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Archive for 1月, 2016

「歳の市」に思う

31 1月

「歳の市」の開催時期
「歳の市」は現在、1月の最終日曜日に行われている。しかし、「歳の市」本来の意味を考えるとこの時期でよいのだろうか?

私たちの子供時代は、正月と言えば「旧正月」だった。ご馳走を作ったり、餅をついたりしたのもすべて2月1日の旧正月だった。

昭和の中頃の歳の市。臼を品定めする人たち。

昭和の中頃の歳の市。臼を品定めする人たち。

ちょうど、今でも、私たちの地区では、お盆や七夕は旧の8月に行っている。しかし、正月の諸行事は、そのうちに、1月1日に移り変わっていった。

しかし、お盆の種々の行事や祭りは、8月に行っている場合が少なくない。企業の休みもこの旧のお盆前後になっている場合が多い。しかし、正月は完全に1月になっている。

勝山の「歳の市」は、正月に向けてのものだった。正月に必要な神仏の縁起物・食品・道具などを 近郷近在の農家が、自分で作り、それを販売したものだ。

しかし、時代が進むと共に、旧正月を祝う習慣はなくなり、正月と言えば、ほとんど1月1日になってしまった。企業の長期休暇もまた同様である。

昭和の歳の市。下駄やわら製品が見られる。写真提供:勝山朝日印刷所

昭和の歳の市。下駄やわら製品が見られる。写真提供:勝山朝日印刷所

そうなると、正月に帰省する子供や孫達にご馳走を用意したり、新年に向けて種々の道具を新調したりするのは、1月よりも12月の方がふさわしいのではなかろうか。

今は、本来の「歳の市」の意味が薄れ、単なるイベントになってしまっているようだ。だからといって、この「歳の市」を12月に移した方がよいと言っているのではない。

新たに、正月に向けた本来の意味の「歳の市」(名前は別の物でもよい)があってもよいのではないかと思っている。「うまいもん市」が二度あるように。

・正月に帰省する子供達のための郷土色豊かな「ご馳走」
・正月の縁起物や飾り物
・正月向けの手作り玩具類(木や竹で作ったもの)
・正月を機会に新調したい道具類
・農作業に使う各種道具
・漬け物などの食材

本番の舞台となる鹿谷小学校の体育館でリハーサルするご婦人達。だいぶ上達したようだ。

本番の舞台となる鹿谷小学校の体育館でリハーサルするご婦人達。だいぶ上達したようだ。

を販売する「市」があってもよいのでないかと仲間内には話しているのだが、いつか実現してみたいものだろうか。これなら、子供や孫達のためにも買っておきたいと思う人は少なくないのではなかろうか。これこそが本来の「歳の市」だと思っている。

 

鹿谷小学校からの帰りに見た白山。とても神々しかった。

鹿谷小学校からの帰りに見た白山。とても神々しかった。

 
 

大相撲の思い出……昭和は遠くなりにけり

30 1月

神明神社で横綱の土俵入り
最近、相撲人気が高まってきているように思う。久々に日本人の大関・琴奨菊が幕内優勝を飾り、おまけに可愛い奥様もマスコミに登場して話題に欠かないようだ。

思えば、私たちの子供時代には、たびたび巡業で大相撲の一行が勝山の神明神社へやってきたものだ。当時は、一門別に行動していたように思う。

神明神社で土俵入りを披露する横綱千代の山

神明神社で土俵入りを披露する横綱千代の山

私の子供時代は、横綱では千代の山、栃錦、鏡里、羽黒山、東富士、吉葉山等が活躍した時代だ。他にも、個性のある力士がいて子供達には人気があったものだ。

千代の山は、奥様が勝山(遅羽)にゆかりのある人だったので、特に勝山へはよく来たように思う。ちなみに千代の山は出羽一門であった。

得意技は、突っ張りで「45日」(一月半)とも言われたものだ。写真でも、わかるように、大相撲の一行が来ると神明神社の境内は超満員であった。また、神社の周囲をちょんまげ姿のお相撲さんが歩く姿も子供ながらに興味のあるものだった。

幕内力士による土俵入り

幕内力士による土俵入り

しばらくして、一学年上のMさんが大相撲の「出羽の海部屋」へ入門し、確か幕下まで進んだように思う。また、優勝もしたように思う。

この千代の山から北の富士、千代の富士、北勝海などへとつながっていったのであるが、特に、自身の出身地である北海道から千代の富士をスカウトしたのは有名な話である。

しかし、千代の山は横綱にはなったが、出羽の海部屋の後継者にはなれなかった。そこで、独立を申し出て、弟子を連れて部屋を出ることになった。

弟子もろとも一門から破門されるかたちとなったため、髙砂一門へ移籍することになったのだ。独立当初は部屋経営に苦しんだようである。千代の山は、千代の富士の横綱昇進を見ることなくなくなった。

勝山市遅羽町のIさん宅には、千代の山の本物の「横綱」が保管されている。先日、遅羽公民館でこの「横綱」を見かけたが、懐かしい思いがこみ上げてきた。私は、千代の山の大ファンだった。

(写真は「朝日印刷」提供)

 
 

童話を書く楽しみ

23 1月

『かっちゃま児童文学会』の新年会
私たちは、数人で、童話サークル『かっちゃ児童文学会』を続けている。今日は、市内の寿司屋で新年会を行う日だ。集まって雑談をしながら食事。

創作童話から生まれた自作の紙芝居。上から『ぼく逃げないよ』、『野菜ロボット・ベジタ』、『野良犬物語』、『タン吉・コン子の卒業旅行』。

創作童話から生まれた自作の紙芝居。上から『ぼく逃げないよ』、『野菜ロボット・ベジタ』、『野良犬物語』、『タン吉・コン子の卒業旅行』。

今から10年あまり前に、市民大学講座で「童話教室」が始まった。私は欠かさず参加した。そして、数年後にこの「童話教室」が閉講した。

しかし、会員の一部で今度は童話サークル『かっちゃま児童文学会を立ち上げた。そして、年に一度、サークルの会誌を発刊し続けている。以前は年に2、3編の童話を書いたが、この頃は年に一つの童話を書くだけになっている。

それでも、この会のおかげで、童話を書く楽しみを持ち続けられて感謝している。おかげで、私の下手の童話もかなりの数になった。今年は、これらを一冊にまとまられないかと思っている。

自作童話で紙芝居 
その後、私は、自作童話のいくつかを紙芝居にすることができた。そして、自作の童話なので、紙芝居の絵の都合に合わせた話を簡単に変えたりすることもできる。

私なお拙い童話で作った紙芝居を、幼稚園や保育園、学校で演じてきたが、瞳を輝かせて見てくれる子供達がいるとうれしくなる。これからも、童話を書き続けていきたいと考えている。

今年は、自作童話だけでなく、県内の偉人の生涯を紙芝居にできないかと今考えているところである。これまでに、『白山平泉寺物語』や『親鸞聖人物語』を紙芝居にしてきたが、今年はこれらにも挑戦してみたい。

このように、創作の楽しみを与えてくれる『かっちゃま児童文学会』の活動を細々とでも仲間と友に続けていけたらと考えている今日この頃である。仲間の皆さんには感謝したい。

 
 

地域の活性化に向けて

18 1月

地区の活性化委員会新年初会合
今日は、午前中、今年初めての「猪野瀨地区活性化委員会」だ。ここ2年間は、主に、既存事業の活性化に力を注いできた。

各町に市から配分されている「地域力向上基金」の一部を使って、各集落のイベントに使ってもらえればと、イベントに使ういろんな器具などを購入してきた。すでに、いくつかの地区ではそれらを使って地区のイベントを盛り上げているようだ。

活性化委員会での話し合い

活性化委員会での話し合い

そのほか、地区のいろんな団体に使ってもらえればとカラフルなイベント用小型テントも購入してきた。文化祭では、これらのテントを使って会場の盛り上げに役立てている。

今日の活性化委員会では、既存事業の活性化や地域のイベントの盛り上げ支援の他、この「活性化委員会」独自のイベントをやってもいいのではないかと思っている。

私自身は、かねてから、「地域の祭り」を提案している。地域の「特産物作りとその販売」、「加工食品作りとその販売」、「郷土芸能や特技・習い事などの発表」や「老若男女が一つになった盆踊り」などを総合した「まつり(イベント)」を行うことが夢だ。

主役は地域住民であり、「させられるイベント」から「するイベント」への転換を目指している。この頃は、何をしても、「させられ感」のあるイベントが多い。いろんな団体からの動員などによって何かを行うのには限界がある。

中学生も活躍した文化祭の荻店「駄菓子屋」

中学生も活躍した文化祭の荻店「駄菓子屋」

私は、特に、盆踊りの指導には率先して出かけている。今年も、いろんなところへ出かけた。特に、子供達や若者の主体的な参加を期待している。地域住民が主役になるイベントを期待している。いつかこれらが実ることを期待したい。

今日は、先ず、猪野瀨の各区の実態や若者の諸行事に対する取り組みなどについて話し合い、今後どうしたらよいかなどについて、約3時間あまり話し合った。とても有意義な会であったと思っている。

 

10年前に考えたこと① 教師の職業病

17 1月

40年前の恩師の言葉 2005-12-15

私の恩師(校長だったN氏)が、今から40年前に私たちに語った言葉がいくつかある。その中に、『教師の職業病』というのがあった。教師がかかる病気とは、常に白墨(チョーク)を使っているので、その粉をすって肺でも悪くすることかと当時は想像したが、全く違っていた。

教師は、通常、子供の前に立って授業を進めることが多い。また、保護者からはどんな新米でも「先生、先生」と呼ばれて、自分に力がなくても形式的には一定の身分が保証されている。

周りの者が苦々しく思っても、子供を人質に取られているだけに思うことも自由に話すことが出来ない。そこで保護者は、当たらず触らずにして一定の距離感を保っている。

こうした状況に気が付かないまま長年教師を務めていると、世間の者まで生徒に見えてしまうのか、その対応の仕方が子供に対しているように、自分が立場的に上にいるような態度をとることが多い。

そして、退職後も「先生、先生」と呼ばれて、すっかり世間の常識から外れてきてもそれに気が付かず裸の王様のごとく振る舞ってしまう。

こうした状況を我が恩師N氏は、『教師の職業病』と称して、私たちに気を付けるよう諭したのである。

この病気にかかった先輩も少なからず世間にはいる。そこで私は、時々このことを思い出して部課長のみなさんに話すことがある。

「よきリーダーになれ。かつまた、よき兵隊になれ」と。役職で動く部分と役職を離れて一市民として動く部分があれば簡単にはこうした病気にはかかるまい。

(今も心すべきことである。)

 

変化に弱い年頃か

16 1月

ソフトの変更についていけるか
昨年で自分の?回目の干支も終わり、今年からまた新しい年が始まった。この機会にソフトのバージョンをアップしようと考えた。

まずは、音楽作成ソフトだが、バージョンを二つ飛び越えての新規購入だ。似ているところもあるが、似て非なるところもあり、それよりも、新しい言葉について行けないので困惑している。

各楽器の音色やボリューム等を調整する編集画面。

各楽器の音色やボリューム等を調整する編集画面。

前回のソフトでもそうだったが、機能の1割か2割しか使っていなかったのではないだろうか。それがバージョンアップしたために、かなり新しい機能が加わったような気がする。

おびただしい数のメーター類。理解するだけで、数年かかりそうだ。今となっては、最低限の機能を使って自分のやりたいことをやるしかない。

とにかく、ギターなどでメロディーを考え、どの楽器をどのように使うかを考えて編曲し、歌ならば、レコーディングし、最後にCDにするという作業手順だ。

今日、ソフトをインストールしてみたが、退くに退けない状態だ。「遊びだから、まっ、いいっか」の心境である。

ついでに、ワープロソフトも16年版にバージョンアップすることにした。こちらは、来月発売なので予約というところだ。

それに、ソフトではないが、ウインドシンセサイザーも最上級機種を購入した。こちらもかなりの音楽的な知識を要する設定があるが、その前に、一種の管楽器(のようなもの)だから演奏技術が必要だ。これも、望むところまで上達するかはきわめて怪しい。

今、急激な変化に戸惑っているところである。今年は、頭と体の体操に時間が許せば取り組みたいと思い直しているところである。

 

 

「“佐渡おけさ”の踊りを教えてもらえませんか?」

14 1月

頼まれるうちが華……か
昨年末に、鹿谷の知らないおばさんから
「佐渡おけさの踊りを教えてもらえませんか」
との電話があった。私は、ライフワークの一つとして盆踊り復活を願っている。そのため、できることなら、断らないで教えてあげたい。

鹿谷公民館での「佐渡おけさ」の練習。

鹿谷公民館での「佐渡おけさ」の練習。

今年も、北郷地区、平泉寺小学校の児童と先生方、退職公務員の皆さん、介護施設さくら荘の職員の皆さんなどあちこちで民謡の踊り方を指導させていただいた。

そんなわけでなんとか力になってあげたい。しかし、電話のあった時点では、私は「佐渡おけさ」の踊りなど全くできない。でもなんとかしてあげたい。そこで次のように電話をした。

{返事を一日待ってください」
そう言って電話を切った。私の頭の中には、“私が練習してできるならば、なんとかしてあげたい”という気持ちがあった。

電話を切った後、ネットで「佐渡おけさの踊り」と検索し、YouTubeを覗いてみた。当然のごとく、佐渡おけさの踊りが、いろいろアップされていた。これなら、私が少し練習すればなんとかなるだろう。そんな気持ちになった。

早速、YouTubeを見ながら、踊りの振り付け表を作った。そして、自分の部屋で手足を動かしてみた。指導する者ができないのでは話にならない。予習にかなりの時間を要した。

その後、電話がかかってきたので、引き受けることにして、練習の日時を決め、鹿谷公民館へ出かけた。みんな着物を着て待っていた。踊りを練習をしようとする人たちは、鹿谷地区のボランティアグループで年齢は、50歳、60歳、70歳代の女性10人だ。

「佐渡おけさ」は雪祭りで披露するとのことだった。「佐渡おけさ」とても単純な踊りだ。それだけに見ている人に感動をあたえようと思ったら、とても大変だ。なかなか民踊らしい体の動きやしぐさが身につかない。

今日は私の手持ちの編み笠を人数分持参し、練習の途中から、二人に笠を被って踊ってもらった。本番では、佐渡おけさらしい動きをしてくださるだろうか。少し気にしながら帰宅した。やるからにはしっかりと踊ってもらいたいと思う。

(午前中は、「佐渡おけさ」の指導。午後は、バンド練習の炭目のカラオケ作り。)

 

 
 

「観光まちづくり会社(仮称)」という発想

09 1月

新春放談
かねてから勝山商工会議所会頭の荒井社長とはお互いに「一度お話ししましょう」と約束していた。これまでにも何度も話を聞かせていただいている。お互いに時間ができたので荒井社長のもとへお伺いして2時間ほどいろいろ話をすることができた。

私としては、社長の考えている「観光まちづくり会社(仮称)」についてお聞きしたかった。元旦の商工会議所会報『龍翔る町』にもあったように観光を勝山市の活性化を図る重要な産業に育てたいということはかねてから耳にしていたからだ。

確かに、勝山市は
・北陸新幹線の金沢開業などにより交流人口が着実に増加している。
・県立恐竜博物館は来館者が増加し80万人を超えている。
・白山平泉寺はJR東日本のデスティネーションキャンペーンで取り上げられたこともあり来客数が増加し、そのそうも変化している。(吉永小百合さんがCM 出演)
・年間楽しめるスキージャムや自然遺産が豊富である。
・道の駅も計画に上がり、中部縦貫自動車も一部開通し勝山へのアクセスもよくなりつつある。

もっと生かしたい勝山の観光資源の「恐竜」

もっと生かしたい勝山の観光資源の「恐竜」

こんな話や博物館に対する意味づけ、幸福度指数を重視し国作りを進めるブータンの話、その他勝山の観光資源を生かす話をいろいろ着かえていただき、私も多少持論を述べさせていただいた。

滞在型観光や教育プログラムを提供する観光旅行、体験事業など、考えられることはありそうだ。小・中・高校生が長期の休みを利用して何かを習得するプログラムもできるのではと私は思っている。

ずいぶん前に構想したがIT関係では鯖江市に先を越されたように思う。でも、今からでも「勝山グリーンバレー構想」を考えてみたい。これは、「シリコンバレーの勝山バージョン」だと思ってもらえればよい。そのために、現役時代には福井県で開催された国民文化祭で「IT甲子園」も実施してきた。しかし、今はじり貧である。どうにかならないか、焦りもあるが若い人に考えてもらえないだろうか。

約2時間半ほど自由に話す機会をいただいた。現在進行中や構想中のものもあり、ここにすべてを書くことはできない話もあった。いろいろ聞かせていただき、聞いていただき、ありがたいことだと思う。また、その後の「観光まちづくり会社(仮称)」の話を聞きたいものである。

(今日は、図書館で行われた読書会に、飛び入り参加。『戦場のエロイカ・シンフォニー(私が体験した日米戦)』(ドナルド・キーン+小池政行著)を題材に意見交換が行われた。男性は私一人であった。)

 

10年前に考えたこと① 二極化 

06 1月

変わる社会① 二極化 2006-01-04
(今の社会を考えるために10年前に書いたブログを時々掲載します。)
自由な競争が激化すると、勝者と敗者が生まれる。これに勝負に加わらない者も出てきて世の中は複雑な様相を呈する。

・金を持っている者と持たないもの者
・学ぼうとする者と学びを放棄した者
・人を使う者と使われる者
・人付き合いの出来る者と出来ない者
・働こうとする者と働かない者
・成功した者と失敗した者
・差別する者と差別される者……。

勝者であろうと敗者であろうと、人は誰でも、“自分の存在を認められたい”と思っている。こうした気持ちは意識するしないにかかわらず、誰もが持っていると確信している。

そのために、自分の存在感を他人に認められない敗者の行動が気がかりである。敗者がそれをバネにして自分を向上させるよう努力する場合はよいが、より弱者に攻撃的に向かったり、反社会的な方向に向かう場合も少なくないからである。

フランスでの暴動(※)のように、抑えられていた感情が何かのきっかけで、いつどこでどのように爆発するかも分からない。最近起こる異常な事件にもこうした傾向は見られる。社会はどんどん大きなリスクを抱えていくようで心配である。
(※ 2005年パリ郊外暴動事件:2005年10月27日にフランス・パリ郊外で北アフリカ出身の3人の若者が警察に追われ逃げ込んだ変電所で感電し、死傷したことをきっかけにフランスの若者たちが起こした暴動。暴動はフランス全土の都市郊外へ拡大した。)

グローバル社会とは何か、グローバルスタンダードとは何か、本当の豊かさとは何か。南の島の住人、砂漠の民をも巻き込んだ大競争時代。自国中心主義。

持たなくてもよいモノまで持たされたり買わされたり、時間に縛られたり、必要以上の労働を強いられたり、マスコミに踊らされたり、他人に縛られたりして生きていくことが現代では当たり前になってきている。

「本当の豊かさとは何か?」、「幸せとは何か?」
その答えは、自分の中にある。他人と比べるのではなく、他人の基準で動くのでもなく、繰り返される単調な日々の生活の中で、些細なことにでも幸せを感じることができる受信機を持つことではなかろうか?人生は日々の積み重ねなのだから。

(メモ 午前中 バンド練習カラオケ作り。午後。数学の問題を解く。)

 

 
 

ウインドシンセ「EWI5000」

05 1月

これで新しい楽器は最後にしたい
私は、楽器に関しては移り気かもしれない。思い出してみると中途半端な楽器が多い。ハーモニカに始まり、ギター(エレキ・クラシック・フォークなど各種)、ドラム、ハワイアンギター、ウクレレ、オカリナ、三味線(民謡・津軽三味線)、半音階の出るクロマチックハーモニカ、和太鼓、篠笛、……。どの楽器も自分を十分楽しませてくれたから後悔はしないが。

ウインドシンセ「EWI5000」

ウインドシンセ「EWI5000」

そして、最近、新しい楽器を買った。と言うよりも、これまで持っていた楽器の上位機種を買ったのだが。シンセサイザーの「笛バージョン」というところか。形としては、クラリネットに似ている。

サックスやクラリネットを吹きたいがこの年では無理だろうと思って、代替楽器としてこのウインドシンセサイザーを買ったのだ。楽器のボタンを切り替えることによって、いろんな楽器の音が出るのだ。

実は、最初は、この楽器の普及版「EWIUSB」を買って練習したのだ。楽器としては気に入っている。ギターのOさんと月に数回わがスタジオでアンサンブルを楽しんできた。

そして、去年の暮れ、公民館ではボーカルのYさんと組んで人前で演奏することができた。しかし、この「EWIUSB」の電子的な部分はパソコンによって動かしているので、どうしてもパソコンが必要だった。そのために、小型のパソコンも買ったのだが面倒だ。

ハワイアンバンドでフラダンス

ハワイアンバンドでフラダンス

しかし、新しい楽器は、すべてが楽器本体に内蔵しているのでスピーカーさえあれば音を出すことができるのだ。一人で練習するなら、ヘッドフォーンかイヤホンがあればどこでもできるのでありがたい。

やってみたい曲を決め、CDなどを聞いてまず最初に練習用カラオケを作るのだ。そして、バンド用に編曲し、それぞれが自主練習して合わせるというパターンだ。施設慰問や地域のイベントで演奏してみたいと思う。

(メモ 数学参考書作り。ウオーキング。数学の模擬試験問題を解く。)