三本の道
村の後ろに控えている大師山への登山道は3本ある。今日はそのうちの一本である林道の草刈りだ。今日草刈りした林道は頂上まで車で行くことができる。残りの二本は、歩いてしか行くことができない。
私の子ども時代なら、道つくりは、生活に直結していたが、今は必ずしもそうではない。沿道に自分の山がある人以外は、山菜採りに利用するぐらいだ。私も山菜採りに出かけるときにこの林道を利用する。
今日は、作業前に全員が集会所前に集まった。そこで、作業の内容や自分の班の作業が終わった人に手伝ってもらう場所などを連絡した。林道の草からが終わったら、7班のうち6班は、神社へ集まって境内の草や雑木を切ってもらい、散乱している杉葉をかき集めて所定の場所に捨ててもらうようお願いした。
一つの班には、集会所前の庭の剪定尾作業をお願いした。区民の皆さんのおかげで、林道はもちろんのこと、神社や集会所前は見違えるようにきれいになった。子ども達は、集会所前がきれいになったことに気がつくだろうか。
このような作業に出ることができない家庭が増えている。同じようなやり方では、この作業は持続できないだろう。こうした作業だけでなく、祭礼なども少しずつ省略化の方向に動いている。
たとえば秋の祭りなら、私達の子供の頃は、若い衆祭り、弓矢、本祭り、後祭りとあったが、今は、本祭りだけになってしまった。さみしいことだ。そのうちに、本祭りも低調になってしまうのではなかろうか。
そうなると、多田でさえ希薄になった地域の結びつきがさらに弱くなる。村という意識も少なくなるのではなかろうか。その一方で少子高齢化は進む。長い人生の終盤は、人との交わりが極端に少なくなり、わびしいものになりはしないか。
世の中、“いいとこ取り”はないのである。どこかで、一歩前へでるような、生活をすべきでではいか。どこかで、他人のために行動することが、結局は自分のためになるのだと言うことを理解してほしい。
私の最大の課題は、ケネディー大統領の言った次の演説をいかに区の皆さんに理解していただくかだ。
アメリカの国があなたに何をしてくれるかではなく、
あなた方自身が、アメリカに何ができるかを考えてください。
Ask not what yuor country can do for you,
ask what you can do or your coutry.
区があなたに何をしてくれるかではなく、
あなた自身が区に何ができるかを考えて下さい。
持続可能な区を目指して、一人一人が自分のこととして地区の将来を考えていただきたいと思っている。今日の林道作業でも、班員が高齢のために人はいても作業できる人数が減っている。10年後にはもっともっとその状況は深刻になるだろう。
人と人との絆が深まる地域作りのために何ができるか、私に課せられた課題である。逃げずに一つずつ考えてみたい。みんなの知恵を寄せ集めれば、少しは改善されるのではないかと思っている。恒例の行事の見直しから考えていきたい。
(日記 午前中、区の林道の草刈り。昨日までは夏のように暑く晴れ渡っていたのに、今日はあいにくの雨。でも作業は予定通りに終えることができた。区民の皆さんに感謝したい。昨日から遊びに来ていた福井の孫達が帰って行った。最近会話ができるようになったので楽しい。)
坂川慶介
2012年7月2日 at 12:10 AM
今月の21日にうちの地区の納涼祭があります。青年団の役員をしている関係で今日はその前売り券を町内に配ったのですが今一つ町内の人の祭りに対する盛り上がりは小さいように思いました。青年団の総会では労力の割に人もそれほどくるわけでもないので納涼祭をやめるということも考えるベキではないかという意見も出ることもあります。しかしながら皆それではいけないと思っているので大半の意見はやはり続けるということで一致してはいます。
昔は、地域の皆が助け合うことが生活する上でも必要であった事が今では世の中が便利になり過ぎて助け合わなくても生活できる環境が整ってきていることで助け合う必要性が薄れてきています。
うちの地区の祭りもこういったことからか段々と盛り上がりにかけてきています。
さて、地区の為に行動する人はどうしたら増えてくるのでしょうか。この命題は社会情勢の変化が背景にあるため難しい問題であり、根幹的な課題だと思います。
話は変わりますが、5月に行われた地域の運動会では、地区の対抗戦なので地区民が力を合わせて心を一つにして頑張りました。その時には緑色のはちまきをして他の地区の色には負けないようにと地区の目的が一致して団結をしました。
今の時代は、生活に関わることで地区民が一緒に行動する動機がほとんどないのではないのでしょうか?逆に言うと明確な動機、目的があれば地区の人は緑のはちまきや赤色の帽子をかぶって協力し合う可能性があるのではないでしょうか?
人の気持ちを変えることほど難しいことはないと思いますが、今の時代そのヒントは子どもとお年寄りにあるような気がします。
子は宝といいますが子どもの為ならば地区の人も力を進んでかしてくれると思います。また、昔からお世話になったお年寄りのことにも進んで力を貸してくれると思います。
先生のブログを読みながら子供とお年寄りが地区民の心のベクトルの向きを動かす可能性があるのではないかと思いました。
Norio Yama
2012年7月2日 at 11:15 PM
私も、秋祭りを盛り上げるために、何をすべきかを今考えています。九月最終土曜日にあります。各種団体の皆さんに「どんな小さなことでも、祭りを盛り上げるためにできることを考えてもらいたい」と言うつもりです。
子どもやお年寄りが楽しめるようにするために何をどうすべきかを考えてもらいたいと思っています。それには、子どもやお年寄り自身の活動も不可欠でしょう。ご指摘のように、こうした活動は年々低調になっているようです。
「区民がお客さん」ではいつまで経っても盛り上がらないので、一人でも二人でも、前向きに人間を増やすしかないと思っています。また、やってよかったと思えるレベルのことをやらないと、来年も頑張ろうという気になりませんね。難しいですが、いろいろ考えて何かアクションを起こしたいと思っています。
寺田幸彦
2012年7月3日 at 3:49 PM
変えられないのは過去と他人、変えられるのは未来と自分自身、山さんのお言葉では無かったでしょうか?
子どもと高齢者が”まちづくり”のキーポイントになる事には全く同感です。
”子どもは地域の宝”とか”地域で子どもを育てる”自分もこの言葉をよく口にします。
では具来的に何ができるのかを考え、市行政とも連携して「冒険遊び場」を作る活動を始めようと思っています。
行政と組むのは、最初の一歩を後押しして欲しいとの思いからです。
「冒険遊び場」とは、自然の中でのびのびと遊ぶことで、子どものチャレンジ精神や協調性は育て、健やかな成長を支援するものです。
川や公園での禁止事項、放課後の習い事などを背景として遊びのための「空間」と「時間」が失われている現状があります。
加えて地域とのつながりが薄れてきている時代に、大人の見守りなしに子どもだけで遊ばせるのは不安だという保護者も増えています。
そして、その保護者自身も核家族化が進み、相談したり悩みを話せる人が無くて子育てに悩んでいます。
「冒険遊び場」は、イベントではなく日常のなにげない遊び場を目指しています。
そこでは、禁止ばかりするのでは無く、子ども自身がやりたいと思う事が自由できます。
自分のペースで、時に失敗を繰り返し、けんかをしたり助け合ったりしながら仲間とつながっていきます。
発達障害を持った子どもたちにも、”遊び”の効果は大きい事は遊育でも既に実証されています。
子育てに悩む親御さんの不安解消の場にもなる遊び場には、子ども達を見守る大人が必要です。
子どもと一緒になって野山を駆け巡ることはありませんが、子どもたちを遠くから見守り、時には得意な技や遊びをさりげなく披露して、子どもたちの遊び心を上手に誘発します。
地域には、最適なお年寄りが大勢おられます。
見守り人には地域の高齢者の方にお願いするつもりです。
行政には広報関係や、資金面での援助の他に、既に実践されている人を招いての講演会などの啓発活動と、ネットワーク作りを担当してもらうつもりです。
家族はもちろん、地域や行政が一体となって子育てを支援する活動にしたいと思っています。
子育て支援を軸に”まちづくり活動”にもつながればと思っています。
熱い想いを持ち、実践に移す”ばか者”が現れれば、ひょっとしたら他人を変えられるかも知れませんね。
最近の自分のモットーは・・・・
「後悔とはやったことへの後悔より、やらなかったことへの後悔の方がはるかに大きい」です。
Norio Yama
2012年7月3日 at 10:01 PM
「冒険遊び場」と言えば、春に出かけた滋賀県米原町上丹生の取り組みが参考になるかもしれませんよ。
本当は、子ども達は、遊びの天才なのに、今は、大人が先回りして子どもの考えるチャンスを奪っているようなところがありますね。
子ども達は、遊びから学ぶことは非常に多いと思っています。私も遊びの効果はとても大きいと思っています。
「子どもと一緒になって野山を駆け巡ることはありませんが、子どもたちを遠くから見守り、時には得意な技や遊びをさりげなく披露して、子どもたちの遊び心を上手に誘発します。」
この部分はとても面白いと思います。私も、まだ、いくつかは技を持っているつもりでいますが、そんな大人はたくさんいると思います。
地域の大人を活かして下さい。素晴らしい取り組みに敬意を表します。私も子ども達の所へ遊びに行きたいですね。