10,000個のトマト
トマトという作物について、強く頭に残ったことは、筑波万博での10,000個のトマトだ。頭上にある棚から真っ赤な無数のトマトが実っている姿は壮観だった。
この状況に、感銘を受け、トマト栽培に乗り出した人達がいる。そして、それぞれが、一本のトマトから何個のトマトを収穫できるかを競っている。そして、15,000個を超え、20,000個を超えるまでになっている。
なぜ、一本のトマトから、こんなにたくさんの実が実るのだろうか?それは、トマトにストレスを与えず、伸び伸び育てることだという。そのために、土を使わずに水耕栽培で行う方が根にストレスを与えないのだという。
そういえば、トマトって不思議な作物だと思う。我が家でも、毎年トマトを育てているが、水耕栽培でなくても、育て方によっては、雪が降るまで実を収穫することができるのだ。
家の基礎の隙間からトマトが
逆に、一切栄養を与えなくても、どんどん育つこともあるのだ。ある時、家(旧宅)の基礎の5mmほどの隙間から一本のトマトが芽を出したのである。そこで、どうなるか、抜き取らず、成長を観察することにした。
すると、トマトはどんどん生長していくではないか。トマトが頑張っているのだからと、肥料は与えないが、支柱を取り付けることにした。そのうちに、芽を出し、トマトが実り始めたのだ。
人間にも通じる無限の可能性
トマトにも潜在能力があり、ストレスを少なくすれば無限に育つのだ。きっとこれは人間にも通じるはずだ。そう思って、私は、自分の教員生活の経験と自分が見聞きしたトマトの潜在能力から『トマト』と題する小説もどきを書くことにした。
この、仮称、小説『トマト』を同級生の映画監督のO君に読んでもらった。そして、読後感想をいただいた。かなり厳しい指摘もあった。今度は教育経験者に読んでもらいたいと思っている。
簡単に言うと、教えない老数学講師の話である。その講師が進学校で働くことになった。受け入れる生徒、受け入れない生徒、そして、……。
私が考えているのは、今の世の中、次々といいろんなモノを作り出して、子ども達の創造や想像のチャンスを奪っているのではないか。また、大人達は教えすぎて子どもの考えるチャンスを奪っているんではないか、そんな思いから、この『トマト』を書く気になったのだ。
大人のお節介を排除して、子どもが自らその潜在能力を発揮する世の中こそ、子ども達が楽しく生き甲斐を感じる世の中になるのではないか。この『トマト』でそれを伝えたかったのだが。1本のトマトでさえ、本気になれば2万個以上のトマトを実らせることができるのだ。それなら、人間は……?