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Archive for 11月, 2013

よみがえる青春

09 11月

藤子・F・不二雄ミュージアムにて
長男宅でのんびりと目を覚ます。午前11時に長男の家族5人と我々夫婦が『藤子・F・不二雄ミュージアム』へ行くことになった。すでに切符も勝ってくれていた。

高速で1区間を経て川崎市にあるミュージアムへついた。藤子不二雄氏は、富山県出身の藤本弘氏と我孫子素雄氏二人が一つのペンネームで作品を描いてきたのだ。

後に、二人は別れて藤本弘氏は、藤子・F・不二雄氏として独立して現在に至っている。それまで、よくも二人で一つの作品作りができたと感心するばかりである。

二人は、それまで「お化けのキュウタロウ」や「ドラえもん」など数々の作品を生み出した天才的な漫画家ではないかと思う。ミュージアムには、たくさんの漫画が展示あれ、原画なども展示されていた。

鉛筆での下描き、ペン入れ、下描きの鉛筆を消して墨汁による墨入れ(ベタ塗り)、そしてネーム入れ(セリフを写植で貼り付ける)など、私が中学高校ですべてを投げ出して漫画に取り組んでいた時代が鮮やかに思い出された。

10年先輩の藤子氏(二人)は成功し、私はテレビの出現とともに漫画を描くことを断念した。テレビの出現とともに、当時10冊あまり発行されていた月刊雑誌は、すべて廃刊になるような時代だったのだ。

私を指導してくれた漫画家のYY氏(貸本漫画を中心に時々月刊雑誌にも描いていた)も手塚治虫氏らの言に従って漫画家を辞め、広告会社を作ったりした時代だった。

今日のミュージアムを見ていて、そんな私の青春時代を鮮やかに思い出させてくれた。ミュージアムを見ているうちに、私の体の奥底で眠っていた漫画魂がムクムと沸き上がってくるのを感じた。

今さら私は漫画家にはなれない。能力的に無理だし、年齢的にも無理だ。しかし、漫画の周辺を楽しむことはできる。ミュージアムで若き日の血が騒ぎ出したことだけは間違いない。

(日記 午前11時より孫達と『藤子・F・不二雄ミュージアム』へ行く。過ぎ去った青春時代の血が騒いだ。長男宅で2泊目の夜を迎える。)

 
 

国立劇場で歌舞伎鑑賞

08 11月

日本伝統芸能鑑賞
せっかく東京へ来たのだから、「歌舞伎を見たい」という家内のリクエストで歌舞伎を見ることにした。本当は、新しく出来た歌舞伎座で見たかったが、ネットで調べると切符は完売していた。

そこでやむなく、国立劇場での歌舞伎を見ることにした。チケットはインターネットで申し込み、近くのコンビニで入手した。ネットで自分はどこに座るのかもよくわかった。

私は以前に、歌舞伎を鑑賞したことがあるが、セリフがなかなか聞き取りにくく筋書きがわかり難かった。今回の演し物は、通し狂言『伊賀越道中双六』であった。

日本三大仇討の一つらしい。剣豪・荒木又右衛門の話だが、ここでは、唐木政右衛門となんとなく似た名前で登場するのだ。実話である場合には、こうでなければ、江戸時代には歌舞伎を上演することができなかったらしい。

今回も、セリフが聞き難くなければよいがと思って心配していた。ところが、解説が聞ける音声ガイドを借りることができるのだ。

狂言のわかりにくい内容や、登場人物の名前やセリフ、俳優名などが全て、解説者によって解説してくれるのだ。おかげで、筋書きもよくわかり、歌舞伎を堪能することができた。

また、主役を勤めた中村橋之助ら馴染みの役者が出演し、親しみが持てた。要所要所で演じられる狂言も興味深かった。演者の熱演ぶりに感激した。

歌舞伎役者の演技、声の出しから、見栄の切り方など学ぶことが多かった。楽しい観劇であった。今後の郷土芸能づくりに参考になることが多かった。日本の伝統芸能に触れた楽しい半日だった。

(日記 次女と一緒にアパートを出て、電車で国立芸術劇場のある永田町へ向かった。さすがに日本の政治の中心らしく、いたるところで警備の警察官の姿が見受けられた。国立劇場での歌舞伎終了後、バスで渋谷駅へ向かい、買い物をして横浜の藤が丘駅へ向かった。長男の嫁が車で駅まで迎えに来てくれた。孫たちとは久々の再会であった。例によって「実物さん」といい、抱き合った。夕食後、しばし歓談。夜は長男宅で宿泊。孫達と一緒に寝る。)

 

 

 
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人、ひと、人

07 11月

次女を訪ねて
午前8時3分の電車で福井へ向かう。福井から東京へ。次女と会うのは夕方ということで、まず上野で『ミケランジェロ展』を見る、福井で見られなかった展覧会だ。

その後、家内のリクエストで上野動物園へ。パンダを見るが、平日なので、ゆっくり見ることができた。動物を見ながらつくづく思う。

人間のせいで、気候の全く異なる日本へ連れて来られて狭い檻の中で人間の目にさらされている。しかも仲間は少ない。人間なら耐えられないだろう。

そんなことを考えていた。なぜ、こんなことを考えるようになったかというと、以前に地球の歴史を勉強したからだ。この世に、生物が誕生してから次々と進化してきた。

人間もそうした生物の一つだ。それが地球上では一番いばっている。人間のために地球があるわけでもないのに、動物たちを檻に閉じ込めてそれを見ている。動物から考えれば理不尽なことだろう。

そんなことを考えながら、上野動物園を後にした。その後、時間調整のためにアメ横をぶらつく。平日でも祭りのような賑であった。

時間になったので、待ち合わせの場所、新宿へ。その後、立川へ。娘の友人とも会い、夕食。しばし歓談。娘の下宿先で宿泊。

移動の際、何度も地下鉄に乗ったが、都会の人の多さには驚く。まさに人、ひと、人である。田舎では、人の滅多に通らない商店街があるというのに。

それと同時に、地下鉄に乗って狭い地下を移動していると、もしもこんなところで地震でも起きたら大変だろうなあと思ってしまう。

慌ただしく都会の一日は、終わってしまった。この歳になると、田舎での暮らしに慣れてしまって、都会は遊びに来るにはよいが、住むところではないと思ってしまう。

(日記 午前中、東京へ向かう。娘と会うためだ。ついでに、上野へ行く。その後、新宿で次女と会う。この日は娘の下宿に宿泊。)

 

 

 

 

 

 

 
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ALTのJさんのこと

06 11月

村祭りに出演快諾
私は、月に二回、各班の班長に市や公民館や学校からの配布物を班長に届けている。他にアパートに住んでいる人たちには一軒一軒配布物をポストに入れている。

そんな中で、ALTのJさんと知り合った。学校の文化祭に出演して歌を歌ったというのを聞いたので、村の祭りに出て暮れないかと頼んだら、快諾してくれた。

片瀬の秋祭りで歌ってくれたアメリカ人ALTのJさん。

片瀬の秋祭りで歌ってくれたアメリカ人ALTのJさん。

本番では、ラップの入った曲を早口の英語で歌詞を見ないで歌ってくれた。観客には好評だった。そこで、今度の猪野瀬文化祭にも出てくれるよう頼んだのだ。これも快く引き受けてくれることになった。

そこで、今日はどんな曲を歌うかについて打ち合わせ。1曲は、震災復興ソング『花は咲く』を英語で歌ってくれるよう依頼した。もう1曲は彼女自身が選ぶよう話した。

彼女は歌うのが好きだと言う。なかなか上手だ。我がバンドで、これからもいろいろ共演してみたいと思う。今日、彼女に何度も言ったのは、「都合の悪いときや歌いたくないときははっきり言ってほしい」と、何度もお願いした。

(日記 朝風呂へ入り、朝食を済ませて自宅へ。服を着替えて、秋野菜の収穫。里芋と秋ジャガイモとヤーコンの収穫。まあまあのデキだった。午後は、CDづくり。午後4時過ぎに村に住んでいるALT(外国人英語指導助手)のアメリカ人女性Jさんと会って事務所で話す。夜は、和太鼓の連中がフラダンスの練習。私は終わり際に顔を出す。)

 
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野村克也氏の『リーダー論』

05 11月

同感すべきことが多い本
本屋で野村克也元プロ野球監督の著した『リーダー論』が目に入った。この本を買った動機ははっきりしている。本の中で下記の部分を見つけたからだ。

『教えすぎず気づかせよ』と書いてあったからだ。この部分は境域の神髄を著している。授業を説明と勘違いしたり、懇切丁寧に教える指導者は少なくない。

そうして獲得した知識は本物ではないと思う。それは、“自分の頭で考えて獲得したものではない”からだ。“考えよ”は、現役時代の私のモットーでもあったのだ。

『自分以外の全てに学べ』も大切な言葉だ。組織で一番やっかいな人間は、“自分はできる”と思っており(勘違いしている)人間だ。謙虚になって、いつまでも学び続けなければならないと思う。

また、氏は前書きで『組織はリーダーの力量以上には伸びない』も同感だ。政治家、企業のトップなど、多くの人たちは是非ともこのことを理解してほしいと思う。

この本のほとんどが、納得できることばかりだった。さすがに、選手としての実績、監督としての実績があり、“考える”ことのできる監督だけのことはあると改め手感じた次第だ。

(日記 午前中家内と二人で福井へ向かい、先ず知人に里芋を届けた後、福井で衣類などのショッピング。本屋で本を三冊使う。一冊は上記の本で2冊は楽譜。楽譜のうち一冊はジャズの本。最近無性にジャスに興味が湧く。またドラムを叩きたくなった。夜は、山代温泉で宿泊。家内と二人で温泉とカラオケを楽しむ。)

 
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ざるで水を汲む

04 11月

高校時代のこと
高校時代に当時の先生から授業中言われたことがある。「君らはザルで水を汲んでいるようなものだ。」と。意味するところは、学んだことの大半は身に付かないと言うことだ。

そうなれば、頻繁に反復練習するしかない。ザルから大半の水がこぼれ落ちても、ザルには滴が付いているはずだ。それをバケツにくみ取るには回数を多くするしかない。

なぜこんなことを思いついたかというと、今日、知人のOさんがギターを持って私の事務所へ遊びに来た。来月、ある場所で演奏するので、相棒を頼んだわけだ。

しかし、先月覚えたつもりの曲が今日弾こうとすると、かなり忘れてしまっていた。しばらく練習していたら思い出したが、放っておけば全部忘れてしまうところだった。

若い頃はこうではなかったが、今は反復練習するしかない。諦めたら、昔、獲得したものは次々と忘れ去っていくだろう。どうでもよいことはそれでもよいが、忘れたくないことまで忘れてしまうのは悲しい。

それでも、一度やったことは思い出すのにそんなに時間がかからないから、まだ我慢ができる。これからはこうしたことの繰り返しになるのだろうか。

力を入れることもある程度、的を絞って、それらを繰り返すことが、これからの人生では大切なのかも知れない。忘れることも人生においては大切なのだろうから。

(日記 午前中は、部屋の整理整頓。福井の子どもたちも午前10時過ぎには帰っていった。午後3時、知人のOさんが事務所へやって来た。バンドでギターを頼んだからだ。短時間ではあったが、一緒に演奏を楽しんだ。メールで11月前半の学習計画表を送った。午後7時半から『じいちゃん勉強』。)

 
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始まれば終わる!

03 11月

「あれやこれやと忙しかった」が
昨日遅く寝たが、午前五時半頃、目が覚めた。しなければならないことが浮かぶ。ここで寝直したら、朝、ほとんど忘れてしまうだろう。心配になって、メモを取る。

起床後、あちこちへ用事に出かける。先ずは、遅羽公民館へ太鼓二組を借りに出かける。その後、子どもたちの太鼓の衣装などを積み込んで『さくら荘』へ向かう。

さくら荘で和太鼓を演奏する親子太鼓のメンバー。

さくら荘で和太鼓を演奏する親子太鼓のメンバー。

午前10時の開会式の式典の後、ステージで子どもたち(幼児、小学2,3年生)とその保護者の太鼓を発表。まあまあのデキだったと思う。

終わると同時に太鼓を積んで事務所へ戻り、若者の太鼓グループでリハーサル。今日も、午前午後と異なるチームで篠笛を吹くことになった。どちらも春駒太鼓だが。

ニューホテルでは、平泉寺のSさんのお父さんの米寿祝賀会で、祝太鼓を披露するためだ。太鼓を積んで移動。慌ただしかった。

午後1時頃、祝太鼓披露。終了後、太鼓を片付けて帰宅。これで一連の忙しさから解放された。全部終わった満足感と、心地よい疲労感。

最近思うこと。どんなに忙しくても、“始まれば終わる”ということ。終わった日のことを思うと、やっぱり一生懸命やっておいた方が悔いは残らないと思う。

昔、生徒達に話したことがある。

知人のSさんの父親の米寿記念祝賀会に出演するために、控え室で準備。

知人のSさんの父親の米寿記念祝賀会に出演するために、控え室で準備。

「試験最終日の午後を想像してみなさい。一生懸命に勉強して最終日の午後を迎えたのと、あまり勉強しなくて午後を迎えたのを。前者は、それなりの好結果が予想され、今日は思い切って遊ぶぞとなるだろうし、後者は、あまりできがよくないことが想像され、何となく浮かない気持ちになるのでは。だとすれば、一生懸命勉強して気持ちのよい最終日を迎えてほしいものだ。物事は、始めれば終わるのだ。」

(日記 午前中は、介護施設『さくら荘』で親子太鼓。午後は、若者達と知人の父親の米寿記念祝賀会で『祝太鼓』を披露。これらの日のために、何度か練習を積んできた。そして、一区切りがついた。夜は、のんびりと日本シリーズ第7戦、巨人-楽天戦を見た。放送時間いっぱい見ていた。途中から、雨中の決戦となり、一球一球が手に汗を握る状況になった。野球の一年も始まったと思ったら、とうとう終わってしまった。楽天、優勝おめでとう。)

 
 

容量オーバー

02 11月

限界超え
朝になっても、午前9時過ぎまで紙芝居の修正作業。そして、10時過ぎに猪野瀬公民館へ行く。人が多いので、紙芝居と言うがパワーポイントで写すことにした。

前回より、少しはましになったと思うが、見ていた人はどう思ったのだろうか。自分ではわかりやすいように修正したつもりだ。でも少しに気になる。

気になると言えば、このような宗教的な紙芝居は浄土真宗の布教活動と混同されないかと言うことだ。自分では、それらとは一線を画しているつもりでいるが、誤解を与えるかも知れない。

さつき苑文化祭で『片瀬豊年ばやし』を演じた。米俵をあげているのは私です。

さつき苑文化祭で『片瀬豊年ばやし』を演じた。米俵をあげているのは私です。

紙芝居を終えるとすぐ帰宅して、昼食。衣装を着替えて介護施設『さつき苑』の文化祭に参加。『片瀬豊年囃ばやし』を演ずる。期待すると、今度は、子ども太鼓のステージリハーサル。

北谷の介護施設『さくら荘』のステージで明日のリハーサル。まあまあのデキだった。帰宅して夕食。その後、区の『11月定例役員会』を開催。帰宅して、長女と明日のステージ練習。

全部で五つの出番。頭が回らないほど疲れた。パソコンの画面に目がついていかないほど疲れた。無理はダメだとわかっていながら、何でもやり過ぎる。間口を狭めなければと思う。

(日記 起床と共に紙芝居の修正作業。午前11時より猪野瀬公民館で紙芝居。その後、さつき苑文化祭で銭太鼓。帰宅して子ども太鼓のリハーサル。午後7時半より区の定例役員会。帰宅して、娘の太鼓練習に付き合う。限界を超えるほど疲れた一日だった。)

 
 

紙芝居作りで徹夜

01 11月

紙芝居仕上げ作業
明日は、いよいよ猪野瀬の高齢者サロンで創作紙芝居『親鸞聖人物語』を演ずる日だ。一度は平泉寺で演じたが、それを大幅に手直しすべくここ数日間、追加の絵を描く続けた。

絵を追加して脚本を書いていると、ここにももう一枚絵があった方がわかりやすいなあと思ってしまう。そして、絵を描き始める。

追加した絵。少年親鸞が比叡山延暦寺へ向かう場面。

追加した絵。少年親鸞が比叡山延暦寺へ向かう場面。

こんなことを繰り返しているうちに、午前1時を回ってしまった。結局この日寝たのは午前2時頃であった。若い頃なら睡眠3時間ほどの日が一週間ぐらい続いても、平気だったが今は明日のことが心配になってしまう。

つくづく自分は凝り性だと思う。凝ったからと言っていい作品ができるとは限らない。さらっと描いた方がよいと思っているのだが、やり出すと凝ってしまう。

(日記 終日紙芝居絵描き作業。途中で、里芋掘りと創作民謡『かたせ豊年囃子』の編曲作業が入った。明日は体力が持つだろうか心配だ。)