午前中だけでは予定の分ができなかった。昼食を食べる時間も惜しいので、家内にパンを持ってきて貰って昼飯とした。草刈りが終わったらやりたいことがいっぱいあるからだ。

きれいに咲いてくれた我が家のボタン。十数年前に行商のおばさんから買った苗だ。

  午後も草刈りを継続。その後、排水路の泥を鍬であげた。午後1時頃ようやく今日のノルマが終わった。自分の田んぼを時緒分のペースでやるので気は楽だ。

 私の地区では、組合を作って米作りをやっているが、草刈りは原則として田んぼの持ち主がやるのだ。年間3回は畦の草を取らなければならないことになっている。その分、いくらかは賃金が支払われるのだが。

(日記 午前8時過ぎから午後1時まで自分の田んぼの畦の草刈り。田んぼの畦で昼食のパンをかじっているとき急に歯が痛くなった。午後2時から歯医者へ出かけた。終わったのは4時少し前だった。帰宅してから、急いで

作ったばかりのDVDを見ながらフラの練習。6月2日が本番だ。たしてうまくいくだろうか。

「フラダンス」の教材DVDを作り始めた。和太鼓の練習日だが、今月はフラダンスをすることになっている。私は、ハワイアンギターを弾くのだが。練習の始まる午後7時半までにDVDはできなかった。午後9時頃ようやくできあがった。このDVDがあれば彼女たちは自宅で練習できるだろう。練習の後、衣装をどうするか、彼女達はネットであれこれ検索していた。)

 
 

人と人とのつながり

08 5月

上丹生「チューリップまつり」から
   村の知りあいから誘われて滋賀県米原市上丹生の「チューリップ」祭りに夫婦で参加した。地域の皆さんが一種懸命取り組んでおられる姿に感心した。

夫婦で参加した上丹生の「チューリップまつり」。まさか、ここから新しいつながりが始まろうとはこの時は考えもしなかった。

 できそうでできないことだ。この中には、「やるぞ」と言う「牽引車(リーダー。最初は「馬鹿者」と言われるかもしれないが)」がいて、それらに冷静な判断を下す「知恵者」がいて、それに違う視点から論評できる「よそ者」がいるのだろう。

  この中で、滋賀県立大学の「ほたてあかり」プロジェクトの学生の取り組みにも感心した。そして、二人の学生に、私の想い(いつか東北の子ども達に自作の紙芝居を見てもらいたいし、地域の人とも交流したい)も伝えてブログのアドレスを知らせた。

  その後、二人の方からこのブログにコメントが来た。一人は学生で、一人は「プロジェクトK」のTさんだ。Tさんからはメールも来た。おたがいに「メールを交換しましょう」ということになった。

  たまたま上丹生の「チューリップまつり」に参加したご縁でつながりができた。このつながりが今後どう発展するのかわからない。しかし、全く知らなかった人との「縁」が生まれた。

 この縁の先に、上丹生の人達との交流が生まれそうだし、去年の震災で被害を受けられた東北の方々との出会いがあるように思う。

  人と人とのつながりが広がり、思わぬ人との出会いがあるかもしれない。思わぬ方向へ発展するかもわからない。毎日のように出会っても関係が深まらない人もいれば、たった一度の出会いが深いつながりに発展する場合もあるだろう。

  いずれにしても、今後のことは成り行きに任せたい。無理をせず、背伸びをせず、自然体で、関係が続けばいいなあと思う。少なくとも、私に夢と希望が生まれたように思う。

昨日に続いて、私は今日も田植えの補助員として働いた。

(日記 午前8時から午後6時まで「農事組合法人かたせ」の田植えの補助員として働く。普段は家庭菜園作業やパソコンしか扱わない私にとってはかなりの肉体労働だった。心地よい疲れだった。)

 
 

新緑の中で田植えの補助員

07 5月

当番同志の交流
  今日は、「農事組合法人かたせ」の前期の田植え当番として、午前8時に農舎へ向かった。私の軽トラには肥料や除草剤などを積み、別の軽トラ2台には苗を積んで指定された田んぼへ出向いた。

  オペレーター1人、田植え補助員4名の計5名が毎回1チームになって、1日田植えをするのだ。今日のオペレーターは40歳代だが、補助員は83歳、79歳、69歳(私)、68歳の4人だ。

  でも、仕事では皆現役のつもり。補助員の仕事は、田植機に、苗、肥料、除草剤などを積み込むことだ。苗は専用のハウスに、肥料などは農舎にあるので必要に応じて運び、それらを田植機に補充するのだ。

  でも、多少時間に余裕があるので、雑談をすることもできる。それが楽しいのだ。83歳の人は私にとっては生きた郷土歴史家だ。昔の米作りの話を聞いていると先人の苦労が忍ばれ、本当に興味深い。

田植えを終えて農舎へ戻ってパチリ。(左が私)

 話を聞いていると、昔の米作りは有機農業だったなあと感心する。肥料としては、例えば、山へ行き、草や木の枝を刈り取って、それを田んぼに埋めたらしい。

 2人が一組になり、1人は草や小枝を運び、1人がそれを手や足を使って田植えした田んぼに埋め込むというのだ。草は、そのままにしておくが、葉っぱが落ちた木の枝は田んぼから引き上げたということだった。

 その他に、油を絞りとったニシン(魚)や豆の粕も米作りの肥料として使われたらしい。このほか、馬小屋に敷かれた藁や馬糞も堆肥として田んぼにまかれたという。

  米作りには、化学肥料ではなく、ほとんどが有機肥料だったというのだ。こうして作られた米を食べて育った人たちが現在の高齢者だ。これからの高齢者がはたして今までのように長寿でいられるのだろうか。

田植機が田んぼの深みにはまり込み、トラクターで救出。そして作業続行。

  今日は主に「米作り」について年長者に聞かせていただいたが、このようにいろんな興味深いことがことが高齢者から聞くことができるのだ。以前に、高齢者の方々からいろんな話を聞かせていただき文章化したことがあるが、もう一度試みたいと思った。

  このように昔の生活についての話が聞くことができるのは、共同作業のおかげだ。これからも、健康である限りこうした作業に参加して、いろんな人達と交流したいものだ。

(日記 午前8時から午後6時まで『農事組合法人かたせ』の田植え補助員として働いた。新緑の中、汗を流しての仕事はとても爽快だった。夕食のビールがとても美味かった。)

 
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GW終わる

06 5月

今は「出かけないGW」
  現役時代には、GWと言えば「子ども達を連れてどこかへ出かける」ことが常だった。休みが終わると疲れが出たものだ。それと同時に、「明日からまた仕事か」と、気合いを入れなければならなかった。

道ばたに生えているワラビ。

  今は、子ども達やその家族がやって来てその相棒をしたり、家庭菜園作業を行ったり、山へ山菜を取りに行くのが一番ベストな過ごし方だと思っている。遠出はGWが終わってからでよい。

 そんなわけで、今日も家内と一緒に裏の山へ山菜を採りに出かけた。主にワラビだが、タラの芽と蕗(フキ)も少し採った。私は山菜の中では蕗が一番好きだ。ニシンを入れた蕗の煮物は毎日食べても飽きない。

 GWの期間中、これで三度目だ。毎回、たくさん採ろうとは思わない。新緑の山道の途中から見える町並みやきれいに区画された田んぼはとてもきれいだ。

 山菜は短期間にたくさん食べるのは身体に良くないように思う。そこで、保存するのだが、今のところゆでて冷凍するのが一番よいと思っている。塩漬けもよさそうだが何かと面倒だ。

  最近新しくした冷蔵庫には瞬間冷凍機能が付いている。一気に冷凍させた方が食物の細胞が壊れ難いらしい。そして,凍ったら冷凍庫で保存するのだ。

頂上へ行く途中の道から見える村岡山と恐竜博物館。

  もうしばらくしたら、一、二度はふきとりにでかけたいと思う。煮物以外では「きゃらぶき」にして保存しておくのもよい。まさに、山は私のふるさとでもある。

(日記 午前中、創作紙芝居『ナマズのテツ』の最後の2枚の絵を描いた。全部で27枚の絵になった。明日は脚本の校正をして、練習開始だ。毎日少しずつ描いていれば完成するものだ。午後は家内と二人で裏山へ山菜採りに出かけた。まあまあの収穫があった。子どもや孫と過ごし、紙芝居の絵を描き、山菜採りに出かけているうちに今年のGWは終わった。)

創作紙芝居『ナマズのテツ』のトップページ。

今日の収穫の山菜。

 
 

きれいな村をつくれるか

05 5月

第2回片瀬区各種団体合同委員会
  村の役員と各種団体長の集まりである「各種団体合同委員会」を開催した。主なテーマは来る6月2日

事務所の花の前で一休み。

に開催される区民運動会をいかに開催するかだが、毎回、みんなでまちをきれいにしましょうとも呼びかけている。

  区の運動会においては、区民の皆さんに喜んでいただくために、わずかでもよりよい方向に改善していこうと呼びかけた。去年のままでは進歩がないからである。

  私は、今、区民の力で村をきれいにしていきたいと思っている。命令ではなく、きれいにすることがこんなに素晴らしいことかと実感していただきたいのだ。

  少しきれいにするともっときれいにしたくなるものである。きれいにすればするほど、汚いところが気になるからである。さて誰がどこから始めるかが問題だ。

突然我が家へやって来たK君とその家族。

  私は、もう何年も、花を植えるならばせめて少しは表通り(道路に面したところ)に植えたいと思って実践してきたところである。道行く人も自分も気持ちがいいからである。こう思って事務所でも実行している。

  今、村の人達にも呼びかけているところである。区民運動会でもプランター作りができないかと考えている。「四季折々花のさくまち作り事業」に名乗りを上げている。いくらか花代が出るからである。

 成否は、区民の皆さんに「花を植えることはとても気持ちのよいことだ」と実感してもらえるかどうかである。通り一遍の義務的な運動では長続きしない。「村のどこを歩いてもきれいな花が咲いている」-そんな村を目指している。

  成果を急ぎすぎても駄目だと思っている。息の長い運動になりそうだ。しかし、この運動が子ども達に引き継がれていくことを祈るばかりである。

  自分の屋敷周り(道路に面した部分)に少なくとも一本花を植えることはそんなに難しい問題ではない。そして一本が二本に、二本が三本に増えていけばと思う。

二人の娘と孫達と自宅前でバーベキュー。

(日記 午前中、創作紙芝居の表紙と終わりのページの絵を描いた。9割以上完成したことになる。あと少し推敲して絵と脚本を完成させたい。午前中、妹の息子のK君の家族が我が家へやって来た。両親の先祖のお墓(我が家のお墓も)へお参りしてきたのだという。K君は、幼児期は勝山で育ち、その後福岡で育ったのだ。時々勝山へやって来る。子どもの日なのでこれから子ども達の楽しめる所へ行くのだという。私は、太鼓のメンバーのSサンとフラダンスの振り付けについて研究するために事務所で会った。Sさんとは約1時間練習して振り付けの研究を終えた。6月2日にはフラダンスを初披露するからだ。私は、そのときハワイアンギターを弾けたらと思っている。午後は、帰省中の次女と長女と自宅前でバーベキュー。午後7時半より、「区の各種団体合同会議」を開催。その後、引き続いて「区の役員会」を開催。最後に、体育委員の話し合いに参加。午後11時帰宅。)

 
 

マリオネット政治

04 5月

決められない政治・勝手に決める政治
  マリオネットは、人形劇で使われる操り人形の一つであり、特に糸で操るものをさす。この操り人形についている糸を、もし数人の人間が扱うとしたらどうなるだろうか。

  それも、それぞれの糸を扱う者が自分勝手に糸を操ったらどうなるだろうか。人形はまともな動きができないであろう。右足を前へ進めようと動かす者と、左足を後ろへ動かそうとする者が同じ一つの人形を扱ったとしたら人形はどちらへも進めないであろう。

  今の政治の状況を見ていると、思わずマリオネットを思い出してしまう。様々な団体の支持を得て当選した政治家を寄せ集めて一つの党として組織した場合には、進む方向は簡単に決められない。

 TPPの問題では、与党も野党も賛否が入り交じっている。賛成の者と反対の者が同居した政党がいずれかの方向に進むことは簡単ではない。

  そこへ、常に天下り先を確保しようとする官僚達は、国家よりも自分たちの利益、省益を優先させようと画策しているように思われる。

  結局、与党はみんなにいい顔をしようとすると“ばらまき”しか選択肢はないことになってしまう。国家財政は危機に陥るのは当たり前であろう。

  いつも与党は、困難な問題を全て先送りをしている。これで国民に信頼される内閣を作ることができるのだろうか。国民が納得する政策を実現できるだろうか。

  原発の再稼働問題も、どこかの誰かの意志で動こうとしている。原発という操り人形についている糸を様々な思惑の人間が引っぱっている。

  「再稼働」のための論理を組み立てても、次から次へとその論理が崩れてしまう。今や、「関西電力の電力は夏場には不足する」と関係者から言われても、今や誰も信用しないであろう。

  電力が不足するから原発は再稼働だという論理はすでに破綻している。誰かが右へ行こうとすると、それによって利益を失う者は左へ行けという。

孫達と「あっ宝んど」へ入浴に。

  もしもこの夏、原発なしで乗り切ったら、政府や専門家と言われる人間はどのように弁解するだろうか。「原発がなくてもいけるではないか」と思わせたくない連中がたくさんいる。自民とのKさんは「原子力ムラ」の住人だという。私もそう思う。

  信念のある政治家が今求められているのではないか。本当のエリートが求められているのではないか。点数エリートではこの難局は乗り切れない。いでよ!平成のリーダー!

(日記 午前中、区の用事で外出する。その後、いつものように創作紙芝居の絵を描く。もう少しで完成だ。昼頃福井の孫がやって来た。一緒に「あっ宝んど」へ行く。そこで、元同僚のHさんと会う。いろいろ近況を話し合った。彼は音楽の専門家だ。いつか自分の作った歌を吹き込んでもらいたいと思う。)

 
 

「東山キャンプ場」開山式

03 5月

残雪のキャンプ場
   女性だけの左義長グループ『ほほえみ太鼓』のメンバーに誘われて、「東山キャンプ場」の開山式で行われるアトラクションに参加した。 

開山式で行われた『ヨサコイ左義長』。会場の皆さんも鳴子で参加した。

   東山キャンプ場には、約100人の宿泊客がバンガローやコテージ等に宿泊するということであった。開山式では、県会議員、市会議員、市の農林部長などが参加して祝辞を述べた。

  その後、まず最初に、CDの音楽に合わせて『ヨサコイ左義長』が演じられた。観客には鳴子が渡され、全員で盛り上げながら左義長太鼓が打たれた。

  その後、生演奏による『左義長ばやし』が演じられた。私は、正式に左義長ばやしを習ったことはないが、勝山で和太鼓を教えているので、左義長太鼓も勉強したいという思いがあり、参加した。

  「おかめ」と「ひょっとこ」で左義長ばやしを演じるメンバーもいるので、私は「片瀬豊年ばやし」の衣装で老人の面を付けておもしろかしく左義長ばやしを演じた。

アトラクションの後に行われたバーべキューのスナップ写真。歌も出てとても楽しい会だった。

  その後、バーベキューハウスで、キャンプ場のスタッフと「ほほえみ太鼓」のメンバーと一緒にバーベキューを楽しんだ。

  この会には、農水省から来ている市の農林部長も参加していた。北谷町は、同じ勝山にありながら、雪も多く、気温も低い。今日もキャンプ場にはかなり雪があった。しかし、これをマイナスと感じるのではなく、これを逆手にとって「雪が多くて寒いからできることを考えることが大切ではないか」と思う。

    北谷だからできることを考えて「売り」にした方がよいのではないかと思う。こんなことを話しながらバーベキューを楽しんだ。このキャンプ場にはまだまだ可能性があると思う。

  話し、食べ、飲み、歌った。いつもとは交わることのないメンバーと一緒に過ごすことでとても充実した時間を持つことができた。

(日記 午前中は、部屋の整理。その後、創作紙芝居の絵を1枚描いた。そして午後2時半に自宅を出発して「東山キャンプ場」へ出かけた。そこで、「ほほえみ太鼓」の左義長太鼓に出演させてもらった。その後、キャンプ場のスタッフと「ほほえみ太鼓」のメンバーでバーベキュー。雨ではあったが、楽しい時間を持つことができた。)

 
 

「おふくろの味」

02 5月

子ども時代の食生活
   新聞か雑誌で「おふくろの味とは、子ども時代(15歳頃)に食べた料理によって形成された味覚のことで、年を取ると再びこの味が懐かしくなり、こうしたものを食べたくなる。」と書かれていたのを読んだことがある。

  自分に当てはめてみると、青年期には肉や魚などをん好んで食べたが、今は子ども時代に食べた煮物、里芋、エンドウ、生姜、漬け物、山菜などが一番美味しく感じる。

  食事時にパンやラーメンで済まそうとしても、何となく頼りなく、身体にもしっくりこない。やはり、ご飯に野菜中心のおかずが一番美味しく感じる。

  しかし、外食などでは、ご馳走と言えば動物性のタンパク質のオンパレードである。こんな日には我が家では、「夜は野菜中心にしよう」が合い言葉である。身体に染みついた味覚は、山菜などでも同様である。

  独特の苦みのあるウドも大好きだ。作りウドだとどうしても、この苦みが少ない。これも子ども時代に記憶した味なのだろう。水菜にしてもあの独特の苦みがなければ美味しくない。

  最初は取っつきにくくても、食べ慣れるとそれが美味しく感じられるのだ。これが風味というものだろうか。子ども時代の味の記憶が身体の中に記憶されているのだろう。味噌や醤油などにしても、子ども時代に食べたものしか美味しく感じられない者も少なくない。

ワラビとタラの芽。食べきれないほどのワラビが短時間で採れた。

  私の妹家族も、九州に移った後も、勝山の味噌を使い続けている。子ども時代に地元の食材をたくさん食べておけば、勝山を離れてもこの味が恋しくなり。地域の活性化にもつながるのではなかろうか。

  しかし、今の子ども達は、全国共通の味に慣れてしまっている。これでは将来、地元の食材を恋しくはならないであろう。無国籍状態だ。そんなことを考えると、.給食の献立にも大いに地元の食材を使ってほしいと思う。地元の活性化と大いにつながっているのだから。

  特に、癖のある味は最初は取っつきにくくても、慣れればそれが一番よくなるのだろう。コカコーラもそんなところがある。最初は薬臭くて敬遠していた日本人だが、そのうちにその癖のある味が欠かせない存在になっている。

  外国のファーストフードは、戦略的に日本に攻め込んでいるのではなかろうか。子ども時代にこの味に慣れさせておけば、生涯のお客さんになるのだ。子ども時代にマックやケンタッキーフライドチキンに慣れてしまえばおふくろの味はそれらになってしまうのだろうか。

  そうすれば、ふるさとの味は忘れられてしまうであろう。幼少期の家庭での食事や給食の献立は日本の農業や漁業にも大きな影響を及ぼすことになりそうだ。健康的な日本食がおふくろの味になってほしいと願う。

創作紙芝居『ナマズのテツ』の一場面。

(日記 今日も、午前中は紙芝居の絵を描いた。後3枚ほど描けば絵は完成することにある。後は、どう演じるかだ。早く完成させたい。午後は、家内と山菜採りに出かけた。雨が降っていたが、気にせず出かけた。ワラビがたくさん採れた。インターネットで保存方法を調べた。一番簡単なあく抜きをして冷凍。)