たとえ余興といえども
私の家内が属している『さわらび会(食生活改善推進員の会)』は、猪野瀬地区(8地区の集合体)では、婦人会の組織がなくなったので、連合婦人会のような働きも兼ねている。
そして、毎年公民館祭には、踊りを披露している。その振り付けの多くを私が担当しているのだが、地域性をなくさないで日本各地の踊りの楽しさを導入したいと思っている。
例えば、山形の『花笠音頭』があったとする。それを踊りたかったとする。安易に考えれば、山形民謡『花笠音頭』に合わせて花で飾り付けされた笠を操りながら踊ればそれなりには見えるであろう。しかし、それではコピーだ。
そこで、私はさわらび会の皆さんと相談して、民謡は『勝ち山ほがらか音頭』を使い、笠ではなく、ザルを使うことを提案した。ザルは、食生活に大いに関係する道具である。
ザルは、野菜などを天日で乾燥させるときにも役立つ。例えば、「えのきだけ」を天日で乾燥させるとビタミンDは40倍になるそうだ。いろんな野菜を乾燥させると、味もよくなるのだ。生姜を乾燥させて使ってもよい。
乾燥野菜は、健康にはとてもよいのだ。ザルはその乾燥野菜を作る道具としても有用だ。そこでザルを花で飾り、それを使って地元の民踊を踊るのだ。そうすれば、曲目紹介でも、食生活の大切さをさりげなくアピールすることができるのだ。
余興といえども、常に地元に密着したものを使うことで、多くの人たちの共感を呼ぶことができるのだ。特に、市外の人たちには、印象を持ってもらうことができるのだ。
私の村の銭太鼓も、百年あまりの伝統がありながら、郷土芸能になり得なかったのは、歌も踊りも他県(島根県)のものだったからだ。いつまでも、祭りや文化祭や結婚式の余興にでしか披露することはなかった。
これを、三年前に村オリジナルの銭太鼓『片瀬豊年ばやし』に変えたとたん、あちこちから出演依頼が舞い込むことになった。これは当然ことであろう。誰も、片瀬の人間が演じる島根県の郷土芸能を見たいとは思わないだろう。地元のものを見たいのだ。
勝山の新民謡『勝山よいとこ』も、彼女たちのおかげで今も勝山では生き続けている。「他県の郷土芸能を踊ったり演じたりするな」というのではなく、必ず、「地元のものも同時に大切してもらいたい」ということだ。
地元のものが、「なければ作ればよい」というのが私の考えだ。これは、何も民謡ばかりではなく、どんな分野でも必要なものがなければ作ればよいのだ。組織でも同じだ。地元で有効に働く組織がなければ作ればよいだけのことだ。
「どんなものでも作る」ということは簡単ではないが、作ることは生き甲斐にも繋がっていくのではなかろうか。遠回りのようでも近道かもしれない。こんなとき、間違ってもできない理由を述べて周囲のやる気を削がないようにしたい。
(日記 午前中、しばらくパソコンで音楽を楽しむ。その後、自家用の里芋を少し掘る。そして、来年収穫するニンニクの成長ぶりを見に行こうと思って畑へ行くとまだ植えてないタマネギの穴に雑草が生えていた。そこで草取り。そこへやってきた村のNさんが「タマネギノ苗をあげましょう」と言ってくれた。早速、普通のタマネギと紫タマネギの苗を頂いて畑に植えた。その後、燻炭用の糠を自宅へ運んだ。雨が降ってきたので、農作業は中止して、再びパソコンで遊ぶ。)