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太鼓好きと共に

04 8月

久々の和太鼓練習
太鼓を始めて30年近くが経った。今も、太鼓好きの女性が集まって『春駒太鼓』の練習に励んでいる。今いるメンバーのほとんどは、10数年前に、共に勝山高校で和太鼓の練習をした連中だ。

私は顧問で、彼女たちは高校生だった。それ以来、今日まで太鼓が好きで、練習を続けている。それぞれ忙しいが、出番があれば練習に集まって来る。

今日も、午後7時から私の事務所へ集まり、スタジオで練習した。練習場があるのはありがたい。私も、篠笛で練習に参加。しばらく練習を休むと、できたこともできなくなる。

でも、一度身に付けたことは復活するのも早い。いつまで、彼女たちと練習できるか分からないが、身体の動く限り、出演依頼のある限り、練習を続けたいと思う。

毎回そうだが、練習の後、お茶などを飲みながら彼女たちは会話を楽しんでいる。私も、時々会話に加わるが、参考になることも多い。今週は、週に2~3回練習するつもりでいる。9日の本番に向けて楽しい演奏ができればと思う。

(日記 朝は雨。その後雨が止んだので、草刈り機で田んぼの畦の草を刈ることにした。とても暑かった。その後、数学。午後も数学。午後7時から和太鼓の練習。楽しかった。)

 
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山道作り 

03 8月

年中行事
年に2回、背後の大師山の整備が行われる。一度は、大師山の林道の草刈りで、もう一回は大師山の登山道の整備だ。そして今日はその登山道の整備。整備の区間はローテーションで毎年変わる。

私たちの班は、村の上から大師山の頂上近くの峠までが作業区域だ。午前6時半に集会場へ集まり、3グループに分けて車で中腹へ。私は、中腹から下へ向かって主に山道の両側にある草や木の枝を草刈り機で刈り取った。

『中休み場』の標柱が残る大師山登山道の休み場。思い出の場所でもある。

『中休み場』の標柱が残る大師山登山道の休み場。思い出の場所でもある。

途中で、『中休み場』の看板が見つかった。山道の片側に、休むための台状の部分があった。子供時代には、ほぼ毎日、薪を取るために、大師山の後ろ側の村の共有地まで薪を運びに出かけたのだ。

薪を担ぐ縄が肩に食い込み、子どもにとってはかなり重労働だった。そんなとき、所々に作ってある『上休み場』、『中休み場』、『下休み場』などにたどり着くとくとホッとしたものだ。

今の、若い者や子どもたちに話しても、理解されないだろう。背中に担いで運んだこれらの薪は、煮炊きや風呂等に使う貴重な燃料として一年中使ったのだ。今のガスや電気に相当する大切なものだった。昔を思い出しながら、休み場の周辺の草を刈った。

(日記 午前6時半に集合して大師山の山道整備に向かった。作業を終えて、下山後、集会所前でしばし歓談。シャワーをしてホッとした。その後、少し数学。午後は、孫達とプール。孫達は3時間ノンストップで遊んでも,自分からは帰ろうと言わない。ある意味ではありがたいことだ。)

 
 

久々の図書館

02 8月

図書館は夢のある場所
孫達が、図書館にいるというので迎えに出かけた。小学4年、幼稚園年長の6歳、そして2歳の3人の孫達は、本を読んだり、ビデオを見たりしていた。

私にとって、図書館は夢のある場所だ。自分の夢につながる書籍がある。興味ある雑誌や書籍がある。しかし、最近、忙しくて図書館に出向くことがなかった。1年ほど前までは、常に、図書館の本を10冊は持っていた。

図書館はいろんな情報を得る受け身的な部分と、いつかはここに自分の書いたモノを並べられたらという夢を抱くことのできる積極的な場でもあると私は考えている。

今は、時々童話サークルで童話を書いているが、いつかは小説を書いてみたいと思っている。童話の長めのモノと小説の区別もつかない私に小説など書けるのだろうか。

でも、そんな夢を抱くことができるのが図書館である。買い物に出かけても必ず本屋を集合場所に決めているくらい、私にとっては“本”は夢につながる大切なモノだ。時間を見つけて時々は図書館へ出かけようとの気持ちを新たにした。

(日記 午前中は数学。孫達は母親(息子の嫁)の実家にいて不在。午後も作業を継続。夕方、孫達を迎えに図書館へ。夏休みがどんどん過ぎていく。今の私には直接関係がないが、夏が終わることは何となくさみしいものである。)

 
 

ボーカロイドで歌作り

01 8月

目を見張るパソコンソフトの進化
 ボーカロイドとは,パソコンで音楽を作るソフトウエアの一種類で、歌声を作るソフトの名前だと理解している。最近はネットだけではなく、テレビ・ラジオなどでもボーカロイドの澄んだ、しかしどこか人間離れした歌声も一般的となった。

 この 「ボーカロイド(VOCALOID)」は、コンピューターで歌声を合成するソフトウエアで、技術開発を行ったヤマハの商標である。実際の人間の声をサンプリングして作っているが、どことなく、機械的というか、ロボット的な歌声だ。簡単に言えば、楽譜と歌詞を入力すれば歌ってくれるソフトだ。私は、これまで何曲も自作の歌を作り、主に,5人ほどの知人に吹き込んでもらってCDを作ってきた。

 今更、ロボット的なボーカロイドの声で歌を作るなんて、と思わないわけでもないが、機械的な歌声だから表現できるものもあると思っている。前から、念願の宇宙人が歌うという設定で歌を作れば、ボーカロイドの声は,ぴったりだと思う。今の地球上の人間の同士の殺戮や事件、事故や領土問題を見ていれば、人間の自分勝手さが如実に表れていて情けない。そんな状況を宇宙人の目で見て,「遠くから見ていたらきれいに見える水の惑星“地球”も、近づいてみるととても生物(宇宙人)の住むところではない」とあきれかえってしまう状況を歌にできないかと思ったりもする。

 イメージ的には「帰ってきた酔っ払い」の線だ。このボーカロイドの声を自作の伴奏に乗せるためには、ボーカロイドソフトとは別に、音楽ソフトが必要だ。だいたい目星はつけてあり、今『体験版』を使って検討しているところだ。

(日記 午前中は、短時間、『猪野瀬地区活性化委員会』の事務的仕事で公民館へ出かけたりした。その後、数学。追い込み中だ。夜は、久々に『軍師官兵衛』の録画を見た。)

 
ボーカロイド「初音ミク」の製品パッケージ

 

 
 

膝が悲鳴

31 7月

とうとう手術
定期検診のため,福井の病院へ行った。いつもの検査の他に膝を診てもらった。膝の軟骨が痛んでいるという。立ったり歩いたりしてもそんなに痛みはないが,正座ができなくなった。

日常生活では,正座をすることはほとんどないが、時々正座をしなければならない場面がある。最近では、結納の品の受け渡しだった。いたくて本当に困った。

相手に事情を申し上げてすぐ膝を崩させていただいた。料理屋などでの最初の挨拶の場面も困る。最初からあぐらをかいているわけにはいかないからだ。

昔なら切り開いて,軟骨をどうかしたのだろうが、今は内視鏡による手術だという。それでも数日間は入院しなければならない。

そう言えば、高齢者の人の中には膝を痛めている人も少なくない。お寺等でも椅子を使うようになったし、旅館やホテルでも椅子で宴会をするところも増えてきた。とうとう自分の番になったという感じだ。医者に夏が終わってからに手術をしていただくことにした。身体の替えは簡単には見つからない。元気で過ごすためにも、大切に使わなければと思う。

(日記 朝7時半に福井の済生会病院へ。整形外科で膝を診てもらった。その後、午後1時半過ぎにないかで定期検診。途中で、2時間ほど時間があったので、楽器屋へ行った。最近、新たなものに挑戦したくなっている。)

 
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水泳「今昔」

30 7月

川とプールの違い
 孫達が帰省してから、プールへ行くことが多くなった。孫達はプールへ行けば、3時間ぐらいはノンストップでプールの中で遊んでいる。ビート板を使ったり、大きな筏のゆおな板を使ったり、ジョウロや輪投げの輪のようなものを使ったりして、飽きずに遊んでいる。

 私は、それらの相棒をしたり、家内に孫達を任せて大人用のプールで水中ウオーキングをしたり、少し泳いだり、ジャグジー風呂に入ったりして時間を費やしている。

 孫達は,全く飽きずに遊んでいる。私も、ほどほどには楽しいが、川での泳ぎが中心だった自分の子供時代と比べると、違いは歴然としている。しかし、子どもたちには、川での泳ぎを止められている。探せば、泳げる川もないではないが、それらは自宅からは遠いし、水も冷たい。

昔の子どもたちが泳いだ九頭竜川。ここは「まち」の子どもたちの水泳場だった。私たちはもっと上流だった。

昔の子どもたちが泳いだ九頭竜川。ここは「まち」の子どもたちの水泳場だった。私たちはもっと上流だった。

 昔なら、自宅から自転車で九頭竜川まで出かけて泳いだものだ。常に、一定の緊張感はある。それは、流れていることと、深みがあるからだ。しかし、川には、魚が泳いでいて、水の冷たさも所々で変わり、いろんな遊びができる。

 特に、大雨の次の日の水泳は命がけだった。川幅は普段の倍はあり、流れは早く、波もあり、水は濁っている。こんな川を泳いで横断しようとしたら川幅の3倍は泳ぐ覚悟がいる。途中では絶対に泊まることができないのだ。こんな濁流に飛び込んで波乗りもしたものだ。当時、私たちは「ながれかんじ」と呼んでいた。立ち泳ぎをしていれば、上流から長い距離を移動できるのだ。寒くなったら浅いところで魚を捕る楽しみもあった。プールでは経験できないいろんなことができた。時代は確実に変わってしまった。プールの中で時々昔を思い出すことがある。

(日記 午前中は、数学をしながら、孫の勉強の相手。午後は、近くのプールで水泳。かなりの時間プールで遊んでいた。泳ぎというよりも、孫との触れあいや運動という雰囲気であった。それでも、健康に早くだったであろう。孫達も喜んでいるようなので、これはこれで楽しい。)

 
 

ラジオ体操今昔

29 7月

今は孫と一緒
 横浜に住む孫達家族が車で先週の土曜日に帰省した。しかし、長男は、この月曜日に仕事のため横浜へ戻って行った。しかし、孫達との生活が始まった。小学生の孫は、ラジオ体操カードを持って帰省したのだ。そこで、私も孫と一緒に月曜日からラジオ体操にも参加することを決めた。今日で二日目だ。

 我が村の小学生は全部で13名らしい。中学生も数名参加している。昔と比べると子どもはかなり減ってしまった。私の子供時代は、村の上の方にある白山神社の境内で号令をかけながら体操をしたように思う。体操の後、男子は毎日境内でソフトボールを楽しんだ。神社近くの子どもの親が、「ご飯やー」と大声で呼びかけるまでソフトボールを続けたものだった。

写真は小学生のラジオ体操風景。左端はウチの孫。小学生の後方には、中学生が数名体操をしていた。児童数の少ないのがさみしい。

写真は小学生のラジオ体操風景。左端はウチの孫。小学生の後方には、中学生が数名体操をしていた。児童数の少ないのがさみしい。

 その後、私の子どもたちの時代になると、今の片瀬第二公園でラジオ体操が行われた。最初の頃は、近所の人の納屋に大きなトランペットスピーカーを付け、村中が聞こえるような大きな音で音楽を鳴らしてラジオを体操をしたものだ。

 そして、体操の後で、公園の周囲を走ったのだ。第二体操が終わるか終わらないうちに、公園を飛び出した子ども達は、村の近くを走って公園へ戻ってくる数百mのコースだ。私も子どもたちと一緒に走ったものだ。

 今は、体操だけで終わっている。参加する大人の数も激減した。保護者は役員を含めて2~3名。後は、私のような祖父母が2~3名というところだ。時代は変わってしまった。何もかもが、縮小していくようでさみしい。少なくとも私は、孫のいる間はラジオ体操に参加したいと思う。

(日記 ラジオ体操の後、孫の勉強を見ながら、数学。午後は、我々夫婦と孫3人とその母親の6人で近くのプールへ出かけた。孫達は休むことなくみっちり3時間水遊び。私は、プールでウオーキングと水泳、サウナ、ジャグジー風呂などを織り交ぜながら孫達と水遊び。いい運動になった。)

 
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『いのせ文化祭』の会場変更

28 7月

文化祭を盛り上げるために
 午後7時から猪野瀬公民館で『第1回いのせ文化祭』実行委員会」が開催された。今日の実行委員

真夏の公園にできた「ソリゲレンデ」。持参の長靴で3人の孫達ははしゃいでいた。

真夏の公園にできた「ソリゲレンデ」。持参の長靴で3人の孫達ははしゃいでいた。

会までに、各団体が、『いのせ文化祭』を盛り上げるためにはどうすればよいかを考えることになっていた。

 私は、『猪野瀬地区活性化委員会』の代表として今日の会議に参加していた。今日の議題の一つに、文化祭の会場問題がある。これまでは、模擬店などはほとんど外で行い、舞台発表は公民館の中のホールで行うために、一体感がなかったのだ。

 我が「活性化委員会」でも、今日の実行委員会の案内にあったように、“文化祭のメイン会場を公民館近くの『林業者健康トレーニングセンター』を使って行う”ことを提案した。他の委員会でも、同様の考えを持っている団体が多かったと思う。

 各種団体から、文化祭を盛り上げるための意見が発表された後、会場問題について採決が行われた。そして、多くの人たちの賛成を得て、今年の文化祭は、メイン会場を『林業者健康トレーニングセンター』にすることが決定した。

 展示は、公民館のホールで行うが、それ以外のものは、舞台発表も、食堂や物品販売や遊戯コーナーなどの模擬店も全て『林業者健康トレーニングセンター』で行うことになるのだ。『いのせ文化祭』を盛り上げるために、私自身も、我が活性化委員会も前向きに取り組みたいと思う。

さすが子どもたち。暑さに負けず、公園の遊具をフルに使って遊んでいた。

さすが子どもたち。暑さに負けず、公園の遊具をフルに使って遊んでいた。

(日記 朝、テレビで、長尾山恐竜公園で雪遊びができると言うことを知った。早速、関係者のU さんに問い合わせると「午前10時頃から午後3時頃までやっている」という。真夏に、雪遊びができるならよい思い出になるだろうと、帰省中の孫達を連れて行くことにした。長靴とソリを車に積んで出かけた。博物館の駐車場の隅の方に雪が積まれていた。そして、無料で貸し出すソリがたくさんあった。3人の孫は、何度か雪の坂道をソリで滑っていた。知り合いがいたので、雪について聞いてみた。冬の間に雪をおがくずで覆い袋詰めにして保管していたのだという。それを、午前4時頃から運び出してそりゲレンデを作ったのだという。その作業たるや大変な苦労があったのだろうと思う。太陽が照りつけていたが、それのできる状態は午後も確保されていた。暑い中で、準備した関係者の皆さんには頭の下がる思いだ。その後、孫達を連れて奥のティラノサウルス広場まで出かけた。子どもたちは、暑い中をものともせず、滑り台やブランコなどに興じていた。2歳の孫が一番元気がよかったのではないかと思うくらいだった。こちらは、バテ気味だった。)

 
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夏本番

27 7月

孫達集合
 長男と長女の家族が相談して海へ行くことになっていたが、あいにくの雨。午後、予定変更で大野の『あったかランド』で水遊び。私は行かなかったが、家内はおくれて大野へ。

玄関先でバーベキュー。久々の再会に話題は尽きない。

玄関先でバーベキュー。久々の再会に話題は尽きない。

 その後、買い物をして我が家へ集結。玄関先でバーベキュー開始。我が家の玄関先は、道路に面していないので、家の間へゴザを敷き、テーブルを置いてガスと電気調理器3台で調理開始。

 5人の孫が勢揃い。夏が来たなあと思う。思えば、夏になると、ラジオ体操、子どもたちの宿題、自由研究、海水浴、祭りでの太鼓出演などあれこれと忙しかったことを思い出す。

 お盆が過ぎれば、日数的には半分過ぎだが、気分は夏休みが終わったも同然。後半は、自分も現役だったので、子どものこともさることながら自分も後半の課外授業や学校祭の準備などで忙しかったことを思い出す。

 今は、毎日の忙しさは相変わらずだが、ほとんどは自分自身が忙しくしているだけなので、いくらでも時間を産み出すことはできる。ただ、やりたいことが遅れるだけだから、そんなに気にならない。バーベキューの後、孫たちは、花火。夏の思い出作りになっただろうか。

(日記 午前中は、のんびりと家で孫達の相手や数学など。午後もよく似た状況だった。夕方から、長女、長男の家族が全員やって来て、玄関先でバーベキュー。孫5人も勢揃い。バーベキューの後、定番の花火。子どもたちの思い出になっただろうか。)

孫たちは花火に夢中。夏が来たなあという感じだ。

孫たちは花火に夢中。夏が来たなあという感じだ。

 

 
 

郷土芸能へ先ず一歩

26 7月

初の生伴奏で
今日、旭町2丁目の『夕涼み会』が行われ、我が片瀬の銭太鼓保存会が招かれた。例によって、『片瀬豊年ばやし』を披露した。

秋のエコミュージアム大会の全国大会(勝山開催)出演に向けて、少しずつ私たちの芸を向上させようとしているが、これまでは、一部ではあっても、CDを使っていた。

今日初めて、全てを生で行った。伴奏は、三味線2人、篠笛、太鼓、鉦、歌二人であった。まだまだ練習しなければならないが、何とか、生でできることがわかった。

最初から、全てが生で行えることが、郷土芸能への第一歩だと思っている。まだまだ、磨きをかけなければならないが、出番を重ねることによって改善を重ねていきたい。

仲間と共に、一つのことができることは楽しい。課題は、若い人を加えていくことだろう。美山の劇団『ババーズ』も今日は最終公演で解散だという。創設も難しいが、維持することも同様に難しいことだ。これは、我々の課題でもある。

(日記 午前中は、部屋の整理をしながら、パソコン作業。最近、何かと忙しく、数学の作業が遅れていたが、時間を見つけて取り組んだ。午後ひととき、家庭菜園作業。家内はイチゴの仮植作業。午後6時に集会場へ集合し、旭町2丁目の夕涼み会出演のために会場の公園へ向かった。午後7時に出番。銭太鼓『片瀬豊年ばやし』を演じた。午後10時過ぎに、横浜の長男の家族が車でやって来た。渋滞に遭って時間がかかったとのことだった。早速、4年の孫娘と一緒に寝た。)

 
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