今年は何をしたのだろうか?
2010年の3月までは、役所勤め。教員36年、市教委9年合計45年の教育関係の仕事から退いた。青年団活動や地域の活動など常に本職と共に、併走していたように思う。
そして、4月1日からは、すべての時間が自分に返ってきた。退職前から決めていたこと、それは「地域のため」、「家族のため」、「自分のため」に時間を使うことだった。
時間は十分あるだろうと思っていたが、まだまだ足りないと思った。あれもしたい、これもしたい、あれもしておかなければ、これもしておかなければと思っているうちに時間ばかりがどんどん経過していった。
いろんな人から、「暇になったでしょう」と聞かれることが多かったが、暇な時間はほとんどなかった。一日が50時間会ってもよいと思うぐらいだ。
しかし、忙しくしているのは自分であって、いつでも、自由な時間を作ることができるのは退職者の特権である。
この間、東京や横浜へは2回、九州・四国へ11日間かけて当てのない旅をすることができた。龍馬にふれる旅でもあった。温泉へも行くことができた。
4月以後、何をしただろうか。歌は、3曲しかできなかった。自分の村の民謡『片瀬豊年ばやし』を作り、銭太鼓の振り付けを考え、女踊りの振り付けも考えた。
http://song.inakamon.net/s_yume.html
※ 『平成夢追い動中』が聴けます。
おかげで、あちこち出番が増えた。村の行事、町の行事、市の行事、そして、来る1月8日には福井でこの銭太鼓を披露することになっている。
次に、美山の歌好きな人と出会って作った『平成夢追い道中』。股旅演歌のつもりで作った。また、鹿谷町矢戸口のTさんから依頼された『矢戸口ええとこ音頭(作詞はTさん)』。村の祭りで区民が踊ったということだった。
もっともっと歌を作りたいと思うが時間が足りない。演歌作りのために、三味線の先生から『津軽じょんから節』の個人レッスンを受けた。
なかなか難しく、まだまだであるが、津軽民謡の素晴らしさにふれることはできた。この成果を津軽演歌作りに結びつけたいと思う。
童話は一つだけ書くことができた。もっともっと書きたいと思う。書きさしの小説も完成させなければならない。それには時間が足りない。
退職して私が思うことは、日頃の生活の中心となるものがあると生活のリズムが一定になるのではないかと思うことだ。 私は、数学の教員だったので、やはり、数学だ。
今年、一番力を入れたことは、数学のホームページ作りであった。これは、自分にとっては本当に楽しかった。誰かの役に立つかどうかはわからないが、まだまだ一部分しかできていないが、これからも、毎日作る続けたいと思う。
人に頼まれて続けているものに、『和太鼓』の指導(北部中学校の「選択音楽」と外国人女性に指導)と『オカリナ教室』がある。私は、よほどでない限り頼まれたことは引き受けることにしている。
二つとも頼まれての指導だ。頼まれるうちが花かもしれない。自らやってみたいこととしては、原点に返って小学生の和太鼓チームを作れたらと思う。
家庭菜園は、楽しみながら収穫物があり、気分転換にもなる最高のものだ。種から芽が出て、病気や害虫と戦いながら、成長していくのだ。成長の楽しみは野菜も同じだ。
今年できなかったことは、2011年にやればいい。新年も、慌てず、とどまらず、一歩ずつ着実に自分の定めて夢に向かって歩みたい。
(日記:午前中は、私の役目である仏壇や神棚、床の間、玄関などの飾り付けをおこなった。午後、少しだけ、数学のホームページ作りに事務所へ行く。帰宅して風呂に入り、毎年、仏壇の前で先祖に感謝し、恒例のお経を読んだ。夕食はすき焼き。50年以上は欠かさずに続けているメニューだ。そして、家族みんなで紅白歌合戦を見ながら、飲んだり食べたり。この後、村の神社へ参り、村の道場で区民がお経を上げることになっている。そして、神明神社、越前大仏へ初詣に行く予定。)