来年は高校卒業50周年記念同窓会
朝、事務所にいたら高校時代の同級生(福井在住のTさん)が尋ねてきた。「来年は勝山高校卒業50年にあたるので記念の同窓会をやりたい。発起人になってほしい。」ということだった。
思えば、昭和33年4月に私たちは勝山高校へ入学した。勝山中学校を卒業した春休みには課外授業を始まった。そして、英語は、いきなり教科書の全文暗記が課せられた。おかげでその一部は今でも覚えている。
特に、学業の他は、体育祭などが印象に残っている。あれから、50年。まもなく、70歳になろうとしている。ここまでくると、現在の状況はいろいろである。いまだに現役の者、退職して悠々自適の者など様々である。
これまでも同窓会は行ってきたが、「今回はもしかしたら最後になるかもしれない。」とTさん。全国各地に散らばっている者が一堂に会することは楽しいことだろう。
私の場合、中学校の同窓会はたびたび行われてきた。勝山中学校の卒業生だが、一クラス56人だった。当時はこのような人数が当たり前だった。
同窓会をするに当たって一番の問題は、住所のわからない者が何人かいることだ。個人情報保護の立場から教えてもらえない場合もあるのだ。それでも、これからは住所のわからない人たちを探し出して、案内状だけは出したいと思う。
大人になるための単位
雑談の中で、 「大人になるにも単位が必要だ」と私。同意してくれたTさんも、「海老蔵さんは芸能の単位は◎Aかもしれないが、社会人としての単位は未履修だったのだろう。」と同意してくれた。
ニュースを聞いていても、「今回の出来事が勉強だ」という人は少なくない。今回の出来事は、高価な“授業料”かもしれない。この頃、単位未履修の大人が多いように思う。人ごとではない。私も、私の子供達も未履修の単位があるかもしれない。
今後、単位不足の社会人が増えそうである。そのたびに、理解に苦しむ事件が起こりそうな気がする。人はその字のごとく、支え合うものだが、この頃は自分勝手に生きられると勘違いする者が少なくない。
これからは、どんな時代が来るのかわからないが、単位不足のオトナが続出しないように、配慮しなければならないと思う。雑談をしているうちに、1時半になってしまった。それでも楽しいひとときを過ごすことができた。
(日記:午前中、数学のホームページづくり。途中で高校時代のTさんが事務所へやってくる。午後も数学のホームページづくり。いよいよ第2段階に入った。午後4時から、『津軽じょんから節』の個人レッスン。楽譜をなぞることだけはできたが、人前で演奏するにはまだまだ道は遠い。教わっていて、今日も目から鱗の部分があった。夜、『竜馬伝』を2回分見る。とうとう最終回を残すのみとなった。今日の2回目は“大政奉還”であった。 )