RSS
 

夏真っ盛り

31 7月

“夏休みの過ごし方”今昔
   暑い日が続いている。子ども達は夏休みの真っ最中。今日で7月も終わりだ。今の子ども(小学生)達の一般的な一日の過ごし方は、ラジオ体操、朝の学習、テレビなどを見て、午後は学校のプール。そして、家庭でテレビやゲームで過ごす。だいたいこんなところだろうか。

  私達の子どもの頃は、神社でラジオ体操の後、ソフトボールなどをして遊んだものだ。また、神社で石炭箱などを机にして学習をしたこともあった。泳ぎは、村の防火水槽や近くの川であった。大きくなると九頭竜川へ泳ぎに行った。

  また、泳ぎから帰った後、大師山の裏側へ出かけ、薪を担いで帰ってくるのが日課であった。この他、割り当て仕事があった。時には、木陰で将棋なども楽しんだ。また、道場(仏教)ヘ集まって遊ぶこともあった。道場は宗教の場でもあったが、集会所でもあり、巡回映画などを行う文化会館でもあった。

  私は、ここでギターなる楽器を知ったのだ。ギターは、年長者が弾いていた。その音色に魅力を感じて、中学校になったときに、母親に頼んで買ってもらったことを覚えている。こうした経験が、今でも音楽を続けている原点でもある。

  いずれにしても、夏休みは自宅で過ごすことはほとんどなかった。家には遊ぶものがなかったからである。先ず、水遊びは不可欠だった。友達と過ごすことも多かったし、仕事も多かった。

  考えてみると、完成されたゲームやテレビなどがなかったために、子ども達は、自らの創意と工夫で遊ぶしかなかった。みんなで集まって遊ぶことが多かったが、ここでいろんなことを学んだ。

  必要以上に、「モノ」があるということは、その分子ども達が創造性を発揮する機会を奪っていることになるのだ。今でもそうだが、発展途上国の子ども達は、モノがない分、いろいろ創意工夫を凝らしながら生き生き遊んでいるようだ。

  今は、もうけのために、子ども達をターゲットにしたビジネスが盛んである。 大人の手で作られたヒーローがテレビや漫画に登場し、そこで使われる様々な武器がおもちゃとして売りに出されるのである。

昭和初期の水遊び。九頭竜川は子どもから大人までの遊び場であり、漁場であった。(写真提供:朝日印刷)

  そのおもちゃもいろいろなバリエーションがあって、子どもがほしくなるように次から次へと種類を増やしているのだ。この手のヒーローは女児の場合も同じである。女児の場合、ヒロインの衣装まで売りに出されているのだ。

 結局の所、子ども達は大人の手の中で踊ることになる。大人達は、あの手この手で、子ども達を自然から遠ざけ、感受性の強い時期の子ども達を消費者として育ててしまうのだ。

   モノがなければ楽しめない人生とは悲しい。もっともっと創意工夫を凝らし、自然の中でのびのびと子ども達には育ってもらいたい。知恵は無限になるということを知ってほしい。おもちゃで遊ばなくても、いろんな遊びがあるということを知ってほしい。特に夏休みは。

(日記 午前中、孫の同級生といっしょに市営プールへ行く。私は、見守り役。午後は、ギターの練習。孫達は家の前で再び水遊び。私は、ポンプで家庭菜園へ川から水を入れた。ホースで水を撒いていたのでは追いつかない。今は一年で最も暑い季節だ。地面にひび割れができている。家庭菜園の隣に川があるのでありがたい。)

 
 

Leave a Reply