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『何を伝えたかったか』

15 7月

大野高校の『学級日誌』より
最小限の「モノ」しかない部屋にあこがれる。しかし現実には簡単ではない。そこで、先ず、自分が集めてきた様々なものを少しずつ捨てたいと思う。その中の一つに、自分の書いた「モノ」がある。

本棚を整理していたら、大野高校時代の学級日誌が出てきた。冒頭に、自分が書き、その後クラスの生徒たちが自分の思いを書く仕組みだ。「今日、何をしたか」よりも、「今何を考えているか(思っているか)」を書いてほしいと思って始めたものだ。

・・・・・・・大野高校3年E組『学級日誌』より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「灰色かバラ色か」
君たちが勉強マシーンでないように、僕もティーチングマシーンではない。
しかし、忙しい毎日を送っていると、そういう錯覚に陥りやすい。

君たちも人間らしく生きたいだろうし、僕もそうしたい。
そこでこの雑記帳(学級日誌)には、自分の考えていることを遠慮せず、格好をつけずに書いてほしい・・・・・。
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で、始まっている。そして生徒たちがいろんなことを書き、私がコメントしている。自分の若かりし頃の考えがわかって面白いところもある。当時、何を伝えようとしていたかがよくわかるからだ。

当時の状況は、3年生になり進路に合わせてクラス分けが行われ、生徒たちは、文系、理系のクラスで授業を受けることになったのだ。私は理系の担任。大学進学を目指して生徒たちは、授業のほかに、受験のための課外授業を受け、日曜日には、数多くの模擬試験を受けなればならない忙しい時期だったのだ。

このような時期に自分の考えを書いていたのだ。このような学級日誌を捨ててしまえばよいのか、残しておけばよいのか、迷うところである。今のところ、もうしばらく保管したいと思っている。こんなわけで、写真なども含めてたくさんのものが捨てられずに我が家に存在しているのだ。断捨離はほど遠しという状況である。

(日記 午前中は、保管してある書類の整理。ついつい「ムカシ君」になってしまいそうだ。午後は、パソコンで音楽。夕方、花の植え替えなど。)

 
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イチジクシーズン開幕

14 7月

大粒イチジク
我が家の大粒イチジクが、今日二つの大きな実を付けた。すべての収穫物の初物はかならず仏壇に供えることにしている。二つのうちの一つを家内と二人で味見した。

これから、雪が降るまで大粒のイチジクを収穫できるのだ。食べきれないときには、畑の近所の人たちや友達に差し上げることにしている。スーパーなどではとても高価だ。

始めて収穫した大粒のイチジク。

始めて収穫した大粒のイチジク。

イチジクの木は成長がはやいので収穫しやすいように、枝ぶりを調整している。一本は家内が友人からもらったものだ。その木の枝を挿し木した木からも収穫できた。

また、もう一本は自分で購入した苗を育てたもので、実は小ぶりだが糖度は高い。この3本のイチジクがいよいよ実り始めたのだ。今年は、たくさん実ったらジャムにする予定だ。

ジャムにしてプレーンヨーグルトに入れて食べる味は格別だ。自然の恵みに感謝しながら、家庭菜園を楽しむことができる。イチジクは、ほかの野菜のようにほとんど手がかからなくて、たくさんの実をつけてくれるありがたい果物だ。

(日記 午前中は、本棚の整理。午後1時から、今度篠笛を吹いてくれる太鼓メンバーのFさんと『片瀬豊年ばやし』の練習。私は、三味線の練習をした。まあまあの出来だった。午後7時より『爺ちゃん勉強』。)

 
 

スクラップ

13 7月

スクラップを使う機会がないかもしれないが
私は、スクラップをすることが大好きだ。雑誌などを買った場合には、そのまま保存すると本棚を占拠してしまうので、資源回収に出さなければならない。しかし、せっかくお金を出して買ったものをそのまま捨てるのは忍びない。

そこで、今後、役立つだろうと思われる記事などを切り抜いてスクラップしているのだ。「まちづくり」、「趣味」、「童話」、「野菜作り」、「教育」、「人物」などについて気に入ったものがあれば、切り抜いてクリアファイルに保存しているのだ。

こうすることによって雑誌本体は、安心して資源回数に出せるのだ。現役時代の様々なものも保存してあるが、だんだん利用価値がなくなりつつある。その多くは、私の子供たちには何の価値もないだろう。

かといって、簡単に捨て去るわけにもいかない。何とか利用価値のある形にして気持ちよく整理したいものだ。これまで、50数年に渡っていろんな場所でいろんなことを書いてきたが、後輩たちのだれか一人にでも役立つ形にしてみたいものだ。

このスクラップをすることは、講演会などでメモすることにも似ている。どうせ後日読まないだろうとはわかっていても、「もしかして何かの役に立つのでは」」と思ってメモしている。そうすることによってその場は安心して過ごせるからだ。今日も、そんなわけで無駄なスクラップに多くの時間を割いてしまった。

(日記 午前7時より老人会の草取り。区の墓地周辺の道路の草取りを行った。私も、草刈り機を持って作業に参加した。その後、雑誌野スクラップ。午後は、久々にパソコンで音楽。歌や楽器演奏のための伴奏用CD作り。午後7時半より集会場で銭太鼓『片瀬豊年ばやし』の練習。27日の出番の練習。疲れた一日だった。)

 
 

サンドームで演歌を聴く

12 7月

小編成バンドで大音響
家内の親族がJAへ勤めている関係で、毎年、ジュースを一定量購入してサンドームの歌謡ショウを見に出かけることにしている。いつもは、メインの歌手が一人来るのだが、今日は“堀内孝雄と香西かおり”の両名だ。

私と家内は、午前11時からの部を見るために、9時少し前に自宅を出た。世中で買い物をして10時半ごろにサンドームへ到着した。午前11時に開演。

舞台を見ると、バンドメンバーは4人。エレキギター、エレキベース、キーボード、ドラムだ。これでかなり大音響で伴奏音楽を演奏していた。特に、キーボードで様々な音を出しているために、ピアノやストリングスがあるような音の出し方だ。

私のように、小編成でバンドをする者には大いに参考になる音の出し方だった。歌も聴いていたが、歌の作り方などの参考になったと思う。編曲の仕方、作曲の仕方、作詞の素晴らしさなどを学ぶことができた。

聴いている間に、だんだん歌を作りたくなってきた。今日のショウを見ていて、うまく歌を作れないだろうが、それでも意欲がわいてきた。久々に昔に返って、楽器を扱ったり歌作りをしたくなった一日だった。

(日記 午前9時半過ぎに、歌謡ショウを見るために、サンドームへ向かった。午前11時から午後12時45分ごろまで『堀内孝雄と香西かおり』のショウが始まった。少人数バンドはかなり迫力があった。参考になった。ショウの終了後、娘の家へ寄った。しばらく、孫たちのカラオケを聴いていた。そのうちに、野球の試合を終えた娘の夫も帰ってきた。しばらくして帰宅。何にも仕事をしなかったが、かなり疲れた一日だった。)

 
 

想定外を想定外

11 7月

「想定外」を責任逃れに使っていないか
最近、自然災害が多い。それも、新たな地域での災害が多いのだ。災害発生直後のインタビューでは、高齢者の人達が「生まれて初めての災害です」ということをよく聞くようになった。

洗濯場の塗装作業。

洗濯場の塗装作業。

ということは、いろんなところで災害が発生するようになったいうことだろう。地域の首長の「想定外でした」という発言もよく聞くようになったのは情けない。想定外のことが起きるということを想定していなかったといううことだ。

最近の気候や自然災害は、もはや想定外というよりも、異常なことが起こることが当たり前になっている。したがって異常ではなくて日常的になったということだ。これまで起こらないような災害が当たり前のように起こる時代になったのだ。

「想定外のことが起こる」」ということを想定していなければならない時代になったようだ。したがって、「想定外」を想定していないのでは困るのだ。今やだれもが、想定外を想定していなければならないのだ。

沖縄、九州、長野…、本当に気の毒だと思う。明日は我が身かもしれないと気を引き締めておかなければならない。災害は、ゲリラ豪雨や地震などの自然災害ばかりではない。人災もあるのだから。

今日採れた夏野菜。春からの作業が報われた感じだ。

今日採れた夏野菜。春からの作業が報われた感じだ。

(日記 午前中は、洗濯場の壁面のペンキ塗り。腰の痛い作業ではあった。マスキングをして午前中1回目、午後2回目の塗料を塗った。まあまあきれいになった。あとは、心を鬼にして本棚の整理。まだまだ整理できるはずだが、なかなか実行できないのは、自分がお金を出して購入した本が多いからだ。)

 
 

久々に高校数学

10 7月

高校生からの質問
隣の高校生のSさんから「数学を教えてほしい」とメール。ほぼ毎日、高校生のための参考書作りをしているが、直接、数学を指導するのは久しぶり。数学を教えることはとても楽しい。

ます自分のやってきたことが人の役に役立つことがうれしい。それに、考えることは私にとっては脳の体操にもなるだろう。どうしたら、うまく指導できるかが問題だ。

指導は説明ではない。質問された問題をわかりやすく説明することではない。質問されたその問題を通して、いかに他の問題にも活用できる力をつけることができるかだ。

別の言い方をすれば、その問題を指導するのではなく、その問題を通して指導すると言い換えることができる。その問題を通して、数学の力を養わなければならない。

そんなことを考えると、数学に取り組むことは楽しい。なんといっても、私が長年かかわってきたことであり、私の財産でもある。これを生かさずして私の退職生活はあり得ないといっても過言ではない。今の私にとっては、“数学”は“数が苦”ではなく、“数楽”になっている。

(日記 午前中は、歯医者へ。医者通いの時間はもったいないがどうしようもない。悪くした責任の大半は自分にあるのだから。午後は、洗濯場のペンキを塗るための下塗り剤を塗った。午後4時から2時間あまり、隣の高校生Sさんの数学指導。あっという間に一日が過ぎてしまった。)

 
 

地域に関心を

09 7月

活性化委員会は活発だけど
今日は猪野瀬地区の7月定例活性化委員会。市会議員を交えて師の要望事項について検討。それにしても、地域の活性化を目指すことは簡単ではない。

最近の若者たちのライフスタイルは、“自らから何かをするというよりも、業界の人間の考えることを受身的に享受している”ように考えられなくもない。車、テレビ、ゲーム、携帯、パソコンなどだ。

携帯やゲーム機の様々なアプリ。そして、ラインやネットなどの様々な疑似空間。地域で、人や自然を相手に何かを作り出すという営みは消えつつある。食事さえもが、インスタントやコンビニ、宅配サービスなどで自ら考えなくても、事欠かない。

そして、若者たちは、高校までを地元で過ごして都会へ出てしまう。こんな状況の中で、地域の活性化を図ることは容易ではない。やはり、子供や若者たちの参画を得て何かを企画しない限り地域の活性化を図れないのではなかろうか。

そのためには、一つは、地域にいる者たちが、地域の資源を生かし、地域でできることを模索しなければならないだろう。それと同時に、地域から、外部に情報発信をしたり、外侮と勝負できるものを考えなければならないのではなかろうか。

(日記 午前中、太鼓メンバーのFさんに地元の民謡で篠笛を吹いてもらうために、事務所で打ち合わせをした。そして、彼女が2か月間海外旅行をした写真を見せてもらいながら、話を聞いた。海外旅行も長期になると、ホテルではなく、アパートなどを借りて、生活しながら、現地の生活を満喫するという方法があるということを知った。午後は、家の整理。 午後7時から、地域の活性化委員会。市会議員を交えて地域の儒方向感とともに、市への要望などを考えた。)

 

梅雨時期に伸びる雑草や樹木、そして野菜も

08 7月

次々伸びる生垣の枝
梅雨の時期は、野菜の成長も早いが、雑草や生垣の枝もどんどん伸びる。野菜などは伸びてくれるとありがたいが、畑や庭の雑草などはありがたくない。

少し前に家の生け垣の枝を切ったが、早くもところどころ、道路側に伸びている。午前中は、これらの枝切りをした。これらの、枝や雑草と、家にあるガスコンロなどを車に乗せて処分場へ持っていった。

家庭菜園のカボチャなども日に日に伸びている。自宅の大型植木鉢に植えた小玉スイカも同様だ。ぐんぐん伸びている。植えもしないのに生えてきたトマトの苗も、可愛そうなので畑から中型の植木鉢に植えた。これも伸びている。

植物同様に、人間も伸びる時期があるのだと思う。脳の大部分が成長するのは、3歳までだという。身長がどんどん伸びるのは、高校時代まで。植物は、畑の環境と肥料と太陽など自然の力で決まる。

人間は、家庭環境で性格などが、運動や栄養で体格が決まる。いずれにしても、成長に適した時期があるのだと思う。そうした時期に、成長に無関係なことをしているのはもったいないと思う。狭義の学力の強要などは人間の成長にはあまりプラスにはならないと思うが、世の中はそんなこと、お構いなしに強要しているように思えてならない。

(日記 午前中は、生垣の剪定など。午後は、事務所で数学。といっても、参考書に使う生徒にラストを書いていた。早く仕上げたいと思うが、高校の1、2年分だけで、3年位はかかるのではなかろうか。でも、考えていることに生き甲斐を感じる。)

 
 

台所整理のために車庫の戸棚を作る

07 7月

まるで数学のような手順
家内と二人で、今日は何をするか決めた。台所の食器類を整理すると決めた。そのためには、家の物置の戸棚を整理してスペースを作らなければならない。物置もいっぱいだからだ。

物置のものをどこかへ移さなければスペースができない。そのために、車庫の戸棚を整理しなければならない。車庫に使っていない収納棚があり、空間を占有している。そこでこれを活用したい。そこで車庫の戸棚にこれを設置し、空間に無駄を作らないように収納棚の下に台を作ることに決めて作業を始めた。

事務所から、材料となる木材や大工道具を運び、作業開始。例によってラジオを聴きながらの作業だ。午後3時ころようやく完成した。遊んでいた収納棚が浮かいやすくなるばかりでなく、戸棚の下にも台を作ったためにここにもかなりのものが収納できることになった。

それにしても、我が家にはまだまだ使わないが捨てられないものがある。父親が買った様々な道具や食器類だ。それに結婚式や記念式などでいただいた引き出物もかなり残っている。公民館際に提供したがそれでもまだかなり残っている。

捨てる前に一時保管しているモノもかなりある。毎年少しずつ捨ててはいるが、まだ残っている。この頃、セリをする機会が多いが、やるたびに、心を鬼にして捨てている。今、世の中の景気を支えているのはモノを買うことなのだろうか。モノのなかった時代に生まれ、モノのあり余る時代を生きて、今、モノを捨てるために苦労している。まだまだ使えるというのに。

(日記 朝から午後3時まで、日曜大工で収納棚を置くための台を作った。この台の下も収納できるように考えて作ったものだ。台所からものが少なくなることはとても気持ちがよい。必要だったら、近くの物置から持ってくればよいのだから。午後3時過ぎから、事務所へ出かけ、参考書に登場する高校生の顔のイラストを描いた。約3時間集中して取り組んだ。午後7時半から例によって横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
 

毎日パワーを信じて

06 7月

毎日取り組めば前へ進む
ほぼ毎日、高校の数学の参考書作りをしている。200問あまりの重要例題を授業形式で解説する参考書だ。イラストを多用し、生徒の声も取り入れ、セオリーと称して、私自身の考えを掲載している。

一日、一問、完成知れば上出来だ。たいていは、半分しかできない。それでも、毎日少しずつやれば積み重なっていく。先をあまり見ないで、毎日、コツコツと取り組むことだ。

本職のない退職者の私にとっては、これが本職だと思って取り組んでいる。私は、時間がかかることに価値があると思っている。思いつきでぱっとできることはできてもそんなに感激はしないだろうと思う。

このように、毎日コツコツと何かに取り組み、目標に向かって頑張る力を私は、『毎日パワー』と呼んでいる。一日一日は、少なくても、時間が過ぎた分だけ成長するのだ。

それは、作物の成長でも同じことだ。人間の成長もまた同じだ。一日では目に見えた変化は見られないが、一月、3ケ月、半年たてば、明らかに目に見える変化がみられる。そして、成長を喜ぶことができる。何もしないでいる要理も、自分が仕掛けた何かを期待してこれからも進みたい。

順調に成長している八の中のスイカの苗。

順調に成長している八の中のスイカの苗。

(日記 午前中は、部屋の整理。あまり能率が上がらなかった。午後は、数学。一区切りまでは後1問となった。進んでいくことが楽しい。休憩時間には、バンドの楽譜を書いたりした。できた分だけでも、高校生に渡したいと思う。)