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人、ひと、人

07 11月

次女を訪ねて
午前8時3分の電車で福井へ向かう。福井から東京へ。次女と会うのは夕方ということで、まず上野で『ミケランジェロ展』を見る、福井で見られなかった展覧会だ。

その後、家内のリクエストで上野動物園へ。パンダを見るが、平日なので、ゆっくり見ることができた。動物を見ながらつくづく思う。

人間のせいで、気候の全く異なる日本へ連れて来られて狭い檻の中で人間の目にさらされている。しかも仲間は少ない。人間なら耐えられないだろう。

そんなことを考えていた。なぜ、こんなことを考えるようになったかというと、以前に地球の歴史を勉強したからだ。この世に、生物が誕生してから次々と進化してきた。

人間もそうした生物の一つだ。それが地球上では一番いばっている。人間のために地球があるわけでもないのに、動物たちを檻に閉じ込めてそれを見ている。動物から考えれば理不尽なことだろう。

そんなことを考えながら、上野動物園を後にした。その後、時間調整のためにアメ横をぶらつく。平日でも祭りのような賑であった。

時間になったので、待ち合わせの場所、新宿へ。その後、立川へ。娘の友人とも会い、夕食。しばし歓談。娘の下宿先で宿泊。

移動の際、何度も地下鉄に乗ったが、都会の人の多さには驚く。まさに人、ひと、人である。田舎では、人の滅多に通らない商店街があるというのに。

それと同時に、地下鉄に乗って狭い地下を移動していると、もしもこんなところで地震でも起きたら大変だろうなあと思ってしまう。

慌ただしく都会の一日は、終わってしまった。この歳になると、田舎での暮らしに慣れてしまって、都会は遊びに来るにはよいが、住むところではないと思ってしまう。

(日記 午前中、東京へ向かう。娘と会うためだ。ついでに、上野へ行く。その後、新宿で次女と会う。この日は娘の下宿に宿泊。)

 

 

 

 

 

 

 
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Posted in , 雑感

 

ALTのJさんのこと

06 11月

村祭りに出演快諾
私は、月に二回、各班の班長に市や公民館や学校からの配布物を班長に届けている。他にアパートに住んでいる人たちには一軒一軒配布物をポストに入れている。

そんな中で、ALTのJさんと知り合った。学校の文化祭に出演して歌を歌ったというのを聞いたので、村の祭りに出て暮れないかと頼んだら、快諾してくれた。

片瀬の秋祭りで歌ってくれたアメリカ人ALTのJさん。

片瀬の秋祭りで歌ってくれたアメリカ人ALTのJさん。

本番では、ラップの入った曲を早口の英語で歌詞を見ないで歌ってくれた。観客には好評だった。そこで、今度の猪野瀬文化祭にも出てくれるよう頼んだのだ。これも快く引き受けてくれることになった。

そこで、今日はどんな曲を歌うかについて打ち合わせ。1曲は、震災復興ソング『花は咲く』を英語で歌ってくれるよう依頼した。もう1曲は彼女自身が選ぶよう話した。

彼女は歌うのが好きだと言う。なかなか上手だ。我がバンドで、これからもいろいろ共演してみたいと思う。今日、彼女に何度も言ったのは、「都合の悪いときや歌いたくないときははっきり言ってほしい」と、何度もお願いした。

(日記 朝風呂へ入り、朝食を済ませて自宅へ。服を着替えて、秋野菜の収穫。里芋と秋ジャガイモとヤーコンの収穫。まあまあのデキだった。午後は、CDづくり。午後4時過ぎに村に住んでいるALT(外国人英語指導助手)のアメリカ人女性Jさんと会って事務所で話す。夜は、和太鼓の連中がフラダンスの練習。私は終わり際に顔を出す。)

 
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野村克也氏の『リーダー論』

05 11月

同感すべきことが多い本
本屋で野村克也元プロ野球監督の著した『リーダー論』が目に入った。この本を買った動機ははっきりしている。本の中で下記の部分を見つけたからだ。

『教えすぎず気づかせよ』と書いてあったからだ。この部分は境域の神髄を著している。授業を説明と勘違いしたり、懇切丁寧に教える指導者は少なくない。

そうして獲得した知識は本物ではないと思う。それは、“自分の頭で考えて獲得したものではない”からだ。“考えよ”は、現役時代の私のモットーでもあったのだ。

『自分以外の全てに学べ』も大切な言葉だ。組織で一番やっかいな人間は、“自分はできる”と思っており(勘違いしている)人間だ。謙虚になって、いつまでも学び続けなければならないと思う。

また、氏は前書きで『組織はリーダーの力量以上には伸びない』も同感だ。政治家、企業のトップなど、多くの人たちは是非ともこのことを理解してほしいと思う。

この本のほとんどが、納得できることばかりだった。さすがに、選手としての実績、監督としての実績があり、“考える”ことのできる監督だけのことはあると改め手感じた次第だ。

(日記 午前中家内と二人で福井へ向かい、先ず知人に里芋を届けた後、福井で衣類などのショッピング。本屋で本を三冊使う。一冊は上記の本で2冊は楽譜。楽譜のうち一冊はジャズの本。最近無性にジャスに興味が湧く。またドラムを叩きたくなった。夜は、山代温泉で宿泊。家内と二人で温泉とカラオケを楽しむ。)

 
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ざるで水を汲む

04 11月

高校時代のこと
高校時代に当時の先生から授業中言われたことがある。「君らはザルで水を汲んでいるようなものだ。」と。意味するところは、学んだことの大半は身に付かないと言うことだ。

そうなれば、頻繁に反復練習するしかない。ザルから大半の水がこぼれ落ちても、ザルには滴が付いているはずだ。それをバケツにくみ取るには回数を多くするしかない。

なぜこんなことを思いついたかというと、今日、知人のOさんがギターを持って私の事務所へ遊びに来た。来月、ある場所で演奏するので、相棒を頼んだわけだ。

しかし、先月覚えたつもりの曲が今日弾こうとすると、かなり忘れてしまっていた。しばらく練習していたら思い出したが、放っておけば全部忘れてしまうところだった。

若い頃はこうではなかったが、今は反復練習するしかない。諦めたら、昔、獲得したものは次々と忘れ去っていくだろう。どうでもよいことはそれでもよいが、忘れたくないことまで忘れてしまうのは悲しい。

それでも、一度やったことは思い出すのにそんなに時間がかからないから、まだ我慢ができる。これからはこうしたことの繰り返しになるのだろうか。

力を入れることもある程度、的を絞って、それらを繰り返すことが、これからの人生では大切なのかも知れない。忘れることも人生においては大切なのだろうから。

(日記 午前中は、部屋の整理整頓。福井の子どもたちも午前10時過ぎには帰っていった。午後3時、知人のOさんが事務所へやって来た。バンドでギターを頼んだからだ。短時間ではあったが、一緒に演奏を楽しんだ。メールで11月前半の学習計画表を送った。午後7時半から『じいちゃん勉強』。)

 
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始まれば終わる!

03 11月

「あれやこれやと忙しかった」が
昨日遅く寝たが、午前五時半頃、目が覚めた。しなければならないことが浮かぶ。ここで寝直したら、朝、ほとんど忘れてしまうだろう。心配になって、メモを取る。

起床後、あちこちへ用事に出かける。先ずは、遅羽公民館へ太鼓二組を借りに出かける。その後、子どもたちの太鼓の衣装などを積み込んで『さくら荘』へ向かう。

さくら荘で和太鼓を演奏する親子太鼓のメンバー。

さくら荘で和太鼓を演奏する親子太鼓のメンバー。

午前10時の開会式の式典の後、ステージで子どもたち(幼児、小学2,3年生)とその保護者の太鼓を発表。まあまあのデキだったと思う。

終わると同時に太鼓を積んで事務所へ戻り、若者の太鼓グループでリハーサル。今日も、午前午後と異なるチームで篠笛を吹くことになった。どちらも春駒太鼓だが。

ニューホテルでは、平泉寺のSさんのお父さんの米寿祝賀会で、祝太鼓を披露するためだ。太鼓を積んで移動。慌ただしかった。

午後1時頃、祝太鼓披露。終了後、太鼓を片付けて帰宅。これで一連の忙しさから解放された。全部終わった満足感と、心地よい疲労感。

最近思うこと。どんなに忙しくても、“始まれば終わる”ということ。終わった日のことを思うと、やっぱり一生懸命やっておいた方が悔いは残らないと思う。

昔、生徒達に話したことがある。

知人のSさんの父親の米寿記念祝賀会に出演するために、控え室で準備。

知人のSさんの父親の米寿記念祝賀会に出演するために、控え室で準備。

「試験最終日の午後を想像してみなさい。一生懸命に勉強して最終日の午後を迎えたのと、あまり勉強しなくて午後を迎えたのを。前者は、それなりの好結果が予想され、今日は思い切って遊ぶぞとなるだろうし、後者は、あまりできがよくないことが想像され、何となく浮かない気持ちになるのでは。だとすれば、一生懸命勉強して気持ちのよい最終日を迎えてほしいものだ。物事は、始めれば終わるのだ。」

(日記 午前中は、介護施設『さくら荘』で親子太鼓。午後は、若者達と知人の父親の米寿記念祝賀会で『祝太鼓』を披露。これらの日のために、何度か練習を積んできた。そして、一区切りがついた。夜は、のんびりと日本シリーズ第7戦、巨人-楽天戦を見た。放送時間いっぱい見ていた。途中から、雨中の決戦となり、一球一球が手に汗を握る状況になった。野球の一年も始まったと思ったら、とうとう終わってしまった。楽天、優勝おめでとう。)

 
 

容量オーバー

02 11月

限界超え
朝になっても、午前9時過ぎまで紙芝居の修正作業。そして、10時過ぎに猪野瀬公民館へ行く。人が多いので、紙芝居と言うがパワーポイントで写すことにした。

前回より、少しはましになったと思うが、見ていた人はどう思ったのだろうか。自分ではわかりやすいように修正したつもりだ。でも少しに気になる。

気になると言えば、このような宗教的な紙芝居は浄土真宗の布教活動と混同されないかと言うことだ。自分では、それらとは一線を画しているつもりでいるが、誤解を与えるかも知れない。

さつき苑文化祭で『片瀬豊年ばやし』を演じた。米俵をあげているのは私です。

さつき苑文化祭で『片瀬豊年ばやし』を演じた。米俵をあげているのは私です。

紙芝居を終えるとすぐ帰宅して、昼食。衣装を着替えて介護施設『さつき苑』の文化祭に参加。『片瀬豊年囃ばやし』を演ずる。期待すると、今度は、子ども太鼓のステージリハーサル。

北谷の介護施設『さくら荘』のステージで明日のリハーサル。まあまあのデキだった。帰宅して夕食。その後、区の『11月定例役員会』を開催。帰宅して、長女と明日のステージ練習。

全部で五つの出番。頭が回らないほど疲れた。パソコンの画面に目がついていかないほど疲れた。無理はダメだとわかっていながら、何でもやり過ぎる。間口を狭めなければと思う。

(日記 起床と共に紙芝居の修正作業。午前11時より猪野瀬公民館で紙芝居。その後、さつき苑文化祭で銭太鼓。帰宅して子ども太鼓のリハーサル。午後7時半より区の定例役員会。帰宅して、娘の太鼓練習に付き合う。限界を超えるほど疲れた一日だった。)

 
 

紙芝居作りで徹夜

01 11月

紙芝居仕上げ作業
明日は、いよいよ猪野瀬の高齢者サロンで創作紙芝居『親鸞聖人物語』を演ずる日だ。一度は平泉寺で演じたが、それを大幅に手直しすべくここ数日間、追加の絵を描く続けた。

絵を追加して脚本を書いていると、ここにももう一枚絵があった方がわかりやすいなあと思ってしまう。そして、絵を描き始める。

追加した絵。少年親鸞が比叡山延暦寺へ向かう場面。

追加した絵。少年親鸞が比叡山延暦寺へ向かう場面。

こんなことを繰り返しているうちに、午前1時を回ってしまった。結局この日寝たのは午前2時頃であった。若い頃なら睡眠3時間ほどの日が一週間ぐらい続いても、平気だったが今は明日のことが心配になってしまう。

つくづく自分は凝り性だと思う。凝ったからと言っていい作品ができるとは限らない。さらっと描いた方がよいと思っているのだが、やり出すと凝ってしまう。

(日記 終日紙芝居絵描き作業。途中で、里芋掘りと創作民謡『かたせ豊年囃子』の編曲作業が入った。明日は体力が持つだろうか心配だ。)

 

 

 
 

里芋収穫

31 10月

共同作業は楽し
急に「里芋の収穫作業の呼び出しがかかった。私も、私たち夫婦や子どもたちだけでは食べきれないほど自分で里芋を作っている。

子どもの頃から食べ慣れているが、それでも美味しい。この里芋を村の多くの人は自分で作っているが、組合でも作っている。

今日はその作業だ。集まったのは、男子8名、女子7名。先ず、里芋の茎を切り、黒マルチを取り除くと、トラクターで里芋を掘り起こす。

その後、里芋についている土を取り除き、トラクターで農舎へ運搬。昨日までの雨で、田んぼはぬかるんでいて、泥だらけになった。それでも、多くの人たちと話しながら、作業をするのは楽しい。

仲間での作業だと、全員にノルマがあり、勝手に休憩することができないのはちょっと窮屈だが、作業そのものは楽しい。

そういう意味では、組合を作り、共同で作業をするのは、区民の親睦にもなり、私にとっては喜ばしいことだが、そうは思わない人もいることだろう。

午前10時頃、全員、農舎前で休憩。ジュースを飲み、菓子をかじりながらの休憩。こんな作業がなかったら、村の人たちと話をすることも少なかっただろう。

午前10時頃、全員、農舎前で休憩。ジュースを飲み、菓子をかじりながらの休憩。こんな作業がなかったら、村の人たちと話をすることも少なかっただろう。

ただ、このシステムが、次の世代も引き継いでくれるかとなると、甚だ疑問だ。TPP問題もあり農業は曲がり角に来ているのは間違いなさそうだ。

選挙のことを考えると、政治家の皆さんも簡単には方向性を見いだせないのではなかろうか。私の予想では、ある程度、農産物も自由化し、その代わりに何らかの補助金で穴埋めするのではなかろうか。

結局、農業を保護する政策は変わらないのではなかろうか。しかし、村づくりの観点から考えると、農業を効率や利益優先で考えることは危険だと私は思う。それは、地方が崩壊しかねないからだ。

(日記 午前中は組合の里芋収穫作業の出る。午後は、紙芝居の描画作業。本番は明後日後だというのに、まだ、校正作業が続いている。明日は何が何でも完成させなければならない。午後7時半より、同じく明後日のさつき苑の文化祭に出演するために、銭太鼓の練習。忙しい一日だった。)

 
 

12種の音が作り出すもの

30 10月

並べ方で特色が出るメロディー
世界にはいろんな音楽がある。いろんな歌があり、いろんな曲がある。それらを構成するのは、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シの7種の音とド♯・レ♯・ファ♯・ソ♯・ラ♯の5種の音、合わせて12種類の音(これらのオクターブ違い)である。

しかし、その並べ方によって特色が出る。演歌にもなれば、ジャスにもなる。沖縄の音楽にもなれば、アラビアの音楽にもなる。

アフリカの音楽にもなれば、アメリカの音楽にもなる。たったこれだけの音をどう並べ、どんなリズムで組み合わせるかで変わるのだ。

私はメロディーを作ろうとすると、どうしても、子供時代、若い時代に聴いたメロディーがどこかに影響を及ぼす。

それは、私たち日本人が英語を発音するとき、どうしても母国語の日本語が影響を及ぼすのと似ている。ドイツ人の英語、フィリッピン人の英語、……、海外旅行をしてみると、何となくそれを感じる。

同じ音を使っているのに、演歌と童謡ではずいぶん聞いた感じが異なるし、日本の歌とアメリカの歌でも同様だ。

同じ材料を使いながら異なる絵を描くように、同じ材木を使いながら異なる建物を建てるように、同じ素材を使いながら異なる料理を作るように、歌にも同様のことが言える。

そんな中で、何とか演歌ではない、メロディ-を紡ぎ出したいものだ。なぜ、こんなことを考えたかというと、今日ラジオを聞いていてロックの面白さを再認識したからだ。

やはり、歌を作るからには、メッセージを込めたいと思う。そうなると、伝えたいメッセージによって音楽の種類も変わるのではなかろうか。何とか、面白い歌を作ってみたいものだ。

描き直した絵。親鸞聖人の生きた時代。

描き直した絵。親鸞聖人の生きた時代。

(日記 終日、紙芝居描画作業。できたつもりでも脚本を考えていると、絵を描き加えたくなる。午後も区の事務処理の後、描画作業を継続。午後7時半から太鼓の練習。私は、途中から参加。少し雑談して解散。帰宅して日本シリーズを見る。)

 

 

 

 

 

日曜日の出番に向けての和太鼓の練習。

日曜日の出番に向けての和太鼓の練習。

 
 

隔世の感(2)

29 10月

チケット購入
昨日に続いて、最近「かわったなあ」と驚くことは、チケットの購入だ。昨年春、家内といっしょにハワイ旅行をしたが、その際、チケットの購入は全てパソコンで済ませた。

飛行機のチケット購入では、座席まで選んで購入することができた。ホテルも何もかもパソコンででき、支払いまでもが机の前でできた。

向こうの空港へ到着すると、ちゃんと迎えの車が来て、ホテルまで荷物を運び、連れて行ってくれた。少し心配したが、うまく事が運んだ。

帰りも同様であった。座席まで選んでチケットを購入できるとは驚きだった。昔なら、業者に頼まなければならなかっただろうし、時間もかかっただろうと思う。

今日もまた、東京での観劇のために切符を買ったが、それぞれの席が、劇場のどこかまでわかり、納得してチケットを買うことができた。

その後、座席図面で購入した自分達の席を確認することができた。この頃、市内で買えないものをネットで買うことがあるが、一日か二日で送られてくることもあり、本当に便利な世の中になった。

パソコンやネットの発達がこのようなことを可能にしているのだろうが、だからといって、必ずしも光の部分ばかりではないだろう。

陰の部分があることをよく認識してこのような時代を乗り切らなければならないと思う。あの手この手でだまそうとする輩も同時に生まれるのだから。

吉水の草庵で法然上人の説教を聞く場面。そこへ親鸞聖人が向かうのである。

吉水の草庵で法然上人の説教を聞く場面。そこへ親鸞聖人が向かうのである。

(日記 今日は天候も悪いので、終日、紙芝居の描画作業を続けた。おかげで、追加の絵はほとんど描き終えた。明日からは、脚本の見直しだ。親鸞聖人物語は、全くの創作ではないので脚本づくりは困難を極める。おまけに、浄土真宗の開祖であり、北陸は真宗王国であるので、うかつなことは書けない。今になって大変なことをしているとその重大さに身の引き締まる思いがしている。午後7時半より、銭太鼓の練習。 )