人を育てるために
自分のことしか考えられなかった人間がある地位を得て、急に活躍することはよくあることである。
教員の世界で言えば、教頭や校長などの管理職になると、大丈夫かなと心配するような人でもそれなりに以前と比べて視野が広がり、他に指導できる人間になるから不思議である。
また、昨日まで学生だった者が教員になったとたんにそれらしく振る舞うから不思議である。周りから「せんせい、先生」とおだてられ、すっかりその気になって自分の力を過信するのは困ったことではあるが。
教員免許は、教員になれる資格があると言うだけで、本当の教員になれるかなれなかはいかに自ら学ぶ気持ちを持ち続けるかであろう。
PTAの役員でもそうである。学校や子供のことをあまり考えなかった者が、委員長や会長になると立派な挨拶をし、教育に関心を持つから不思議である。
もっとも、私も、子供のおかげで親にしてもらったようなものである。妻のおかげで夫に、そして男にしてもらったようなものである。
こう考えてくると、人はどのようにも育つように思われる。置かれた環境、立場によって、考え方まで変わり、それが行動にも影響を及ぼすのである。
しかし、こうした立場や役職の中には、失われるものもある。いつまでも、会長でもあるわけではないし、いつまでも社長であったり、いつまでも先生であるわけでもない。
しかし、いつまでも昔の名前で人前にしゃしゃり出て周囲のひんしゅくを買う人がいるが、そうはなりたくない。辞めてもなお“役職風”を吹かす者は鼻持ちにならない。
地位を離れたら、その立場で肩の力を抜いて人生を送ればよいではないか。少なくとも私はそう思う。
全ての地位を退いてなお渋く光る人間がいるが、それこそ本物であろう。間違っても“昔の名前”では生きたくない。せっかくの人生だから。
今私たちが為すべきこと、それは、『若者にこそ、彼らに相応しいポジションを与える』べきではなかろうか。『彼らに相応しい活躍の場を与える』ことではなかろうか。
(日記:午前中はもっぱら数学のホームページ作り。午後1時頃から久々にプールへ行く。プールの中を歩き、泳いだ。ジャグジー風呂で80歳過ぎのおばあさんから話しかけられる。今なお、子供の送り迎えもやっているという。素晴らしいことだ。その後、再び、ホームページ作りに没頭する。基本例題16問中15問はだいたい完成した。今月中には一部公開したい。夜は9月に放映された『龍馬伝』のビデオ3回分見る。)