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Archive for 4月, 2011

久々の切り絵

20 4月

猪野瀬地区の発刊物ロゴマーク
  昨日、知人のAさんから「猪野瀬地区の方言集を発刊するので、ロゴマークを作ってほしい」と書いたメッセージと資料が郵便受けに入っていた。明日(20日)までに作ってほしいとのことだった。

   「今後も、いろんな冊子を発刊したいのでロゴマークがあった方がよいと思う。」とのことだった。第1集目の方言集の校正をさせてもたっらが、文字化すると笑える部分が多かった。普段は何気なく話しているが、かなり方言が混ざっているなあと思った。

  さて、ロゴマークだが、猪野瀬地区だから「猪(イノシシ)」がいいのではと彼は言う。それもそうだ。かつて、中年会のバレーボールチームを作ったときには「猪野瀬ボア-ズ(イノシシ)」というチーム名を使ったことがあった。

  さて、このロゴマークをどうして作るのか、パソコンソフトの「イラストレーター」を使ってやろうかと迷ったが、かなり忘れているだろうなと思った。分厚いマニュアルを見て、やる気が萎えてしまった。

今後発刊されるであろう「猪野瀬地区の冊子」につけられるロゴマーク。久々に切り絵で作成。印刷時は直径2cmぐらいになる予定。

  そこで、方針を変えて、切り絵でロゴマークを作ることにした。デジタル時代に、アナログでいくのだ。イラストレーターをマスターしていないからだ。

  しかし、切り絵用のカッターナイフや黒い紙、トレーシングペーパー、コンパスなどがあるだろうか。あちこち探して、昨日のうちに準備しておいた。いざというときのために、いろんなものを保存しておくのも悪くないと思った。

  先ず、下絵を描き、トレーシングペーパーで写し取り、黒い紙とトレーシングペーパーをホッチキスでとめ、カッターナイフで切り抜いていくのだ。それをパソコン(フォトショップ)で読み込み、修正し、「INOSE-BOOKS」と文字を入れた。

  できたので、早速Aさんに電話をした。これで1つやることが終わった。久々の切り絵も悪くなかった。楽しかった。  

  しかし、最近は、藤城清治さんの個展を見てから、「影絵」に関心がある。一度、チャレンジしたいと思う。大変な作業だと思うが、先ず小品から始めてみたい。

(日記:午前中はロゴマーク作り。午後は、「数学のホームページ」づくり。そろそろ誰か高校生に頼んでモニターをつとめてもらいたいと思っている。このホームページのどこがよくて、どこが分かり難いかを知らせてもらいたいと思う。)

 
 

久々の雨

19 4月

断捨離第x段
  今日は久々の雨。家庭菜園作業は休止。車庫兼倉庫の片付け作業。これまで何度か整理したが、それでも捨てられなかったものがまだまだある。しかし、心を鬼にして、整理をしながら、捨てるものを軽トラックに積み込んだ。

  いつか何かの役に立つだろうと思いながら、3年、5年、10年と使わなかったものは今後も使わない可能性の方が大きい。使わない理由は、使えないのではなく、使っている時間がないという場合が多い。使うだけの心の余裕がないこともある。

  午前中いっぱいを使って軽トラックに積み込んだものを、ゴミ処分場へ運んだ。まだ、救われるのは再利用してもらえるものもあるからだ。段ボールなどの紙類やアルミなどの金属だ。

  何もなかったらさぞかし気分はよかろうにと思うが、一気にはそうはできない。「もの」には、それぞれ愛着があるからだ。今日も、ラジオで絵本作家が話していた。

  それは、子供時代に、絵を学んだが、汚いものばかりを描かされてきたと語っていた。きれいな花を描いたりするのが普通だと考えていたが、実際には古ぼけたものや汚れたものばかりを描いていたのだと。

  使い古した汚いズックを例に語っていた。「もの」には、それを使っていた時代の思い出があり、歴史があり、愛着があるのだと。こうしたことが絵本を描く上で大いに生きているということだった。

  確かにその通りだと思う。他人から見れば、単なるゴミに見えても、本人には「お宝」である場合もあるのだ。いっしょに片付けている家内が、時々、「これ、どうするの?」と聞いてくる。品物の善し悪しよりも、愛着があれば、「残しておいて」と答えることになる。

  でも、こうしたことを繰り返しているうちに、少しずつではあるが、ものは減っているようである。モノのない部屋って本当に気持ちがいいだろうなあと思いながら、決断できずにいる貧乏性な私がいる。

(午後は、事務所で「数学のホームページ」づくり。数学は、記号が多いので、全て画像処理をしている。そのために、普通の文集を打つ10倍は時間がかかると思っている。逆に言えば、それだけ、値打ちがあるとも言えるのだが………。問題は、その中身だ。多少自信がぐらついているが、せめて、今月中には、一区切りをつけたいものだ。終着点はなく、果てしなく続くホームページだが、どこかで、区切りをつけないと他のことに集中できない。)

 
 

和太鼓授業始まる

18 4月

先ずは自己紹介から
  昨年に続いて今年も、北部中学校3年の選択音楽で「和太鼓」を指導することになった。今日はその最初の授業なので背広にネクタイで行くことにした。

  朝、鏡を見て、「全く似合わないなあ」と思った。最近の畑仕事で顔は黒く、頭髪は年々白くなり、何となく、高齢者になってきたなあと行く感じになってきた。

今年最初の和太鼓授業。生徒達に自己紹介をしてもらっているところ。(於:北部中学校音楽室)

  生徒の第一印象はどうだろうか。こちらも、どんな生徒が授業を受けるのかと、興味津々である。男子7人、女子7人が音楽室へ集まってきた。昨年は、女子ばかりだったが、今年歯男子もいるので頼もしい。

  例によって、名前、クラス、住居のある地区、部活動、趣味の5つを言ってもらった。その後、こちらも初日に話したいことを述べながら、自己紹介をした。

  私も、和太鼓を教える場合に必ず生徒達に話すことを今日も話した。それは「あかおやま」で表される次の5つだ。

  挨拶
  感謝
  思いやり
  約束を守る
 ま マナー

  そして、太鼓体操を行い、基本の3種類の「地(ベースとなるリズム)」を教え、地に合わせて簡単なリズムを教えた。

  秋の文化祭までには、2~3曲教えて、文化祭で和太鼓の演奏をしてもらいたいと思っている。あくまでも、和太鼓のみを教えるのではなく、和太鼓で教える部分もあると思っている。

  和太鼓の楽しさ、チームで打つことの楽しさを教えることができれば満足だ。今は、お互いによそよそしいが1ヶ月後には生徒達とどんな関係になっているか、考えると楽しい。

事務所での新入会員の特別オカリナ教室。ギターで伴奏をしながら指導した。

(日記:午前中、家の見取り図を書いた。今年から、4時間目に変更された北部中学校の選択音楽、「和太鼓」の指導に出かけた。今日は最初の授業だ。これから1年、生徒達といっしょに和太鼓を楽しみたいと思っている。午後7時半より初心者のオカリナ教室。今日で二回目の練習だ。一日も早くみんなと合流できることを望む。)

 
 

畑と恐竜博物館と弁天桜

17 4月

いなかもんの性(さが)
  「今日は家庭菜園作業をやめてパソコンに集中」と、昨日、決めた。それは、先週一週間は外での畑仕事に集中したからだ。だから、今日は自分の好きなことをやると決めたのだ。 

  しかし、朝起きてみると太陽が出ている。「こんな日はやはり何か作業をしなければ落ち着かない」と、思ってしまう自分がいる。いなかもんの「性(さが)」というやつだろう。 

  子供時代から、一日遊んでいたのでは、晩ご飯が美味しくない。働かざる者食うべからずといった習慣が身についてしまっているのだ。私の家内も同じようなところがあるようだ。  

  そこで、今日の予定を変更して、午前中は、畑仕事に集中した。昨年、畑の周囲をコンクリートで囲ったときに、畑に高低差ができてしまった。そこで、高いところの土を低い部分に一輪車で運んだ。かなりハードな仕事だった。  

 

動く恐竜模型に興味を示す孫達。でも、長男の方は腰が引き気味。

孫に引かれて恐竜博物館と弁天へ
午後、福井の長女が男児(孫)二人を連れてやってきた。長女の夫は中学生の野球の試合に出かけているのだ。
   そこで、今日は孫達を連れて恐竜博物館に行くことにした。そして、公園で遊ばせるのだ。

  博物館では、次男は、興味深そうに動く恐竜を見ていたが、長男は怖がって近づかない。孫達のおかげで恐竜博物館へ行くことができた。 

  その後、ティラノサウルス広場の遊具でしばらく遊んだ。途中で、「恐竜のまち応援隊」の理事長のUさんと会った。 

  行財政改革で課が統廃合される中で、二人で新たに「自然体験学習課」を作った頃が懐かしい。そして、今、それが当初の目標通りに「恐竜のまち応援隊」となって、公園の維持管理に努めながら、「恐竜化石の発掘体験」など種々の体験学習を行っている。

満開の弁天桜の下を散策する家内と長女と孫達。

  「事を為すのは人である」を地でいくようなUさんの行動力があった。彼のアイディアと行動力が今後も発揮されるだろうと思う。まさに、「恐竜博物館命」という感じのUさんだ。 

 

  その後、弁天桜を見に出かけた。桜はいつものように、きれいに咲いていた。ただ、東日本大オ震災のために「桜まつり」などのイベントは行われていなかったために静かであった。  

(日記:午前中は、家庭菜園作業。畑の高低を補正した。午後は、長女と二人の息子(孫)達といっしょに恐竜博物館と恐竜公園、そして、弁天桜を見に出かけた。その後、浄土寺川の桜を写真に納めて帰宅した。夜、孫の散髪をする。我が子が小さかった頃は、娘と息子の散髪は全て私がしたことを思い出した。孫は動き回るので実力を発揮できなかったかな。)

桜と橋と鯉のぼり。とてもきれいでした。

髪の毛が目にかかっていたので、孫の散髪をすることにした。じっとしていないので苦労した。久々の散髪でもあった。

 
 

原発事故の責任は

16 4月

全ての者に責任がある
  未曾有の大災害が起こった。その上、原発事故という予想もしない大災害が加わった。原発事故も自然災害で発生したのだから仕方がないとばかりは言っていられないように思う。

  最近、原発事故について責任問題が出ている。「誰が悪いのか」と責任者を探し出そうとしている。先般の福井新聞でY氏が話していたように、全ての国民にあるのではないか。

  欲望のままに電気による生活を謳歌している国民、大量の電気を使い続ける企業、原発政策をすすめた政治家、受け入れた地域、安全性を言い過ぎた学者、電力会社、それらの全てに責任があるのではないか。

  先ずは、原発事故の終息を全世界の英知を集めて成し遂げなければならない。他人に責任を転嫁している場合ではないと私は思う。

  今や、私たち一人一人がエネルギーや資源は無限にあるものではないということを肝に銘じて生活すべきではなかろうか。

  物質的な欲望や、深夜まで真昼のごとく明るさを保つ生活を少しはセーブしなければならないのではなかろうか。物質的な生活を多少セーブしても、生活の豊かさや質は落ちないのではなかろうか。

  その分、人と人との交わりが深くなるのではなかろうか。物質的に豊かになればなるほど人と人との関係が希薄になるように思われる。

  物質的に恵まれなかった時代には、「無縁社会」などという言葉はなかった。「孤独死」や「限界集落」などという言葉もなかった。

  今回の大震災や原発事故を契機に、私は自分自身の生活を振り返りたいと思う。 それにしても、被災地に、普通の生活が一日も早く戻ることを祈りたい。

まだ苗も植えていないのに、トマトの雨よけなど畑の準備はできた。屋根のない部分にもトマトを植える予定。

(日記:昨日まで、かなり家庭菜園や里芋植えなど屋外の仕事が続いた。今日は天候もよくなさそうなので、事務所で「数学のホームページ」作り。午後も、作業を継続。時々、目休めに事務所横の菜園を見ると、エンドウ、ニンニク、そして、最近植えた小松菜などの芽を見ていると、気分がほっとする。畑の小石拾いもした。午後7時少し前まで、ホームページを続けた。しばらく、離れていた演歌作りの気分が満ちてきたような気がする。)

 
 

童話や絵本の力

15 4月

絵本作家の活躍
  最近、家庭菜園などでの作業が多いが、その際、片方の耳にイヤホンをつけながら作業をしている。最近、絵本作家の話がよく放送されている。

  そして、東北の被災地に「絵本をおくる運動」を実践している童話作家の話なども紹介されていた。テレビに慣らされた子ども達には、絵本の読み聞かせや絵本を読むことは、私が想像しているよりもずっと魅力的であるようだ。

  そして、童話を送った作家と送られた地区の町長さんが電話で話している様子も放送された。被災地には、様々なボランティア活動があるようだ。

  今日も、ラジオではいくつかの童話が読まれ、それにまつわる話などが放送されていた。確かに、童話を聞いていると、短い文章ながら子供にも大人にも感動を与えているようだ。

  私は、何にでも興味を人間であると思っているが、的が絞られず虻蜂取らずになっている面がある。これから先、数学と共に童話を書いたり、絵本でも作れたらと思う。

  今の、「数学のホームページ」作りが一段落したら、今度は、童話を書き、絵本や紙芝居を作り、子ども達の前に立ちたいと思う。そう思うと、時間がいくらあっても足りないように思う。

  そういえば、福井大豪雨を題材にして童話を書いたことがある。今回の大震災からいくつかの童話のテーマを思いついたが、現在の被災地の様子を見ていると、簡単に書き始めることもできない。

  また、いつか自分に合ったボランティアをするために東北地方へ行きたいと思う。そのためにも、足手まといにならないように、健康には気をつけておきたいものだ。

猛暑であった昨年作った我が家の野菜達。今年ははたしてどうなるか?

(日記:午前中は、先ず、米の保冷庫の電源を入れる作業をする。これから暑くなると保存の米が美味しくなくなるからだ。その後、家庭菜園で、トマトの支柱(手)を作り、トマトの雨よけビニールハウスを作った。これで、いつでもトマトの苗を植えることができる。今日もよい天気で、午後1時頃まで作業を継続した。午後は、例によって「数学のホームページ」作り。早く一段落させたいものだ。「これが誰かの役に立つのだろうか」と思うことがあるが、一方では、「きっと誰かの役に立つはずだ」という自分がいて、今も作業を継続している。今日までとても天気がよかったので、だいぶ顔は陽に焼けて「いなかもん」らしくなってきた。今日も晩飯はうまいだろう。)

 
 

法人の畑で初仕事

14 4月

里芋植え付けは初体験
  今日は、生まれて初めての里芋を植え付ける日だ。私たちの借りた法人の田んぼの南側には勝山城博物館があり、北側には越前大仏が見える場所にある。また、法人の農舎の近くでもある。

  午前8時に農事法人の理事長のNさんに、里芋を植え付ける穴を掘る器具を借り受け、里芋の植え付けの方法も教えてもらった。

快晴の中で里芋の植え付け。穴開け器具に足をかけて力を入れるとほどよい穴が開く。この中に種芋を入れて土をかければ植え付けは終わる。

  午前9時頃から、家内と二人で、先ず器具で黒マルチの上から穴を開け、種芋を穴の中に入れ土で覆った。里芋は、30mの長さがある一畝に植えるつもりで作業を始めた。

  家内の実家の平泉寺からいただいた種芋が少し余ったので、もう一畝にも里芋を植えた。腰の痛い作業でもあった。しかし、誰からも急かせられることがないので、休憩しながら作業を続けた。

畑の南側には勝山城博物館が見え(左)、北側には法人の農舎があり、越前大仏が見える(右)。

  里芋の植え付けの後、ショウガを植える場所を作った。油かす、燻炭(焼いた籾殻)などを入れ、耕した。注文したショウガの種は5月にならなければ入手できないが、準備だけは今のうちにと思って耕した。

  里芋以外の一畝の半分はショウガで残りの一部は里芋、そして、さらに残った部分にヤーコンを植えた。種は、家内が友人に「ヤーコンの種芋ある?」とメールしたところ、「あるから今すぐ取りに来て」とのことで、急に植えることにしたものだ。

  借り受けた法人の田んぼに植えた作物は、植え付けると収穫まで時々面倒を見るだけで作業量はそんなに多くないと思っている。

  作業中、この集団農地にいろんな人がやってきて作業を行っている。そうした人たちと話す機会があることはうれしいものだ。知らないことを聞くと、誰もが丁寧に教えてくれる。

  今年は、自分の家庭菜園と借り受けた里芋やショウガの畑があるので、土に親しむ機会が増えた。自然を相手に楽しみながら、野菜作りを行いたいと思っている。

(日記:午前中、里芋の植え付けを行い、ショウガを植えるための畑を耕した。また、ヤーコンを植えた。午後は、事務所で「数学のホームページ」作り。今日も完全な晴耕雨パソだ。宮城県塩竃市野友人から決意のはがきが来た。災害1ヶ月後の4月11日付のはがきには、身内に犠牲者がいることなどが書かれており、最後には、「……。東北はきっと立ち直ります。1ヶ月を機に、復興に全力を尽くすことを誓い、お礼の言葉と致します。」と、書かれていた。私も、何かできることをしたいという気持ちが強くなった。)

 
 

里芋の栽培実験

13 4月

「片瀬の里芋」栽培にチャレンジ
  我が家の田んぼは、「農事法人かたせ」に預けてある。そこで、わずかな家庭菜園だけでこれまで野菜作りを続けてきた。連作や土地の広さなどの関係で、「里芋」はこれまで作ってこなかった。

  今年は、法人が設定した「里芋生産用地(すでに耕して肥料も入れて黒マルチがかけてある。)」を二畝借りて、一列は、「里芋」、もう一列は「しょうが」などを作る予定だ。

  法人が用意した野菜畑で、沢山の区民が、3畝、5畝、10畝……と、借りて作物を作るのだ。そして、連作を避けるために、毎年場所が移り変わるのだ。1畝は30mの長さだ。

  みんなが同じ場所で作るので、色々栽培法を習うことができる。区民の交流にはとてもよい環境だ。しかし、同じ場所で作っていると、誰の作物がよく育っているか、一目瞭然だろう。

  片瀬の特産物は、昔から「イモ(里芋)とショウガ」と相場が決まっていた。しかし、近年、「里芋」は「上庄」にお株を奪われてしまった。

えんどうの支柱(手)を作った。今年は、沢山エンドウが食べられるだろう。後方は、昨年暮れに植えたニンニク。順調に育っている。

  今日、テレビを見ていたら、JAが数億円をかけて里芋選別機を導入したというニュースが流れていた。商品作物として栽培するために、手間のかかる部分では機械化が進むのだ。

  種芋は、今日、家内が実家からいただいてきた。初心者だから種芋を持ち合わせていないので、家内の実家にお世話になったというわけだ。

  里芋の栽培法を数人の知人に聞くと、みな少しずつ言うことが異なる。誰の意見を聞けばよいのだろうか。結局、いろんな人の意見を聞いて、自分流でやるしかない。

  恐ろしいのは、病気や虫害だろう。天候もあるが、これだけはどうしようもない。はたして、うまく収穫できるだろうか。少し気になるところである。

  収穫物は、自家用の他は、子供や知人に配るつもりだから気は楽だが、せっかく作るなら、豊作といかないまでも、ほどほどにできてほしいと思う。

  トマトやなすやキュウリなどは、事務所横の家庭菜園で勝手気ままに作っているが、法人の畑を借りて、片瀬の特産物にチャレンジするのは楽しみだ。

  今年も、「晴耕雨パソ」で頑張りたいと思う。現役時代よりも、時間があるので、その分、野菜作りにかける時間が多くなった。それと同時に、区民との交流も多くなった。楽しみな一年が始まる。

春期消防訓練と避難訓練。越前大仏には、市内の消防団や避難訓練中の地区民が集まった。写真手前は、AEDの使い方の説明。後方は、巡察中の山岸勝山市長。

(日記:午前5時半に起きて、朝食を取った。今日は、我が片瀬区民と片瀬町民も参加して、「春期消防訓練および災害時要援護者避難・誘導訓練」が、行われた。我々夫婦は、越前大仏駐車場へ避難し、そこで、人工呼吸やAEDの使い方を勉強した。また、自衛消防隊の放水訓練も行われた。訓練の後、エンドウの支柱(手)をつくった。昼食後、法人から借りる里芋とショウガを栽培するための場所(二畝)を確定してもらった。最初の作業として、明日、ショウガを栽培する場所を耕すのでマルチを外しておいた。その後、自分の家庭菜園で作業を継続した。午後、3時半頃、作業を終えて、夕食まで「数学のホームページ」作りをおこなった。今日も、畑中心の一日だった。晩ご飯が美味しい。)

 
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共同作業で苗運び

12 4月

始業前に一気に苗運び
  午前5時半起床、6時朝食。6時過ぎに農舎前に集合。今日は、「農事法人かたせ」が稲作に使う苗運びの日だ。一昨日、法人の理事長から招集がかかったのだ。

苗箱を積んでハウスの横に到着した区民の軽トラック。

  軽トラック13台、中型トラック1台で伊波のカントリーへ芽が出たばかりの苗箱を取りに出かけた。軽トラックには、120枚の苗箱、中型トラックには300枚の苗箱を積み込んだ。

  そして、法人の農舎の横にあるハウスの中へ苗箱を並べた。今後、暖かいハウスの中で水やりをしながら、苗の生長を促すのだ。そして、5月中旬頃に田植え機で田んぼに植え付けることになっている。

カントリーから運んだ苗箱は一枚一枚丁寧にハウス内に並べた。今後、水やりをして成長を促し、田植えを待つことになる。

  集団で、作業をしたために、一回で今日運ぶ予定の苗をハウスの中へ並べることができた。午前6時半から始めて午前8時には作業を終えることができた。

  現役の連中は、それぞれ職場へ向かった。私は、退職した身なので、慌てて職場へ行く必要がない。気分はかなり楽だ。

  今日の作業には、40~50歳代が二人、後は、60~70歳台の者が10人あまりだった。稲作が機械化したために、高齢者でも大型機械を使って作業ができるようになった。

  また、この作業のおかげで、普段なら滅多に話さない人たちとも作業をしながら話すことができた。昔の共同作業「結(ゆい、私の地区では“い”という)」のような形での作業だ。

  まんざら悪くもないと思った。昨年も、田植えや稲刈りの助手をした。今年も、時間の許す限り、こうした共同作業二参加し、区民との親睦を深めたいと思う。

 やはり、顔を合わせての作業では、いろんな話が飛び出し、参考になることが多い。また、同じ地区に住んでいるという一体感を味わえるのがうれしい。

(日記:午前中、残りの雪囲いを片付けた。家の前や横の雪囲い、樹木の雪囲いはかなり以前に片付けたが、家の後ろには雪が残っていてまだ雪囲いがしたままだったのだ。その後、大野のカントリーへ出かけて「籾殻堆肥」をもらってきた。それらを家庭菜園にまいて、畑を耕した。作業は午後2時近くまでかかった。堆肥は熟成中であったために、臭いは強烈であった。帰宅して早速、シャワーを浴びた。その後、自宅で「数学のホームページ」作り。充実した一日であった。やはり、汗を出して働いた日の夕食はうまい。)

 
 

大震災から一ヶ月

11 4月

「想定外」の大震災
  “想定外”の大震災が起こって一ヶ月が経過した。“想定外”ということを理由にして確かな方向性を出せない政府にいらだちを感ずる人も少なくない、

  こうした中で、新しい旅立ちを始めた人、全く将来が見えず路頭に迷っている人、家族が行方不明で意識が将来に向かない人、いろんな人がおられる。

  外野席では何とでも言えるが、当事者は必死だ。今後、どのような方針の下に、まちを再生させるのだろうか。国民の知恵を集めてこの難局を乗り越えてほしい。

  今回の大震災で直接被害に遭わなかった人たちの頭から、少しずつこの大震災が忘れられようとしてはいないのだろうか。

  今問われるのは、政治家のリーダーシップではないのか。昨日の統一地方選挙では、新たな議員や首長が誕生した。県民、市民が信頼のもてる政治を行ってもらいたい。

  訳のわからない増税は、受け入れがたいが、復興に限定した増税なら敢えてこれを受け入れたい。政府に、国家に信頼感のある国ではかなり高率の税がかけられても、国民はこれを納得して受け入れているようだ。北欧などには多い。

  残念ながら、我が国では、それだけの信頼感がないので、安易な増税は国民の支持を得られないだろう。増税しても、政治家や公務員が無駄遣いをしてしまうのではないかと思っている人は少なくない。

  政府には、一日も早く、復興の道筋を被災者や国民に示し、行動を起こしてもらいたい。不自由な避難所暮らしの人の中から今後病気になる人が増えるかもしれない。我慢の限界を超えている人も少なくない。

  無期限に頑張ることは、よほどタフな人でなければ不可能だろう。いつまで頑張れと言うなら、まだ我慢もできよう。

  中でも、制御不能の原発を先ずどうにかしなければ、復興はまだまだ先のことになる。なんと脆弱なシステムなのか。こんな不安定なエネルギーを使って私たちは生活しているのかと思うと、不安になる。

  今回の災害と事故は、我が国が未だかつて経験したことのない大惨事だ。前例なき大惨事だ。従って、これらに対する対応も、前例なき大英断をもって対処しなければならないだろう。

(日記:午前、午後共に、オカリナ教室の教室の教材作り。夕方7時半よりオカリナ教室。今日、新しい受講者が増えた。20歳代から70歳代まで幅が広い。レベルの差も大きい。みんなが満足するように教室を運営することは簡単ではない。)

7きぃうおざいづくり。通