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Archive for the ‘生き方’ Category

目線

14 3月

避けたい“上から目線”
差し支えるので場所は書かないが、弱者や高齢者に対して“上から目線”で話す人がいる。特に、高齢者に向かっての上から目線は見苦しい。

一般に上から目線で語るので、医者、教師、僧侶、政治家などがあろうか。医者は患者に対してまるで子供にでも語るように話す場合がある。親しいつもりかもしれないが、慎んでもらいたいと思う。

私が通っている某歯科院のK年生は非常に目線を下げて丁重に話してくださる。応対される私としては、尊敬の念が増しこそすれ、減ずることはない。

反対に、偉そうに上から目線で話されると、尊敬の念が薄れる。これは他人ごとではない、気を付けなければならないと思っている。

お年寄りを相手にする僧侶の中にもこういう人がいる。また、偉ぶることのない僧侶もいる。当然、こちらは、後者に対しては尊敬の念がわくし、前者に対しては「あなたはそんなに偉いのか」と問い正したくなる。

自分もそうならないように気を付けたいと思う。何かと威張りたい人、何かと自分の手柄にしたい人も同様だ。そういう人にならないように気を付けたいものだ。

(日記 事務所でもっぱら総会の資料作り。数字ばかりを見ているのでとても疲れた。家内に応援を頼んだ。)

 

 
 

弁当持ち

12 3月

勤めている気分
最近、 何か仕事をするときには、家内と事務所(山児童館)ですることにしている。事務所の窓が南西に向いているので冬でもとても明るくて暖かい。

ストーブをつければあっという間に暖かくなる。朝の出だしが遅いのですぐ昼になる。家まで来るまで昼食を食べに戻るのは時間の無駄になるので、二人で弁当をもってくることにしている。

まるで勤めているような気分だ。作業中は、ほとんどラジオを聴いている。昼食後は、しばし休憩。
ティータイムも設けることにしている。

机の上には、使っているものが多少散乱しているが、机に座ればパソコンを入れてすぐに作業を開始できる。しかし、いくら時間を倹約するからと言っても「ウオーキング」は私達夫婦にとっては生産的時間なのだ。

ここ数日は、もっぱら区の総会に向けての会計処理だが、これが終わったらまた数学の参考書作りや紙芝居の絵を描きたいと思う。

ラジオを聴いていると、かなり国会の予算委員会などがあり、総理と各党の質疑応答がある。しかし、こんな昼の時間にテレビやラジオで放送されても、多くの人は聴いている時間がないだろう。

そして、何も理解できずに選挙に出かけて投票するのだろうか。当選者は国民の信を得たと思っているのだろうか。国民のレベル以上に政治のレベルは上がらないと言われるがそうかもしれない。

ラジオを聴きながらの作業はとても楽しい。いろんな面白い話が聴かれるからだ。政治の他、ニュースや趣味や芸能の時間もある。そして、その合間にいろんな分野の音楽が聴かれる。現役時代とは異なる時間が流れている。

(日記 午前中はもっぱら区の事務処理。事務所で昼食後、ウオーキング。事務所へ戻り再び作業。そして、帰宅。一日があっという間に過ぎてしまう。ああ、のんびりと旅行がしたい。)

 
 

老人会総会に初参加

11 3月

何ができるか 昨年、老人会に入会した。そして、今日が初めての総会だ。参加者は60歳代後半から90歳代までだ。警察官から、安全運転や振り込め詐欺に関する講話を聞いた。 今は大丈夫だろうが、判断力が鈍るとどうなるかは自信が持てない。振り込め詐欺がなくならないのは、「自分は大丈夫だ」と思いながら、判断力が鈍ったからではなかろうか。 講話の後、総会。二、三意見を述べた。その後、懇親会。隣には、70歳後半と八十歳過ぎの方がおられた。幸い両者とも、前を向いていられるので、話が弾んだ。 それぞれに、自分の生き甲斐や楽しみを見つけておられるのだ。高齢者になっても生き甲斐や楽しみを持っておられることは素晴らしいと思う。 両名をみて感じることは、若いことからいろんな事に興味を持ち、仕事の他にもいろいろ取り組むことが今につながっているということだ。 前を向いて暮らしている人からは、昔の話も聞くことができると思う。きっと若いころの話もいろいろ面白いことがあったのではなかろうか。 両者についての共通点は、歌が好きだと言うことだ。歌があるから、農作業ができる、歌があるから毎日を楽しく生きることができる……、そんな感じだった。 いつか、時間のをみて、昔の話を聞かせていただきたいと思う。また、昔の盆踊り唄なども聴かせていただきたいと思う。鼻歌でその一節を歌って下さったが、是非とも、採譜して曲を作りたいと思う。 「前を向いていれば誰とでも友達になれる」は、私の信念だが、今日もさらにそのことを実感した。予想よりも楽しい懇親会となった。 (午前九時より、村の老人会の定期総会。午後は、区の総会の資料作り。会計処理がかなり面倒だ。家内にも応援してもらって午後ずっと事務所で作業。家へ帰らず、夜も外食。でも、途中で家内とのウオーキングは欠かさなかった。かなり習慣化してきたようだ。)

 

宇宙からのメッセージ

08 3月

「きれいな水の惑星」
◆「△○▼△・・・・・ こちら!新しい惑星発見!惑星発見!」
★「こちら、□□星指令室。しばらく観察し、詳しく報告せよ!」

◆「ただ今接近中!ブルーに輝くきれいな惑星です!」
★「さらに接近し、詳しく報告せよ!」

◆「了解!空気の層(大気圏)に突入。この惑星は水に覆われ青く輝いています。明るい部分は緑の大陸と光り輝く水の広がり、とてもきれいです。白い氷に覆われた部分も見えます」
★「光に当たっていない部分はどうか、よく調べて報告せよ」

◆「きらきらと暗闇に光が輝いてとてもきれいです」
★「さらに接近して上陸が可能か、調査せよ」

「■○△!?☆△◇○◎△・・・・・・・・」

◆「こちらUFO3号!ただ今陸地に接近中、海には何やらおかしなものが浮かんでいます。追いかけっこをしているようです。砲弾が飛び交っています。陸では生き物が睨み合っています。火炎瓶が飛んでいます。銃が発射されています。」
★「こちら、本部!十分気をつけて詳しく観察せよ!」

◆「警官隊と民衆が睨み合っています。あ、火炎瓶が飛んでいます。銃弾が飛び交っています。他へ移ります。」
★「接近してほかの地点も詳しく観察せよ。」

◆「観察地点を変えました。こちらは、地上がよく見えません。煙突から黙々と黒い煙を吐いています。地上を煙が覆っています。遠くから見たきれいな水も、近づく汚れています。」
★「その惑星はきれいなのか、汚いのか、どちらだ!!」

◆「申し訳ありません。遠くで見たときにはきれいな星だと思いましたが、とても我々の住めるところではありません」
★「了解!早くほかの惑星へ移れ!」

◆「了解。この惑星をどんどん離れています。確かに遠くから見れば青く輝くきれいな水の惑星ですが、表面は、何もかもが汚れています。生き物は争いを続けています。報告を終わります。」
★「了解!もっときれいな惑星を探査せよ!報告を待つ!」

(日記 午前11時過ぎより、区内にある仏母寺の役員会。午後4時より法事。集まった人達としばし昭和時代(20年から30年代)について歓談。いろいろ懐かしい話、おもしろい話が飛び出す。昭和は遠くなりにけり。しかし、物質的には恵まれても世の中が豊かになったとは思えない。)

 
 

それって当たり前?

06 3月

「先入観」で頭が働かず
「それって当たり前?」と疑ってみなければならないことがこのようには多いのではなかろうか。その一つに政治家と国民の関係もあるのではなかろうか?

世の中には、「政策などどうでもいい」と思っている人は多いのではなかろうか。政治家が問題にすべき課題は多いが、国民はその多くの課題の中で「“自分の損得に関わること”さえよければあとはどうでもよい」と思っている人が多いのではなかろうか。

おそらく原発事故が起こるまでは、原発の安全に疑いを持つ人はごく少数しかいなかったのではなかろうか。私たちは、「原発は安全」、「原発はクリーン」、「原発は経済的(もっとも低コスト)」・・・・・と、原発の安全神話を信じてきた。

しかし、いざ、事故が起こってみると「安全神話」は作られていた部分があることが徐々に判明してきた。「政府・企業・電力会社」の強固なトライアングルに学者・マスコミ・規制委員会などが一つの集団を作って国民に安全性を訴えてきたのだ。

私たちは、原発で安くてクリーンな電気が得られると疑いもなく信じてきた。しかし、今回の事故によるそれまでは見えなかった背景が見えてくると私の中の「当たり前」にも疑問符が付くようになってきた。

それと同時に、人間というのはお金に弱い生き物だなあとつくずく思う。かならず、物事の後ろには金が動いているように思えてならない。原発の周囲に作られたバーチャル空間「原子力村」。

価値観のトップが、「金」そして「能率」、「快楽」、「名誉」などの欲望では、人間は劣化の一途をたどるだろう。金を求めるあまり失うものが多くなったのが平成はなかろうか。昭和は遠くなりにけりか。

「経済政策一本やり」で国民にアピールし、国民もそれを望んで現在の政府が誕生したように見える。しかし、現在の与党は、その政策に期待した者と野党(前与党)のふがいなさの合作によるものだと思う。

しかし、いざ巨大与党が出来上がると、比較的成果を上げているといわれる(地方ではまだまだアベノミクスの効果は限定的)経済政策を含めて様々な問題が噴出している。

私個人は、健全与党があって政治は安定するのだと思う。数十年前、未来学者といわれるs氏の講演を聞いたことがあるが、与党は圧勝したら必ず崩壊するという意味の言葉を聞いたように思う。一定の健全な野党の必要性を説いておられてように思う。

私達は今、あらゆる分野で「それって当たり前?」と考え直してみる必要があるように思う。それが、与党にも野党にも必要だと思っている。

おかしなことを何とも思わない感覚では日本は私たちの望まない方向へ向かうのではなかろうか。今は、政治的には、非常に不安定な状況にあるように思う。かく言う私は、左でもなければ右でもないと思っている。あえて言うならば、「上」か「下」ではなかろうか。

与党であろうと、野党であろうと、上方から眺めて「よいものはよい」、「悪いものは悪い」と思っている。一つ間違うと、左右のどちらかでは色眼鏡で見られてしまうのは情けない。

(日記 午前中は、パソコンのファイルコピーと整理。その後、部屋の整理。午後は、事務所で数学。一日があっという間に終わってしまった。)

 
 

御法事

02 3月

一日道場で過ごす
今日は村の『御法事』と『戦没者法要』。村の各班が持ち回りで登板を務め、世話をするのだ。午前中は、読経の後、説教。

終日、村の道場で過ごす。自分を見つめるよい機会となった。

終日、村の道場で過ごす。自分を見つめるよい機会となった。

浄土真宗の教えを身近な話を織り交ぜながら、ユーモアたっぷりに僧侶が説教してくださるのだ。子供時代から、説教は聞きなれている。話を聞いていると、自分を見つめ直すよい機会になる。

寺にお参りするのは、当番のほかは主に高齢者だ。昔は、道場いっぱいに区民が集まったのだが、最近は随分お参りが少なくなった。

この調子ではこれからもこの傾向は強まるだろう。宗教は、時には世の中を危うくするが、一般には世の中をよくするために役立つことが多い。

命を大切にしたり、人と好ましく交わったり、争いを避けたり、自分自身に目を向けて自分を律するなど様々な生きる知恵が働いていると思う。宗教が軽視されると、世の中自体が危うくなるのではないかと気にかかることも少なくない。

久々のウェブカム。孫達に元気をもらう。

久々のウェブカム。孫達に元気をもらう。

(日記 今日は、村の『御法事』。午前、午後と村の道場で過ごす。自分を見つめなおすよい機会となった。夜、孫達と久々にウェブカム。楽しい時間をもつことができた。)

 
 

ライフスタイル

28 2月

これからのライフスタイルを考える
私は、一応67歳までフルタイムで働いてきた。そして、急に自由になった。といっても、地域の仕事などがあって、伊アマのところは全くの自由人ではないが、現役時代に比べればかなり自由になった。

今後、どんな生き方が理想だろうかと思う。勝手に好きなことをしているだけでは充実感はない。やはり、だれかの役に立たなければ、だれかから必要とされなければ生活に張りがないだろう。

そうなると、私にはいったい何ができるのだろうか。そんなことを考えて至った自分の生き方は、長年、数学教師としてやってきたので、これを生かすことが第一だと思っている。

次が、次世代、特に子供たちのために何ができるかを考えること。そして、地域に貢献することだろうか。

退職するときの最後のあいさつに「これからは、地域のため、家族のため、自分のために時間を使いたい」といったことに重なる。

まだまだ夢は捨てきれない。今は、時間が足りない。一日があっという間に過ぎてしまう。創作活動もやりたいがなかなか時間が取れない。春になったら少しは時間が作れるだろうと思う。

いくら時間がなくてもウオーキングの時間だけは確保したいと思う。ウオーキングか気分転換になるし、足を鍛えるのにも目を休めるのにも大切な“生産的時間”だと思う。

(日記 今日は朝から、区の事務処理をすると決めた。特に『四季折々の花の咲くまちづくり事業』の実績報告書などを作った。そして市役所へ出向き、提出。ついでに総務課へ出かけ、不明な点を質問。午後は事務所で作業。その後、家内と二人でウオーキング。事務所周辺を1時間歩き回った。帰宅して、数学。途中で、三味線練習。)

 
 

めでたさも 中くらいなり 誕生日

20 2月

あっという間の一年
今日は、私の誕生日。1年の経つのは早いものだ。この調子では、5年や10年はあっという間に過ぎてしまうだろう。少し前、正月だったと思うのに、早くも二月が終わろうとしている。

何となく、毎日が気ぜわしいので時間ばかりがどんどん経ってしまう。本当は、誰にも等しく時間は流れているはずなのに、年を取ると、特に早く感じる。

誕生日の外食。ほろ苦いビール。

誕生日の外食。ほろ苦いビール。

こんな時の対抗手段は、何かをこつこつやることだと思う。そうすれば、時間が経てば経つほど何かが仕上がっていくからだ。ここ数日、寝る間もないくらいに絵本作りをやっていた。

数学はこの間、休みだった。本当は、誕生日なので、映画を見て外で食事をするつもりだったが、時間がもったいないので、事務所で絵本作りを続け、夜、家内と二人で焼き鳥。

長嶋監督はどうしておられるだろうか。同じ日が誕生日なので。長島選手の現役時代は、キャンプ地で誕生日を祝っておられる映像が流れたものだ。この年になると誕生日もあまり嬉しくない。

(日記 終日、事務所で絵本作り。結構時間がかかった。夜は、家内と外食。誕生祝いが届いた。孫の手紙も添えてあった。微笑ましい。帰宅する時間にあわせて、Y君がパソコンを見に来てくれた。どうも、自宅のパソコンがおかしい。我が家には、デスクトップ3台、ノートパソコン2台があるが、私の机の上のパソコンが最も使うものなので、故障すると何事にもやる気がなくなる。Y君のお陰でどうにか動くようにはしてもらったが、まだまだ心配だ。帰宅後も絵本作りを継続。今日も午前様になりそうだ。)

 
 

平行移動

19 2月

似ているようだけれど
最近時々思うことがある。「朝、5時に起きて夜9時に寝る人」と「朝8時に起きて夜12時に寝る人」がいたとする。両者を比べると、なんとなく、前者の方がまっとうな人間のように思う。

私は、後者に近い人間だ。どうも、朝は弱い方だ。しかし、夜は結構強い方だと思う。昔、旅館へ泊まっての忘年会などの飲み会があったが、早く寝床に入る同僚がさみしく思えた。せっかくの機会なのに何でそんなに早く寝るのかと。

両者は、実質的にはそんなに違わないと思うが、世間的には大きく異なるように見える。午前4時頃に起きる人もいるが、夜は9時頃に寝るという。私には真似のできないことだ。

活動時間はそんなに違わないと思うが、当然、三食の時間も2時間前後、遅れることになる。勤めているときは、これでは都合が悪いが、退職してからは、さほど気にならない。問題は、どれだけ、日の日中、活動できるかだと勝手に思い込んでいる。

(日記 今日も、事務所で仕事(!?)をすると決めた。仕事というとおこがましいかもしれない。最初に、役所へ出向き区の仕事をしてから事務所へ出向き、自分のやりたいことを始めた。午後1時から免許更新。70歳になったので、自動車学校で事前に講習を受けなければならない。この講習には、目の検査などと共に、実技試験があり、講義も含めると3時間かかった。しかし、今日は目の検査だけで講義を受けることなく、新しい免許証を受け取ることができた。これから4年間安全運転を心掛けなければと思った。終了後、1時半過ぎに事務所で遅めの昼食(弁当)。2時半からウオーキング。やりたいことがいっぱいあるが、ウオーキングは私にとっては“生産的な時間”だ。健康維持には、何よりも大切だと思うからだ。午後6時に帰宅。何となく勤めている気分だ。自分にとっても家内にとっても、仕事がはかどる。ありがたいことだ。)

ウオーキングの途中「白山(指の間)」が見えた。右後方はスキージャム(報恩寺山)。勝山は、田んぼにも雪がなくなり、3月下旬の様相だ。今年は、近年にない超「暖冬」だった。

ウオーキングの途中「白山(指の間)」が見えた。右後方はスキージャム(報恩寺山)。勝山は、田んぼにも雪がなくなり、3月下旬の様相だ。今年は、近年にない超「暖冬」だった。

 
 

オリンピック選手の裏側

17 2月

選手の努力
今日は作業をしながら、オリンピックを見ていた。今日、興味があったのは、カーリングの対中国戦だった。ゲートボールのように複雑な作戦の必要なスポーツだと思った。そして、後攻が圧倒的に有利だということも分かった。

ところで、私達は、メダル、メダルと言って選手がメダルを取ることばかり、または取った人のうわべばかりを見ているが、その人の隠れた努力を見逃している場合が少なくない。

しかし、選手の努力やそれまでの生い立ちを知ると、選手の見方が一変してしまう。今日は、高橋大輔選手の生い立ちをテレビで見て、驚くと共に、その努力に感心した。

彼の家はスケートをするにはあまりにも貧しかったようだ。母親は息子の練習のための費用を稼ぐために身を粉にして働いたようだ。昼は美容師として普通に勤め、夜は別の仕事をして睡眠時間は5時間しかなかったという。

大会に出るにも、フィギュアスケートの衣装を買えず、全て母親手作りの衣装で試合に出ていたというのだ。その衣装が番組ではスタジオに持ちこまれていた。

母親は、ペットボトルに貯金をしていたのだが、いつの間にか周囲の人にもそれが伝わり、ペットボトルによる募金が広まったというのだ。

貧しさの中でも、家族は、高橋選手を必死で支えてきたのだ。たぶん普通の選手なら、ここでスケートを諦めていたかも知れない。しかし、そんな貧しい環境の中で高橋選手は頭角を現し、オリンピック選手として頭角を現していったのだ。

こんな裏話を知ると、今回のソチでは体調万全でスケートをしてもらいたかったと思わざるを得ない。膝を痛めたままの状態で出場したのだ。入賞はしたものの残念だっただろう。選考の過程から考えても。

こうした努力は、高橋選手ばかりではなさそうだ。葛西選手にも家族の支えや超人的な努力があったのだ。“レジェンド(伝説)”と呼ばれるだけのことはある。私たちは、こうした選手から勇気を得て、自分のできる範囲で少しはその努力を見習いたいと思う。

上村愛子選手も同様の苦労はあっただろうと思う。そう思うと、高梨沙羅選手も先輩達の努力を見習って、次回は金メダルを取ってもらいたいと思う。まだまだ若いんだから。

(日記 今日は区の事務処理をすると決めた。実のところ、私はこうした諸帳簿の整理や会計処理は好きでもなければ得意でもない。しかし、間違いなく処理しなければならない。3月の総会のためには、このあたりで帳簿を整理しておかなければならない。そう思って、今日は思い切って時間を取ることにした。あれこれ、事務処理をし、最後にJAへ出かけ記帳して今日の事務処理を終えた。時々、オリンピックを見ながらの作業だった。)