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Archive for 5月 7th, 2012

新緑の中で田植えの補助員

07 5月

当番同志の交流
  今日は、「農事組合法人かたせ」の前期の田植え当番として、午前8時に農舎へ向かった。私の軽トラには肥料や除草剤などを積み、別の軽トラ2台には苗を積んで指定された田んぼへ出向いた。

  オペレーター1人、田植え補助員4名の計5名が毎回1チームになって、1日田植えをするのだ。今日のオペレーターは40歳代だが、補助員は83歳、79歳、69歳(私)、68歳の4人だ。

  でも、仕事では皆現役のつもり。補助員の仕事は、田植機に、苗、肥料、除草剤などを積み込むことだ。苗は専用のハウスに、肥料などは農舎にあるので必要に応じて運び、それらを田植機に補充するのだ。

  でも、多少時間に余裕があるので、雑談をすることもできる。それが楽しいのだ。83歳の人は私にとっては生きた郷土歴史家だ。昔の米作りの話を聞いていると先人の苦労が忍ばれ、本当に興味深い。

田植えを終えて農舎へ戻ってパチリ。(左が私)

 話を聞いていると、昔の米作りは有機農業だったなあと感心する。肥料としては、例えば、山へ行き、草や木の枝を刈り取って、それを田んぼに埋めたらしい。

 2人が一組になり、1人は草や小枝を運び、1人がそれを手や足を使って田植えした田んぼに埋め込むというのだ。草は、そのままにしておくが、葉っぱが落ちた木の枝は田んぼから引き上げたということだった。

 その他に、油を絞りとったニシン(魚)や豆の粕も米作りの肥料として使われたらしい。このほか、馬小屋に敷かれた藁や馬糞も堆肥として田んぼにまかれたという。

  米作りには、化学肥料ではなく、ほとんどが有機肥料だったというのだ。こうして作られた米を食べて育った人たちが現在の高齢者だ。これからの高齢者がはたして今までのように長寿でいられるのだろうか。

田植機が田んぼの深みにはまり込み、トラクターで救出。そして作業続行。

  今日は主に「米作り」について年長者に聞かせていただいたが、このようにいろんな興味深いことがことが高齢者から聞くことができるのだ。以前に、高齢者の方々からいろんな話を聞かせていただき文章化したことがあるが、もう一度試みたいと思った。

  このように昔の生活についての話が聞くことができるのは、共同作業のおかげだ。これからも、健康である限りこうした作業に参加して、いろんな人達と交流したいものだ。

(日記 午前8時から午後6時まで『農事組合法人かたせ』の田植え補助員として働いた。新緑の中、汗を流しての仕事はとても爽快だった。夕食のビールがとても美味かった。)

 
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