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学力向上というけれど

09 3月

教科書が厚くなる
  「ゆとり教育の見直し」が叫ばれ、教科内容が増えた。教科書が厚くなり、子ども達は消化不良になるのではと心配する教職員も少なくない。

  日本の子ども達の学力が国際的に比較して低いということが「ゆとり教育」から「学力向上」へ舵をきった最大の理由だ。

  ところでこの「学力」だが、何を意味するのだろうか。ペーパーテストでは測れない学力もあるはずだ。単なる知識の詰め込みで高得点を取ったからと言って学力があるとは思えない。

  1から10まで大人の指示に従って学習して、点数を取ったからと言って学力があるとも思えない。受験術を習い、得点が良かったからと言って学力があるとも思えない。

  豊かな感性の育つ子ども時代に、創造的によく遊び、様々な体験をし、よく働くことによって将来、知識が知恵に変わるのではない。知識のみでは今の世の中をよりよく生きていくことが困難ではないか。

  人はそれぞれ皆異なる。同じ価値観の人間を多数輩出しようとしても、世の中を良くはできないだろう。持ち味を活かし、「学ぼうとする意欲」を持たせることが大切だ。

  学ぼうとする意欲は、ペーパーテストでは推し量りにくい。今の時代は、学ぼうとすれば何でも学べる時代だ。しかし、「学ぼうとする気持ち」を持てなければ、何にもならない。

  「学ぼうとする気持ち」は、「学ばされ続ける」状態から生まれにくいように思う。私のこれまでの経験では、本人が学ぼうと思った時が一番学力が伸びるのだ。

  どんなに御馳走や栄養のある食事を並べて、「健康になるからさあ食べなさい」と急かしても、本人に食欲がなければ身につかない。せいぜい甘やかせて肥満児にするだけだろう。

  頭でっかちの理屈っぽい人間が世の中に増えても、社会はよくならないだろう。それどころか、学力向上を言い過ぎて、一つの方向へ子ども達を向けすぎても、全てが成功するわけではなく、かえって二極化を招きかねない。

  豊かな経験を持つ者が、知識を得れば,それらはいつしか知恵になったり、さらに学ぼうとする意欲を持つことにつながるのではないか。たとえ狭義の学力でも、結果として身についていることは大切だが、それだけを目指して豊かな経験を軽視するのは考え物だ。

  知識も含めて人間力を高める教育を目指すべきではないか。知識一辺倒は、二極化を招き、決して社会のプラスにはならないと思い。

  今日の結論。よく遊び、よく学べ!

(日記:午前中、家内と事務所で過ごす。私は、『数学のホームページ』づくり。家内は人形づくり。午後も作業を継続。時々、オカリナ練習。メロディー作り。午後7時半より、事務所でオカリナ教室。練習の合間に、子育て支援センターでのボランティアに向けて、当日の演出などについて話し合う。)

 
 

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