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通信教育っておもしろい!

05 3月

漫画の通信教育
 私は小学校時代から漫画を描くことが好きだった。クラスには他にもマンガの得意な者もいた。中学校になってから、マンガの通信教育を受けることにした。そこではデッサンをやったり、絵を真似たり、実際に4コマ漫画を描いたりと、色々課題が出てそれらを郵便で送ったりしていた。

 漫画に関しては、高校時代には、親戚のおじさんが勤めていた学校の卒業生が漫画家(主に貸本漫画を描いていて、時々大手出版社の付録漫画なども描いておられた)だということで、色々漫画の指導だけでなく、漫画界の裏話なども聞かせていただくことができた。

 ただ、この時期は、数多くの月刊雑誌が季刊雑誌になり、最後に次々と廃刊になるというような状態で、漫画界「冬の時代」と言われるような時期だった。それはテレビが出現したからだ。私の師匠の漫画家も、転職して仲間と看板屋を開業するような時代だった。頂点に君臨しておられた手塚治虫先生なども「これからは一部の実力者しか生き残れない」と言っておられたそうだ。師匠も、私に「他の道に進んだら」とアドバイスをして下さったりした時代だった。

 その時期、厚かましくも、政治の一コマ漫画を描き、地元の新聞社へ送ったりもした。「絵はかなり達者だが、社会風刺が弱い。大人になったら、もう一度挑戦して下さい」というような返事をいただいたりもした。今もチャンスをうかがっているのだが。

 考えてみたら当然だろう。高校生が政治漫画を描くなんて世の中を甘く見すぎていたかもしれない。アメリカのアイゼンハワー大統領とソ連の最高指導者フルシチョフ氏を扱ったものだった。そのことだけは今も覚えている。

【左】紙芝居『大野はげっしょ鯖物語』 【右】出版物の挿絵

作曲の通信教育
 その後、有名な作曲家の名前を冠した作曲の通信教育を受けることにした。小学校時代はハーモニカ、中学校時代から、ギターに触れていたので音楽には興味があったからだ。

 それに、親父に感化されて和太鼓にも触れていたので、大学時代は軽音楽クラブでドラムをやったりもしていた。ここまでは音楽も遊びでよかったのだが、2度目に赴任した小中学校(の中学部)では、音楽を指導するように頼まれてしまった。小学校にも中学校にも音楽の先生がいなかったのだ。

 かといって、私はピアノのピの字もできないド素人。お礼の「♪ボーン、ボーン、ボーン♪」さえも知らない。最初に赴任した学校の女先生にお礼の弾き方だけは習って以後使ったのを覚えている。

 そして、今でも、手が震えたことがあったことを覚えている。卒業式の時のことだ。教頭の号令「一同敬礼!」で私が「ボーン♪ボーン♪ボーン」、それに合わせて全員がお礼をするのだ。すかさず教頭の「君が代斉唱」で私の前奏が始まるはずだったが、一瞬、白黒の鍵盤が均等に見えてしまって、「どこを押さえればいいのだ~~」と手が震えている。何とか、少しの間合いで前奏開始。冷や汗ものだった。

 二年後に、音楽の得意な先生が小学校に赴任してきて式典からは解放された。しかし、中学校の音楽の授業は続き、連合音楽会では合唱の指揮。慣れないことの連続。でも、小規模校ならではの経験をいろいろさせてもらった。

「親の意見と茄子(なすび)の花は千に一つも無駄がない」と言うが
 その後も、いろんな通信教育を受けた。『挿絵』の通信教育。『建築パース(透視図)』などだ。途中で挫折したものもある。挫折しても、どこかで何かの役にたっている。

 長い間、数学の教員をやっていたが、そんな時、立体的な図を描く場合には少しは役に立ったのではないかと思う。退職してから、特に日曜大工をやるようになったが、完成図を描いたり、途中で木組みの立体図を描いたり、様々なところで役立っている。

 音楽も、地域に伝わる民謡の採譜を行ったり、なければ新民謡をつくったり、歌をつくったり編曲したり、CDをつくったり、バンド活動を行ったりと、退職後の人生を活き活きしてくれている。

 『親の意見と茄子の花は千に一つも無駄がない』ということわざがではないが、『若い頃の道草は、いつか人生の花と咲く」と言いたい。若い頃、真剣に取り組んだことは、第一、第二の人生に大いに役立つと思う。仕事にも、退職後の生き甲斐づくりにも、まちづくりにも大いに役立っている。どこかで他人の役にも立っていると実感している。

 レベルは低いが、数学と漫画の二刀流、漫画と音楽の二刀流、それぞれが新たな価値と楽しみを生み続けていると思っている。若い頃学んだことは、本当に無駄がなく、日々の活力に繫がっている。

【左】OBバンドの練習 【右】卒業式でのピアノ担当……「式次第」には「開式の辞」「一同敬礼」
「君が代斉唱」……の文字が見える。

  

 
 

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