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立場を代えて考えてみると

25 3月

相手を思いやる気持ち
  いよいよ学校では、三学期の終業式も終わり、平成22年度もほぼ終わりに近づいている。まもなく、新学期が始まる。各学校では、異動があったりしても、4月当初には新しいスタッフが決まっている。

  新採用教員もいるだろう。子ども達に、突然「先生」と呼ばれても、一人前の教師になるには10年以上はかかると心してほしい。常に、「今の言動を子ども達はどうとっているだろうか」と自問自答してほしい。

  子ども達を甘えさせよと言っているのではない。時々、相手の立場になって考えてみることが大切だと言いたいのだ。また、保護者の立場で考えてみることも必要だろう。

  別に、これは、学校だけのことではない。役所を始めとする全ての公務員もそうだろう。納税者である一般市民の立場に立って考えてみることはとても大切だと思う。お上意識では、お話にならない。

  企業でも同様だ。常に、顧客の立場に立って考えなければならない。政治家も同様だ。国民の立場に立って考えているのか。それとも、党利党略、自分のためにだけ考えているようではいつか国民から見放されるだろう。

  今回の「東北・関東大震災」を考えてみると、幸いにも今回被災しなかった人たちは、被災者の皆さんの立場に立って考えてみる必要がある。自然災害は、いつどこで、起こるかわからないので、自分が被災者になる可能性がある。

  自然災害は、いくらでもある。豪雨、豪雪、地震、干ばつ、火山の噴火、……、そしてこれらが引き起こす津波や土砂崩れ、河川の氾濫、家屋崩壊、環境汚染……があり、今回のように、原発の災害もある。テロもあるかもしれない。

  平常な生活が、いつ、これらによって崩壊するかはわからないのだ。たまたま、今回被災しなかっただけのことであろう。津波の発生した地域への出張や観光で被災した人もいるだろうし、反対に、被災区域以外へ出張や漁に出ていて被災を免れた人もいただろう。

  生と死は紙一重である。そう思うと、こんな時期に、自分さえ良ければという考えを起こすのではなく、もしかしたら自分の所へ来たかもしれない災害が、たまたま他の地域で起こっただけだと考えることもできる。

  また、将来、自分の子孫が災害に遭うかもしれないのだ。そう考えると、いつも自己中心ではなく、時には立場を代えて考えてみることが必要ではなかろうか。

  ボランティアをする人は、それを受ける側の人の立場を考える必要があろう。ありがためいわくになることは避けなければならない。

  新年度が始まるに当たって、今回の大震災から、自分自身を見つめ直し、他人を思いやる気持ちを持って、事に当たらなければならないと思う。先ずは、自分から、そのように行動しなければならないと、今、考えている。

久々の銭太鼓の練習。孫娘も私たちについてきて、メンバーといっしょにバチを振っていた。

(日記:午前中、自宅で、「数学のホームページ作り」のために課題を考えていた。問題を作るのは時には、解くよりも難しい。午後は、久しぶりにプールへ出かけて、歩き・泳ぎ・ジャグジー風呂に入り、サウナに入った。久々にたくさんの汗をかいた。帰宅してから、「数学のホームページ作り」のために、今年の数学のセンター試験問題を解いた。午後、7時半より、これも久々に『片瀬豊年ばやし』の練習をした。孫も練習についてきた。)

 
 

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