軽くなる命
毎日、毎日異常な事件が起きている。親が子を、子が親を、彼氏が彼女を、誰でもいいからとまったく見知らぬ人を、簡単に殺害してしまう。いつからこんなに命が軽くなったのだろうか。
そして、世界で多発するテロ事件。国同士の争いに加えて、武力で物事を解決しようとする者が後を絶たない。経済や効率だけではない価値観があると思うのだが、今は個人も国家も自国、自分中心になっているように思えてならない。
こうした価値観が広まれば、次の世代はさらにそれらを増幅するのではなかろうか。こんな時代が続くと昔は頻繁に使われていた「結」という言葉も死語になってしまうだろう。
『里山資本主義』の藻谷さんにことばではないが、「経済の常識」に翻弄された人が増えていくのだろうか。悪しき連鎖が人から豊かさを奪っているのではなかろうか。
「もっと稼がなきゃ、もっと高い価値を得なきゃ」→「猛烈に働く」→「帰って寝るだけの生活」→「ご飯を作る暇もなく、洗濯もできず、全部外で買ってくる」→「給料は高くなる?」→「ものを買うために手元に金が残らない」→「ますますがんばって働く」→「自分で何かをする時間が減る」→・・・・・
経済の側面だか見れば、このような存在は世の中にとってはあり難いかも知れない。経済優先とはこのような暮らしぶりだろう。しかし、これではどうみても「豊かな生活」には見えない。今の政治は、どんどんエネルギーや資源を使い、あまり必要でないものをどんどん買い込むことによって国民が豊かになると言っているように思えてならない。「経済優先」は「人を非人間的にする」のではないか。死ぬまで猛烈に働かなければ豊かさを手に入れられないのだろうか。我慢をするのではなく、無駄を省いてゆとりのある生活を取り戻さなければ人の命はますます軽くなるように思えてならない。
(日記 今日も終日数学。晴れているので途中でウオーキング。遠くの雪景色がきれいだ。のんびりした一日であった。)