決められない政治・勝手に決める政治
マリオネットは、人形劇で使われる操り人形の一つであり、特に糸で操るものをさす。この操り人形についている糸を、もし数人の人間が扱うとしたらどうなるだろうか。
それも、それぞれの糸を扱う者が自分勝手に糸を操ったらどうなるだろうか。人形はまともな動きができないであろう。右足を前へ進めようと動かす者と、左足を後ろへ動かそうとする者が同じ一つの人形を扱ったとしたら人形はどちらへも進めないであろう。
今の政治の状況を見ていると、思わずマリオネットを思い出してしまう。様々な団体の支持を得て当選した政治家を寄せ集めて一つの党として組織した場合には、進む方向は簡単に決められない。
TPPの問題では、与党も野党も賛否が入り交じっている。賛成の者と反対の者が同居した政党がいずれかの方向に進むことは簡単ではない。
そこへ、常に天下り先を確保しようとする官僚達は、国家よりも自分たちの利益、省益を優先させようと画策しているように思われる。
結局、与党はみんなにいい顔をしようとすると“ばらまき”しか選択肢はないことになってしまう。国家財政は危機に陥るのは当たり前であろう。
いつも与党は、困難な問題を全て先送りをしている。これで国民に信頼される内閣を作ることができるのだろうか。国民が納得する政策を実現できるだろうか。
原発の再稼働問題も、どこかの誰かの意志で動こうとしている。原発という操り人形についている糸を様々な思惑の人間が引っぱっている。
「再稼働」のための論理を組み立てても、次から次へとその論理が崩れてしまう。今や、「関西電力の電力は夏場には不足する」と関係者から言われても、今や誰も信用しないであろう。
電力が不足するから原発は再稼働だという論理はすでに破綻している。誰かが右へ行こうとすると、それによって利益を失う者は左へ行けという。
もしもこの夏、原発なしで乗り切ったら、政府や専門家と言われる人間はどのように弁解するだろうか。「原発がなくてもいけるではないか」と思わせたくない連中がたくさんいる。自民とのKさんは「原子力ムラ」の住人だという。私もそう思う。
信念のある政治家が今求められているのではないか。本当のエリートが求められているのではないか。点数エリートではこの難局は乗り切れない。いでよ!平成のリーダー!
(日記 午前中、区の用事で外出する。その後、いつものように創作紙芝居の絵を描く。もう少しで完成だ。昼頃福井の孫がやって来た。一緒に「あっ宝んど」へ行く。そこで、元同僚のHさんと会う。いろいろ近況を話し合った。彼は音楽の専門家だ。いつか自分の作った歌を吹き込んでもらいたいと思う。)