RSS
 

雪への思い

08 11月

モノは考えよう

子供のころは、冬はそんなに困らなかったように思う。農繁期は家の手伝いで田植えや稲刈り、除草機回しやイナゴ捕りなど農作業にかかわる時間が子供ながらかなり多かった。夏休みは、水泳や野球などで遊ぶことも多かったが、山へ薪を運びに行くことは重労働だった。村の背後にある大師山の裏側まで行き、両親が作った薪を背中にかついで自宅まで運んだのだ。

これは、村の子供ならだれでもやっていたことなので、自分だけがいやなことをしているとは思っていなかった。しかし、冬は屋根の雪下ろしを手伝うくらいでそんなに家でする仕事はなかった。

雪が降れば、村の林などや段々畑でスキーやそりをすることに夢中になっていたように思う。そりなども、片瀬特有のハンドルの付いたそりだ。今のようにプラスティックのそりなどは皆無であったので何でも手作りだった。

一番苦手な庭木の雪囲いも終わった。いつ雪が降ってもOKだ。

一番苦手な庭木の雪囲いも終わった。いつ雪が降ってもOKだ。

自分が大人になってみると、雪が降る前には雪囲い作業。我が家には雪囲いをしなければならないように立派な植木はないが、たくさんある人は大変だ。そして、雪が降れば車を何時でも動かせるように家の周囲の除雪作業。たくさん雪が降れば屋根の雪下ろし。さらに降れば屋根の周囲の排雪作業。

しかし、モノは考えようで、「しなけれなならない」と思うと苦痛だが、「してやろう」と前向きになるとさほど苦にならない。それよりも、時間がたくさんあることがうれしい。このたくさんの時間を使って“時間をかけなければできない”ことを、やってみたいと思っている。

(日記 午前中は、雪囲い作業。今年はいつもより早くほとんど終わった。午後は、事務所で数学。参考書作りだ。いつになったら完成するのやら。それでも、楽しい。)

 
 

Leave a Reply