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Archive for the ‘未分類’ Category

「歌う」という宿題

11 8月

どうせ歌うなら楽しく
 横浜の小4の孫が、帰省して2週間が過ぎた。いろんな宿題を持ってやって来た。その中に少しだけ私の宿題もある。算数と国語の問題だ。学校の宿題の中には「読み聞かせ」や「歌を歌うこと」が入っている。

 その歌とは、『ゆかいに歩けば』と英語で歌う『エーデルワイス』だ。「エーデルワイス」の発音も「エードゥルワイス」と発言するように習ったらしい。しかし、孫が一人で歌っているだけでは盛り上がらない。

孫を中心に、学校の宿題の『エーデルワイス』や『ゆかいに歩けば』を歌う家内と息子の嫁。みんなで歌えば楽しくなる。

孫を中心に、学校の宿題の『エーデルワイス』や『ゆかいに歩けば』を歌う家内と息子の嫁。みんなで歌えば楽しくなる。

 そこで、家内と,息子の嫁に「歌を宿題と感じないで、楽しいものと感じさせるために、一緒に歌ってくれ」と頼んだ。所々は、孫のソロにし、みんなで大きな声で歌った。

 子どもの宿題だが、「させられるのではなく、楽しんでする」ようにするには、周りの大人達の関わり方である。歌ばかりでなく、漢字の練習でも、周りの大人が、一緒に学べば子どもも気持ちが変わるのではなかろうか。

 国語の読み聞かせの宿題もあるが、真剣に聞いていると、子どもたちも張り合いが出てくるのではなかろうか。そんな気持ちで孫の宿題に関わっていきたいと思う。夏休みも後半戦に入りかけている。勝山でよい思い出をいっぱい持って帰ってほしいと思う。少しでも成長してほしいとも思う。

(日記 午前中、歯医者へ行った。通院に時間を取られるのは悲しいが自業自得だから仕方がない。その後、生け垣の伐採。そして、家内とお墓の掃除をした。午後は、孫の学習を見ながら、数学。夕方は家族で孫の宿題の歌を歌う。あっという間に一日が過ぎた。)

 
 

雑草との我慢比べ

06 8月

作物が育てば雑草も育つ
 昔の稲作は機械がなかっただけではなく、肥料や除草剤などの農薬がなかったので普段の作業量は現在とは比較にならないくらいの多さだった。そんな中の一つに雑草対策がある。畑の草取りはもちろんのこと、田んぼの草取りも重労働だった。

 歩きにくい田んぼの中を素足で歩き、常に前かかみで、虫除けの「かんこ(ぼろなどを藁で縛り、火を付けて腰にぶら下げて出てくり煙で虫除けにした)」をぶら下げ、田んぼの中を這い回るように作業をするのだ。主に女性の作業だったが、腰の曲がる原因の一つでもなかっただろうか。

 家の周辺もまた草が生える場所だった。今は、草刈り機があり、除草剤があり、防草シートや黒マルチがある。それでも、雑草対策には苦労するのだ。昔の人のすごさが雑草対策一つとってもよく分かる。

私の知っている人にも、黒マルチを使わなかい人がいるが、畑は雑草が生えて大変そうだ。人の何倍も除草作業をしなければならない。涼しい時期ならよいが、夏まっさかりの今の時期なら早朝しか除草作業はできないだろう。

おまけに、昔は自宅で農耕用に馬や牛を飼っていたので、それらのえさとしての草刈りもあった。草との付き合いは不可欠だった。今は、舗装道路や街路樹の根元にも雑草が合えているのをよく見る。不毛の砂漠では困るが、辺り構わず生えてくる雑草にも、当分の間は悩まされるだろう。 

(日記 午前7時過ぎより、田んぼの畦の草刈り。本当は早朝の涼しい時間帯にやりたいのだが、我が家の田んぼの周辺には住宅があるのでそれができない。騒音公害になるからだ。太陽が出てきたので作業を止めて帰宅。それでも、全身汗でずぶ濡れ。シャワーをしてようやく落ちついた。孫呉、孫の学習を見ながら数学。午後も作業を継続。夕方、Y君がパソコンの不具合を見に来てくれた。おかげで私と家内のパソコンの不具合が改善された。午後7時から、和太鼓の練習。長女も福井から子ども(孫)を連れて参加。孫5人が我が家へ集まった。騒々しいくらいの賑やかさだった。)

 
 

久々の歌作り

17 7月

替え歌の歌詞に新たな曲
片付けてあったファイルを見ていたら,替え歌が見つかった。曲は元歌があるが、歌詞はオリジナルだ。頼まれてはいなかったが、ギターとパソコンを使い、新たな曲を作ってみた。

プロの歌作りは、曲先の場合が多いらしい。作曲家が先にメロディーを作り、作詞家が後から歌詞を当てはめていくのだ。そこに、ディレクターがあれこれ注文を出し、修正を加えて作品を完成させるらしい。

シンガーソングライターは両方を一人で一度に作っていくのだろうか。それにしても、7つの音を組み合わせて、ずいぶんいろんなメロディができるものだと感心する。

日本民謡、外国の曲、演歌、クラシック、ロック、ジャス、フォークソング、ウェスターン、・・・、音の流れでずいぶんいろんなものができるものだ。

私のように、全くのど素人は、もともと誇りも何もないから、自由自在に歌を作ることができる。度素人の強みだ。規則から外れていても、気にならない。そんなわけで、1時間ほど歌作りに没頭した。ギターでメロディーを考え、パソコンで編曲しながらの作業だ。明日聞いたらきっと幻滅あdろう。でも楽しかった。“忙中閑あり”のお遊びだった。

(日記 午前中、パソコンのマニュアル等の整理。午後は、民謡のCD作り。あれこれやっているうちに一日が過ぎてしまった。午後8時より『爺ちゃん勉強』。)

 
 

久々の和太鼓

16 7月

九頭竜ワークショップの夏祭りに向けて
今日は久々の和太鼓練習。九頭竜ワークショップの夏祭りの出演依頼が来たのだ。そこで、今日は一部のメンバーが集まって曲の編曲作業。といってもこれまで私が作った曲を、出演できるメンバーの数に合わせて組みなおすのだ。

この作業は、メンバーが自主的にやってくれるのでありがたい。子供太鼓の場合には、私が中心になって指導するが、大人の部は、メンバーが練習計画も曲の編曲作業もすべてやってくれるので私の負担は非常に少ない。

夏祭りで演奏する曲を練り上げる和太鼓のメンバー。

夏祭りで演奏する曲を練り上げる和太鼓のメンバー。

夏祭りには、和太鼓が不可欠だ。太鼓の響きが祭に彩りを添えてくれる。みんなが一つの曲に集中できるのが和太鼓のよいところだ。楽しいところだ。

メンバーの一人が言う。「太鼓とよさこいをやらないと夏が来たような気がしない」と。私もそんなところがある。太鼓をやると夏が来たなあと思う。和太鼓集団を創設してからかれこれ30年が経つ。

短期間の練習でどれだけできるかわからないが、一生懸命取り組みたいと思う。本番では私は篠笛を担当することになるが、だんだん下手になっていくように思う。その分、練習でカバーしなければならないと思うが。

(日記 午前中は、電燈の入れ替え。蛍光灯をLEDに入れ替えた。それとともに、台所の手元灯を付けた。長い期間、つけたいと思っていながらできなかったことだ。半日かかったが、我ながらうまくいったと思う。午後7時から和太鼓の練習。私は、見ていることが多かったが、楽しかった。)

 
 

サンドームで演歌を聴く

12 7月

小編成バンドで大音響
家内の親族がJAへ勤めている関係で、毎年、ジュースを一定量購入してサンドームの歌謡ショウを見に出かけることにしている。いつもは、メインの歌手が一人来るのだが、今日は“堀内孝雄と香西かおり”の両名だ。

私と家内は、午前11時からの部を見るために、9時少し前に自宅を出た。世中で買い物をして10時半ごろにサンドームへ到着した。午前11時に開演。

舞台を見ると、バンドメンバーは4人。エレキギター、エレキベース、キーボード、ドラムだ。これでかなり大音響で伴奏音楽を演奏していた。特に、キーボードで様々な音を出しているために、ピアノやストリングスがあるような音の出し方だ。

私のように、小編成でバンドをする者には大いに参考になる音の出し方だった。歌も聴いていたが、歌の作り方などの参考になったと思う。編曲の仕方、作曲の仕方、作詞の素晴らしさなどを学ぶことができた。

聴いている間に、だんだん歌を作りたくなってきた。今日のショウを見ていて、うまく歌を作れないだろうが、それでも意欲がわいてきた。久々に昔に返って、楽器を扱ったり歌作りをしたくなった一日だった。

(日記 午前9時半過ぎに、歌謡ショウを見るために、サンドームへ向かった。午前11時から午後12時45分ごろまで『堀内孝雄と香西かおり』のショウが始まった。少人数バンドはかなり迫力があった。参考になった。ショウの終了後、娘の家へ寄った。しばらく、孫たちのカラオケを聴いていた。そのうちに、野球の試合を終えた娘の夫も帰ってきた。しばらくして帰宅。何にも仕事をしなかったが、かなり疲れた一日だった。)

 
 

想定外を想定外

11 7月

「想定外」を責任逃れに使っていないか
最近、自然災害が多い。それも、新たな地域での災害が多いのだ。災害発生直後のインタビューでは、高齢者の人達が「生まれて初めての災害です」ということをよく聞くようになった。

洗濯場の塗装作業。

洗濯場の塗装作業。

ということは、いろんなところで災害が発生するようになったいうことだろう。地域の首長の「想定外でした」という発言もよく聞くようになったのは情けない。想定外のことが起きるということを想定していなかったといううことだ。

最近の気候や自然災害は、もはや想定外というよりも、異常なことが起こることが当たり前になっている。したがって異常ではなくて日常的になったということだ。これまで起こらないような災害が当たり前のように起こる時代になったのだ。

「想定外のことが起こる」」ということを想定していなければならない時代になったようだ。したがって、「想定外」を想定していないのでは困るのだ。今やだれもが、想定外を想定していなければならないのだ。

沖縄、九州、長野…、本当に気の毒だと思う。明日は我が身かもしれないと気を引き締めておかなければならない。災害は、ゲリラ豪雨や地震などの自然災害ばかりではない。人災もあるのだから。

今日採れた夏野菜。春からの作業が報われた感じだ。

今日採れた夏野菜。春からの作業が報われた感じだ。

(日記 午前中は、洗濯場の壁面のペンキ塗り。腰の痛い作業ではあった。マスキングをして午前中1回目、午後2回目の塗料を塗った。まあまあきれいになった。あとは、心を鬼にして本棚の整理。まだまだ整理できるはずだが、なかなか実行できないのは、自分がお金を出して購入した本が多いからだ。)

 
 

久々に高校数学

10 7月

高校生からの質問
隣の高校生のSさんから「数学を教えてほしい」とメール。ほぼ毎日、高校生のための参考書作りをしているが、直接、数学を指導するのは久しぶり。数学を教えることはとても楽しい。

ます自分のやってきたことが人の役に役立つことがうれしい。それに、考えることは私にとっては脳の体操にもなるだろう。どうしたら、うまく指導できるかが問題だ。

指導は説明ではない。質問された問題をわかりやすく説明することではない。質問されたその問題を通して、いかに他の問題にも活用できる力をつけることができるかだ。

別の言い方をすれば、その問題を指導するのではなく、その問題を通して指導すると言い換えることができる。その問題を通して、数学の力を養わなければならない。

そんなことを考えると、数学に取り組むことは楽しい。なんといっても、私が長年かかわってきたことであり、私の財産でもある。これを生かさずして私の退職生活はあり得ないといっても過言ではない。今の私にとっては、“数学”は“数が苦”ではなく、“数楽”になっている。

(日記 午前中は、歯医者へ。医者通いの時間はもったいないがどうしようもない。悪くした責任の大半は自分にあるのだから。午後は、洗濯場のペンキを塗るための下塗り剤を塗った。午後4時から2時間あまり、隣の高校生Sさんの数学指導。あっという間に一日が過ぎてしまった。)

 
 

梅雨時期に伸びる雑草や樹木、そして野菜も

08 7月

次々伸びる生垣の枝
梅雨の時期は、野菜の成長も早いが、雑草や生垣の枝もどんどん伸びる。野菜などは伸びてくれるとありがたいが、畑や庭の雑草などはありがたくない。

少し前に家の生け垣の枝を切ったが、早くもところどころ、道路側に伸びている。午前中は、これらの枝切りをした。これらの、枝や雑草と、家にあるガスコンロなどを車に乗せて処分場へ持っていった。

家庭菜園のカボチャなども日に日に伸びている。自宅の大型植木鉢に植えた小玉スイカも同様だ。ぐんぐん伸びている。植えもしないのに生えてきたトマトの苗も、可愛そうなので畑から中型の植木鉢に植えた。これも伸びている。

植物同様に、人間も伸びる時期があるのだと思う。脳の大部分が成長するのは、3歳までだという。身長がどんどん伸びるのは、高校時代まで。植物は、畑の環境と肥料と太陽など自然の力で決まる。

人間は、家庭環境で性格などが、運動や栄養で体格が決まる。いずれにしても、成長に適した時期があるのだと思う。そうした時期に、成長に無関係なことをしているのはもったいないと思う。狭義の学力の強要などは人間の成長にはあまりプラスにはならないと思うが、世の中はそんなこと、お構いなしに強要しているように思えてならない。

(日記 午前中は、生垣の剪定など。午後は、事務所で数学。といっても、参考書に使う生徒にラストを書いていた。早く仕上げたいと思うが、高校の1、2年分だけで、3年位はかかるのではなかろうか。でも、考えていることに生き甲斐を感じる。)

 
 

台所整理のために車庫の戸棚を作る

07 7月

まるで数学のような手順
家内と二人で、今日は何をするか決めた。台所の食器類を整理すると決めた。そのためには、家の物置の戸棚を整理してスペースを作らなければならない。物置もいっぱいだからだ。

物置のものをどこかへ移さなければスペースができない。そのために、車庫の戸棚を整理しなければならない。車庫に使っていない収納棚があり、空間を占有している。そこでこれを活用したい。そこで車庫の戸棚にこれを設置し、空間に無駄を作らないように収納棚の下に台を作ることに決めて作業を始めた。

事務所から、材料となる木材や大工道具を運び、作業開始。例によってラジオを聴きながらの作業だ。午後3時ころようやく完成した。遊んでいた収納棚が浮かいやすくなるばかりでなく、戸棚の下にも台を作ったためにここにもかなりのものが収納できることになった。

それにしても、我が家にはまだまだ使わないが捨てられないものがある。父親が買った様々な道具や食器類だ。それに結婚式や記念式などでいただいた引き出物もかなり残っている。公民館際に提供したがそれでもまだかなり残っている。

捨てる前に一時保管しているモノもかなりある。毎年少しずつ捨ててはいるが、まだ残っている。この頃、セリをする機会が多いが、やるたびに、心を鬼にして捨てている。今、世の中の景気を支えているのはモノを買うことなのだろうか。モノのなかった時代に生まれ、モノのあり余る時代を生きて、今、モノを捨てるために苦労している。まだまだ使えるというのに。

(日記 朝から午後3時まで、日曜大工で収納棚を置くための台を作った。この台の下も収納できるように考えて作ったものだ。台所からものが少なくなることはとても気持ちがよい。必要だったら、近くの物置から持ってくればよいのだから。午後3時過ぎから、事務所へ出かけ、参考書に登場する高校生の顔のイラストを描いた。約3時間集中して取り組んだ。午後7時半から例によって横浜の孫の『爺ちゃん勉強』。)

 
 

毎日パワーを信じて

06 7月

毎日取り組めば前へ進む
ほぼ毎日、高校の数学の参考書作りをしている。200問あまりの重要例題を授業形式で解説する参考書だ。イラストを多用し、生徒の声も取り入れ、セオリーと称して、私自身の考えを掲載している。

一日、一問、完成知れば上出来だ。たいていは、半分しかできない。それでも、毎日少しずつやれば積み重なっていく。先をあまり見ないで、毎日、コツコツと取り組むことだ。

本職のない退職者の私にとっては、これが本職だと思って取り組んでいる。私は、時間がかかることに価値があると思っている。思いつきでぱっとできることはできてもそんなに感激はしないだろうと思う。

このように、毎日コツコツと何かに取り組み、目標に向かって頑張る力を私は、『毎日パワー』と呼んでいる。一日一日は、少なくても、時間が過ぎた分だけ成長するのだ。

それは、作物の成長でも同じことだ。人間の成長もまた同じだ。一日では目に見えた変化は見られないが、一月、3ケ月、半年たてば、明らかに目に見える変化がみられる。そして、成長を喜ぶことができる。何もしないでいる要理も、自分が仕掛けた何かを期待してこれからも進みたい。

順調に成長している八の中のスイカの苗。

順調に成長している八の中のスイカの苗。

(日記 午前中は、部屋の整理。あまり能率が上がらなかった。午後は、数学。一区切りまでは後1問となった。進んでいくことが楽しい。休憩時間には、バンドの楽譜を書いたりした。できた分だけでも、高校生に渡したいと思う。)