両者の違いは?
「郷土芸能」は文字通り“郷土の芸能”であって、それぞれの地域の人達が作り、伝え、育てた芸能であろう。地域独自のものであり、これから先も、代々伝えていく芸能である。
一方、余興は、宴会などに面白みを添えるために行う演芸であると辞書にはある。地域を問わず、内容も問わず、面白ければよいという側面がある。
これに対して、他地区の芸能を伝えている場合はどうであろうか。例えば、我が地区では、100年近くの間、島根県の「安木節」と「銭太鼓」と「ドジョウすくい」を伝えてきた。そして、結婚式や地域の文化祭などでこれらを演じてきたのである。
「出雲~♪」と、片瀬でやっても、それは余興の域を出なかったのではなかろうか。たとえ粗末な芸でも、地域の独自性があれば、それなりに認められるものである。そう思って昨年新たの郷土芸能を作った。
とはいえ、100年も続いた我が村の「銭太鼓」を新しくするために、それらの伝統を生かしたことは言うまでもない。バチの振り、ドジョウすくいのユーモアなどは、新しい郷土芸能『片瀬豊年ばやし』に引き継いでいると思っている。
今日は、「さくら莊」の文化祭があった。我々「片瀬豊年ばやし」一行は、『片瀬豊年ばやし』を演ずるために、「さくら莊」へ向かった。何度か演じているので、少しずつ完成度は上がっている。
今日初めて小学生も女踊りで参加した。今後若者も練習に参加することになっている。中学生も練習したいと言ってるらしい。子ども達に引き継がれて、初めて郷土芸能として引き継がれていくのではなかろうか。
我々は、あくまでも我が村の『郷土芸能』として、育てていきたいと思う。芸能と名が付くからには、それなりのレベルを維持しなければならない。やるからには、本気で取り組まなければならない。そうすることによって、楽しさも湧いてくる。
この『片瀬豊年ばやし』は、芸能であると同時に、まちづくりにも大いに役立つと思っている。後継者のいない片瀬の農業をこれから先にも守るためには、区民の連帯が必要であり、そうした気運を盛り上げるためにも大いに役立つと確信している。
そんな思い出、「片瀬豊年ばやし」の法被のマークは、「農事組合法人かたせ」のマークと同じになるように作成した。両者は、私の中では一つのものであると考えている。両者は車の両輪であると思っている。
(日記 午前10時過ぎより、「さくら莊」の文化祭で「片瀬豊年ばやし」を披露した。開会式と直後で来賓も参列していた。法被の襟に書かれた「芋と生姜と旨い米」をアピールできただろうか。あの『片瀬豊年ばやし』を演ずる人たちが作った「芋と生姜と旨い米」を手に入れたいという方向へ進めばと思う。そのためにも、本物の作物を生産すべきであるし、本物の芸を目指していかなければとも思う。帰宅後、紙芝居作り。途中で、プリンターが故障して、作業が中断してしまった。A3ノビを印刷できるプリンターとなると私の身近にはない。修理に出す時間的余裕はない。週末の「子育て支援センター」でのアトラクションに黄色の信号が灯った感じだ。)
Norio Yama
2011年11月1日 at 4:47 PM
ありがとうございます。5分前に100万ボルトから電話があり、「プリンターが直った」と電話がありました。
また、図書館へ寄った際、話をさせて下さい。