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Archive for the ‘未分類’ Category

ジオパークツアーに参加して

27 6月

恐竜発掘現場へ
 ジオパークツアーの「川編」に参加した。午前9時に教育会館へ集合し、小型バスで杉山の恐竜化石発掘現場へ出かけた。恐竜化石を発掘した地層の見える現場で講師の先生から話があった。

 このようなところで何体もの恐竜化石が発掘されたとは本当に奇跡だ。地球の長い歴史の中で、恐竜が長年にわたって生存していたことも、不思議なことだが事実だ。人類の歴史などは地球の歴史に比べると本当に短い。

 続いて、河岸段丘の後を見るために、七里壁に向かった。川が削り取った跡が勝山の中には何カ所か見られる。自然のままのものは少なく、どの河岸段丘も石垣ができていたりしている。

 そんな中で、高島の河岸段丘を見ていたとき、近くのおじさんが「ぜひ見てくれ」と私の所へやってきた。なるほど、段丘の崖には河原の石が自然のままに露出していた。

 別れ際に、「教育委員会にも伝えてほしい」とのことだった。そのご、七里壁の跡を見ながら、街中の大清水を見て市役所へ戻って解散した。

 「ジオパーク」を誰もが理解できるようにするには、かなり工夫が必要だと思った。写真ばかりでなく、大陸の移動や河岸段丘のでき方などは「アニメーション」を使って説明しないと多くの人には理解できないだろうと思った。

 機会があればぜひともやってみたいものだ。蒸し暑く、たっぷり汗をかいた健康的な一日だった。

杉山の恐竜化石発掘現場で説明を聞くジオパークツアーの参加者たち

自然のままの河原石が見える河岸段丘を示すおじさん

(日記:午前中は「ジオパークツアー」に参加。午後は、ALTのための和太鼓練習の楽譜とCDづくり。)

 
 

ノルディック・ウオーキング

26 6月

ストックを使ってウオーキング
 雨天のため、午前9時より、越前大仏の大門で、「ノルディック・ウオーキング教室」が開催された。この、「ノルディック・ウオーキング」とは、ノルディックスキーに使うようなストックを持ってウオーキングをするスポーツである。

 3月には、オリンピックメダリストの荻原兄弟が勝山へ来てこのスポーツの教室が開催され、私も参加した。通常のウオーキングは足は使うが上半身をあまり使うことがない。しかし、このノルディック・ウオーキングは腕も使うので全身運動であり、消費カロリーも多く、健康にも良さそうだった。

 そこで、今回も参加したのだ。雨のため、最初は大門の周囲を回りながら基礎的な歩き方を学んだ。その後、yつうもんまで歩き、さらに、大仏殿に入り、大仏様の周囲を歩き、五重塔の階段を使って上まで登ったりした。

 休憩の後、片瀬の集落を歩き、仏母寺を通り、裏門から再び越前大仏には入り、大門で整理体操を行い、教室は終了した。

 この競技は、姿勢もよくなり、全身運動であり、足を鍛えるのにはよい運動だと思っている。専用のストックを買い、今後もあちこち歩きたいと思っている。ただ歩くだけではなく、周囲の風景を楽しむことができるのも素晴らしい。

 生涯スポーツの一つとして、これからもこの「ノルディック・ウオーキングを続けたいと思っている。

越前大仏の大門の周囲でノルディック・ウオーキングの基礎練習を行う参加者。

(日記:午前中、「ノルディック・ウオーキング」教室に参加。午後、勝山の本屋へ予約しておいた本を取りに行く。その後、大野市へ買い物に行く。そして、和太鼓の楽譜づくり。)

 
 

サッカーデンマーク戦と集団検診

25 6月

サッカーデンマーク戦
 目覚ましを合わせて、午前3時に起きた。しかし、試合は、3時半からであった。貴重な睡眠時間が無駄になってしまった。サッカーの試合は全く分業だと思う。

 守備がしっかりしていて始めて攻撃ができるのである。一般には、フォーワードの選手が目立つことになる。しかし、昨日の試合では、守備の選手の活躍が目についた。

 攻撃にしても、相手の守備陣をいかに引きつけて、味方の選手が攻撃しやすくするかということが問題になる。昨日の試合では、全員が光っていたと思う。

 全員が、立派だったと思う。全員が殊勲者だった。

 職場ではサッカーのように仕事に取り組むことができるだろうか?答えは、「あきらかに「ノー」であるとおもう。政治の世界もそうであろう。持ち場を守るサッカーから学ぶことは多い。

 睡眠不足も無駄ではなかった。

60歳を過ぎると
 公民館で集団検診があった。これまでは職場で検診を受けたり、人間ドックのお世話になっていたので、このような検診は始めてだった。役所の職員や病院関係者がたくさん来ていた。

 普段はどこにおられるのだろうかと思うような人達にたくさんあった。知っている人達はだいた年齢の上下が分かる。同級生も下級生も沢山いた。

 60歳を越えると、年の割には若く見える人、老けて見える人、様々である。しかし大切なことは、健康であることだ。これから先は、無理をせず、怠けずに体力づくりに励まなければならないと思う。

 
 

祭りって何だろう

24 6月

越前大仏夏祭り
 「越前大仏夏祭りの実行委員会」に呼ばれた。流しそうめんだ、フランクフルトだ、ビールだ、野菜販売だ、饅頭販売だ、……と、モノを売ったりゲームをすることばかり考えている人は多い。

 何がメインなのか、例えば、阿波踊りと言えば、踊ることだろうし、「おわら風の盆」にしても、「郡上踊り」にしても、踊ることが中心で、モノを売ることはサブ的な行動だ。

 ところが、勝山の祭りは、左義長を除けば、中心がなくて、サブばかりのように思える。従って、どんな祭りも特色がなく、露店が中心になってしまう。

 「なにを中心にするのか、考えてみましょう」

と提案した。先祖供養や祈願のための灯籠まつりをしようという意見が多かった。また、和太鼓をやってはどうかという意見もでた。後は、例年のように盆踊りをやるということになった。

 私は、いま、勝山市の夏祭りで盆踊りを成功させようとしている。なかなか、理解されないが、毎年少しずつ進歩させることができないかを考えている。

 私の青年時代は、盆踊りが全盛だった。あの頃の賑わいを取り戻すことは困難だが、その十分の一でも取り戻すことができたらと思っている。

 盆踊りに会場は、出会いの広場であると思っている。老いも若きも、男も女も、大人も子どもも気軽に参加できるのがよい。

9月に行われた「郡上踊り」最終日の賑わい。お盆の徹夜踊りが終わり、9月になってもまだこの賑わい。

 

(日記:午前、家の整理、セールスマンの話を聞く。午後、越前大仏夏祭りの話し合い。家庭菜園で耕耘作業。)

 
 

新『春駒太鼓』活動始める

23 6月

練習初日
 今日は新「春駒太鼓」の久々の練習日。私は用事で午後7時に、私の事務所へ行くことができなかったが、メンバーの一人に自主練習するように伝えておいた。

    午後8時過ぎに事務所へ行くと、メンバー達は練習していた。最近一生懸命書いた和太鼓の楽譜を彼女たちは練習していたのだ。私の練習方法は、最初は、各太鼓の関わりを知るために、太鼓を使わずに、指で机などを軽くたたいて、リズムを頭に入れるのだ。

 その後、太鼓を使って振りに気をつけながら、練習するのだ。特に、楽譜を読む場合には、最初はバチではなく、口でリズムを言うのだ。これを太鼓用語では、「口唱歌」というのだが、口で性格にリズムを唱えることができれば、後は手(バチ)を使ってそのリズムを打てばいいのだ。

 今日は3曲ほど練習した。楽譜と机があればどこでも指を使って練習ができるのだ。この段階を経て、いよいよ太鼓に向かうのだが、近所迷惑にならないように、太鼓の上にバスタオルなどを置いて、防音に努めているのだ。一応防音が効いている部屋のつもりだが、十分ではないので、気を配っているのである。

私の願い
 せっかく太鼓をやりたいといって駆けつけてくれたのだから、和太鼓の楽しさを味わってほしい。祖のためにも、彼女たちを精一杯かっこよく見せたいと思っている。

 メンバーの誰もが、曲目によっては、中心になれるよう配慮している。一局の中でも、ある時は主役に、ある時は脇役になるよう工夫して曲を書いている。

 彼女たちは、今日現在全員22歳である。彼女たちの若さに負けないよう私も頑張りたいと思っている。若者達と行動できることに喜びを感じている。しっかり練習して、慰問活動なども行いたいと思っている。

私の事務所で練習の後、「ハイチーズ!」と記念写真。今回の和太鼓メンバー。

 

(日記:近所に不幸があり、午前、午後、夜、手伝いなどに出かける。8時過ぎに和太鼓練習のために事務所へ行く。)

 
 

歌を作るなら……

22 6月

二つのテーマ
 これまでは、演歌と自作の映像のBGMを趣味として作ってきた。しかし、今は、外国語指導助手のDさんのために英語の歌を作りたいと思っている。もちろん歌詞の英訳は、国際交流員か、ALTにお願いしなければならない。

 歌のテーマとしては、今二つのことを考えている。

 一つは、昨日のブログにも書いた『マイ・セカンド・ホームタウン(第2のふるさと)』だ。
  もしも、一人でも多くの人が、外国に第二のふるさとを作れば、国際交流にもなろうし、世界平和にも繋がると思う。サブテーマは「愛」である。

 ♪ このまちには私の愛する人がいる
   このまちには私を愛する人がいる……

    このまちにはママのような人がいる
       このまちにはパパのような人がいる

  もしも、この国と戦うことになったら
  私は身体を張ってと阻止したい

     私は第二のふるさとに弓を引くことはできない

  ………… ♪  

これを英語で歌ったらどんな曲になるのだろうか? 

 もう一つのテーマは、『地球の中心はどこ?』をテーマとしたい。

 ♪  地球の中心はどこ?
  アメリカ フランス ドイツ
  それとも、中国 ロシア イタリア
  
     答えは「ノー!」

     地球の表面に中心はない
     球体の地球の中心は煮えたぎるマグマの中

     それで「地球の中心はどこ?」と聞かれたら
     その時は自信を持って答えよう

  それはあなたの立っているところ
    それは私の立っているところ

 そしてあなたの命は地球よりも重い
   もちろん私の命も、みんなの命も

     ………… ♪

と歌が進んで、かけがえのない地球、かけがえのない命、

 そして、人を愛することの大切さ、人を信じることの大切さを歌にできたらと思う。

我が家の玄関で満開となったサボテンの花

(日記:午前中、イチジクに支柱を立てる。和太鼓の楽譜整理。午後と夜は、近所に不幸があり手伝いに行く。)

 
 

太鼓好きのアメリカ人女性

21 6月

ラストミニコンサートを目指して
 私は、今、「外国人ALT(外国語指導助手)」のDさんとKさんに和太鼓を教えている。彼女たちが太鼓好きであることを知ったのは今年に入ってからであった。まもなく左義長が始まるということで、
 「左義長太鼓をやってみる?」
と問うと、即座にやってみたいということであった。そして、各町内の練習に参加し、本番では櫓にも登らせたあげることができた。

 左義長シーズンが終わると、曲太鼓の練習を始めた。そして、今も練習を続けているが、彼女たちは7月にアメリカへ帰るという。そこで、勝山を去る直前に「ミニコンサートをしよう」と提案した。彼女たちの仲間に少しでも練習の成果を見せてあげられればということで提案したのだ。

 代表的な、ベースリズムを使った3曲を考えている。そして、今日はいつもより長く練習した。彼女たちも真剣に練習した。普通、和太鼓を練習する数倍の速さでマスターしている。

 後、数回しか練習できないが、日本の土産としてぜひとも和太鼓を覚えて帰ってもらいたいと思っている。

英語のオリジナルソングを
 二人とも歌は上手だが、特に、Dさんは歌が上手だ。彼女たちが帰国するまでの1ケ月以内に英語の歌を作りたいと考えている。テーマは、“第二のふるさと(マイ・セカンド・ホームタウン)である。

 誰もが外国に第二のふるさとを持てば、それが国際交流になり、世界平和へもつながると考えている。Dさんの美声を生かした大きな歌を作りたいと時々ギターを弾きながら創作し始めている。

 なんとかDさんの歌唱力を借りて、いい歌を作りたいものである。

スタジオで練習する外国語指導助手のDさん(左:中部中)とKさん(右:北部中)の二人

 

(日記:午前中、物置の整理。高校・大学時代の日記を発見。午後和太鼓の楽譜書き。夕方、ALTと和太鼓練習。夜、彼女たちと「秋吉」へ。)

 
 

団子まき

20 6月

復活の団子まき
 私達の村には、曹洞宗の仏母寺がある。西暦1700年頃に、この村の有志が、曹洞宗の方慶寺の住職の隠居寺として建立したのだという。しかし、村のものは全員浄土真宗の門徒であり、宗派は違うが門徒のいないこの寺を長年守ってきたのである。

 そして、私達の子どもの頃には、この寺で涅槃会には団子まきが行われてきたのである。それを今年は何十年ぶり課に復活したのである。この木曜日に、この寺の住職(三国から兼務でこの寺の住職を務めていただいている)から涅槃団子の作り方を教えていただいたのである。

 最初に、村に伝わる郷土芸能『銭太鼓』を中年会の有志が奉納し、その後、涅槃会が営まれ、住職の読経が一時間あまり行われた。

 そして、待望の団子まきが行われた。この頃には、子ども達も集まり、かなりの賑わいとなった。この寺とは疎遠だった者も、久々にこの寺へ集い、復活した団子まきを楽しんだ。

 昔は、この団子を小袋に入れて持ち歩くと、蛇に噛まれないのだという言い伝えがあり、誰もが、団子を持ち歩いたものである。一種のお守りであった。

仏母寺で数十年ぶりに復活した『団子まき』

 
(日記:和太鼓楽譜づくり。午後、物置の整理。和太鼓の楽譜づくり。夜、子ども達とウェブカム:パソコンを使っての会話)

 
 

50年前の手紙

19 6月

漫画家志望
 家にある諸々のものの整理は容易ではない。ある人によれば、2年はかかるといい、先日我が家を訪れたI先生は、10年かかりますよとおっしゃる。

 毎日、半日ぐらいは家の諸々のものの整理をしているが、いずれにしても簡単でないことはよく分かる。あれこれ資料を整理していると、思いがけないものが出てきて、思わず見入ってしまう。尊簡作業は中止だ。

 今日は、50年前の手紙が見つかった。

 秋田書店からのものだ。

 秋田書店と言えば、1952に少年雑誌『冒険王』を創刊し、同誌の大ヒットをきっかけに漫画の出版を柱とするようになった。私の子ども時代には、『イガグリくん』(福井栄一)や『木刀君』(高野よしてる)が有名であった。また、漫画雑誌『漫画王』も創刊している。1969年に『週刊少年チャンピオン』を創刊し、同誌に連載された『ドカベン』(水島新司)や『ブラックジャック』(手塚治虫)、『がきデカ』(山上たつひこ)などの漫画作品は国民的大ヒットとなった。

わくわくして封を開いた秋田書店からの手紙(約50年前のもの)。

出版社から返事が来て大喜び
 中学・高校時代に漫画家志望だった私は、せっせと出版社へ漫画を送り続けていたのだ。このときは、カラーで西部劇漫画の表紙だけを送り、後に、中身を送ったことを覚えている。

 当時は、手紙(返事)が来るだけでも、大したものだといわれていたので本当に嬉しかったことを覚えている。

 こんなものまで保存していた自分が愛おしい。!?

(日記:午前中家の整理。午後、和太鼓の楽譜書き。そして今からサッカーを見る予定。)

 
 

農舎の地鎮祭

18 6月

米作りは持続するだろうか
 午前五時起床。午前6時より『農事法人かたせ』の農舎の地鎮祭が行われた。既存の農舎が手狭になったので、拡張するのだ。そして、新たな作業ができるように、施設を充実するのだ。しかし、この法人に関わって一線で活躍している者は皆60歳、70歳過ぎの高齢者ばかりだ。

 高齢化したり、後継者がいなかったりして、田んぼを守り米作りが困難になった人たちの田んぼを預かり、耕作するのだが、請け負う人たちが高齢化しているので、今後どうなるかが心配だ。増築してもこの先大丈夫だろうかという心配がないでもない。
 
 神事の後の神主さんの挨拶にあったように、静かな朝に小鳥の声を聞くのは久しぶりでとても気持ちがよかった。

 帰宅途中に、散歩中の元同僚とあった。立ち止まって少し話をした。彼は時々散歩をしているらしい。散歩も悪くないなあと思った。晴れた日、一週間に一度か二度、農道を散歩してみたいものだ。

(日記:午前中、和太鼓の楽譜づくり。午後、家庭菜園の耕耘作業。夜、事務所で和太鼓の楽譜づくり。)