二番煎じでは情けない
世の中アイディア勝負の時代だ。しかし、アイディアの世界では、最初に考えたものに一番価値があるように思う。近隣(近県)のアイディアを真似ても価値は半減どころか、ほとんどないであろう。
考えることは無限にあるのだ。しかし、それを考え出そうとするかどうかが問題だ。あまりにも、“指示待ち”で生活していると、考えることなしに毎日を送ることができる。しかし、それでは、進歩はないであろう。
かといって、どこかのまちのアイディアを真似ても本家以上にはなりにくい。仕組みや組織は真似ても、アイディアは自分たちで考えなければならない。考えて実践し、実践しながら考える事を続けていけば、いつかオリジナリティーの溢れるものになるのではなかろうか。
今日、午前11時よりニューホテルのロビーで、県の土木部の二人の職員と、市の建築士会のMさんと、同会員でまちづくりに長年取り組んでいる I さんと私の五人で「住みよいまちづくり(住教育)」について話し合った。
「住みよいまちづくり」と言うとソフト的な面とハード的な面があろう。住民の意見をいかに汲み上げ、それらを吟味しながらどのようにして実現していくのかということが問題だし、ハード的な面では、何か作ったものを区民の誇りや自信にどうつなげていくかが問題だ。
そこで、問題は「何をするか」だ。取り組み甲斐のあること、少しでも多くの人が取り組めることを考えなければならない。そして、それらは、独創的であることが望まれる。時間がかかっても、少しずつ賛同する者が増えていくことが望ましい。
5人でいろんなことを考えた。建築士会の会長さんが勝山で製材所を経営しておられるので、大きな木材を製材した際に出てくるコア(柱や板をとった残りの部分。木の表面部分が含まれてる。)を活用して何かができないかということだ。
私も、コアを使ったプランターづくりを考えている。材料はそろっている。村の大工さんの協力も得ている。夏休みに子ども達の工作として木製のプランターづくりを企画している。
コアの活用はまだまだいろいろあるだろうと思う。絵を描いたり、字を書いたり、彫刻したりして、活用できないかということだ。廃物にするのではなく、木の命を最後まで活かしきりたい。そして、それが地域の人に夢や勇気を与えることにつながれば最高である。
5人であれこれ考えながら、最終的には試作品を作ろうということを約束して、解散した。楽しみながら、何ができるかを考えてみたい。雪囲いぐらいにしか役立たなかった、コアに新たな命を吹き込むことによって、森林の多い勝山をアピールすることができ、まちづくりにつながればと思う。
(日記 午前中、ハワイアンソングの練習用CDづくり。午前11時より勝山ニューホテルで『住みよいまちづくり(住教育)』について話し合う。楽しい時間であった。昼過ぎにいったん別れた。午後2時半に再び県職員の二人がやって来た。そこで、奥越森林組合勝山工場へ出向き、製材した杉の端材であるコアを手に入れた。これで、絵か文字か彫刻を彫ってくることをお互いの課題とした。帰宅すると、家内が小雀を持ってどうすればよいかと思案していた。巣から落下して路上にいたらしい。自然保護センターに問い合わせると「落下した辺りに置いて下さい。親が助けにくるかもしれません。」とのことだった。竹の先端に置いたが、親が助けに来るような気配がしなかった。付近には親と見られる雀が鳴いていたので、小雀を屋根の瓦の上に置いた。ところが、間髪入れずに親と思われる雀が飛んできた。そして二羽は飛び去って行った。親が助けたのだろうか、そう信じたい。ほっとした。)
寺田幸彦
2012年7月18日 at 7:55 PM
どんな独創的なアイデアが出てくるか楽しみですね。
以前話に出てきました”昇る夕日でまちづくり”で有名な若松進一も真似しない、真似のできないアイデアで地域づくりをされていることを思い出します。
若松さんの基本コンセプトは・・・・・
○人づくり
○拠点づくり
○住民総参加の日本一づくり みたいですね。
ハードだけで無く、ソフトも大きな地域の資源になることを学びました。
同時に、あれもないから欲しい、これもないから欲しいと、よそにあるものをねだる”足し算”よりも、自分のまちの悪さを除いていく”引き算”のまちづくりも教えられました。
どんなアイデアが出てきたか、また教えて下さい。
山さんを筆頭に、色々な特技や経験と知識を持った人が集まれば、勝山の特性を活かした独創的なまちづくり案が出てくると想像します。
何より、勝山が好き、勝山を良くしたい、勝山のためにやるという熱意を持った方々がおられるのですから、何でもできそうですね。
上丹生は、200年以上続く木彫と仏壇の村でもあります。
今でも20軒以上の工房があり、若い職人さんもおられます。
仏壇自体は以前のようには売れなくなっていますが、技を生かして新しい商品開発にチャレンジする職人さんもおられます。
生業としても木彫と、まちづくりとしての伝統工芸は違うと思いますが、上丹生のオリジナリティーに生かせないかと考えています。
Norio Yama
2012年7月18日 at 10:05 PM
“200年以上続く木彫と仏壇の村”と聞いただけで、何でもできそうでワクワクしますね。他の地区にはない特徴ですね工房と来ただけで、見て歩きたいですね。
かつては、仕事場であったところが、本物を求める人が増えた現代では、立派な観光コースになるような気がします。
どこのまちだったでしょうか、カッパか何かの置物がまちの至る所に置いてあって、それらを見て歩く人が増えたそうですね。
本物の職人がいてそれらを見るのは、現代人にはとても魅力的であるように思います。以前話に出てきました”昇る夕日でまちづくり”で有名な若松進一も真似しない、真似のできないアイデアで地域づくりをされていることを思い出します。
若松さんの基本コンセプトの(1)人づくり(2)拠点づくり(3)住民総参加の日本一づくりのいずれも難しいですね。
勝山市内には、やる気のある人があちこちにいますが、60戸ほどの私の地区となると、まだまだ少ないですね。一人ずつ増やさなければなりません。時間がかかりそうですが、一歩ずつ前へ進んでいきたいですね。
同志を増やさなければなりません。それと同時に村にこだわらずいろんな地区の人とも交流したいですね。そういう意味では、“よそ者”の視点は大事ですね。
寺田さんも私にとっては、まちづくりの“師匠”ですね。今後ともいろんな話を聞かせて下さい。