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WBC大谷選手の活躍

17 3月

WBCを観るために
 NHKでも民放でも我が家のテレビではWBCは観られない。先日、横浜の孫娘が高3を終えた卒業旅行として我が家へやって来た。ところが、彼女のスマホでは動画で観られるのだ。アマゾンプライムで。

 しかし画面が小さい。大きく映そうとしてテレビにつないでも、大きくならない。そこで、苦肉の策としてもう一台のスマホで孫娘のスマホの画像を写し、それをテレビと拡大して映すという方法で何とか、観ることができた。

 しかし、昨日のイタリア戦は、孫娘がいないので、観ることができない。そこで、息子に教えてもらい、アマゾンプライムのアプリを入手して何とか動画で見ることができた。準決勝は面倒くさい方法ではなしに、大画面で観られるように今のうちから準備しておきたい。

大谷選手の活躍に勇気づけられる
 大谷選手の気合いのこもったピッチング。意表を突くバント、岡本の活躍などで日本は快勝した。大谷選手の活躍に、私も何か頑張ってみたい、そんな気持ちが湧いてくる。

 一昨年から、衛星放送で大谷君の出場する試合をかなり観ている。そして、一喜一憂している。毎回打席ではホームランを期待しているし、投げれば勝ち投手になることを祈っている。

 しかし、ただただ彼の活躍を傍観しているのもさみしい。彼がインターナショナルに活躍するなら、私もインターナショナルに活動することはないのか。レベルもスケールも彼に比べれば像と蟻くらいの違いがあるだろうが、気持ちだけは「俺だって」と年甲斐もなく、刺激を受け、できることを探している。

 失礼だが、WBCの試合を観ていると、日本のプロ野球が小さく見えてしまう。
   この時期は 二軍に見える NPB
とおかしなことを考えてしまう。マイアミでも、これまで同様日本チームに、大谷君に頑張ってほしいと願う。

 そして、大谷選手の一歩ずつ歩んで夢を掴んだ過程を若い人達にも見習ってほしいと願う。大谷選手の原点は、既に高校時代からの一歩一歩から始まっているのだから、みんなも自分の夢に向かって、一歩一歩、歩こうではないか。

大谷選手が高校時代に書いた夢実現のためのマップ(ほとんど全ての項目をクリアーしている)

 

 
 

学校は地域の中心であるべきでは

16 3月

南小学校そして南部中学校を中心に市街地が
 学校と周辺の町の変化について考えてみる。私は新築の成器南小学校の1年生として入学。この頃の、南校と言えば、田んぼの中の一軒家のようだった。周辺はほとんど田んぼでかなり町外れにできたと思う。
 
 そんな状況の中で、南小学校と元町の間に洋風の赤い屋根の家が一軒建っていたのを覚えている。片瀬の自宅からは南小学校が見通せたものである。

 南小学校界隈の大きな道路と言えば、本町ー立石ー山岸機業ー南小ー高島ー若猪野ー下荒井橋を通って、大野へ行く道が一本。これが勝山と大野を結ぶ主要道路だった。そして、もう一本は、立石ー毛屋ー平泉寺を結ぶ平泉寺街道だった。後は、集落間を結ぶ道があるだけだった。

 その後、国道ができたり、南部中ができたり、都市開発が進み、周辺は二つの学校の周辺は住宅地へと変貌していった。そして、ホームセンターやスーパー、病院など生活に必要な店舗が並び、集合住宅もできていった。いずれも、学校を中心に周辺が市街化していったのである。

勝山高校界隈この60年余
 勝山中学校と併設していた勝山高校が火災になり、勝山高校は、長山の麓へ移転することになった。あれから70年近くが過ぎた。

 勝山高校界ができた頃は、北側は長山公園、西側は狭隘な道の市街地、南側は精華高校(現奥越特別支援学校)東側は山地や三谷集落(現昭和町2)に囲まれていた。

 元々周辺が広がりようのない狭隘に地であったためにが、西側に国道ができたこと以外はほとんど同じような状況である。そのため、この70年近く、周辺は他の地域に比べて変化の少ない地域であった。

 ここに、新たに、勝山唯一の中学校を建てることにどのような意義があるのだろうか。以前にも書いたが、高校よりもはるかに大きな新中学校が建設されれば、何もかも高校と共用しなければならず、果たして、どちらの学校に対してもプラスになるのだろうかと考えてしまう。

 そして、勝山高校と新中学校との併設が、勝山高校の定員割れに起因していること、そして、中学校を併設すれば、勝山高校への進学者増が期待されると考えていること、併設すれば連携による教育効果が上がると期待されていること。これらのいずれもが果たしてそうかと多くの人が疑問を抱いていること。

 以上を考え合わせると、この学校再編問題を少なくとも、もう一年考え直してよりよい方向性を見いだすべきではないのかと私は考えるのだが、皆さんはいかがお考えでしょうか。

 

TIME IS MONEY

15 3月

光陰矢の如し
 この頃、月日の経つのがやけにはやい。この前正月だったのに、もう3月半ば。この調子で時間が過ぎたら何もできないと思う。80歳になった今、やりたいことを少しは絞りたいと思う。時間というのは、誰にも平等で、私たちは、後戻りのできない時間の道を進んでいる。

 こんな貴重な時間を、様々な「モノ」が奪おうとしているように思えなくもない。昔、読んだ本の中に、「ビジネスとは、欲しい人にモノを売るのではなく、欲しくない人にモノを売ることだ」と書かれていたのを今でも覚えている。

 そんなことが、気になって、自費出版した『じいじ達の子供時代』には次のような7・5調の歌を作ったことがあった。

物、物、物の今の世は

 物がなかった 昭和の世
 物がないから 考えた     
 物あり過ぎる 今の世は
 新たな物を 買いたがる

 考える暇(ひま)  ないほどに
 新たな物を 次々と
 作り続けて 買えと言う
 考える暇  与えずに
 物を作って  宣伝し

 あの手この手で 売りまくる
 ローン重なり 四苦八苦  

 物に溺れて  物を買う
 物に流され  物を買う
 物を買うため  働いて
 働いてまた  物を買う

 気がつきゃ「時」が  流れてる
 買えない「時」が  減っていく
 貴重な「時」が  過ぎていく
 後でどんなに 悔やんでも
 月日はただただ 進むだけ

学校の協力により、地元の高校1、2年生全員に調査させていただいた。

時間の使い方もいろいろあるのでは
 実は高校の活性化の一環として、当時の高校の校長先生の協力を得て調査したもので、高校生のゲームやスマホなどの使用時間を問うと共に、プログラミングに興味があるかどうかなども尋ねた。

 こうした文明の機器を使うなとは言いたくない。私も愛用者だからだ。使い方を考えてほしいと思うだけだ。余計なお世話かも知れないが、高校3年間にこうした機器に対して一体どれだけの時間を使うのだろうか。

 それだけの時間があったらもっといろんなことができるのではないかと思ってしまう。貯金と違って時間は貯えておくことができないのだから。その年にしかできないこともあるのではと思ってしまう。

 楽しいこと、身につけたいこと、作ってみたいこと、造ってみたいこと、創ってみたいこと、調べたいこと、鍛えたいこと、体験したいこと、語り合いたいこと、書いてみたいこと、…………いろいろあるではないか。

 スマホに費やす時間の一部でも,こうしたことに時間を使ってほしいと思う。きっと楽しくなるだろう。きっと充実した生活に繫がるだろう。

 大学時代、ある英語の先生がおっしゃった。「趣味の多い人間ほど、人生にもてあそばされることが少ない」と。確かにこのようなことだったように思う。今も、妙に記憶に残っている。そして、80歳になった今も、この言葉が現実味を帯びている。

 
 

トマトのちから

14 3月

10,000個のトマト
 トマトという作物について、強く頭に残ったことは、筑波万博での10,000個のトマトだ。頭上にある棚から真っ赤な無数のトマトが実っている姿は壮観だった。

 この状況に、感銘を受け、トマト栽培に乗り出した人達がいる。そして、それぞれが、一本のトマトから何個のトマトを収穫できるかを競っている。そして、15,000個を超え、20,000個を超えるまでになっている。

 なぜ、一本のトマトから、こんなにたくさんの実が実るのだろうか?それは、トマトにストレスを与えず、伸び伸び育てることだという。そのために、土を使わずに水耕栽培で行う方が根にストレスを与えないのだという。

 そういえば、トマトって不思議な作物だと思う。我が家でも、毎年トマトを育てているが、水耕栽培でなくても、育て方によっては、雪が降るまで実を収穫することができるのだ。

家の基礎の隙間からトマトが
 逆に、一切栄養を与えなくても、どんどん育つこともあるのだ。ある時、家(旧宅)の基礎の5mmほどの隙間から一本のトマトが芽を出したのである。そこで、どうなるか、抜き取らず、成長を観察することにした。

 すると、トマトはどんどん生長していくではないか。トマトが頑張っているのだからと、肥料は与えないが、支柱を取り付けることにした。そのうちに、芽を出し、トマトが実り始めたのだ。

雪が降るまでどんどん実を付けた家の基礎の隙間で育ったトマト

人間にも通じる無限の可能性
 トマトにも潜在能力があり、ストレスを少なくすれば無限に育つのだ。きっとこれは人間にも通じるはずだ。そう思って、私は、自分の教員生活の経験と自分が見聞きしたトマトの潜在能力から『トマト』と題する小説もどきを書くことにした。

 この、仮称、小説『トマト』を同級生の映画監督のO君に読んでもらった。そして、読後感想をいただいた。かなり厳しい指摘もあった。今度は教育経験者に読んでもらいたいと思っている。

 簡単に言うと、教えない老数学講師の話である。その講師が進学校で働くことになった。受け入れる生徒、受け入れない生徒、そして、……。

 私が考えているのは、今の世の中、次々といいろんなモノを作り出して、子ども達の創造や想像のチャンスを奪っているのではないか。また、大人達は教えすぎて子どもの考えるチャンスを奪っているんではないか、そんな思いから、この『トマト』を書く気になったのだ。

 大人のお節介を排除して、子どもが自らその潜在能力を発揮する世の中こそ、子ども達が楽しく生き甲斐を感じる世の中になるのではないか。この『トマト』でそれを伝えたかったのだが。1本のトマトでさえ、本気になれば2万個以上のトマトを実らせることができるのだ。それなら、人間は……?

小説『トマト』 読むに耐えるかは心配

 

勝山を愛した男 上田秋光さん 安らかに

13 3月

常に前を向いて走った人
 上田秋光さんと親しく付き合い出したのは、私が市教委にお世話になった頃からだ。それまでは、間接的に上田さんの活躍ぶりを第三者から、またはマスコミで知っていたくらいでした。

 上田さんは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」を地で行くような人でした。本当の実力者は、一切自慢などはしない。しなくても、その力は自然に滲み出てくるもので、それが人を引きつけるのです。私の方が年上ですが、彼と話していると、色々触発されて勇気をもらえる人でした。

 上田さんは若い頃から、一流のスポーツマンでした。特に、5,000mの県記録保持者で相当長い間この記録は誰にも破られませんでした。上田さんの猛練習ぶりについては、高校時代には坂の多い平泉寺から学校まで走って通学したとか、バイクに前を走らせてスピード練習をしたとか、いろんなエピソードがあります。努力の人でした。

 そして、地元でたくさんの長距離ランナーを育てました。ある時期、福井県の女子駅伝チームの選手はほとんどが勝山の選手でした。当然ながら、その監督を務めるなど、県内でも存在感のあるアスリートでした。また、ご子息は日本のトップクラスのバドミントン選手であり、指導者となってからは、たまたま今日もドイツオープンで優勝した世界ランキング1位の山口茜選手の育ての親でもあるなど、上田家はスポーツマン一家でもありました。

アイディアマンであり誰からも好かれた男
 私が一緒に仕事を始めてからのエピソードは数え切れないくらいあります。たくさんの思い出の中から、そのいくつかを書いてみます。

 勝山の人なら誰もが知っている「ゆめーおーれ」ですが、かつては市内の機業場でした。それを、産業遺産として、観光資源として残すためには、周囲の環境から考えて、その位置を動かさなければなりませんでした。

 そのために、曳家(ひきや=建物を解体せずに文字通り引いて動かす)をしなければなりませんでしたが、その作業自体をイベント化して世間にアピールする企画の中心になったのが上田さんでした。機業場の大きな建物を大勢の人が綱引きのように引いて動かすことをイベントにしたのです。そして、見事に成功させました。当日は、鳶のはしご乗りなどもあってそれは賑やかでした。

自然体験学習課から「恐竜のまち勝山応援隊」へ 
 現代の子どもは室内でゲームなどをして過ごすことが多いが、自然の中でいろんなことを体験しなければダメだということで、教育委員会の中に「自然体験学習課」をつくることになりました。もちろん上田さんの発想であり、初代の課長にもなりました。

 その後、勝山市の長尾山に恐竜博物館ができてからは、上田さんは、この博物館を中心とする長尾山を自然体験の舞台とすることが夢となりました。

  そして、この博物館を含む長尾山を公園とし、その管理を行うと共に、自然体験を行う団体をつくりたいということで動き始めました。そして、名前を考えたので見てほしいと、いくつかの名前案を持って私の部屋へ来られました。

 私は、その名前案の中から、応援隊という言葉に惹かれて「恐竜のまち勝山応援隊」を選びました。上田さんは「やはりそれがいいですか」と言って、部屋を出て行かれました。それが、今のNPO法人「恐竜のまち勝山応援隊」に繫がっているのです。(その後、初代理事長) 

 一刻も早く、「恐竜のまち応援隊」としての仕事をしたいということで、建設部長でありながら早期退職し、その後は、文字通り、恐竜のまち勝山の応援隊として、あれこれアイディを出し、それを一つ一つ磨き上げ、実現しながら勝山のために頑張ってこられました。「恐竜のまち勝山応援隊」の生みの親であり、育ての親でありました。

上田さんの仕事あれこれ
  『《オオタカの育ての親》 勝山市の豊な自然を活かした「体験学習」「自然観察会」や全国トップクラスの発掘量を活かした「恐竜化石発掘体験」などのプログラムを実践している勝山市の自然体験学習課の課長さん。
長尾山で生息する「絶滅のおそれのある国内希少野生動物」であるオオタカの生息環境を守る事業にも取り組んでいます。オオタカは、全長50~56cmの中型のワシタカ類で平野部から山地帯の緩やかな地形の森林で繁殖します。勝山市では平成9年度よりオオタカ生息環境保全委員会を設置し、保護区域を設けて観察を続けています。保護開始から平成15年までに12匹のヒナの巣立ちを確認しています。』(『 』内はネット記事)
 ※ 離れた場所から大鷹を観察するためのカメラ設置も上田さんがやられたと聞いています。 

NPO法人の理事長として、公園管理のほか、様々なイベントを考案したり、実施したりしておられました。
 ・かんじきによる公園内散策  ・保存した雪で夏にそり滑り ・大きな雪山からのタイヤ滑り
 ・池でのカヌー遊び  ・スノーモービルを使ったそり遊び ・バスでの園内周遊  ・クロカンマラソン
 ・正月イベント ・恐竜雪だるま ・・・・・(ありすぎて書けません)  

上田さんの想い
 何度か、私たちはは三人で、一緒に酒を飲んだり、ごはんを食べたりしたことがあります。その中で上田さんから聞いた話ですが、忘れないことがあります。ここで書くべきか迷いましたが、後輩の皆様方にもよく考えていただきたいので、敢えて書かせていただきます。

 後輩の皆さん方にも、上田さんのように損得を考えずに、勝山を愛し、前を向き、広い視野で仕事をしていただきたいからです。

 恐竜博物館へ行く人は誰でも、曲がりくねった坂道を上りながら、博物館前へ向かいます。そして坂道を登り切り、博物館前の駐車場へ向かった次の瞬間、博物館の入り口と共に、卵形の博物館本体が目に飛び込んできました。「博物館へ来たんだ」とその建物の雰囲気から、期待に胸が膨らんだものでした。(敢えて、過去形で書きました)

 上田さんはずっと、博物館を訪れた人にこのワクワク感を味わってほしかったのです。ところが、玄関先にある建物が立つ計画が持ち上がりました。いつも恐竜博物館を眺めながら、仕事をしていた上田さんですから、自分の庭のようにいろんなことが分かっておられたようです。

 「建物の位置をよく考えないと、このようなことになりますよ」と、図面を描いて訴えたそうです。説明を聞いた市のトップの方もなるほどと思いながら、後戻りもできずに、計画が進んでしまったのだそうです。

 決定してしまった後は、上田さんからはその件については一切話を聞いていません。しかし、私の心の中には、「後戻りのできない事業を行う場合には、現場の意見をよく聞いて実行しなければならない」との教訓が今も強く残ってきます。そして、私の生きる力の一部になっています。ありがとうございました。

 上田秋光さん、安らかにお休み下さい。私の心の中には、あなたとの思い出や生き方がいつまでも残っています。まだまだ書きたいことはたくさんありますが、このあたりで筆を止めます。 

 

中学校再編~高校の立場で考えると~

12 3月

中学校が併設されると高校生や高校教員にとってどんなメリットがあるのだろうか
 現在の勝山高校のグラウンドに中学校が建設されると、高校生や高校教員にとってどんなメリットがあるのだろうか?急には思いつかない。今回の勝高併設案は、元々勝山高校の活性化とか、定員増を期待されてのことだと何度も説明されてきた。

通学方法が大きく変わる高校生
 中学校が併設されれば、現在の勝山高校やその中にできる中学校へ通う生徒の総数はかなり増えることになる。そのため、北部中校下全域、南部中校下の大部分の生徒がスクールバス通学を強いられることになる。そうでなければ家庭の車による通学になる。

 従って、現在の勝高生はバス通学、家庭の車での送迎のいずれもが、ジオアリーナにできるバス停か駐車場で車を降りなければならないことになる。そこから、国道157号線を横断するために、中学生と共に地下通路を通らなければならないことになる。

 現在の想定では、おそらく中高生の半分以上が短時間にこの地下通路を通らなければならないために、そこでは、相当の混雑が予想される。地下通路は現在の計画では「上履き帯」と「下足帯」に二分されているために、地下通路の幅はそんなに広くは取れないので、追い越しも簡単にはいかないだろうから、中高生の歩く速さが異なればいずれにもストレスになるであろう。

中学生との校舎の共用はどうだろうか?
 現再編計画では、2つの体育館やグラウンド、図書館(メディアセンター)は中学校と共用されることになる。また、高校の特別教棟の一階には中学校の理科室や技術室、2階には高校の理科室、3階には中学校と高校の各音楽室、そして各階には中高の共用部分があるという環境は、高校生にとってはどうだろうか。

 常に、高校生は、中学生と出会うことになるのである。それが高校生にとってどのようにプラスになるのだろうか。中学校の先生方とも、何かにつけて出会う環境は高校生にとってどうだろうか。

 高校生は、中学校の先生と常に出会う環境を嬉しいと思うだろうか、それとも、一度は離れてみたいと思うだろうか。いろんな情報が双方に入ることになるだろう。果たして、高校生はどう感じるだろうか。

 校舎やグラウンドの使用、そして、部活動の場所を巡っても、年下の中学生を優先させて考えるべきか、それとも、元々高校の校舎に中学校が入り込んできたのだから高校生を優先すべきではないのかなど、意見の分かれるところであろう。どちらもゆずりたいし、ゆずりたくはないと悩むであろう。

高校の教員にとってはどうだろうか
 高校の教員にとって、中学校の校舎が併設されることにどのようなメリットがあるのだろうか。何かにつけて、連絡調整しなければ実施できないようなことになりはしないのか。

 何か問題が発生した場合に、その責任問題はどうすればよいいのだろうか?県立と私立が校舎を共有すれば、どのような問題が発生しどのように対処すべきか、予算的にどちらがどのような割合で負担すればいいのだろうか?

 何か行事を行う場合に、中高が一体となって行うべきか、独自に行うべきか、いずれの場合にも、両者の調整が必要となろう。煩わしさを上回るメリットが発生するのだろうか。

 進路面で、期待されるように中学生が併設される勝山高校に進学するのだろうか?元々、中学生は多様な方向に進むことになり、併設によって普通科という特定の学科へ進む生徒を増やすことができるのだろうか?

 精神的にもリセットしたい時期にある高校生や中学生が、中高一貫校でもない学校で6年間学校生活を送りたいと思うだろうか?一度は地元を離れて新たな場所へ旅立ちたいと思うのが、この時期の子ども達の素直な気持ちではなかろうか?

 高校生や高校教員とのこうした様々な議論が不足したまま、現計画が進められていることに違和感を覚えるのは私一人だろうか?今一度、検討する時間を持ってもいいのではないかと私は思うのだが。

高校生の登校経路は、「校門方向」と「ジオアリーナー地下通路方向」とに二分されるが

 

 

エルパの本屋さん『AKUSHU』

11 3月

新しく生まれた本屋さん
 私は、家内と時々、エルパに買い物に行く。そんなとき、二人が別行動を取ることがあるが、私はよほどでない限り、本屋へ行くことにしていた。

 ところがその本屋がなくなってしまった。さみしいと思っていたが、新聞などで新たに本屋ができたということを知った。そこで、早速『AKUSYU』を尋ねてみた。やはり、ショッピングセンターには本屋は欠かせない。

本屋の復活をかけてできた『AKUSHU』

本を置いてもらえませんか
 早速、店内を見て回り、そこで店員さんに尋ねてみた。「ここで本を置いていただくことはできるのですか?」と。すると店員さんは、「店長に相談してみます」、「メールアドレスがあれば、お知らせ下さい」と話してくれた。

 そこで、言うとおりにして帰宅した。すると、『AKUSHU』からメールが入った。

そこには、次のように書かれていた。

「自費出版の本は3ヶ月の期間限定で一旦本をお預かり、陳列し、注文が入った場合のみ商品として仕入れさせ   ていただく方針を取らせていただいております。経理上、代金もそのときにやりとりさせていただいています。

 注文がなかった場合は、3ヶ月後に引き取りに来ていただくお約束でお預かりをしております。以上の点をご了承ください。この条件でも納得していただける場合は改めて本をお持ちいただければと思います。」

 早速、二日後、自費出版した『じいじ達の子供時代』(上巻)(下巻)を『AKUSHU』に持ち込んだ。店員さは丁寧に対応して下さった。県内の人の自費出版作品コーナーに展示されることになった。

 果たして、どなたかこの本に興味を持って下さるだろうか。気になるところだが、自分を試すいい機会にもなる。ただただ待つのみである。それでも、私にとっては、待つことは楽しいことだと思っている。 

拙著『じいじ達の子供時代』(上巻)(下巻)
 

アメリカ・セントラリア高校の今

10 3月

43年前に調べたアメリカの高校の今
 何冊か余っている拙著『アメリカの高校生~セントラリア高校の全て~』を久しぶりに出してみているうちに、今あの高校はどうなっているのだろうかと気になってきた。

 そこで、先ずはグーグルアースで学校を調べてみると、なるほど郊外にある高校だということがよく分かった。そして最近立て替えられたことも。以前は、「アメリカまで行って写真を撮ってきてほしい」と頼まなければ、学校がどのような場所にどのように建っているのか、全く分からなかった。

 ところが、今は違う。地図で頭上から眺めることができるし、まるで道を歩いているかのようにストリートビュウで眺めることもできる。学校のホームページの調べれば、様々な写真もある。今日・明日の行事も、今月の行事も、年間行事も全て知ることができる。

43年前に私が様々なことを調べて本にしたセントラリア高校の現在のホームページ

カフェテリアの今日、明日のメニューも
 日々の連絡も細かく、今日(アメリカでは9日)のことも『2023年3月9日木曜日 今日、カフェテリアはランチにピザを提供しています。 明日(学期末)は朝食にシリアルバーを提供し、正午は下校のため昼食は提供されません。』とある。他にも様々な情報がある。

日々の連絡が事細かに書かれているセントラリア高校のホームページ

過去の卒業アルバムも全ページ掲載 
 驚くことに過去の卒業アルバムも1031年(昭和6年)のものからすべて保存されていて、全ページ閲覧できるようになっている。ただし、色々個人情報を入力してログインしなければならないがそれは当然のことだろう。

 アメリカの卒業アルバムは『イヤーブック(年鑑とも訳す)』と言うだけに、日本とはかなり趣が異なる。例えば、個人写真がずらりと並んではいるが、その下に、自分がスポーツやその他の活動で写っている場所を示すページまで掲載されているのだ。

 そして、なんと懐かしいことに、私が手に入れた1979年の卒業アルバムもアップされているのだ。ここの編集部のカメラマンにお世話になったのだ。彼らは今60歳を超えているはずだ。

 他にも、学年毎の成績優秀者などの氏名や、単位を落としそうななった場合の補習授業のことなど、事細かに掲載されている。また、生徒手帳には服装規定まである。更に、それとは別に、様々な行事での服装も定められている。

 実は、このような事を調べたのは、今の在庫品(新品)をどう処分するかを考えてのことだ。既に、既刊の拙著『じいじ達の子供時代』は上下巻ともエルパの新しい本屋『AKUSYU』に置かせてもらえることになっているので、この本もどうかと考えているからだ。

 かつては、アメリカまでの取材旅行に行かなければ何も分からなかったが、今ならネットでどんなデータでも入手できる。写真も鮮明なカラーで入手できる。

 新入生を迎える校長の挨拶だって読むことができる。そして、それらが、全て英文でも構わない。なぜなら、翻訳ソフトを使えば、瞬時に和訳されて、だいたい何を言っているのかは理解できるからだ。

 私の過去50年とこれからの50年を考えると、その変化は、想像を絶することになっているだろう。もしかしたら、宇宙へ修学旅行なんてことも夢ではなくなっているかも知れない。

 

新中学校はベターな選択、ベストな環境か?

09 3月

現在の中学校再編計画が実現したら

 現在、細長い勝山市には3つの中学校が存在している。しかし、その3校を廃校にして勝山高校に併設(グラウンドの中に1棟のみ建設)する計画が進んでいる。そして、多くの市民がそのことに疑問を持っている。

 そもそも、高校のグラウンドの中に中学校を建設しようという発想は、長年続く勝山高校の定員割れを防ぐことと、新たな敷地を求めず中学校を将来に備えて1校に統合しようということからきたものだと思う。

 元々中学校を建設する余裕のない勝山高校の敷地に、市内唯一の中学校を建設すると決めたために、面積的には校舎は一棟しか建設できないことは最初から分かっていたはずだ。

 そのため、当初、市民説明会では5階建ての中学校を建設するとしていた。勝山高校の3階建ての特別教棟(理科室・家庭科室・図書室などがある)の南側に近接して5階建ての建物を建設せざるを得ないこと自体、この計画に無理があったのではなかろうか。

 当然、中学生には5階建ては危険なこと、3階建ての南側に近接して5階建てを建てれば勝山高校の特別教棟が日陰になるなどの理由でこの案には異論が出て取り下げられた。当然であろう。

 それにしても、グラウンドの中に校舎が建つとなれば、高校の硬式野球の防球ネットが中学校の校舎に面してできることになり、教室の中から見れば、鳥籠に入ったような景色が広がることだろう。

 それに、授業中は、中学校、高校の体育の授業のホイッスルや生徒達の発する声が生徒達の耳に届くだろうし、放課後は、甲高い硬式の打球音など部活動の騒音が聞こえることになるだろう。決してベストな環境とは言えないと思うのだが。市長はマスコミに「ベターな選択、ベストな環境」と発言して新聞に掲載されている。当然のように議会ではこのことに関する質問が出ている。

次々と変わる中学校再編計画
 その後も、市教委の『勝山市立中学校再編計画(修正案)』では「勝山高校の校舎において、中高共用の理科・音楽・美術・家庭等関係の諸室を整備するとともに、中学校の校長室・職員室等を設けて中高教職員の緊密な連携を図る配置を検討します。」としている。

 中学校の校舎の中に、校長室や職員室がなければ、何か事故なり事件が起こったときにはどう対処すればいいのだろう。少し考えれば分かるはずだが、このように未熟な計画がどんどん出てきては、慌てて改めることを繰り返している。しかし、昨年度にはこうした基本計画立案のための予算が可決してしまった。

 もっと時間をかけて、中学校の統廃合問題を考えるべきではないかと私は思う。しかし、現実には、市当局はこの勝高併設案を何が何でも通そうとして、機会ある毎にそのことを説明している。

 そのため、今勝山では、勝高併設案を強行突破しようとする案に賛成する人たちと、再検討を促す人たちに二分されている。市内で唯一の新設中学校を勝高に併設するということは、この細長いまちに絶妙に配置されている現在の三中学校を廃校にすることでもあるので、かなりの市民が真剣に成り行きを見守っている。

 はっきり言えることは、計画がかなり未熟であるままに、強行されていることである。予算を通して、準備委員会では、校舎の配置を考えているが、考えれば考えるほど、いろんな問題が出てきて、現在、四案だったものが七案になっている。

 それは、登下校方向が、現在の勝山高校の校門方向(西側)と、国道157を挟んだジオアリーナ駐車場方向(東側、地下通路を通って学校へ入る)とに、二分されているからである。周辺の道路が狭いことから来ている。

 それで、この三月には更に実施計画のための予算が可決しそうである。勝山市民だけではなく、勝山市出身者の皆さん、そして、勝山市に関係のない皆さん方にも是非考えていただきたい。ご意見をいただければ幸いです。ちなみに、私は再検討をしていただきたいと願うものであります。

最初、市民説明会で示された5階建の中学校校舎イメージ図
 

毎日パワー

08 3月

どんなに少しずつでも毎日続けていれば
 毎日の積み重ねが予想もしない大きな力になることは誰でも頭では分かる。しかし、実行するのなると簡単なことではない。このようなことを示すことわざは少なくない。

 〇継続は力なり
 〇点滴岩をも穿つ
 〇塵も積もれば山となる
 〇千里の道も一歩から

 コツコツ努力していれば、時間と共に、大きなものになる、または、できなかったことができるようになるということを、かつて生徒達に伝えるために、私は敢えてことわざを使わずに、“毎日パワー”という単語で説明していた。

 日々の努力はわずかでも、継続すれば「予想外のものができる」、「思わぬ成果が出る」、「自分が変われる」、「何かが身につく」、「できなかったことができるようになる」……自分でも、そう確信するようになった。

 『こんなことできそうにない』と思うようなことでも、思っているだけではなく、始めてみることが大事だと思っうようになった。

 やらずに後悔するよりも、やって失敗した方が後で悔いが残ることは少ない。そう思って、大変なことは、自分に「毎日パワー」と言い聞かせながら、先を見ず、「今日も少しできた、また明日……」とのんびり構えて日々を過ごしている。何もしなかったら、それこそ光陰矢の如しで、月日ばかりが過ぎてしまう。

 二、三日で1頁しか描けない漫画、ひどいときには半日かかって一コマという日もあったが、それでも毎日少しずつ描いているうちに二〇〇頁ほどになった。

 旧宅の修繕作業や造作なども、板を製材するだけ、鉋をかけるだけ、材料を刻むだけ、塗料を塗るだけ、クロスを貼るだけ、……と思って毎日通っているうちに、だんだん完成に近づいた。

 新年度も、日々進歩しなくても、何かを目指して、コツコツ毎日積み重ねたいと思う。焦らずに、道草を食いながら。無理せず、コツコツ、コツコツ、『毎日パワー』を信じて。今や自分に向けての言葉だ。

【左上】仏間跡 【右上】設計図 【下】作業中
仏間跡に床の間完成 材料のほとんどは森林組合の端材