調べれば調べるほど興味が湧いてくる
土曜日に行われる「エコミュージアム研究会」の全国大会に発表する簡易アニメ『平泉寺物語』制作を通じて、毎日平泉寺について、考えながら作業をしているが、平泉寺についての興味は尽きない。
今、平泉寺は奥越の山際の小さな集落で過疎化も激しい地域だ。敷かし、かつては、宗教都市とまでいわれる大きな町だったというのだ。簡単には信じがたいことだ。
しかし、かつては、全国的にも存在の知られた大きな存在だった。先ずは、福井藩初代の松平秀康の平泉寺に対する対応だ。県内では破格の200石を寄進し、その後も、福井藩は平泉寺に対して厚くもてなしたのだ。
また、源氏と平家の争い、南北朝の争いなど天下分け目の戦いでも、平泉寺は関わっている。また、平泉寺は、比叡山の末寺から、江戸幕府の安泰と万民の平安を祈願するために創建された上野の寛永寺の末寺になっている。
そのため、江戸幕府とは強いつながりを持つようになったのだ。平家物語にも、太平記にも登場するなど県内のどの寺社よりも大きな存在だったのだ。しかし、このことを知っている人は非常に少ないように思う。これからも、平泉寺の素晴らしさを紙芝居やアニメなどを通して多くの人たちに知ってもらいたいと思う。
(日記 終日、アニメ制作。午後7時過ぎから、Tさんと『片瀬豊年ばやし』の伴奏練習。Tさんは、普段フルートを吹いているので、時々、篠笛をお願いしているのだ。)