人はパンのみで生きられるのか
NHKの午後7時半からの番組『退院後が変わる▽遠隔医療 カルテ共有で介護』を見ていた。医療費抑制のためか、最近は、長期入院が許されない状況になっている。テレビで、 I Tを活用して、“家庭にいながら病院にいるかのごとく、看護師や医師と顔を見ながら話すことができ、心電図などのデータも病院で把握できるシステム”についての番組だった。
患者は、まるで病院にいるかのごとく、I T技術によって、体調を管理してもらえるシステムだ。寝ている間に異常があっても、病院側ではそれがキャッチし、対応できるというわけだ。一人暮らしの高齢者には安心できるシステムだろう。
自分もこのようなシステムにお世話になるかもしれない。体調管理や、病状の突然の悪化に対しては、データが病院と直結しているために、いろいろ指示を受けることができ、安心だろう。しかし、健康管理だけでは、人は生きてはいけないのではないか。
健康維持だけでは孤独な一人暮らしを乗り切り難いのではないかと思った。体と心のバランスが必要ではないのか。身体の健康は、こうした I T技術の進歩によって保たれるだろうが、生き甲斐や精神面での満足感は別の次元の話であろう。
どうせ I Tを活用するならば、こうした高齢者こそ、遠隔地にいても顔を見ながら話せるシステムも必要ではないかと思った。長年の人生経験で得たものを次世代に伝えるのは生き甲斐につながり楽しいことではなかろうか。いつまでもどこか小さな部分でも現役でいたいのだ。
心電図や脈拍、血圧、などのデータを病院のパソコンに送り健康維持に努めると同様に、いつでも話せる仲間がいて、子ども、若者、同年代の者と情報交換ができるシステムも必要ではないのだろうか。I T関係者の活躍を期待したい。
そんなことを、番組を見ながら考えていた。健康作りは何よりも大切だ。しかし、それだけでは人は生きてはいけないと思う。生き甲斐づくりにも I Tを活用できないかを考えてみたい。医者とI T関係者のコラボで一人暮らしになっても、人とつながることのできる社会出会ってほしい。
こんなことを考えていたら、「人はパンのみで生きられるか?」という問いかけを思い出した。
・・・・・・・・ マザーテレサの言葉 ・・・・・・・・
貧しい人たちは、私たちが彼らに与えるよりはるかに多くを、私たちに与えてくれます。富の中から分かち合うのではなく、ないものを分かち合うのです。貧しい人たちは、私たちが彼らに与えるよりはるかに多くを、私たちに与えてくれます。
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(日記 午前中は、居間と自分の机の周りを片付けた。また、公民館から借りてきたアルバムから「片瀬区民が活動している場面の写真」をスキャンした。いつか『かたせ瓦版』で紹介できるだろう。 アルバムを見ていて、「みんな青春があったんだ」ということを発見した。30年、50年前の写真を見ていると、それぞれの団体が公民館祭や防災などで頑張っていたことがよくわかる。午後は、バンドカラオケづくり。かなり時間がかかった。昨晩最終電車で帰省した次女がいて少し賑やかだ。特に、家内は喜々としている。)