RSS
 

1年生になっちゃった

09 11月

読みにくいマニュアルや申請書
  いろんな製品にはマニュアルが付いている。携帯電話や普通の電話にも分厚いマニュアルがある。これらを果たしてどれだけ読みこなせるだろうか。私は、おそらくそれぞれの機能の1、2割ぐらいしか使えないであろう。

 これが、パソコンの種々のソフトとなると、さらに難しくなる。マニュアルは読みにくいものと決めてかかっている人は少なくない。そこで、こうした状況をビジネスに生かしている企業がある。鯖江にある「ウオンツ」もその一つだろう。

 私も、産業支援センターのホームページ制作講座を受けた際、ウオンツ制作のDVD教材『ドリームウィーバー』のお世話になった。産業支援センターの図書室にはウオンツ制作のDVD教材がたくさん並んでいる。いかに、マニュアルが読みにくいかだろう。

  ウオンツは、音楽ソフトのDVD教材も作っている。テレビやギターのエフェクターさえもマニュアルは読みにくい。ところが、分かりにくいものはこれだけではない。

  今年、区長になって、いろんな書類を書く機会が多くなった。簡単に書けるものもあれば簡単には書けないものもある。補助金をもらう場合にはそれなりの書類を書かなければならない場合が多い。

   この関門をくぐらない限り、補助金を手にすることはできない。一度書いた経験のあるモノは苦にならないが、初めて見たものには苦労する。おかげで、税務署へ行ったり、農林事務所へ行ったり、役所へ行ったりしている。

  まさに、1年生になった気分だ。これまでの経験が役立つ分野もあるが、全く役立たない分野もある。そんなときは、素直に質問するしかない。おまけに、補助金をもらった場合には、後ほど実績報告書を出さなければならない。

  文章を書くことが苦手な者には、この壁は大きく、あきらめてしまう場合が少なくないであろう。それとわずかな補助金のためにたくさんの時間を割くのはいやだと思う人もいるだろう。

  私は、やりたいことのために資金がいるとなれば、それを手にするために努力しなければならない。何をしたいか、何をせねばならないか、それによってはわかりにくい分野へも入り込んでいかなければならない。一時の恥も恥と感じる必要がない。

  恥ずべきは、面倒くさくて逃げることかもしれない。分からないことは聞くしかない。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という言葉もある。地域の活性化のために、資金が必要となれば逃げずに向かっていきたい。

 初めての分野で何かをするときには、1年生になったと思えばよいだけのことだ。全分野で小学一年生ではないのだから何も卑下することはないだろう。

祭りに獅子舞を演じてくれた二人。

(日記 朝から申請書を書いた。必要な見積書を取るために、電話とネット活用した。その点では今は便利な世の中だ。午後も作業を継続。何度か役所の担当者に電話をした。あと一息だ。午後6時半頃、村の二人の男子中学生(2年と3年)と一緒に焼き鳥へ出かけた。祭りに二人は私の求めに応じて獅子舞を演じてくれたのだ。獅子頭は私の作った粗末なものだったが、二人は快く演じてくれた。今日は、そのお礼だ。焼き鳥に付き合ってくれただけでもうれしい。彼らもいずれは、地域を、日本を支える人材になっていくのだろう。彼らの前途に幸多かれと祈りたい。)

 
2 Comments

Posted in 未分類

 

Leave a Reply

 

 
  1. 寺田幸彦

    2012年11月10日 at 12:59 AM

    ”補助金とまちづくり活動の継続”は重要な問題と思います。
    山さんがおっしゃる様に、補助金が出るから何かをヤルのでは無く、ヤリタイことがあるから補助金を活用するでないと長続きしないと思います。

    私たちの会でも、何度となく補助金に関しては議論にあがりました。
    個々に様々な意見がありますが、補助金(行政支援)は活動を始める最初の一歩を後押ししてくれる物でしかないと言うのが個人的な意見です。
    何処の市でも財政は厳しく、事業仕分けではありませんが、補助金が何時無くなってもおかしくありません。
    たとえ何年間かは補助してもらえたとしても、何時までも続くことはありません。
    しかし、まちづくりは期限が限られた活動ではなく、継続しなければすぐに又過去に戻ってしまいます。

    補助金を活用してまちづくり活動が芽生えても、補助金が終わると同時に、活動が継続できなくなった話はよく耳にします。
    息長く活動を継続するには”自主財源”がどうしても必要だと思います。
    これは集落全戸にボーナスが出ることでも有名になった”やねだん”の豊重さんも強調しておられます。
    また、まちづくりにはビジネス感覚や、文化芸術も必要だともおっしゃっておられます。
    山さんは”やねだん”のDVDをご覧になられたことは有りますか?
    自分は行き詰った時に見て、勇気付けられています。
    何時か”やねだん”の様な集落にしたいと常々思っています。

     話は少し逸れますが・・・
    最近、来年度からスタートする「冒険遊び場」の事で、米原市の行政の方と話す機会が増えました。
    行政と協働しなくてもスタートできますが、広く市内にも活動の輪を広めたい想いから、市から提案のあった協働事業提案制度に応募しました。

    行政の方と話をする中、行政の方の口から”行政の限界”という言葉がよく出てきます。
    親方日の丸、安定した職業の代名詞で、国からの指示通りにやっていれば良かった時代、行政は何でもできると思っていた時代から随分事情が変わってきた様ですね。
    それだけ地方行政も厳しい時代になったのだと思います。
    これからのまちづくりは、市民(市外のファンも含む)と市行政が一体となった総力戦の時代だとも感じます。

     
  2. Norio Yama

    2012年11月16日 at 8:20 PM

     行政の補助金の活用には二通りあるように思います。
     一つは、行政が何かを始めればお金をあげましょうというタイプだ。
     こうした形で安易に補助金を受け取ると、補助金のある間だけはそれなりに活動するが補助金が中うなると活動が止まってしまうことが多々あります。
     行政は、“呼び水”つもりで補助金を出すが、受ける側は、金があるなら何かをやってみようということになり、金がなくなるとまもなく活動も停滞してしまいますね。

     もう一つのタイプは、自力で事業を始め、さらに充実するために、補助金を受けるというタイプだと思います。補助金が途切れても活動は続きます。補助金をもらって備品を購入したり、活動を充実させることによって、さらに活動が継続できると思います。

     いずれにしても、問題は補助金がなくなっても活動が継続できるかということですね。経費が必要ならば、自ら金を生み出す必要があると思います。

     村で、Kプロジェクトの話をしたら、「あそこはお金を持っているから……」と我が村では無理だというニュアンスで話す人がいました。

     「なければつくる」をモットーにしている私には情けないと思いました。「活動費ぐらいその気になれば稼げるじゃないか」と思ってしまいます。無理をするのではなく、楽しみながらでも。

     「やねだん」については私もどこかで話を聞かせてもらいました。

     私も最後の九年間(67歳まで)行政の中に身を置きましたから、分かりますが、彼らは普通は2~3年で部署を変わります。何でも少しずつできるが、これと言ってできるものがない。
     
     中途半端なオールマイティーの人間を育てるだけではなく、何人かは専門家を作らなければならないと今でも思っています。

     以前に、大洲市を視察したことがありますが、そこでは市長が40際前後の職員10人程度のプロジェクトを作り、部署がどこへ変わろうとも、メンバーを固定して長期にまちづくりに取り組ませていました。彼らをいろんなことを企画し、部課長に説明知る。部課長も厳しく、意見を述べる。再考する。この繰り返しでまちを活性化させているとのことでした。