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久々の雨

19 4月

断捨離第x段
  今日は久々の雨。家庭菜園作業は休止。車庫兼倉庫の片付け作業。これまで何度か整理したが、それでも捨てられなかったものがまだまだある。しかし、心を鬼にして、整理をしながら、捨てるものを軽トラックに積み込んだ。

  いつか何かの役に立つだろうと思いながら、3年、5年、10年と使わなかったものは今後も使わない可能性の方が大きい。使わない理由は、使えないのではなく、使っている時間がないという場合が多い。使うだけの心の余裕がないこともある。

  午前中いっぱいを使って軽トラックに積み込んだものを、ゴミ処分場へ運んだ。まだ、救われるのは再利用してもらえるものもあるからだ。段ボールなどの紙類やアルミなどの金属だ。

  何もなかったらさぞかし気分はよかろうにと思うが、一気にはそうはできない。「もの」には、それぞれ愛着があるからだ。今日も、ラジオで絵本作家が話していた。

  それは、子供時代に、絵を学んだが、汚いものばかりを描かされてきたと語っていた。きれいな花を描いたりするのが普通だと考えていたが、実際には古ぼけたものや汚れたものばかりを描いていたのだと。

  使い古した汚いズックを例に語っていた。「もの」には、それを使っていた時代の思い出があり、歴史があり、愛着があるのだと。こうしたことが絵本を描く上で大いに生きているということだった。

  確かにその通りだと思う。他人から見れば、単なるゴミに見えても、本人には「お宝」である場合もあるのだ。いっしょに片付けている家内が、時々、「これ、どうするの?」と聞いてくる。品物の善し悪しよりも、愛着があれば、「残しておいて」と答えることになる。

  でも、こうしたことを繰り返しているうちに、少しずつではあるが、ものは減っているようである。モノのない部屋って本当に気持ちがいいだろうなあと思いながら、決断できずにいる貧乏性な私がいる。

(午後は、事務所で「数学のホームページ」づくり。数学は、記号が多いので、全て画像処理をしている。そのために、普通の文集を打つ10倍は時間がかかると思っている。逆に言えば、それだけ、値打ちがあるとも言えるのだが………。問題は、その中身だ。多少自信がぐらついているが、せめて、今月中には、一区切りをつけたいものだ。終着点はなく、果てしなく続くホームページだが、どこかで、区切りをつけないと他のことに集中できない。)

 
 

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