震災の影響はこれから
今回の東北・関東大震災は、原発事故も加わって大惨事になっている。私たちは、これらの情報をもっぱらラジオに頼っている。
今日初めて、宮城県塩竃(釜)市に住むYさんの家庭に電話で話すことができた。塩竃市は仙台市の隣に位置し、Yさんは仙台高校の校長で今年退職することになっていた。
実は、Yさんは、今から20年余り前に文部省の海外研修(約1ヶ月)でいっしょにヨーロッパやアメリカを旅した仲間である。Yさんは高校の教員だったが通訳として参加していたのだ。
その後、ずっと年賀状を通して交流を続けていたのだ。20数人で旅をしたのだが、何となく彼とは馬があっていたように思う。
私が電話をした午前中は、Yさんは不在であったが、奥さんから色々話を聞くことができた。幸いYさんのお宅は高台にあり、津波の被害は免れたが、海岸沿いの住宅は全滅とのことであった。
また、Yさんの勤務校は、避難所となり、地震の日からずっと学校に泊まり続けて対応しているとのことであった。本当に大変であったと思う。
夜、そのYさんから電話がかかってきた。今日初めて自宅へ帰れたとのことだった。震災の情報をいろいろ聞かせていただいた。
チリ地震での津波も経験していたそうだが、今回の津波は、それらとは比較にならないほど大きなものであったという。まさに地元のものでも想定外であったということだ。「1000年に一度の大災害だ」と述べておられたのが印象的だった。
生徒の中にも、親を亡くしたものがいるとのことであった。幸い、彼の勤務校も、高台にあるので津波の被害は受けなかったそうだ。
これからの町の復興は大変であるとの感想を持った。いつか、再会を果たすことを約束して電話を切った。震災がより身近なものとなった。
苦難の道はこれから
今日の朝のテレビで、ある被災者が、「これからのことを思うと不安になる」と述べておられたが、肉親をなくした人、家屋をなくした人、働く場を失った人、漁船や漁具を失った漁師の皆さん、……、こうした人たちが平常の生活に戻るのはいつのことだろうか。
新聞に、書かれた論評の中に、ガソリンや電気に「復興税」を上乗せする案が出ていたが、
私個人は賛成である。
災害が未曾有の大惨事である以上、その対応もそれ相当の覚悟を持って実施しなければならないであろう。なぜならば、たまたま今回は自分に災難が降りかからなかっただけのことである。
天災や人災は、いつ、どこで、誰の身の上に降りかかるかわからない。時と場合によっては、自分が被災者であったかもしれないのだ。自分が助けられる立場であったのかもしれないのだ。
自分が肉親を失う立場であったのかもしれない。そう思うとき、多少の不便は我慢しなければならないと思う。被災者の皆さんのためになることならば。
(日記:午前中、事務所で『数学のホームページ』づくり。午後は、“断捨離”のつもりで、不要なものを整理した。まだまだ、すっきりとはしないが、これからも続けていきたい。)