今も古くならない言葉
私が、赴任した二つ目の学校で恩師N氏と出会った。私の定義では、恩師とは私が教わった中で心から尊敬できる人である。
この、N氏が、校長の頃、学校目標に『人間信頼の感情を育てる』というのがある。人は信頼に足る存在であることを実感できるように子どもたちを育てることが大切だという。
昨今、この逆をいくような国家や個人が多い。自国の利益のみ、あるいは、自社の利益のみを求めて行動する人は本当に多い。これで、この先、国家や企業が生きのびていくことはできるのだろうか。
これで、世界に平和が訪れるというのだろうか。国家が率先して他国を非難する教育を推し進めて、果たして、自国の利益になるのだろうか。
他国を、他社を、他人を信頼することができる気持ちを子供のうちから、育てておかなければいつになっても、この狭い地球上で人は争い続けなければならないだろう。
この人は信頼できる。この人のためなら骨身惜しまず働くことが出来る。私たちはそんな人間を何人持つことが出来るだろうか?国を越えてもそうだ。役職を離れてもそうだ。
今はどちらかというと、個人の権利ばかりが優先され、自由という名の下に、金さえあればよい、地位(権力)さえあればよい、儲かりさえすればよい、能率さえ上がればよい、……という人がどんどん増えてきている。
世の中の価値判断がお金や地位や能率で為されるようになり、自分中心、自国優先になってしまった。経済優先、物質的豊か優先の今の世の中では、ヒーローとは、「いかに金を稼ぐか?」、「いかに大金を動かすか?」になってしまっているように思われる。
こうした社会は、常に悲しい犠牲を余儀なくされるのではないか?絶え間なく起こる紛争または戦争、頻発する異常な事件、勝者・敗者と二極化する社会、人命よりも利益を優先する異常な耐震強度偽装事件……。まだまだ続くだろう。
今時、正義とか信頼という言葉を使うと、甘っちょろいと言われるかもしれない。しかし、こうした言葉を取り戻さない限り、世の中には平和も心の豊かさも訪れはしないであろう。
40年前に『人間信頼の感情を育てる』を学校目標とした恩師の言葉は、私の中では今も常に新鮮である。
(日記:今日は朝から晩まで事務所にこもって数学のホームページ作りを行った。数学講座をホームページ上で展開しようとなると、数学の記号入力のために、本当に時間がかかる。やっていることはとても楽しいが、風邪気味でもあり、本当に疲れた。末娘が大阪から帰ってきた。子供が大きくなるということは、自分が年をとることだから、うれしくもあり、ちょっと悲しい。)