RSS
 

Archive for 10月, 2010

孫たちとの一日

21 10月

横浜の幼稚園の授業参観
  山間山間横浜の息子の家で一日が始まる。午前10時より長女の通う「みたけ台幼稚園」の授業参観。息子の嫁があらかじめ頼んでおいてくれたものだ。当番の仕事、歌の練習、外人講師による英会話などを参観することができた。

見学したパナソニックの『リスーピア』

有明のパナソニック『リスーピア』見学
  今日は、孫たちが楽しめる所へ行こうと決めた。そこで、長女が幼稚園から帰るとすぐに、息子の家族とパナソニックの「リスーピア」へ出かけた。理数の魅力を体感するミュージアムだった。孫たちも楽しそうだった。

 パナソニックも教育には力を入れているとのことだった。子供たちに、“理科や数学に興味を持たせる”にはどうしたらよいのか、私にとっても大きなテーマである。連日、数学のホームページを作っているのもその一環である。何とか、数学の理解を深めるのに役立つものを作りたい。

 その後、全員で夕食をとり、息子の車で虎ノ門近くのホテルまで送ってもらった。孫たちと十分に触れ合うことができた一日だった。

 
 

孫との再会とセイタカアワダチソウ

20 10月
孫たちと再会
  週末に東京で用事があるので、ついでに横浜の孫たちとの再会のために、今日、勝山を出発した。午前8時20分に自宅をタクシーで出発し、越前鉄道で福井へ向かった。しらさぎ6号で米原へ向かい、新幹線ひかりで新横浜へ向かった。その後、乗り換えて横浜線で長津田へ。そこでさらに、田園都市線で藤が丘まで行った。

  そこには、孫たちが車で迎えに来てくれてきていた。夏休み以来の再会であった。早速マンションへ向かった。しばらく、くつろぎ、夕食を食べた。孫たちは家内にべったりであった。

  長女は、勝山ではいつも我々としっしょに風呂に入り、我々と一緒に寝ていた。次女も時々は、一緒に風呂へ入っていた。今日は珍しく、「じいちゃんと一緒に風呂へ入る。」と言い出した。次女と一緒に風呂へ入り、身体を洗い、頭をシャンプーした。自分の子供にもしなかったことをしている。

  長女は、「パソコンでは握手できないけど、今日は握手ができるね」と我々との再会を喜んでいるようであった。確かに、スカイプは、臨場感たっぷりであるが、それだけに会いたさは募る。まったく孫の言うとおりであった。

  10時過ぎに息子が会社から帰ってきた。ITについていろいろ話をした。息子は、前向きになって開発に励んでいるようで安心した。息子はプロだから、私など相手にしないだろうと思うが、私の最大のライバルである。もちろん最大の協力者であるが。明日は、息子も代休を取ったので、観光など、一緒に行動したいと思う。

日本中に広がるセイタカアワダチソウ
  えちぜん鉄道に乗って一番驚いたのは、沿線の草わらや土手などに、黄色い花のセイタカアワダチソウの群落が広がっていることだった。これは、新幹線の窓からも、たくさん見られた。

藤ヶ丘駅まで車で迎えに来てくれた孫たち。遠くから手を振って私たちをあたたかく迎えに来てくれた。

  驚くことに、新横浜で乗り換えて、横浜線に乗ったときにも、鉄道沿線には、黄色い花のセイタカアワダチソウが見られたことった。手入れのしてない空き地や土手などには、どこへ行っても見られた。

  先日、新聞で、この外来植物のおかげで、日本の在来種が絶滅の危機に瀕していることが載っていた。ある地区では、集落あげてこの外来植物を退治しようとしていることも載っていた。

  危機を感じている地区と野放しにしている地区があり、はるかに野放しにしている地区が多いように感じた。実際、勝山から横浜まで行く間に、この外来植物が日本の在来種を駆逐しているように思われた。生物の多様性の観点からも、考え直さなければならないと強く感じた。

 
 

終日家の内外の整理

19 10月

庭での野菜作り終了
  午前中は、家の中の整理をした。また、自分で作ったDVDやCDの整理も行った。「自作のDVD」「自作の民謡」「自作の歌」「映画やドラマ」「教育関係DVD」「まちづくり関係DVD」「音楽関係DVD」などに分類しているが、時々分類しないと、使えなくなってしまう。

  家の中にある様々なものを捨てられたらどんなに家がすっきりするだろうかと思うが、それがなかなかできない。貧乏性が身についているからだろうか。終戦後の厳しい時代を生きてきたので、ものを大切にするということが身についてしまっているからだろうか。捨てられないので、モノを整理したり、探したりするのにかなりの時間がかかってしまう。

  午後は、家の外の整理をした。今年は、初めて家の前で野菜を作った。畑に植えた後に、知り合いからトマトと卵瓜のキンカン瓜の苗をもらったからだ。結果は、卵瓜はまあまあ育ったが、一部は何かに食われてしまった。キンカン瓜の方は明日食べようと思った矢先にこれも何者かに盗られてしまった。畑の場合には、ネットを張れば被害に遭うことはほとんど無いが、家の庭ではネットを張っても被害にあった。

昔の農作業風景。馬を使うのは当たり前であった。(写真提供:朝日印刷)

  トマトの方は、あまり実がならなかった。結果として、家での野菜作りは、動物の被害に遭うか、不作で、失敗であった。ただ、成長を見る楽しみはあった。これで我慢しなければならないだろう。来年は、やっぱり畑で全部育てなければならないと思った。

  今日は、これらの野菜作りに使った支柱などをすべて片付けた。うっとしかった家の前がすっきりした。しかし、来月初めには、雪囲いをしなければならないだろう。1年の経つのは本当に速い。雪囲いをしたと思えば、それを外す時期がすぐ来る。よほど気を引き締めないと、1年は、あっという間に終わってしまう。

(日記:午前中、家の整理。午後、家の外の清掃など。夜、野球を見ながら明日の東京行きの準備。)

 
 

パソコンの弱点

18 10月

起動不能
  私は主に3台のパソコンを使っている。今春の退職と同時に買ったデスクトップパソコンは、自分の持っている中では最速であるので、ホームページ作り、画像編集、描画などに使っている。また、これも退職と同時に買ったノートパソコンは、どこでもインターネットやウェブカム(テレビ電話)ができるので、家の中を持ち歩いて使っている。また、メールなどもこのパソコンを使っている。

明後日、孫達に会いに横浜へ行く。夏休み以来の再会になる。(鷹巣海水浴場で孫達と)

 居間で主に使っている。孫達とウェブカムをするのが一番の楽しみだ。食卓であろうと、居間であろうとどこでも、孫達といっしょにいるように何でも話せる。最短でも30分以上は話している。家内は孫達と話しているのに、私は息子と話すこともできる。居間と居間を結んで顔を見ながらの会話ができる。便利な世の中になったものだ。

  3台目は、自分の部屋の机の上に置いてあるデスクトップパソコンだ。主に、歌作りに使っている。私の作る演歌のほとんどは、このパソコンを使って作っている。演歌、民謡、BGMなどの他、和太鼓の曲もほとんどこのパソコンで作っている。デジタル録音から、編集、CD作りまで、すべてこのパソコンで作業をしている。

  歌を作る場合には、ギターでメロディーを考えながら、パソコンで記録し、編曲していくのだ。できあがったら先ずカラオケをつくり、歌い手を呼んでデジタル録音し、吹き込み終わってから、エコーなどをかけたり、強弱を考えたりしながら、編集し、最終的には、CDにするのである。

  また、このパソコンでブログのほとんどを書いている。毎日、だいたい1時間かけてブログを書いている。私の子供達も、このブログを見ているらしい。

  ところが、このパソコンが起動不能になった。これまで、何度も、データを消してしまったり、消されてしまったりして、落ち込んだことも少なくない。文章なら、消えてしまっても何とかなるが、音楽のデータはもう一度作り直すというわけにはいかない。

  午後8時頃、息子の友達のY君に来てもらってパソコンをみてもらったが、重症のようで、今晩は修復できなかった。もしも、このパソコンのデータが消えてしまったら、それこそ落ち込んで立ち直れないのではないか。音楽データは、一つ一つの楽器の音に、様々な指示を与えている。音量、音色、響き、バランス、音の揺れなど、様々な指示を与えて一曲を作り上げているので、データを無くしたらもう一度作り直すことは不可能だ。

  パソコンは、我々人間のできないくらいの複雑なことができる反面、故障すると、どうしようもない。ただの金属の箱になってしまって、粗大ゴミにしか見えない。常に、故障することを頭に置いて、データはたびたびバックアップしておかなければならない。

 万能の機械であるようで、いったん故障すると、全く作動しなくて、素人の私には手に負えない。やはり、今の世の中を生きていくには、デジタルとアナログの両方が必要ではないだろうか。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。途中で歯医者へ行く。午後は、福井へショッピングに行く。明後日、孫達に会いに行くために靴を2足と小さな鞄を買う。その後、福井の長女へ新米を届ける。夜、息子の友達のY君に壊れたパソコンをみてもらう。)

 
 

第55回猪野瀬地区町民運動会

17 10月

町民運動会今昔
 私たち「猪野瀬地区」の、運動会は、最近、南部中学校のグランドで行われている。今日は、少し肌寒いくらいの快晴の中で午前9時より開会式が行われて、競技が始まった。私は、60歳代の障害物に出ることになっていた。ピンチヒッターで他の協議にも参加した。

 この運動会も、最近は応援にまわることが多い。3年ほど前までは、各年代の総力リレーの選手であったが、世代交代が進んで、出番がなくなってきた。さらに、数年前までは、100mの選手でもあった。しかし、これも後進に道を譲ることになった。時代は確実に、動いているのである。出番は少しずつ減っているが今は競技を見るのが楽しい。

ムカデ競争で力走する我が村の選手達

   30歳代、40歳代の頃には、この運動会での100m競争では、私はとしては毎回燃えていた。2歳年上のYさんが最大のライバルであった。町民体育大会だというのに、私たちはスパイクのついたランニングスーズをはき、短距離専用のパンツをはいて本気になって競争したのだ。

  しかし、Yさんにはどうしても勝てなかった。大会前になると股上げなどの練習をしたのだが、それでも勝てなかった。Yさんは市の記録を持っているぐらい速くて大きな壁になっていた。一度、このYさんに勝ったことがあるだけで、いつも破れていた。市の大会では、Yさんが出れば優勝。私が出たときには2度2位になり、県体の選手にも選ばれたのもいい思い出だ。

  この大会に二人が真剣勝負をしたのは今でもいい思い出になっている。他の人たちにはどのようにうつっていたか知らないが、私たちは真剣であった。今は、レクレーション的種目に出ることが多いので、楽しく競技に参加している。

  大会終了後、地区の集会場で反省会が行われた。かつては、常に優勝か、次勝だった我が集落も今日は私の知っている限り、初めての最下位だった。反省会では、運動会のことよりも、次の公民館祭での演し物について話が弾んだ。

村の集会所で行われた運動会の反省会。(前列左から二人目が私)

(日記:午前9時より午後3時半頃まで、猪野瀬地区町民運動会に参加。午後3時半から地区の集会場で反省会。夜は、横浜の孫たちとウェブカム。来週、孫たちと会う」予定。)

 
 

“おばんどこ”の思い出

16 10月

川遊びの思い出
  福井に嫁いだ娘(長女)が、昨日、長男(私の孫)を連れて遊びに来た。娘は今産休中である。孫にとって我が家は楽しいのだろうか?今はまだ幼稚園児だが、小学生になても「勝山へ行きたい」と言うだろうか? 

 「おばんどこ」とは、「(母親の実家の)おばあちゃところ」という意味だと思う。そこには、母親の親である祖母がいて、優しく接してくれ、いとこ達とは楽しく遊ぶことができる楽しい場所というイメージがある。 

  しかし、私の娘や息子達も、祭りなどの行事があるとき以外は、そんなに家内の実家である平泉寺へ行くことはなかったように思う。今の時代は誰も彼もそうであるかも知れない。自宅にいても、退屈しないだけの遊び道具があり、友達もいるからであろう。 

私の子供時代の「おばんどこ」
  しかし、私の子供時代は違っていた。それは、母親の実家の近くに九頭竜川が流れていたからである。100mあまり歩けばそこは河原だったのである。川で遊ぶことは、山際に住む当時の私にとってはとても魅力的だった。

50数年前に泳いだ川の上流にある勝原で横浜に住む内孫の思いで作りに付き合った(今年の夏休み)。

   年の近いいとこや少し年の離れたおじさん達がいて、川で魚を捕って食べさせてくれた。また、母親の実家近くには、私と同様に大野市から遊びに来ている子ども達や地元の子ども達と、川以外でも楽しく遊ぶことができたのである。 

 小学校の頃、夏休みになると「おばんどこ」へ行くことはとても楽しみであった。何日間か、「おばんどこ」で過ごし、バスで勝山の自宅へ帰るときは、なぜか淋しくなったものだ。それほど、遊びの少なかった私の子供時代は、「おばんどこ」が魅力ある場所だったのである。 

    甘いものが極端に少なかった時代に、従兄弟と戸棚から砂糖を失敬して、それを新聞紙に包んで持ち歩き、舐めた思い出がある。多少の悪さも今となっては楽しい思い出である。 

  我が家の外孫達は、果たして「おばんどこ(私の家)」をぜひとも行ってみたいと思えるような魅力ある場所に思ってくれるだろうか。私も、自分の楽しかった頃の思い出の一部でも外孫達に返したいものである。 

(日記:午前中、そして、午後4時まで数学のホームページ作り。肩が凝る。眼も疲れる。少し考えなければならない。午後4時から、外へ出て家庭菜園の後始末。使い終わったものを、「燃やすもの」、「来年使うもの」に分けながら整理した。午前中、家内は孫を送って福井へ行った。娘に寄れば、孫は「ばあちゃんと別れて淋しい」と言っていたらしい。)

 
 

私はながら族

15 10月

一つの事だけするのはもったいない
  私はラジオやIpodは大好きだ。出張の電車の中では,資料を見ながらでもIpodで音楽を聴いていた。畑でも、一人でいるときはIpodで音楽を聴きながらやることが多い。また、事務所で数学のホームページを作っているときには、ラジオを聞きながらの作業である。

  日曜大工や雪囲いをするときにもラジオは不可欠だ。時々音楽が入るので、Ipodは使わないことにしている。いろんな情報が入手できる。自宅では、朝ドラと大河ドラマを家内と見るとき以外は、テレビを聴きながら作業をすることが多い。

  時には、全く画面を見ないでドラマを聴いているときもある。それでも、何となくストーリーはわかるものだ。私の場合、「ながら族」になる最大の理由は時間がもったいないからである。

 しかし、さすがに、プールでは“ながら族”にはなれない。そこで、プールでは知らない人とでも、楽しく会話したいと思っている。今日は、午前11時頃市営プールへ泳ぎに行った。というよりも、まず最初は大きく足をあげてプールの中を前進したり、「後歩き」をしたりした。そして少し泳いだ。

  サウナの中で、インストラクターの女性といっしょになった。気軽に挨拶してくるので、こちらも話しかけた。私は、プールと聞くと、一つだけやりたいことを思い出す。それは、フラダンスチームを作れないかということだ。

  市教委勤務時代には、フラダンスを市民大学の講座に取り入れた。私の家内にぜひとも受講してくれと頼んだものだ。私自身はフラダンスをしたいのではなく、ハワイアンバンドを作り共演したいだけだ。

  いつかはハワイアンバンドを作れないかと思って、時々ハワイアンギター(スティールギター)の練習している。何よりもボケ防止になるのではないかと思っている。

  せっかく「ハワイアンバンドを作るなら、フラダンスチームと共演したい」という夢を、見知らぬ水泳のインストラクターと話したりした。これが実現できるかどうかは五分五分だろう。

我が家のキウイ(左:今年、不作。右:昨年、豊作。)

    昨日も今日も、国会中継を聞きながらの数学のホームページ作りであった。野党は、与党の揚げ足をとろうと一生懸命である。与党は総理以下、揚げ足をとられないよう防戦一方だった。「こうすべきだ」と提案するよりは、「何でそんなことをした。謝りなさい。」という調子で、時々質疑が中断していた。

 「ながら族」の最大の武器は、ラジオである。時間を2倍に使っているような気分になれるし、役立つ情報も少なくない。「ながら族」ではやっていけないのは、歌作りである。さすがに、曲作り(歌作り)では、よけいな音があると集中できないからである。

  それから、家内作業するときは、イヤホンを使うIpodは使わないようにしている。せいぜい2人が聞けるラジオだけである。コミュニケーションがとれないからである。それに、相手が気分を壊すおそれがあるのでイヤホンを使うことは避けている。

  今、このブログもテレビを聞きながら書いている。画面は殆ど見ていないが、だいたいのことは理解できると思っている。これからも、私の場合、「ながら族」は続くであろう。

(日記:午前中、数学のホームページ作り。途中で歯科医院へ。午前11時過ぎから家内と市営プールへ行く。午後4時までホームページ作り。午後4時から家庭菜園作業。)

 
 

ものは考えよう

14 10月

自転車に乗ってみて
  テレビを見ていたら、“何歳になっても筋肉は鍛えられる”ということを放映していた。そう言えば、高齢者の筋肉トレーニングもあるし、肩や膝や腰などの手術をした人達、人口関節を入れた人達は、リハビリと称して様々な筋肉トレーニングが行われる。

 また、“貯筋”という言葉まである。最近それを実感している。

  晴れた日や荷物のない日は自転車で事務所へ通っている。行きは殆ど下り坂で全く楽だが、帰りは多少の坂がある。最初は6段変速の6レベル(速いが重い)で自宅へ向かい、途中で3(中位の速さで中くらいの重さ)に変速し、最後の坂は1レベル(最も遅いが最も軽い)に変速していた。

  ところが、変速機を切り替えるのを忘れて坂でも3で登れるようになった。そして今は、変速しないで帰宅している。最初は負荷がかかって無理だと思っていたが、今はその負荷に耐えられる。いいトレーニングになると思っている。

  自転車より車の方が遙かに楽だ。しかし、車ではトレーニングができない。負荷を面倒臭いと考えるか、トレーニングと考えるかだ。トレーニングと考えれば、負荷がかかっても、今鍛えられておるんだと思うことができる。子のは考えようだ。

『農事法人かたせ』に預けてある我が家の田んぼには転作のために植えたソバが今花盛り。

家庭菜園作業はストレス解消
  最近、数学のホームページ作りが面白くなっている。そして、スケジュールを考えると、午前中だけでは想うように進まないと考え、午後3時まで頑張ることにしている。しかし、近いところにある画面ばかり見ているので、目が疲れ、肩が凝る。

  気分転換にハワイアンギターを弾いたり、オカリナを吹いたり、三味線を弾いたりしている。しかし、ホームページ作りに夢中になっていると、そんなことも忘れてしまう。そんなとき、家庭菜園の作業をするととても気持ちがよい。緑が目に入るし、遠くの景色を見ることもできる。

  面倒臭いと想っていたこともある作業だが、今は最高の気分転換になっている。同じ姿勢で長時間いることは身体にはよくない。晴れた日に外へ出て汗をかくことは、ダイエットにもなり、眼を休めることにもなる。作業服を着て外へ出るとほっとする。

    今や、面倒くさいと思っていた作業が最高の気分転換になっている。ほんとうにものは考えようだ。デスクワークをしたら、外へ出て何か作業をしたり運動をしたりすることは、バランスという観点からもとてもよいと思えてきた。

(日記:午前6時前に起きて、雑草や枯れ木や野菜の古株を燃やした。その後、帰宅して朝食。午前中、そして午後3時まで数学のホームページ作り。午後3時より家庭菜園作業。今日は、トマトのビニールのおおいを外したり、トマトの古株を処分した。)

 
 

家庭菜園終盤戦

13 10月

虫との戦い
  今年はいつもより、熱心に家庭菜園での野菜作りに取り組んだ。今は、少しずつ、3回に分けて植えた大根が、順番に少しずつ大きくなり始めている。人より遅く植えたので、第一期生?には小指ぐらいの大根がなっている。第二期生はすぐり菜ぐらい、第三期生は今芽が出たところである。

  もう少し早めに始めればよかったと反省している。ところで、悩みの種は、青虫である。放っておくと、どんどん葉っぱを食い尽くすのである。かといって、単純に殺虫剤を散布するわけにもいかない。それは、順に“すぐり菜”にして食べるからである。家庭菜園の敵は虫たちである。

  黒マルチをした穴に、5粒ずつ種を播き、一本ずつ取り去っていくのである。4本立て、3本立て、2本立てと間引きながら、食卓を飾るのである。小さいうちは、ゆでて鰹節をかけてお浸しに、少し大きくなれば、アゲといっしょにみそ煮にして食べるのである。

  そして、もっと大きくなれば、“ゴーヤチャンプル”ならぬ“大根葉チャンプル?”にして食べるのである。従って、簡単に殺虫剤をかけるわけにはいかないのである。そのために、葉っぱに所々穴が空いていることもある。

  チョウチョはとても可愛い。しかし、青菜に卵を産み付けるのである。そして卵がかえり、青虫になり、菜っ葉を食い荒らすのである。私の家庭菜園では絶対に作らない作物がある。それは、白菜とキャベツである。それらは、虫の大好物のために、殺虫剤が欠かせないからである。

家族を楽しませてくれた我が家の野菜達(上左:トマト、上右:巾着ナス=漬け物にすると美味しい、下左:オクラ、下右:ゴーヤ=チャンプルとジュースにして楽しんだ。)

来年に向けて
   ナスはまだ少しずつなり続けているし、秋ギュウリもまだなっている。しかし、他のものは終盤戦を迎えている。夏は、食卓にのる野菜の殆どは家庭菜園で採れたものである。

  家庭菜園で使った、竹や杭や棒などを小屋に片づける時期である。枯れた豆やキュウリやトマトやナスなどの枝はコンポストに入れて肥料にするか、燃やすかのどちらかである。燃やすと煙が出るので、畑の近くの人達から嫌われかねない。

  昔は気兼ねせずに燃やすことができたが、今は周囲に住宅地が多くなり、容易に燃やすことができない。これから採れる野菜は、大根や野沢菜やかぶなどに限られてしまう。思えば、今年の夏は本当に暑かった。畑に川から水を汲み上げるのが日課であった。

  家庭菜園は、私にとっては一石三鳥位の値打ちがある。気分転換ができ運動になる。安全な野菜を手に入れることができる。成長を見る楽しみがある。
今年は、家庭菜園の周囲をコンクリートの枠で囲んだ。来年は、周囲をきれいにしながら、家庭菜園を楽しみたい。

 今日は、家内に紫蘇の実を採ってもらった。紫蘇の実は、佃煮にして保存しておくのだ。プチプチとした感触がうれしい。自家用のキューチャン漬けにも使える。そのままおかずにしても美味しい。

(日記:午前中から午後3時までホームページ作り。足、腰、目が疲れる。午後3時から、家庭菜園作業。気分転換には最高だ。午後7時より、事務所にて和太鼓練習。最近一人メンバーが増えた。レパートリーを増やして慰問活動やイベントに出演してみたいものだ。私の役目は、篠笛。)

 
 

変化に富んだ一日

12 10月

息子達に新米を送る
  『農事法人かたせ』に田んぼを預け、米作りが終わって、田んぼの持ち主に新米が配られた。我が家でも、この新米を横浜にいる息子の家族に送ることにしている。今日は、息子達に送る第一便の米を精米した。

近くの精米所で新米を精米する

  そこで、新米と同時に、孫達が喜びそうなお菓子類、我が家で採れたサツマイモ、カボチャ、キュウリ、そしておかきなどを梱包して、郵便局で送った。これだけの作業のために、午前中一杯かかった。明日の午前中に着くという。新米のおいしさを孫達んに味わってほしい。

『津軽じょんから節』の練習
 午後4時より『津軽じょんから節』の個人レッスン。絶対ここんな難しい曲は弾けないと思っていたが、どうにかこうにか、最後まで弾けるようになった。しかし、とてもではないが、人前で弾くとなるとまだまだだ。現時点では譜面をなぞっているだけだ。それでも、一通り弾けるようになったことは収穫だ。

  『津軽じょんから節』を練習することによって、創作民謡を作るための参考になったことが一番嬉しい。また、今、創作準備をしている『津軽じょんから節』をモチーフにした演歌づくりに大いに役立つと思っている。

  三味線を弾くときに、ギター演奏の癖が出て、バチをうまく扱えないのは困るが、それでも、わずかながら、進歩していると思っている。3年ぐらいしたら他人に聞いてもらえる域に達するだろうか。少なくとも脳の訓練になっていることは間違いなさそうだ。

『おどり隊ひらり』との合同施設慰問
  10月22日に大野市のデイサービス施設へ慰問をする予定であった。その打ち合わせを午後5時半からするつもりでいた。ところが、当日急に用事が入って参加できなくなった。この慰問は、『おどり隊ひらり』のメンバーから誘われたものだ。

夏祭りの郷土芸能発表で「勝山よいとこ」をおどる『おどり隊ひらり』の皆さん(於:ゆめおーれの野外ステージ)

  退職したら是非やりたいと思っていたことの一つに施設慰問がある。施設入所者のために何かをするというのではなく、施設入所者の前で、私達が何かをさせていただくというのが私の考えである。日常味わえない緊張感や充実感を味わうことができると思っている。感謝すべきは慰問する私達である。

  午後5時半頃、『おどり隊ひらり』のメンバー2人が私の事務所へやって来た。10月22日の大野市の施設での慰問活動に私は出演できなくなったが、今後の活動について話し合った。彼女たちは、「勝山へ来る観光客の前で歓迎の踊りをやってみたい」とも話してくれた。

  また、いろんな踊りをマスターして多くの皆さんに喜んでもらいたいとも言っていた。彼女たちの活動を応援したいと思っている。私の“民謡復活の運動”から生まれたこのグループに、今後大いに期待したい。

  私は、慰問では夫婦で参加するつもりでいた。「ふるさと」や「赤とんぼ」などの童謡や唱歌を家内が歌い、私は、「ギター」、「オカリナ」、「ハーモニカ」、「三味線」など種々の楽器を使い、伴奏や独奏をしたいと思っていたのである。

  今回は流れたが、機会を見つけて今年中には、慰問活動をしたいと思っている。この中で、創作の演歌や民謡も披露できたらと思っている。見て下さる皆さんの状況に合わせてプログラムを考え、楽しい時間を過ごしたいと思っている。

(日記:午前中、新米を精米して、孫達家族へ送付。午後1時より数学のホームページ作り。午後4時より『津軽じょんから節』の個人レッスン。午後5時半より『おどり隊ひらり』と打ち合わせ。)