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Archive for 12月, 2013

さようなら「平成25年」

31 12月

あっという間の1年
とうとう12月31日。あっという間の1年だった。桜の春、猛暑の夏、実りの秋と祭り、そして冬。みんな間違いなくあった。しかし、一瞬にして過ぎてしまったように思う。

子供や孫たちはソバ作り。年越しソバは手打ちそばだった。

子供や孫たちはソバ作り。年越しソバは手打ちそばだった。

あれこれやったが、何をやったのかと問われると、今年も的を絞れず、これというものがなかったように思う。“的を絞る”ことができなかったことが今年の反省か。

それでも、今年1年を無事過ごせたことは最大の喜びだ。来年は、的を絞って何か一つでも残せるものができたらと思う。さよなら平成25年、そして、ありがとう平成25年。家族にも感謝したい。

(日記 朝ゆっくり起きて、まずは仏壇と神棚の掃除と飾りつけ。午後は、車の清掃。息子や孫はソバ打ち。その後、家や事務所にしめ縄やお鏡さんの飾りつけ。午後6時過ぎに風呂へ入り、仏壇の前で読経。そして、紅白歌合戦を見ながら我が家恒例のすき焼き。ここまでは、毎年ほとんど同じ。同じように日は過ぎていくが今日は特別な一日。新しい一年が良き年でありますように。)

孫たちのおかげで楽しい一年になった。ありがとう。

孫たちのおかげで楽しい一年になった。ありがとう。

 

 
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Posted in 雑感

 

餅つき

30 12月

年末恒例の行事
毎年、この時期に年末恒例の餅つきを行っている。孫たちが帰省するので一緒に餅をつくることができればと思っている。臼や杵でつくことがなくなったが、餅を丸めるところは昔と同じだ。

孫たちと一緒に餅を丸めた。

孫たちと一緒に餅を丸めた。

鏡餅を作り、雑煮の丸餅を作り、そのあとで、きな粉餅、(大根)おろし餅、小豆餅を作って、白菜や沢庵漬けなどと一緒にみんなで食べるのが特に楽しい。

今日は、3人の子供、5人の孫全員が揃っての賑やかな餅つきとなった。本当はぺったんぺったんと臼や杵を使って餅つきをやりたいのだが、準備や後始末が大変なので今はやっていない。

かつては、かなりたくさんの餅を私一人でついた時期がある。餅つきをやったあとは、手が震えてしばらくは字もかけなかったことを思い出す。

お鏡さんや丸餅を作った後は、きな粉餅、おろし餅、あずき餅で餅を満喫。

お鏡さんや丸餅を作った後は、きな粉餅、おろし餅、あずき餅で餅を満喫。

今は、機械を使っているが、餅を丸めたりするのは昔と同じだ。熱々の餅を細かくちぎるのはいつも私の役目。それらを丸めるのは家内始め子供たちの仕事だ。

この調子で続けていけば、孫たちの時代も機械とはいえ、餅を作り続けているだろうか。今日集まった誰もが、腹いっぱい餅を食べた。家庭の小さな幸せかも知れない。

(日記 朝から、餅つき開始。子供たちと孫たち全員が集まって賑やかだった。午後4時すぎより村の子と数学の勉強。数学を教える時はとても楽しい。今年はこの数学で何かをやってみたいと強く思う。)

途中で加わった福井の家族(長女)とも餅作り。

途中で加わった福井の家族(長女)とも餅作り。

 
 

牛に引かれて……

29 12月

早速スキージャムへ
今日は、終日雪が降るという天気予報だ。しかし、スキージャムへソリをしに行くことになった。午前10時に家を出てスキージャムへ。雪が絶え間なく降っているがかなり多くの人が来ていた。

スキージャムのゲレンデを背景に「ハイ、チーズ」。

スキージャムのゲレンデを背景に「ハイ、チーズ」。

風も吹いていてかなり寒い。しかし、子どもたちは飽きずに滑っている。息子と家内が二人の孫に付き合っている。大人の方が「休もう」と言っても「もっと滑りたい」という。

雪が降りしきる中、ごく短時間休んだだけで子どもたちは滑り続けた。ソリコースで滑り、ソリコースではないところにジャンプを作って滑ったりしている。

私は、途中から、暖房の効いた部屋の窓から見ているだけだった。子どもたちの根性にはまいってしまった。しかし、考えてみればこれが子どもかも知れない。

「いくよー!」。坂を下りるスピードがたまらない。

「いくよー!」。坂を下りるスピードがたまらない。

子どもたちの、やる気を削いでいるのは大人の方かも知れない。本来、子どもたちは、いろんなことを粘り強くやる根性を持っているのだろう。

しかし、大人の方がこうした子どもたちの気持ちを失せさせる方向に動いているのかも知れない。子どもたちの元気さに驚くと共に、子どもたちのこうした粘りを大切にしなければと思う。

そう言えば、昨日も、子どもたちに独楽の回し方を教えたら、回るまで諦めないで取り組んでいた。大人の方が根を上げて「もう遅いから明日にしよう」と言わざるを得なかった。

坂の上から見たロッジ全景。

坂の上から見たロッジ全景。

子どもたちのやる気をなくさないように大人は接することが大切だと思う。子どもたちのこのような気持ちを大切にしたい。そんなことを考えた一日だった。

それにしても、子どもたちのおかげでスキージャムへ来ることができたのだ。まさに「牛に引かれて……」だ。そう言えば、親は子どもたちのおかげであちこちへ行くことができたんだ。

(日記 午前10時から、スキージャムへ。子どもたちの元気さに驚いた一日だった。午後3時過ぎから、みんなで買い物。ここでも、「昨日テレビで見ましたよ」という声を聞いた。テレビってすごい。) 

雪の上で孫達の記念写真。

雪の上で孫達の記念写真。

 

孫達の帰省

28 12月

久しぶりに“実物”と再会
 今日は孫達が帰省する日。午前10時に福井駅へ着くという。家内と二人で福井駅へ向かった。駐車場へ着くと、カメラマンがいる。

 駅の改札口で待っていると、。「誰を待っておられるんですか?」と、カメラマンが声をかけてきた。「孫達です」と返す。

 列車が到着すると、孫達が階段を下りてきた。2社のカメラマンがカメラを回し出す。孫達に私と家内に抱きつく。私も「実物さーん!」と応じた。急にマイクが向けられてインタビュー。

 2社から、家族がインタビューを受ける。孫や息子や家内や私にマイクが向けられたのだ。急なことで皆それなりに驚いていたようだ。

朝5時に起きて横浜を出たというのに、子どもたちは早速雪遊び。子どもの元気さに驚く。

朝5時に起きて横浜を出たというのに、子どもたちは早速雪遊び。子どもの元気さに驚く。

 その後、途中で、昼食を取り、帰宅。早速「テレビで見たよ」と妻の携帯に電話が入る。どうも家族の帰省風景として私たち家族が昼のテレビに放映されたらしい。

 息子の携帯にも、息子の嫁の携帯にも。その後、私にも「テレビで見ました」と電話があった。テレビに映るということは、凄いことだと思った。夜のニュースを見た人からも電話があった。マスコミに力に驚いた。

(日記 午前中、息子の家族を迎えに福井駅へ行く。帰宅して夜は一緒に食事。いつもは二人の食卓が7人になった。賑やかなことだ。午後7時より1月定例役員会。1月に臨時総会があるため、12月に早めたものだ。)

 
 

年賀状

27 12月

年末恒例行事
 昨晩、年賀状の図案を考え、今日住所を書いた。昔なら、数日がかりの大仕事だが、今では、実質一日で完成する。図案を考えれば、後はプリンター任せだ。

 図案と言っても、この一年、自分が取り組んだ主な出来事を組み写真にして載せるだけのことだ。興味のある人に見てもらえたらと思うからである。

 住所は、プリンター任せ。印刷をしている間は、年末恒例の掃除をすることができる。表裏とも完成したら、手描きで短いコメントを書くことにしている。

 しかし、全てにコメントを書くわけではない。ほとんど交流がない場合にはコメントを書きにくいからである。いずれにしても、今はパソコンのおかげで手軽に年賀状を作ることができるようになった。

 その分、手描き時代と比べると味気なくなったかも知れない。しかし、昔の生徒達がどんどん成長して立派に社会人として活躍している様子を知ることは楽しい。

 また、彼らが親として子どもたちとの楽しげな写真を賀状で紹介してくれることが多いが、自分の昔を思いだしてなつかしい。時間はどんどん流れていく。誰かが何かで書いていたが、年を取るスピードは年齢とともに早くなるらしい。いや、早く感じるらしい。

 あと四日で今年も終わる。雪が解けて、春が来て、家庭菜園に取り組んでいるうちに夏が来て、実りの秋。そして雪の冬が来てしまった。来年こそ何か残るものを作ってみたいと思う。紙芝居の他に。

(日記 朝から年賀状作りと部屋の整理整頓。今日も捨てきれなくて、苦労した。「まだ使えるのに捨てるのはもったいない」と「何かに間に合うのでは」と思うとつい捨てる気持ちが萎えてくる。明日は、孫達が帰省する。一気に我が家は賑やかになる。)

 
 

年末断捨離“第三弾”

26 12月

整理したい雑誌類
 定期的に購読している雑誌も1年、2年と経つと本箱のかなり場所を占めるようになる。そこで、順番に捨てることになるのだが、中には捨て難い記事もある。

 そこで、そうした記事をカッターで切り取ってスクラップしている。ところがそのスクラップも上手く整理しないと、どんどん増えてどこに何があるのか分からなくなっている。

 問題は、何のためにスクラップをするのかということだ。そこの所を考えると、スクラップしているねらいがぼやけてくる。

 若い頃スクラップしたものも、少しずつ捨てざるを得ない。目的が変わってくるからだ。さみしいことだが、自分には何ができるかを考えて、的を絞らなければならない。

 こうして、自分を納得させながら少しずつものを捨てていかなければならない。そして、これからどこに力を入れるのかを考えながら、ものを集めたり捨てたりしなければならない。

 かなり捨てたつもりだが、まだまだ捨てきれない。毎月のように買う本もそうだ。よほどの本でない限り二度読むことはないと思うのだが、捨てきれない。

 今のところ、捨てたい本は事務所の本棚へ持って行くことにしている。ここで何年か寝かせてから捨てるかどうかを考えればいい。断捨離のなんと難しいことか。

(日記 今日は、区の事務処理と自分の部屋の整理整頓。昼頃、区民の境界設定に関して立ち会い。根拠となる図面は明治の頃の手描きの地図が元になっているようだ。百年以上も経つと樹木は大きくなり、石垣なども崩れ、境界を確定する作業は簡単ではない。そんなことを考えながら、立ち合っていた。夜は、途中から太鼓の練習に顔を出す。なんとなく気ぜわしい年の暮れだ。帰宅して、年賀状のデザインを考える。例年の通り、組み写真にすることに決めた。大小8枚の写真を組み合わせてはがきに取り込み、簡単にメッセージを付け加えて印刷を開始した。住所は明日だ。 )

 
 

瓦版づくり

25 12月

テーマを何にしようか
月に二度、『かたせ瓦版』を発行している。「メインの記事を何にしようか」と迷う。地域の人たちに関心を持ってもらいたいものをメインに使用としている。

裏面は、組み写真にすることが多い。文字が多いと読んでもらえない可能性があるので、昔のなつかしい写真をいくつか組み合わせて掲載している。

それらを、編集しながら思うことがある。昔(20~40年前)は、区民がいろんなことに熱心に取り組んだことが分かる。地区のために、いろんなことをしたことがよく分かる。娯楽的なことにも積極的に取り組んできたのだ。

楽しいことは自分たちが作り上げたことが多い。今は、楽しいことは“他から与えられる”ことが多い。それも金を出して。

ゲーム、携帯、テレビやDVD、漫画や雑誌……等である。自ら何かに取り組むというよりも、他から与えられて楽しむことが多い。

楽しみを自ら作り上げたり、自ら参加して仲間と楽しむことがめっきり少なくなったと思う。瓦版の『思い出写真』を整理しながらこんなことを考えていた。

(日記 朝から夕方4時頃まで、もっぱら明日発行の『かたせ瓦版』の編集作業。その後、物置の整理整頓。これまで保管しておいて捨てる気になったものを軽トラの荷台に積み込んだ。捨てるものが多いとさみしい反面うれしくもなる。部屋や物置がスッキリするからだ。)

 
 

昭和は遠くなりにけり

24 12月

時代は変わる
今日年末“断捨離”第二弾で、物置の大掃除。保存しておいたたくさんの音楽関係のカセットテープと録画しておいたビデオテープを廃棄することに決めた。完全にテープの時代は終わったのだ。

勉強の後、サンタの衣装でクリスマスソングを歌ってくれた孫達。

勉強の後、サンタの衣装でクリスマスソングを歌ってくれた孫達。

アナログからデジタルへ、時代は完全に変わったのだ。昭和時代が遠くなる。それと同時に、我が青春時代もどんどん遠くなっていくようだ。寂しい限りだ。現在はいつも時代の最先端だ。

しかし、少し時間が経つとあっという間に過去になってしまう。やがてCDも過去のものになってしまうだろう。しかし、その時々に流行ったものはいつまでも心の中に残っている。

特に、それぞれの歌はその歌が流行った時代に自分を引き戻してくれる。そして、演奏した曲ともなれば、その時代やその時の仲間のことが鮮明によみがえらせてくれる。

昨日の掃除で物置から出てきたサンタの人形。電池を入れたら腰を振って“ジングルベル”を歌い出した。

昨日の掃除で物置から出てきたサンタの人形。電池を入れたら腰を振って“ジングルベル”を歌い出した。

しかし、今日はそうした歌の詰まったたくさんのカセットやビデオテープを箱に入れて軽トラックの荷台に載せた。青春時代との別れであるようにも思う。

(日記 午前9時から午後6時まで年末“断捨離”第二弾。今日は特に長年保存しておいたたくさんのカセットテープとビデオテープをほとんど廃棄処分にした。「昭和は遠くなりにけり」と言った気分だ。午後7時半から“爺ちゃん勉強”。終わった後、孫達がクリスマスソングを歌ってくれた。)

 
 

道場参り

23 12月

御正忌
 今日は村の道場で『御正忌』が行われた。浄土真宗では、開祖親鸞聖人の忌日に行う法会である。昔は、たしか「しちにっつぁん」とも言っていたように思う。

 私達の子供時代には、宗教行事ではあったが楽しみの一つでもあった。と言うのも、子供時代にはテレビなどがないために、子どもたちは、喜んで親や祖父母と道場へお参りしたものだ。

 その際、「米ふかし(煎り菓子)」や「かち栗(ゆでた栗を数珠のようにつなぎ乾燥させたもの)」や「みかん(高価なので一つか二つ)」をなどを持参して参ったのだ。

 読経の間は、道場の囲炉裏の回りで雑談をしたりトランプをしたりして遊んだものだ。そして、説教が始まると道場に正座して聞き入ったものだ。

 道場は、宗教の場であるばかりでなく、巡回映画の上映場所、演劇などの舞台、村の総会などの場所、夏には子どもたちの遊び場や勉強の場所でもあった。

 私がギターと出会ったのも確か、この場所だったと思っている。先輩達のギターを聞き、その音色に魅せられてギターを始めたのだ。道場はいろんな思い出のある場所だ。

 今日、道場へ集まったのは、60歳以上の男女が20人前後だっただろうか。そのうち男子は、6、7人。いずれも、昔、道場で遊んだ経験のある者ばかりであった。若者も子どもは一人もいなかった。全員で読経し、話を聞き、お茶を飲んでしばし歓談し帰宅した。

 道場で過ごした経験のある者は50代後半以上ではなかろうか。今後、このような宗教行事はどんどん廃れていくだろう。その他のいろんな行事も簡素化されたり、廃止になっている。

 かわりに、テレビやゲームなどが出て来て、若者や子どもたちは退屈することはないだろうが、大人になるための大事なものを身に付けないで育っていくような気がしてならない。

 成長して、それらが大切であることに気がついた頃には、味気ない社会ができているのではなかろうか。「今さえよければよい」と言って、いつまでも「今」がよくなるとは限らないように思う。そんなことを考えた道場(寺)参りだった。

(日記 午前中は道場参り。午後は、昨日軽トラックに積み込んだ粗大ゴミなどをゴミ処分場へ持って行った。帰宅してからは、数学の問題作り。その後、今週発行の瓦版の絵描き。 )

 
 

年末“断捨離”

22 12月

久々の大型廃棄
 今日は、年末の大掃除をすると決めた。これまでは、いろんなものを見ても、「いつかは何かにつかえるだろう」と捨てられずにいた。

 しかし、今日は、いつもよりは強い気持ちで“断捨離”を実行すると決めた。だいたい軽トラック一杯分、捨てるものを荷台に積み込んだ。

 まだまだ捨ててもいいものがあるが、捨てきれずにいる。おそらく、多くの家庭で捨てるに捨てられずにいろんなものを保管しているのではなかろうか。

 思い出の品を捨てるのは忍びないが、一方では買い求めているのだから、やむを得ない。写真なども、自分さえ見ないものを子や孫が見ることは少ないだろう。そう思うと、膨大な量の写真もいつかは捨てなければならないだろう。

 書籍もそうだ。よほどでない限り、同じ本を二度、三度と読むことはないだろう。となると、読み終わったら捨てればよいのだが、それもできない。

 楽譜となると、なおさらそうだ。いつか何かで必要になるのではないかと思うと、簡単には捨てきれない。古くなると、時代遅れになるもの、いくら古くなってもスタンダードナンバーとなっていつまでも演奏されたりする曲などいろいろである。

 数学の参考書等も捨てきれないものの一つだ。現役を離れた今でも買い続けている。参考書を作りたいという目的があるからだ。いつになったらできるかわからないが。

 今日は、主に、二階の物置と、車庫の二階を中心に整理整頓をしながら掃除をした。衣類も、なかなか捨てきれないものの一つだ。まだまだ使えるからだ。しかし、背広やネクタイは現役時代と比べると、使用頻度が激減した。捨ててもよいはずだが。

 今週は、我が家にとっては“断捨離”週間だ。何もない部屋にあこがれるが、なかなかそうはいかない。“もったいない”を身をもって体験してきた私としては、心を鬼にしなければ“断捨離”は実行できない。もうしばらくは戦いが続くだろう。(少しオーバーか。)

(日記 終日、年末大掃除。家の清掃、整理整頓に明け暮れた。軽トラック一杯分だけは捨てるものができた。本当は、まだまだあるのだが……。なんと“断捨離”の難しいことか。)