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Archive for 10月, 2010

完成するか?ホームページ!

11 10月

千里の道も一歩から
  今日も朝から、数学のホームページづくりに励んだ。一人の教員と二人の生徒が登場するホームページで、黒板やノートが画面に登場するのだが、そのノートのページづくりに予想外の時間がかかった。パソコン上でノートの紙を表現し、その上に数式を書く場面作りに2時間ぐらいかかった。

毎日奮闘しているホームページ『数学は読解だ!』の「数学B」の「数列」の「ヒン」トの部分。

 物事をやり始めると、きちんとやらなければ気がすまない性格なので、変なところに時間がかかることが少なくない。でも、わずかでも前ヘ進んでいる限り、いつかはゴールに近づくだろうと信じて取り組んでいる。

  時々不安になることがある。「これが高校生の役に立つのか」という不安である。膨大な時間を使って作ったものが、誰の役にも立たないというのではさみしい気がする。

  誰かの役には立つだろうと思って、毎日、半日はホームページづくりに取り組んでいるが、時々このような不安に襲われることがある。

  でも、自分の本職は、辞めても数学教員であるという軸足だけはしっかりしておきたいと思う。数学があるから、童話作りもあり、演歌作りもあるのだと思っている。数学があるから、家庭菜園の作業があり、絵を描くこともできるのだ。

  何とか、今月中には一部でも完成させて、モニターとして高校生に見てもらいたいと思っている。そして、率直な意見をもらいたいと思っている。このホームページを作っているときは、教師魂に火がつくような感じだ。

  昔、学校や役所に勤めていたときのような気分で、朝、家を出て事務所に向かっている。ホームページ作りなどで事務所へ向かうときは、退職しないで今も現役でいるような気分だ。

(日記:午前中、数学のホームページづくり。午後、家内と末娘と3人で、福井の長女の家へ出かける。3時間ほどしてから、末娘を福井駅まで送って、そのまま北谷へ。今日は、いつも世話になっている北谷のY君(息子の同級生)と「あきよし」で焼き鳥を食べながら話す約束がしてあったからだ。彼のおかげで、パソコンのトラブルや新しいソフトの購入、インストールなど様々な面で世話になり、どうにかホームページなどパソコンの作業ができているのである。いろんな人達の世話になり、パソコンを活用している今日この頃である。)

 
 

新作民謡を郷土民謡にできるか?

10 10月

銭太鼓練習用DVDの作成
  4時頃から、集会所で新民謡『片瀬豊年ばやし』の銭太鼓振り付けのため映像撮影を行った。片瀬のS君に手伝ってもらって、銭太鼓のバチの振り付けを撮影するのだ。そのために先ず衣装を付けてもらった。

  そして、ハイビジョンが撮影できるというデジカメで、部分部分の撮影を行った。1曲を5つの部分に分けてそれぞれ解説しながら撮影した。最終的には、ナレーションを入れて、誰もが練習できる自習用の銭太鼓振り付け映像を作るつもりで撮影した。

  何度かミスしたために、その都度取り直し、最後は、全曲通してバチを振った映像、1、2番通してバチを振った映像なども撮影した。これを編集して誰もが自習できるDVDにしようと思うと、まだまだかなりの時間がかかりそうだ。

今年の秋祭りで初披露した新作民謡『片瀬豊年ばやし』に合わせて銭太鼓と女踊りを披露する区民有志

  退職プロジェクトの一つとして、映像編集技術の習得も考えているが、今のところそこまで手が回らない。ただ、ソフトはアドビ社の映像編集を持っているし、パソコンを新しくしたのでいつでも環境だけは揃っている。

  今のところ、同じアドビ社のホームページ編集ソフト『Dreamweaver』を使えるようにするだけでいっぱいいっぱいだ。また、来週から自由時間は全てこの方面に時間を費やすことになるだろう。

  銭太鼓の映像教材を作ったら、今度は女踊りの映像も作りたいと思っている。この頃、みんな忙しいので、ある程度は自宅で練習できる環境を設定しておかないと、広まりもしないし、興味を持ってもらうこともできない。

(日記:午前中、今年収穫した米をカントリーから運んだ。今年の米には少しだけ愛着がある。それは、春2回、秋2回、それぞれ田植えと稲刈りの仕事に出たからだ。早速、身内に送った。その後、新作民謡普及のためのCDづくりを行った。娘が大阪から帰省していたので、昼食後、絨毯を敷き、こたつも設置した。まだ、こたつを使うことはないだろうが、準備だけはしておくことにした。午後4時からは、新作民謡普及のためのDVDを作るための映像撮影を行った。)

我が家の軽トラックでこれから食べる新米をカントリーから運搬

 
 

予想を超えた時間がかかる大仕事

09 10月

牛歩の如く一歩ずつ
    最近、毎日、数学のホームページづくりに励んでいる。高校の数学は、普通高校では、「数学Ⅰ」「数学A」「数学Ⅱ」「数学B」「数学Ⅲ」「数学C」の6科目の中から、コースによっていろいろ選択している。

   例えば、文科系に進学するコースの生徒は、「数学Ⅰ」「数学A」「数学Ⅱ」「数学B」を選択し、この中から入学試験が課せられる。また、理科系の生徒は全科目を履修することになっている。

  大学入試の数学は、各大学が共通のセンター試験と大学または学科毎の記述試験の2つを受けることになったいる。今、私は、「数学Ⅱ」から「読解編」と「基本例題の解法編」の2つの講座をインターネットで開講しようとしている。

 「数学B」の中の単元の一つである「数列」から作業を進めている。数列に、基本例題を16問取り上げ、それぞれ、3人の登場人物が会話を交わす構成になっている。この会話のレベルが、「ヒント1」、「ヒント2」、「ヒント3」とあり、この会話を聞きながら、高校生に自分の頭で考えてほしいと願っている。

  さて、この3人のキャラクターだが、数学があまり得意ではない男子高校生、数学が得意な女子高校生、そして、これらの会話を進める私(いなかもん)である。答えを教えるというよりも、会話の中から自分の頭で考えてほしいと願っている。

 さて、現在の進捗状況だが、ようやく、「数列」16問中の2問が終わったところである。先ずは、「数列」をなるべく早く完成させ、今年中には「数学B」を完成させたいと思っている。

 先ず、「数列」が完成したら、モニターとして高校生に見てもらい、改善を重ねたいと思っている。数学全部が終わるのは数年はかかりそうである。しかし、始めなければ何も完成しないのである。苦しくて、楽しい作業である。

  数学のホームページを制作するに当たって、最も苦労することは、数学ではなく、ホームページの制作技術である。さらに、数学の問題や解法を説明しようとするとが、記号が簡単には入力できないので困惑している。

 そこで、画像処理をしているが、これがとても時間がかかるのである。正に、“千里の道も一歩から”ということわざがあるように遅々として進まない。しかし、止まらずに歩けば前へは進むだろうと考えながら、疲れると『津軽じょんから節』を弾きながら気分転換を図っている毎日である。

(日記:午前、午後とも、数学のホームページづくり。時々、気分転換に三味線練習。今日は本当に肩が凝った。夜、大阪から末娘が帰ってきた。)

 
 

平日に露天風呂

08 10月

退職者の集い
  数日前、退職仲間の会『勝山市長和会』の誘いを受けて、山中温泉への日帰り旅行に参加した。午前9時頃、近くの待ち合わせ場所へ集合し、途中で会員を集めながら、丸岡の竹田地区を通って山中温泉へ向かった。

   今日の目的地は山中温泉『花つばき』であった。宿へはいる前に、『こおろぎ橋』で下車し、『鶴仙渓』を見ながら川に沿って歩き、『あやとり橋』まで散策した。天候もよく、渓谷は紅葉には早かったが、豊かな水と川沿いの木々の緑がとてもきれいであった。

「こおろぎ橋」をバックに川岸に立つ。豊かな水と周りの木々の緑が目に沁みる。

  午前11時に『花つばき』には入り、早速風呂に入った。私は三種類あるといわれる温泉のうち、「湯畑」と言われる川沿いの露天風呂に入った。ここは混浴である。ただし、男は、腰から下を、女性は胸から下を専用の布で隠してはいるのだ。

 「湯畑」は、養魚場のいけすのようにいくつかのコンクリート製の露天風呂が並んでいる。せせらぎの音を聞きながら、風呂に入っていると忙しい日々の生活を忘れてくつろぐことができた。

   風呂の後、総会があり、懇親会が始まった。高齢者の元気な姿を見れば「自分もあの年齢までは元気でいたい」という勇気が湧いてくる。持病を持っている人もいる。これからは、何よりも健康が大切だと感じた。

  釣りに熱中している人、テーマを決めて研究している人、農作業に没頭している人、それぞれが自分の人生を豊かに生きていると感じた。私も、持論の「これからは、自分の物差しで、自分の合点のいくように生きていきたい」と話した。納得する人もいた。

山中温泉『花つばき』の露天風呂「湯畑」でくつろぐ会員達(右端が私)。

  宴会の後、3時に宿を出て、4時頃勝山に着いた。久しぶりに普段会わない人と会えてよかった。これからも、このような会には積極的に参加したい。高齢化社会の生き方の一つに、“健康のためにも、できれば日中の時間の40%は家から外に出た方がよい”と言われている。納得できる生き方だ。

  この会に参加して、これからも、自分流で豊かに生きたい、そんなことを確信にした一日だった。“地域のため、家族のため、そして、自分のため”に明日からも、肩に力を入れずに生きていきたい。

 
 

久々に自転車に乗って思うこと

07 10月

自転車で事務所へ
  私は、晴れた日には自転車で事務所へ通っている。ここ何年か使わずに放置していた折りたたみ自転車を物置から取り出して使用している。安物の自転車ではあるが、一応は変速機が付いている。  6段変速だ。

    行きは、下り坂なので殆どペダルを踏まなくても、事務所へ行くことができる。問題は帰りだ。やや登り坂になっているので、6レベルから5,4,3、2,1と変速してようやく自宅へ帰るのだ。特に、弱っているなあと思うのが、膝である。

  元々立ってする仕事だったので、立っていることはそんな苦ではなかった。ソフトボールや草野球ではキャッチャーや3塁を守ることが多かったが、膝が痛むことはなかった。しかし、自転車で坂道を登ると膝が弱っていることがよくわかる。

60歳で“50肩!?”に
  若い頃は身体的なことは勢いで何でもやれた。高校教員時代にも、ハンドボール投げやベントプレスでは生徒にそんなに負けることはなかった。相撲も生徒ととった。身体を動かすことには、結構自信があった。少なくとも、運動部の顧問をしていたときまでは運動能力はまあまあだと思っていた。

    しかし、その後は、身体は衰えるばかりであった。市教委へ務め始めた10年前にはキャッチボールもできた。同年代のものに比べるとそんなに肩は劣ってはいないと思っていた。

    ところが、数年前から、猛烈な肩の痛みに襲われた。60歳になってからの“50肩”だ。手を後へ回すこともできず、キャッチボールは夢のまた夢となった。手は上がらないので、ソフトバレーさえ夢のまた夢だった。運動は全く無理になってしまった。

  しかし、2,3年前から少しずつ肩の方は改善してきた。7割方は戻ったと思っている。「小学生とならキャッチボールができるのではないか」と思うまでによくなってきた。一度誰かとキャッチボールをしてみたいものだ。

家庭菜園の作業は心身の健康には最高(春の耕耘作業)

 若いときのように鍛えることはできないかも知れないが、少しは筋肉を鍛えなければならないと思っている。家内のリハビリに合わせてプール通いも再開したい。運動能力もさることながら、頭の方も心配である。この頃、物忘れが多くなったように思う。運動能力以上に物忘れの方が心配だ。

  若い頃なら気にも掛けなかったことに、気配りしなければならない年齢になってきた。少なくとも、昭和の“いざりぐるま”である自動車ばかりに頼るのではなく、自分の足で行動したいものである。毎朝、ラジオ体操、股上げ、スクワット、腹筋は欠かしたことがないが。

(日記:午前9時前から、昼食を挟んで午後3時まで、数学のホームページづくり。コンピュータ言語に苦労する。午後3時より、家庭菜園を耕し、野沢菜、春菊、大根の種を播く。)

 
 

始まりの終わり

06 10月

足かけ5年間の童話教室
  平成18年、図書館長兼務を機会に、勝山でも創作活動を広めたいということで、市民大学のリニューアルと共に童話講座を開講しました。講師には、県内児童文学の第一人者である藤井則行先生(福井新聞“おはなしトントン”の選者)をお願いしました。

    藤井先生とは、かつて勝山高校でいっしょに仕事をさせていただいた関係から年賀状を交換させていただくなど関係を続けておりました。そこで、厚かましくも講師をお願いしましたところ快く引き受けてくださいました。

    一人でも多くの人にこの講座を受けていただくことを望んでいました。私も、この講座の受講生として、楽しく先生の童話講座を受講して参りました。そして、童話作家の作品を解説していただいたり、全国童話コンクールの受賞作品を解説していただいたりしました。

    また、毎回の講座の終了時期には、受講生の作品を教材にして、改めるべき所などを指導していただきました。先生のこの講座のおかげで、私も毎回童話を書かせていただきました。この講座の受講生でなかったら童話を書くことなど全くなかっただろうと思っています。

  藤井先生は、忙しいお身体でありながら、私達の作品に対して丁寧に添削してくださいました。この講座を一度だけ受講した人、数回受講した人、毎回受講した人などいろんな方々が童話を書く楽しさを味わうことができたのではないかと思っています。

市民の皆さんに市民大学の『童話講座』開講を知らせる自作のポスター

(仮称)勝山童話研究会を作りたい
  そして、昨日をもって5年間の童話講座の全てが終了しました。前回の講座を私は都合により欠席しましたが、受講生の中の何人かの方が、「勝山市でぜひとも童話の会を作りたい」と話し合ったとのことでした。そして、事務局も引き受けるとのことでした。

 そして、昨日の講座の後、受講生の有志が私に「童話の会の代表になってほしい」と話されました。私も、ぜひとも、勝山に童話の会を作りたいと思っていましたので、もし私でよければ喜んで引き受けましょうと返事をしました。

  昨日をもって、5年間続いた市民大学童話講座は、生涯学習課の意向もあって修了しましたが、勝山に童話創作のともしびを灯し続けたいと思っています。創作の楽しさを次世代に伝えていければと思っています。

  県内にも5つぐらいの童話創作の団体があるそうですが、勝山もその中に加わることができればと思っています。そして文化レベルの高い町になればと願っています。

   今年中に会の在り方を考え、3月までに会員を募集して、4月から活動を始めることができればと仲間内で考えているところです。一月に一度か、二月に一度童話の会を開き、年に一作か二作の童話を書くことができればと思っています。そして、年に一度は機関誌を発行できればと考えているところです。

(日記:数学ホームホームページづくり。午後は、家内の見舞い返しを買いに福井へ出かける。途中で産業支援センターへより、本を借りる。また、本屋で田原総一朗氏の『デジタル教育は日本を滅ぼす』を買う。その後ショッピングをして見舞い返しをしながら、帰宅する。夜、横浜にいる孫達とパソコンで顔を見ながら話す。)

 
 

久々の温水プール

05 10月

最初はファミリー会員から
 久々に『勝山市営温水プール』へ出掛けた。家内が、リハビリのため医者からプールの中を歩くよう薦められているからだ。私の方はせっかく落とした体重がリバウンドしかかっている。腹の周りに肉が付いたような気がしたので同行した。

  最初に2人でプールの中を歩いた。歩くための専用コースも決めてあるのだ。なるべく、膝を上げて歩いた。その後、少し泳ぎ、再び歩いた。そして、サウナへ。かなり汗が出たようだ。最後にジャグジー風呂へ入って温水シャワーを浴びて帰宅。

『勝山市営温水プール』全景(プールのパンフレットより)

    私も、家内も、駐車場やプールの中で、いろんな人と出会った。普段と異なる行動をすれば、そこでまた、普段合わない人と会うものだと痛感した。いつまで続くかわからないが、時々はプールへ来たいものだ。それに、私の場合には、高齢者の割引があることを知った。半額でプールへ入ることができるのだ。

  このプールは、最初、相互スイミングプールとしてできたのだ。我が家は、ファミリー会員になって家族の誰もがいつでも利用できるようにしたのだが、しばらくして、子ども達は学校生活で忙しくなり、思うようにプールへ通うことができなくなった。

    そこで、夫婦だけがプール会員になったが、それでも仕事が忙し過ぎて思うように通えなくなり、最後は、回数券を利用するようになった。しかし、買った回数券を全て使うこともなくなり、とうとうプール通いはストップしてしまった。孫を連れて、せいぜい1年に1、2度プールへ行くというようになってしまった。

    今日、久々にプールへ通ってみて、これは健康によいと改めて感じた。私の方は割引券をもらい、なるべく多く通いたい。妻の方は会員になってリハビリをするつもりでいるようだ。いろんな人と会えるのも楽しい。

(日記:午前中は数学のホームページづくり。数学の内容よりも、ホームページ制作技術でつまづいている。それでも、少しは進んでいると思っている。午後、昼寝。その後、プールへ行く。何人かの知り合いと会った。退職者の特権は“昼寝ができる”と語ったのを思い出した。午後7時より市民大学講座『童話』を受講。今日は今年度の童話講座の最終回であり、5年間の童話講座の最後でもある。明日、この講座のことについて書きたい。)

 
 

太鼓と童話

04 10月

『選択音楽・和太鼓』前期最終講座
  今日は、北部中学校での『選択音楽・和太鼓』の前期の最終講座だ。午後1時25分に前期の最終講座が始まった。前期の最終日なので、生徒達に何かメッセージをと思って話から始めた。

「今日はみんなの夢を聞きたい。私のモットーは“DREAM & ACTION”です。夢を持ち、それに向かって、行動すればいつかは夢が叶うかも知れないしもし夢が実現しなくても、行動しているとき、努力しているときの人生は充実していると思う。」

 先ずこのようなことを話した。次に、生徒達一人ひとりから夢を語ってもらった。みんな素直に自分の夢を語ってくれた。

いつかは子ども達にも小笠原礼法と勝山藩について話してみたい。(絵は小笠原長清公:いなかもん)

「君たちも、いつの日にか親になるだろう。そんなときには、夢を持った親になってほしい。そうすればきっと、君たちの子ども達も夢を持つことができるだろう。君たち上級生がしっかりした学校生活を送れば、後輩達もそうなるだろう。」

 最後に自分も夢を語った。

「前向きに生きていれば、必ず友達はできる。年の差に関係なく、いろんな人達と語り合うことができる。」

 こんなことを話して、太鼓の練習に入った。今日のリズムは難しいぞと思ったが、殆どの生徒達がマスターできた。

 思えば、このクラスを最初に持ったとき、なんとやりにくいクラスだ思ったが、今は、どの子を愛おしい。うまく、生徒達に対応できないのは生徒達のせいではなく、自分の非力さからくるものだと思う。楽しく最後の講座を終えることができた。

明日は『市民大学・童話』の最終講座
  子ども達の夏休みの宿題ではないが、私は宿題になっている童話をまだ書いていない。今日の午後のスケジュールは童話を書くことだ。何をテーマにするかが決まれば後は簡単だが、なかなかテーマが決まらない。

  『野良犬シリーズ』でいくことにした。最近熊が出没している。熊と野良犬を題材にして書くことにした。北部中の太鼓指導から帰って書こうとしたが、疲れて眠かったので、昼寝をしてから書き上げた。

  藤井先生にFAXで童話を遅らせていただいた。夏休みの宿題を終えて、さっぱりした子供のような気分になった。

(日記:午前中は、事務所で数学のホームページづくり。途中で来客あり。午後は北部中学校で和太鼓指導。帰宅して昼寝。その後、市民大学講座の宿題である童話を書く。苦しかったが、楽しくもあった。充実感もあった。)

 
 

生かされて

03 10月

三室祭り
  午後、妻と一緒に三室祭りに出掛けた。いろんな演し物の後、踊りタイムになった。婦人会のステージ発表として『勝山よいとこ』が踊られた。一昨年に私が作った歌と踊りだ。三室の皆さんがこの歌を生かしてくださっていることに感謝感激だ。

三室祭りで生歌に合わせて『三室ほがらか音頭』を踊る遅羽町の皆さん。左の方のカラフルなTシャツ姿の女性は、村岡町の「おどり隊ひらり」の皆さん。祭りを盛り上げてくださっていた。

 
 その後、輪踊りが始まった。今年は三室小学校の子ども達も踊ってくれた。また、私の作った『三室ほがらか音頭』を若い衆が生で歌ってくれた。歌って踊るというのはやはり盛り上がる。みんな私の作った歌を生かしてくださっていることに感謝感激だ。

    また、踊りの輪の中に、村岡町の『おどり隊ひらり』の皆さんも加わっていた。いつも、盆踊り復活を応援にしてくださる強い味方だ。そろいのTシャツを着て、踊っていた。この人達も、私の作った民謡を伝えてくださっている。私の作った歌が皆さんに生かされている。ありがたいことだ。

    その後、餅まきも行われた。何となく、餅まきとなると血が騒ぐ。私も人混みの中で餅を拾った。何度か雑煮ができそうだ。毎年参加させていただいているが三室祭りも楽しいものだ。

私の事務所で和太鼓を打つ2人のアメリカ人女性ALT

 今年も外人さんと和太鼓
  午後5時から和太鼓の指導だ。丸岡と春江から知れぞれあめりかじんのALTの先生が、私の事務所へやって来た。和太鼓を教えてほしいとのことだった。私は、三つのステップで和太鼓を教えている。

  第一段階は、机などを使って手で譜面通りにリズムが打てること。第二段階は、バチで太鼓が叩けること。第三段階は、正しいフォームで太鼓が打てることだ。彼女たちは、日本で少し和太鼓を習っているので、教える方も楽だ。

  午後7時から、片瀬の秋祭りの反省会があった。『浦安の舞』に参加した中学生とその保護者、そして『片瀬豊年ばやし』に参加した銭太鼓や女踊りの人達が参加して会が始まった。いろんな話が出た。公民館祭や新穀感謝祭などでも、銭太鼓を披露することになった。

  この『片瀬豊年ばやし』も皆さんに生かしてもらっている。ありがたいことだ。作ったものとしては、皆さんに生かしてもらうことが最高の喜びだ。これからの作品づくりの励みになる。

(日記:午前中は数学のホームページづくり。午後も少し続けた。その後、三室祭りに行き、午後5時から外人さんに和太鼓指導。そして。祭りの反省会と、結構忙しい一日だった。)

 
 

『ゲゲゲの女房』

02 10月

妻と2人で見る2つの連続ドラマ
 私は、そんなにテレビを見る方ではないと思っている。しかし、必ず見るドラマが2つある。それは、朝ドラと大河ドラマだ。今は、『ゲゲゲの女房』と『龍馬伝』だ。全て録画して、必ず家内と2人で見ることにしている。

  今日の時点では、『龍馬伝』は、6月20日以降まだ見ていない。『ゲゲゲの女房』は、今日、7月5日から7月14日までの9回を一気に見た。『ゲゲゲの女房』は、すでに終わって新しいドラマが始まっているのに、まだ、2ヶ月分以上残っている。

     家内が入院していたために、長い間見ていなかった。それに、何だかんだと忙しくて見る時間がなかった。村の祭りが終わり、三室祭りの踊り指導も終わってようやく夜時間が取れるようになった。そこで、今日は一気に9回分も見てしまったのだ。

  この『ゲゲゲの女房』は、特に興味があり、見出すと止まらない。それは、私が漫画家志望だった時代と全く重なるからだ。特に、テレビの出現で、漫画家が淘汰されるという漫画家志望の者にとっては最も厳しい時期に、私も漫画家志望だったからだ。

漫画家の世界の裏側を知らせてくれた漫画家Y.Y氏から来た手紙

紙芝居と貸本漫画を蹴散らしたテレビ
  今日見た7月13日のテレビで、主人公の水木しげるが語った言葉は、私にとっては、人ごとではない。

 「紙芝居も貸本漫画も、テレビに蹴散らされてきえていったようなもんだ。」

 実は、私の師匠 Y.Y氏はその貸本漫画家だったのだ(時には、雑誌の読み切り漫画も描いていたが。後に仲間と装飾関係の仕事を始めた)。私は、通信教育で漫画を学ぶと同時に、親戚筋の知り合いの漫画家 Y.Y氏に教えていただくことになったのだ。

   忙しいY.Y氏が私の描いたストーリー漫画の1頁を「私ならこのように描く」と言って描いてくれたこともあった。そのY.Y氏からは何度も手紙が来た。そして、漫画界の実情などを知らせてくれた。昨日、その手紙を見つけた。

  その手紙の中にも、テレビの出現が書いてあった。漫画か受難の時代の到来である。Y.Y氏に手紙には次のようなことが書いてあった。

 ・テレビの普及で漫画本が売れなくなり、原稿料が下がる。
 ・一流の漫画家が、その下の漫画家を弟子としてではなく、アルバイトのような形で、「べた塗り」、「枠線入れ」、「背景」、「脇役の人物」などを手伝わせ               ている。
 ・単行本(貸本漫画)は雑誌以上に不景気で利益が少ないため、安価で数多く出版しなければ利益が出ない。
 ・貸本漫画は読者の大部分が大人相手になり、画風がリアルになり、誰の画風も似通ってくる。出版社もそのようなものを要求する。

 いろいろ漫画家の厳しい面を教えてくれた。『ゲゲゲの女房』は、そんな時代の漫画界の裏の部分をドラマの中で見せている。私にとっても、人ごとではなく、とても興味を持ってこのドラマを見ている。

 それにしても、水木しげる氏の生き方には感銘を受ける部分が多い。私は水木しげる氏の足元にも及ばないが、漫画家を目指して時代の何かが、これからの生活に少しでも役立つことを願っている。

(日記:午前中は数学ホームページづくり。男女の生徒のキャラクターを描いた。数学講座に、自分の似顔絵と共に登場する人物の絵だ。午後も、3時までホームページづくり。その後、家庭菜園の草取りなど。夜、『ゲゲゲの女房』を9回分も見る。)